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東海道五十三次ウォーキング⑨(鳴海-知立)

2008-01-15 20:19:29 | ウォーキング
成人の日、東海道五十三次ウォークに行ってきた。
名古屋市緑区の鳴海宿(有松)から知立市の知立宿まで。

今回も青春18切符を利用して
先週と同じ新大阪駅7時21分の新快速で
米原乗り換え名古屋へ。

名鉄名古屋線に乗り換えて前回ゴールした
名古屋市緑区の鳴海宿の名鉄有松駅で下車。


駅頭に立って寒い!
快晴だがなにしろ風が強くて
有松絞りののぼりも舞っている。

買ったばかりのシューズのデビューと
ひざの回復状態を確認するという
重大な任務?を背負って・・・
10時30分、スタート!
予定は知立宿、駅は新安城駅まで。

先週に続いて有松の雰囲気のある街道は続く


有松絞りは今年で400年だそうだ。


古い屋並みを通り一号線に合流
しばらくすすむと最初の楽しみは
あの桶狭間の合戦跡を訪ねること。

跡地は国道1号線から少し入っただけの
きれいに整備された公園になっていた。

小さな公園だが、とても読めないほど古い
石碑が何本も立っていた。
訪ねてくる人も後を絶たない。


すぐ近くの高徳院には
今川義元の本陣跡もあった。


再び、一号線に戻り少しすすむと名鉄のガードをくぐると
ここは中京競馬場前駅の近く、こんな看板が立っていた。


途中、豊明市で
道路を挟んで左右に一里塚のある
阿野一里塚に出会った
これは徳川家康が命じて両側に
築かせたのだそうだ。


車のひっきりなしに通るそうぞうしい一号線から
左へ入るとコンクリート工場の間を足もとの悪い
歩道のないゆるやかな上り道が続く。
上りきると境川にかかる境橋に行き着く。
この境橋は、かって尾張と三河の境だったらしい。

食事のできそうな店は見当たらないので
境川の土手でおやつ用に名古屋駅で買ったメロンパンと
アンパンのうちメロンパンは遭難時の非常食用に残して
アンパンを食べようとリュックをさわっていると
強い風に地図が飛ばされて
なんとなんと!土手の下へ飛ばされてしまった。

しまった!

もし、川の中へ飛ばされたら万事窮す・・・
地図なしでは遭難する・・・
必死でこわごわ、土手を伝いおりしてなんとか
地図を取り戻した。

ふーっ!

寒いので立ち止まって食べる気にならなくて
橋の上を食べながら渡っていく

向こう側がこれからすすむ三河の国。昔は、真ん中より
西側が板橋、東側が土橋だったそうだ。


橋を渡り終えて前方をみると・・・
また、なんとなんと!
ラーメン屋、うどん屋が見えてきた!
しまった!といいながら
この寒さ、温かいものを食べたくて
ラーメン屋へ。

うま屋ラーメンという店で
チャーシューラーメン700円なり
あー、あんパン&ラーメンの豪華な昼食になった。


体も温まり元気も出てきた。
豊明市から刈谷市へと寒風の中を
ニューシューズを試しながらゆっくり歩き
なんとか足にフィットしてきた。

あっという間に刈谷市を通り越す。


小さな春が・・・


知立市に入って逢妻橋では
通行証明書代わりの写真を撮ってもらおうと
じっと人を待って夫婦づれのウォーカーに
無事に撮ってもらった。
気をつけて!とうれしい言葉をもらった。


了運寺の前の黒板に


知立の町に入って知立城跡によってみる。
桶狭間の戦いで落城したがその後再建されたが
元禄12年の大地震で倒壊したのだそうだ。


知立城跡の公園で休憩。
今日の最終コースの確認。
足も窮屈になり始めたので
松並木の残っている街道で切り上げることにした。
最寄駅は「名鉄牛田駅」

メロンパンをおやつにして
もう食料はなし。

ここらから知立宿の中心だったらしいが
いまはまったくその面影はない。
問屋場跡をすぎ商店街にある道標を撮っていると
お店の奥から男性が名刺をもって声をかけてきた。
この商店街の理事長さんというその方としばし話し込んだ。

