東京オリンピックの年、1964年10月1日に開業した東海道新幹線、
最高速度210キロでデビューした「0系」が今月末、引退する。
当時、東京-新大阪間を4時間で結び夢の超特急といわれたものだ。
現在は、山陽新幹線・新大阪-博多間を「こだま」として一日、
二編成のみ運行している。
あの団子っ鼻で親しまれた0系の引退ということでファンが
すでに各駅に殺到し開業当時の記念駅弁やグッズも飛ぶように
売れているという。
新大阪駅をエリアにしている自分も、早朝の6時、7時代なの
で普段、姿をみかけることはない。
その「0系」に会っておきたくなって、今朝、新大阪駅のホーム
に駆け付けた。
7時59分新大阪発-博多行の「0系」、昔のまま、なつかしい。


ホームは、撮影する人でいっぱい、車内も乗客でいっぱい、
多分、別れを惜しむ人たちなんだろう。
子供たちには、多分、初めて見る新幹線のはず。


この0系は、1964年から85年まで3216両も製造され、
1986年に100系がデビューするまで東海道・山陽新幹線の
主役であり続けた。


サラリーマン時代に東京出張でどれほど利用したことか、仕事
より新幹線に乗る楽しみのほうが強かったことを思い出す。
日本の高度経済成長期の足を支えたのも「0系」だったかもしれ
ない。
新婚旅行も0系だった、そういえば、あの頃の関西では、新婚
旅行は新幹線で伊豆方面行きが定番だった。
いまは、スマートな車体が次々とデビューする新幹線だが、
自分にとっては、やっぱり「0系」が新幹線のイメージだ。
1999年に東海道区間から引退した「0系」をなつかしむ全国の
ファン、とくに当時のビジネス戦士たちにとっては、なつかしい
0系だろうと思う。
博多へ向けて発車していく「0系」。


詳細はこちらでどうぞ。
http://www.jr-odekake.net/navi/shinkansen/0kei/
鉄道ファンの団体「鉄道友の会」の2008年の「ブルーリボン賞」
に東海道・山陽新幹線の新型車両「N700系」が選ばれた。
仕事場から撮影。

これ今日の300系、1992年3月デビュー。かなり古いタイプ。
仕事場から撮影。
最高速度210キロでデビューした「0系」が今月末、引退する。
当時、東京-新大阪間を4時間で結び夢の超特急といわれたものだ。
現在は、山陽新幹線・新大阪-博多間を「こだま」として一日、
二編成のみ運行している。
あの団子っ鼻で親しまれた0系の引退ということでファンが
すでに各駅に殺到し開業当時の記念駅弁やグッズも飛ぶように
売れているという。
新大阪駅をエリアにしている自分も、早朝の6時、7時代なの
で普段、姿をみかけることはない。
その「0系」に会っておきたくなって、今朝、新大阪駅のホーム
に駆け付けた。
7時59分新大阪発-博多行の「0系」、昔のまま、なつかしい。


ホームは、撮影する人でいっぱい、車内も乗客でいっぱい、
多分、別れを惜しむ人たちなんだろう。
子供たちには、多分、初めて見る新幹線のはず。


この0系は、1964年から85年まで3216両も製造され、
1986年に100系がデビューするまで東海道・山陽新幹線の
主役であり続けた。


サラリーマン時代に東京出張でどれほど利用したことか、仕事
より新幹線に乗る楽しみのほうが強かったことを思い出す。
日本の高度経済成長期の足を支えたのも「0系」だったかもしれ
ない。
新婚旅行も0系だった、そういえば、あの頃の関西では、新婚
旅行は新幹線で伊豆方面行きが定番だった。
いまは、スマートな車体が次々とデビューする新幹線だが、
自分にとっては、やっぱり「0系」が新幹線のイメージだ。
1999年に東海道区間から引退した「0系」をなつかしむ全国の
ファン、とくに当時のビジネス戦士たちにとっては、なつかしい
0系だろうと思う。
博多へ向けて発車していく「0系」。


詳細はこちらでどうぞ。
http://www.jr-odekake.net/navi/shinkansen/0kei/
鉄道ファンの団体「鉄道友の会」の2008年の「ブルーリボン賞」
に東海道・山陽新幹線の新型車両「N700系」が選ばれた。
仕事場から撮影。

これ今日の300系、1992年3月デビュー。かなり古いタイプ。
仕事場から撮影。
