父の日のことに戻って・・・
ウォーキング仲間と、父の日、大阪駅に集合した。
集合時間ぎりぎりにかけつけた自分に、仲良しの女性が、開口一番
”あれ、やせたの・・・みすぼらしい”と言った。
この日、買ったばかりのお気に入りの長そでシャツを着て
自分がずっと大事にしてきた「さわやかおじさん」を
運んだつもりだったが、まったく、意に反する言葉をもらい
返す言葉がなかった。
春以来の雑務続きの疲れか、顔が少し、ほっそりしてきたとは、感じていたが
それでも、 ”みすぼらしい”とは、思いもよらない先制パンチだった。
三月例会以来、久しぶりに会ったその人には、何かを感じたんだろう。
”みすぼらしい” (辞書を引くと・外観が貧弱で貧しそうとあった)
この年齢になると、徐々にでも、衰えていくことは仕方がないとして
「生涯現役」をうたっているなら、少しでも、こざっぱりと、こぎれいに
いい感じで年齢を感じられるように、歳を重ねていきたいと思っているので
かなり強烈なパンチだった。相当に悔しかった。
別に言った女性に、腹がたったわけでも、怒ったわけでもない。
補足するなら、その言葉を投げかけた女性はというと
私の体調を、いつも気遣ってくれ、例会のたびに、特製のたまご焼きを
作ってきて、弁当の時間には、横に座って勧めてくれる優しいご婦人なのだ。
彼女のためにも、”みすぼらしくならないように”という課題を
もらったと思って励みにしたい。
ところで、そんな、みすぼらしい親父の写真を
父の日のプレゼントにされたら、せがれは、どう思うだろうかと
メールに添付して送る前に、写真を見直してみたが、
そんなに、みすぼらしいとは思わなかったので予定?通り贈った。
(ここは昨実のブログの内容に続く)
自分のことは、わかっていないのかなあ・・・・。