12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

ユリウス・カエサル6

2008年12月14日 07時32分50秒 | Weblog

 一級の弁護士で哲学好きで政治好きのローマ第一級の知識人・マスコミ(世論を左右した)人・元老院の実力者であったキケロと政敵カエサル間の往復文書を見てみよう。両人とも最高の文筆家であった関係で敵同士ながら、手紙は頻繁に交換していた。

キケロの手紙
<なんという違いだ、敵を許すカエサルと、味方を見捨てるポンペイウス。>

 カエサルよりキケロへ
<私をよく理解してくれている貴方の言うことだから、わたしの振舞はあらゆる意味で残忍性が見られないというあなたの言は信用されてしかるべきだろう。

あのように振舞ったこと自体ですでにわたしは満足しているが、あなたまでがそれに賛意を寄せてくれるとは、満足を越えて喜びを感じる。

わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになろうとしても、そのようなことに心をわずらわせたくない。何ものにも増してわたしが自分自身に課しているのは、自の考えに忠実に生きることである。だから、他の人々にも、そうあって当然と思っている>

特に、元老院側(共和政側)との内乱では、同じローマ人同士ということもあり、内戦で勝利しても同胞を捕虜や奴隷にせず直ちに自由にしたのであった。これら自由にした人達の中に「ブルータスお前もか!」のブルータスもいた。

(注1) カエサルの8年間のガリア遠征で英国南部やライン河とドナウ川以南のヨーロッパがローマの覇権の及ぶ範囲となった、またこれまでの長い間に覇権の及ぶ範囲が拡大し、東はチグリス川西や北アフリカとじつに広大な支配圏を持つ時代になっていた。

このため、一部の有力者(元老院議員)による共和政(とはいっても議員は、民衆の選挙による洗礼は受けていない)が、制度疲労を起こし的確に政治を遂行出来なくなっていた。

この現状を憂慮したカエサルは、後に帝政と呼ばれるようになる政治システムを引っさげて、議会と対立していた。

 (注2) 当時の国法では、軍隊によるクーデターを防止するためルビコン川以南のローマ直轄領には軍隊が越境することを禁じていた。 

帝政に制度を変革しようとするカエサルを丸腰にしようと元老院側は国法を盾に、カエサルのみのローマへの帰還を命じたが、これに反しカエサルは自分の軍団に、「賽は投げられた」の演説とともにルビコン川を越えローマを目指し進軍を始めた。

当然軍隊を持たないローマの筆頭元老院議員のポンペイウスもその他の議員達も、そろってギリシャ方面に逃走した。 このときのポンペイウスの自己保身第一と見えた逃げ方が、盟友キケロには気に入らなかったのだった。