30歳のカエサルを有名にしたのは、ダンディを地でゆく派手な生活とその結果の膨大な借金であった。
借金の額は、1300タレント=11万人の兵士を丸1年雇える金額、あるいは超超豪華な・最高のグルメ宴会が150回も出来る莫大なものだった。いったいどうしたらこんな莫大な借金が出来たのだろうか。
カエサルの金の使い道はこうだった。
1. 自分のため ; キケロも認める大変な読書家 (高価なパピルス紙に筆で書いた本)
2. 自分のため その2 ; おしゃれ
3. おおらかな友人付き合い ; おおらかな付き合いから、おおらかな借金となった。
4. 愛人達への豪華なプレゼント ;
カエサルはもてるため或いはもてたいために贈り物をしたのではなく、喜んでもらいたいために贈り物をした。
女とは、モテたいがために贈り物をする男と、喜んでもらい一念で贈り物をする男のちがいを敏感に察するものである、と言うのが塩野七生女史の見解であった。
カエサルは、自分にも友人達にも、更には、愛人達にも、「全て相手を喜ばす」ために、お金を遣ったのである。
カエサルがローマの政界を牛耳り始めたのは、51歳の1月12日、「賽は投げられた」で有名なルビコン川を渡って以降であった。
その前は、41歳で8年間続いたガリア戦役1年目に入り、暫らくローマからガリアに遠征していた。 こんな状態だから、政界で立派に認められはじめたのは四十代からであった。
そこでまたまた分からないことが出てきた、それは、どうして若干30歳のカエサルにこんな莫大な借金が出来たのかである。