陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

失敗学

2010-04-03 18:22:04 | Weblog
「失敗学」というジャンルがあるそうな。
過日のNHKの番組で、タイタニック号の沈没原因を追った番組で、
コメンテーターとして失敗学をやっている人が登場していた。
興味をそそられるネーミングであることから、ネットで調べてみた。

Wikipediaによると、
>『起こってしまった失敗に対し、責任追及のみに終始せず、
>(物理的・個人的な)直接原因と(背景的・組織的な)根幹原因を究明し、
>その上で、その失敗に学び、同じ愚を繰り返さないようにするにはどうすればいいかを考える学問』
とのこと。

なるほど。

更に、
失敗の種類は大きく3つに分けられるという。
>1.織り込み済みの失敗。ある程度の損害やデメリットは承知の上での失敗
>2.結果としての失敗。果敢なトライアルの結果としての失敗
>3.回避可能であった失敗。ヒューマンエラーでの失敗

う~ん、ワタシがイメージし、期待したものとは少し違いますなあ。
勿論、その種のものも失敗の範疇だが、
ワタシが関心を持つのは、
上の2に近いといえば近いもので、
その時点では必ずしも失敗とは思えなかったが、
長い時間軸でみると明らかに大失敗であった(ある)もの、
その種の大失敗に予めどう臨み、克服すれば良いのか、という点で、
それを主要テーマにしているのかと期待したんですがね。

その場合、「失敗とは何なのか」の議論が不可欠になるが、
ワタシは、そういう細かいことは抜きにして、
単に、ワタシの、そして世の大失敗を避けたいだけでござります。

ワタシ自身の例でいえば、何故にワタシの人生は失敗し、プアなのか であり、
最近の例でいえば、日航は何故に倒産してしまったのか であり、
近未来でいえば、日本の財政は何故に破綻したのか、 あ、これは現在進行形でござります。

その様に、原因や理由がある程度分かっていながら、
的確な対策が結果として打てず、
結局のところ大失敗してしまう、という「失敗」でござりますよ。
そして、何故に的確な対策が打てないのか、の問題でござります。

子供手当なんぞ、その典型でござりますよ。
財源がないのに支給が始まり、ますます借金が増える。
当座はよくても、将来の世代は大変でござりましょう。
子供たちや、一種の奨学金だと考えるんですよ。
要返還、かつ10倍返しだけどね。

話しがそれたが、
短いスパンでは成功と見えたものが、更に長い時間軸でみると失敗であった、
そういうこともあるだろうし、
要するに、長いスパンでの大失敗でござります。

NHKの番組の話しに戻ると、
ワタシは後半部分の録画しか見ていないが、
印象としては、悪魔に魅入られた船、としか言いようがないですなあ。
失敗学では、タイタニック号をどう取り扱うのでありましょう?
一つ一つの原因や理由の廃除・対策ではなく、その積み重なりを。
個別には起こりうるミスが、何故に沈没に向かって数多く積み重なってしまったのかを。

よく、「成功には偶然が、失敗には必然がある」と言われるが、
失敗の必然とは、不運の積み重なりなんでしょうかなあ。
ワタシの失敗人生も、小さな判断ミスと不運の積み重なりで、結果として必然なんでありましょうかなあ。
そして、それが必然だとすれば、どうしたものでござりましょう?

もしかすると、ワタシが問うていることは、世の失敗学とは区別し、
大失敗学とでも称した方が適当かもね。
そして、ワタシは「大失敗学」教授となり(何せ実践者でござりますよ)、
オノレを徹底的に分析解明&普遍化し、いずれ世界的権威となって、ついに成功人生に到達、
な~んてことを夢想、いや真剣に考えるのでござります。
コメント
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