14日、15日の二日間、東海道五十三次ウォークシリーズ
の静岡県島田市金谷宿から静岡市丸子宿まで歩いてきた。
いずれはこのブログで、詳細はHPで紹介するとして
二日間の簡単な歩程について紹介しておきたい。
11月14日(金)
「金谷宿」(静岡県島田市)→「島田宿」→藤枝宿(藤枝市)
朝6時28分の新大阪発の新幹線で浜松へ

新幹線内で簡単な朝食。

今日のコースの下調べ、お勉強中。

日の出前の京都・東寺の五重塔が見える。

浜松で新幹線から東海道線に乗り換え金谷駅9時1分に下車。

そろそろ富士山が見えるはずだとわくわくしながら駅の観光
案内所を訪ねたら
”よく見えていますよ”と駅の外へ案内された。
わー、見えてる!
これが思わず口に出た感動の第一声。
まわりにいた人がこちらを見るくらい大きな言葉だった。
いつもこんなに奇麗に見えるわけではないそうだ、天気予報
で土曜日から崩れるということだったので晴れ予報の金曜日
に無理して来たのが正解。
スタートして金谷宿をしばらくすすみ金谷本陣跡前へ。
しばらくすすみ大井川鉄道の新金谷駅に寄ってみたら
観光バスの団体で大変な人、人、人。人気観光コースらしい。

SLをまじかにみているとホームに見覚えのある電車が入って
きた、昔利用していた南海電車が現役として働いているでは
ないか!昔のままの車体の色で・・・・。なつかしい。
さらにすすむと待望の大井川の堤防に行き着いた

箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川
と言われた難所の大井川だ
さすがに大きい、それに、はるか正面に
富士山がくっきりと見える最高の景色

感動、感動、感動。
大井川にかかる大井川橋の歩道を渡って行く
冨士山に近づいていくようでわくわくする・・・
先に渡ってきた天竜川に比べると水量が少なく周辺が山に囲
まれているせいか、天竜川ほど大きくは感じないがそれでも
大きな川であることには違いない
途中で運よく、地元の方に遭遇し写真を撮ってもらった。

1300メートルの橋を渡り切ると島田宿
そこには大井川・川越遺跡が当時にタイムスリップするよう
に復元されていた、ここは国指定の史跡になっている。

渡船が中心のように思った天竜川に対して大井川は
川を渡る川越制度があり、川札を川会所で買って
人力で肩ぐるましてもらうか、輦台というみこしのような
乗り物に乗ってかついでもらうか、どちらかで渡っていたそうだ。


橋を渡って遺跡へすすむ道で地元のご婦人に道を確かめたら
資料館までの300メートルくらいを案内してくれた
どこに行っても地元の人は親切にしてくれてうれしい。
渡ってきた大井川大橋、島田市博物館前の堤防から。
島田市はJR駅前が開発中で、そこにあるという碑が見つか
らない、資料では交番の隣となっているがその交番がない
交番がどこかへ持ち去られたのか・・・まさか?
市内のど真ん中、資料に掲載されている史跡碑があるという
二つのスーパーもなくなっていて碑もわからない
まるで宝探しでもするように史跡探して四苦八苦しながらす
すむのも現代の東海道歩き、これも、また楽しい。
再開発にかける地方の商業ビジネス生存競争の厳しさをここ
でもみた。
島田宿本陣跡。

旧東海道からは外れるが、島田で楽しみにしていたのが蓬
莱橋を訪ねること。木橋としてギネスブックに認定されて
いる世界一長い木造りの歩道橋を渡りたくて足を延ばした。
全長897.4メートルの木橋が大井川にまっすぐに伸びる
ようにかかっている様子は世界一の名にふさわしい、映画
や大河ドラマの撮影によく使われるそうだが想像していた
よりさらにスケールの大きな橋で驚いた。

一歩一歩、ゆっくりとすすむ
穏やかな小春日和が色づき始めている周辺の景色をさらに
やさしく包み込んで渡る人に降り注いでいる
橋の上から眺める富士山はたとえようのないくらい美しい姿で
そこを離れるのがもったいないくらいだった。
二度とこの地にはこない
二度とこの橋は渡らない
二度とこの景色は見られない
しっかりと瞼に収めるように見ておいた。