本陣跡の整備ができていないのでなんとかしたいと
言っていたがほんとうになんとかしてほしい。
(本陣跡は貯水槽になっていてその横に石碑が立っている)
こちらでは、「チリュウ」を「知立」というより「池鯉鮒」と
書くらしい。
奥に明治天皇行在所聖蹟の碑がある。


午後から曇ってきて風も強く
気温も上がらない道をさらにすすんでいく・・・
あれこれと考えているうちに
大事なポイントを通り越してしまってがっかり。

しかし、前方に知立の松並木が見えてきたので
元気を盛り返す・・・


思わず
おーすごい!
見事な街道の松並木だった。

500メートルの間に
170本の松がほぼ等間隔に残っている。
その見事さに感動した。



なんでも伊勢湾台風でこのあたり松並木は
70%が倒されたという。

あの台風の爪め跡は、こんなところまで
あったのだとここでも驚く。

この街道の最後のところで、
少し、休憩していると向かいのコンビニから
大きな荷物を背負った人が出てきたので
渡って来るのを待って声をかけた。

鹿児島から青森の恐山まで三年かけて歩いて
郷里の富山へ帰る道中だという
75歳の元気なおじいさんだ。

お金を盗まれて70円しかなく
今朝から何も食べていなくて
明日(年金が入る)まで食べられないと言う。

今夜、どこに泊まられますか?と聞いたら、
橋の下で野宿すると言う。
慣れているとのことだがこの寒さ。

小銭入れにあった硬貨を全部あげた。
それなりの額があったので夕食は、なんとかなったと思うが・・

ただ、悔やまれていることは、その人が
今日は、何も食べていないと言いながら
コンビニから出てきたのを見ていたので
一瞬でも、疑いの心をもったことだ。

道中、お寺や神社、とくに道端のお地蔵さんには
お賽銭を心がけている。

熊野古道でもずっとそうしてきた。
こちらが気がつかないで前を通っていても
そっと自分の無事を祈ってくれているからだ。

去っていくおじいさんの後ろ姿みてあっお地蔵さん!

あの人は、自分を守ってくれる生きたお地蔵さんだった!

なぜ、心からのお賽銭を渡さなかったのか
ほんとうに恥かしかった。


今日、郵便局で年金を受け取って
自分が歩いてきた東海道を元気にふるさとの
富山をめざして歩いていることだろう。
ご無事で!

後ろ姿を撮った生きたお地蔵さんの写真は
大事にしよう。
また、ひとつ勉強をした。 

気を取り直して
早い暮れの雰囲気が迫ってきた街道を
すすんでいるといつのまにか
来迎寺の一里塚にきた。

予定の牛田駅を通り過ぎて
朝、予定していた新安城に向かっている

15時45分なのでこのまま新安城へ行くと
16時半くらいか・・・

曇っているし
写真がきれいに撮れないので
手前の牛田駅へ引返えすことにして
戻りかけたとき
大根の取り入れを終えたらしい
おばあさんと目があった。

よせばいいのに
また声をかけたら

そのおばあさん
なかなかの口達者な人で
帰り道に牛田駅を通るので
車で送るという。

車で?

おばあさんが?

そうですよ。
女が男を乗せるのはよくないかもしれませんが・・
という。

わずかな距離だからと
断ったが疲れているだろうと
熱心に言ってくれるので
生涯の思い出にすると言って乗せてもらった。

なんと昭和一桁生まれというおばあさん
なかなか運転もうまい!
あっという間の距離だが
楽しい出会いだった。

地下通路を通って
二つ目の階段を上がるようにと
言われたが
まさにその通りで無駄なく
ホームへ。


名古屋駅17時30分の新快速で米原へ
そこで乗り換えて新大阪へは
20時過ぎに戻ってきた。

いろいろな出会い、
まだ、ここには書いていない
どっきり話あり

いやー、疲れた。