12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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ユリウス・カエサル4

2008年12月07日 08時14分07秒 | Weblog

 ローマには七つの丘がある、カピトリーノ、クィリナーレ、ヴィミナーレ、エスクィリーノ、チェリオ、パラチーノ、アヴェンッティーナである。カピトリーノの丘は、狭いが最も高く海抜50mで神々の住まう場所だった。

他の丘の上には、政治に関する建物、金持ちや貴族などの豪邸が建ち並んでいた。それらの麓に庶民達の家があった。

BC100年7月12日、ガイウス・ユリウス・カエサルは、この麓にあたるスブッラと呼ばれる庶民地区で生まれた。 アルバロンガというローマから30kmほど離れた小国があった時代、この土地の有力者がカエサルの先祖にあたる。

しかし、ユリウス一門もカエサル家もそれほどぱっとしない貴族であったため、スブッラ(庶民地区)に住んでいた。

母アウレリアは、法学者として有名なアウレリウス・コッタの妹でおそらくこの優れた血が聡明なカエサルに遺伝したのかもしれない。(残念ながら、父は早く亡くなったので、聡明な母は当時当たり前だった再婚もせず、終生カエサルの母親であり相談相手であり続けた)

 「カエサル」とは、カルタゴの言葉で「象」を意味する。ハンニバルとの死闘でユリウス一門の一人がカルタゴ相手に善戦しカエサルとあだなされたことに起因している。

一門で名をなしたのは、伯父のルキウス・ユリウス・カエサルで、「ユリウス市民権法」を立法化し、その結果ローマ人とそれ以外のイタリア人の区別が消滅し、全員がローマ市民としての権利と義務を負うようになった。
(ローマの物語を読むと、似たような名前が次々と現れまことに判りにくい、悩ましい限りである)

すなわち、勝者が敗者を軍事力で押さえ込み支配し搾取したのでなく、勝者が敗者を同化し、共生状態にするというやり方を法で定めた。

このことが、一都市国家でしかなかったローマを、都市国家を超越する国家形態に変貌させる第一歩となった。共存共栄の精神がローマを超大な帝国創立を可能とし、且つ長期に維持できた要因となった。

 これ以前及びこの時代、都市国家で有名なギリシャでも、このような共存共栄の思想は存在せず、唯一この思想をもったローマだけが大帝国となる道を歩み始めたのであった。