自分の東海道五十三次は、日本橋までこれ限り
また訪れるという気持はまったくないので名残り惜しい。
富士山を見ることのない西からきた者には
あこがれの冨士山が、こんなにもやさしく迎えてくれて
ここに立てる幸せを感じた。ありがとう。

橋の真中で地元のご婦人二人と楽しい出会いもあった。
遅い昼食に橋のたもとのそばやさんに入って
そば定食を注文して出てきたそばを見て驚いた
醤油の中にそばが入っている!
からい!
うす味、薄い汁の関西から来た者には驚きだ。
冷たいそばを追加したらまた醤油の中に入って出てきた
汁は吸わないように・・・
でも、そばはおいしかったしそれに安かった。
島田市は、金谷の石畳、大井川、国指定の川越遺跡、蓬莱橋
それに人気のSL大井川鉄道と旧東海道にまつわる歴史的財産
をたくさん持っていて魅力のある町だった、通してくれてありがとう。
島田から次の藤枝宿をめざしてすすむ
この間の旧道は、みるべきものがあまりなく
単調な道をすすむだけ、いつのまにか曇り空になって
冨士山はどこかへ行ってしまった。

○○保存会と掘られた碑も多く見かけたが
一つ一つの道標、説明板がていねいに作られていて
藤枝市の史跡に対する姿勢をすばらしいと感じた。
予定のゴール地点・藤枝市青木交差点に、ほぼ予定通りの
4時過ぎに着いた。
明日のこともあるので、そこで切り上げてホテルに入り
食事も外食しないでラウンジ風の雰囲気のいいホテルの
レストランでとった。
静岡限定という抹茶入りの焼酎は香りに品があっておいしく
ひとりで十分にくつろぐことができた。
約 36,000歩。いい一日だった。

午後から、左足の甲部分に痛みが出てきてちょっと気になる
東海道五十三次には、今日デビューしたばかりのシューズの
左が少し窮屈なのだろう、峠越えがある明日の対策を考えな
いといけない。
翌日のブログは後日にしたい。
の静岡県島田市金谷宿から静岡市丸子宿まで歩いてきた。
いずれはこのブログで、詳細はHPで紹介するとして
二日間の簡単な歩程について紹介しておきたい。
11月14日(金)
「金谷宿」(静岡県島田市)→「島田宿」→藤枝宿(藤枝市)
朝6時28分の新大阪発の新幹線で浜松へ

新幹線内で簡単な朝食。

今日のコースの下調べ、お勉強中。

日の出前の京都・東寺の五重塔が見える。

浜松で新幹線から東海道線に乗り換え金谷駅9時1分に下車。

そろそろ富士山が見えるはずだとわくわくしながら駅の観光
案内所を訪ねたら
”よく見えていますよ”と駅の外へ案内された。
わー、見えてる!
これが思わず口に出た感動の第一声。
まわりにいた人がこちらを見るくらい大きな言葉だった。
いつもこんなに奇麗に見えるわけではないそうだ、天気予報
で土曜日から崩れるということだったので晴れ予報の金曜日
に無理して来たのが正解。
スタートして金谷宿をしばらくすすみ金谷本陣跡前へ。

しばらくすすみ大井川鉄道の新金谷駅に寄ってみたら
観光バスの団体で大変な人、人、人。人気観光コースらしい。

SLをまじかにみているとホームに見覚えのある電車が入って
きた、昔利用していた南海電車が現役として働いているでは
ないか!昔のままの車体の色で・・・・。なつかしい。

さらにすすむと待望の大井川の堤防に行き着いた

箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川
と言われた難所の大井川だ
さすがに大きい、それに、はるか正面に
富士山がくっきりと見える最高の景色

感動、感動、感動。
大井川にかかる大井川橋の歩道を渡って行く
冨士山に近づいていくようでわくわくする・・・
先に渡ってきた天竜川に比べると水量が少なく周辺が山に囲
まれているせいか、天竜川ほど大きくは感じないがそれでも
大きな川であることには違いない
途中で運よく、地元の方に遭遇し写真を撮ってもらった。

1300メートルの橋を渡り切ると島田宿
そこには大井川・川越遺跡が当時にタイムスリップするよう
に復元されていた、ここは国指定の史跡になっている。

渡船が中心のように思った天竜川に対して大井川は
川を渡る川越制度があり、川札を川会所で買って
人力で肩ぐるましてもらうか、輦台というみこしのような
乗り物に乗ってかついでもらうか、どちらかで渡っていたそうだ。


橋を渡って遺跡へすすむ道で地元のご婦人に道を確かめたら
資料館までの300メートルくらいを案内してくれた
どこに行っても地元の人は親切にしてくれてうれしい。
渡ってきた大井川大橋、島田市博物館前の堤防から。

島田市はJR駅前が開発中で、そこにあるという碑が見つか
らない、資料では交番の隣となっているがその交番がない
交番がどこかへ持ち去られたのか・・・まさか?
市内のど真ん中、資料に掲載されている史跡碑があるという
二つのスーパーもなくなっていて碑もわからない
まるで宝探しでもするように史跡探して四苦八苦しながらす
すむのも現代の東海道歩き、これも、また楽しい。
再開発にかける地方の商業ビジネス生存競争の厳しさをここ
でもみた。
島田宿本陣跡。

旧東海道からは外れるが、島田で楽しみにしていたのが蓬
莱橋を訪ねること。木橋としてギネスブックに認定されて
いる世界一長い木造りの歩道橋を渡りたくて足を延ばした。
全長897.4メートルの木橋が大井川にまっすぐに伸びる
ようにかかっている様子は世界一の名にふさわしい、映画
や大河ドラマの撮影によく使われるそうだが想像していた
よりさらにスケールの大きな橋で驚いた。

一歩一歩、ゆっくりとすすむ
穏やかな小春日和が色づき始めている周辺の景色をさらに
やさしく包み込んで渡る人に降り注いでいる
橋の上から眺める富士山はたとえようのないくらい美しい姿で
そこを離れるのがもったいないくらいだった。
二度とこの地にはこない
二度とこの橋は渡らない
二度とこの景色は見られない
しっかりと瞼に収めるように見ておいた。

自分の東海道五十三次は、日本橋までこれ限り
また訪れるという気持はまったくないので名残り惜しい。
富士山を見ることのない西からきた者には
あこがれの冨士山が、こんなにもやさしく迎えてくれて
ここに立てる幸せを感じた。ありがとう。

橋の真中で地元のご婦人二人と楽しい出会いもあった。
遅い昼食に橋のたもとのそばやさんに入って
そば定食を注文して出てきたそばを見て驚いた
醤油の中にそばが入っている!
からい!
うす味、薄い汁の関西から来た者には驚きだ。
冷たいそばを追加したらまた醤油の中に入って出てきた
汁は吸わないように・・・
でも、そばはおいしかったしそれに安かった。
島田市は、金谷の石畳、大井川、国指定の川越遺跡、蓬莱橋
それに人気のSL大井川鉄道と旧東海道にまつわる歴史的財産
をたくさん持っていて魅力のある町だった、通してくれてありがとう。
島田から次の藤枝宿をめざしてすすむ
この間の旧道は、みるべきものがあまりなく
単調な道をすすむだけ、いつのまにか曇り空になって
冨士山はどこかへ行ってしまった。

○○保存会と掘られた碑も多く見かけたが
一つ一つの道標、説明板がていねいに作られていて
藤枝市の史跡に対する姿勢をすばらしいと感じた。
予定のゴール地点・藤枝市青木交差点に、ほぼ予定通りの
4時過ぎに着いた。
明日のこともあるので、そこで切り上げてホテルに入り
食事も外食しないでラウンジ風の雰囲気のいいホテルの
レストランでとった。
静岡限定という抹茶入りの焼酎は香りに品があっておいしく
ひとりで十分にくつろぐことができた。
約 36,000歩。いい一日だった。

午後から、左足の甲部分に痛みが出てきてちょっと気になる
東海道五十三次には、今日デビューしたばかりのシューズの
左が少し窮屈なのだろう、峠越えがある明日の対策を考えな
いといけない。
翌日のブログは後日にしたい。