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東海道五十三次ウォーキング(吉原宿→原宿→沼津宿→三島宿) 

2009-06-29 14:16:42 | 東海道五十三次
東海道五十三次ひとり歩きシリーズ、静岡市由比(16番宿場)から三島(11番)まで一泊二日の続編。コースは「吉原→原→沼津→三島」まで。

●午前7時15分にホテル出発。スタートになる昨日ゴールの缶南鉄道吉原本町駅へ。7時30分スタート、ゴール予定地と時間は三島市樋口本陣跡前17時30分とした。昨夜、今日のコースは長くて30キロを超えると想定し、地図に1時間毎の到達地点を記入して、午前、午後に調整時間も組み込んで、スタート!


昨日のかすんだ空とは違って上空は青空、左富士が見えるかもしれないと、わくわくしながらすすむ。最初のポイント、和田川にかかる平家越橋を渡ると橋のたもとに立派な平家越の碑が建てられていた。治承4年(1180)、源平の戦いで平家の軍勢が陣取ったあたりだという。源氏の迂回作戦で飛び立った水鳥の羽音に驚き、平家の軍勢が戦わずして退却したという。


ここを右へすすむ、ここからがよく紹介されている左富士の見える絶景の場所ということだが、それは東から来る場合で、西からは右富士ということになる。東海道五十三次に関する地図、資料、書籍、すべて江戸側から書かれているので西から歩くとすべて逆なので戸惑うことが多い。右は左、上り坂は下り坂、ややこしい、「名勝左富士」の立て看板も説明板もたてられているがまったく見えない、天気はいいのになあ。


仕方なく信号を渡り、新幹線と1号線バイパスの下を通りそのまま吉原駅方面を目指してすすむ、車の通行量が激しいところで、騒音と暑さも交じって歩きにくい。
吉原駅前を通り東海道線を渡ってすすみながら左方面を見ると、あっ、富士山や!思わず叫んだ!見えている、見えている!次の交差点でコースから離れ左の道へ寄り道してすすむ、大昭和製紙の工場から煙と鼻をつく臭いは余計だったが、滝川にかかる白妙橋というところまで行くと橋の上からきれいに富士山が見えた。雪はわずかしか残っていないがそんなことは、もう、どうでもいい、会えてうれしい!いつも富士山を見慣れている人には何を?ということだろうが、やっぱり冨士は日本一の山!寄り道して35分をロスしたが、富士山に会えたので満足。


再び東海道へ戻って、寄りたいと思っていた妙法寺毘沙門天さんの階段を上った、なかなか雰囲気のある立派なお寺。“どうか今日一日、東海道を事故なく歩けますようにお守りください”と祈願して毘沙門天さんのお守りを買ってベルトにつけた。道中のお寺や神社、お地蔵さん、道祖神さんまで、自分の旅の安全を祈ってくれていることを忘れてはいけない。手を合わせてお賽銭も忘れないように、これは普段のウォークでも同じようにしていること。


ここから約3キロばかり、まっすぐな道が続く、歩道がないので車道のすみへ寄るようにして歩く、暑い!道の両側には民家が続き庭先には、花々がきれいに咲いて目を楽しませてくれる。


380号線を愛鷹神社、木之宮神社を通り過ぎ、昭和放水路上の広沼橋から振り返るように富士を見ると、ここからもきれいに見える。すぐ前を東海道線が通っているので電車と富士山のツーショット写真を撮ろうと待ち構えたが、こんな時に限り、電車はこない。さらにすすんでいくと左手に立派なお寺が見えてきた。立円寺、ここからも富士がきれいに見えた。ここには「望嶽の碑」があるが、これは文化5年に尾張藩の侍医柴田景浩が江戸へ旅の途中、この寺に滞在したとき、富士の絶景をたたえてたてた碑。


右側の民家の間から松林が続いているのに気がついた。そうだ、もう、あの田子の浦海岸かもしれない、うまく海岸へ続く道が見つかればいいと思いながらさらにすすんでいくとJR東田子の浦の前にきた。
10時19分、予定は10時だったのでかなり時間を取り戻した。この駅からも富士山がきれいに見える。


暑さ避けて木陰に腰をおろして休憩。ここで500mlのペットボトル三本目を買う。水分補給を怠らないように。足に昨日の疲れもなく問題はない。海岸のことを気にしながら380号線からコースは左へ入っていく・・・あれ、これじゃ、海岸から離れる!誰かに聞こう、こんな暑い時間、人影はない。

しばらく立ち止っているとご婦人がきた、“すみません、お尋ねしたいのですが?”といったら“ここの者ではありません”と、冷たく行かれてしまった。
あー、がっかり・・・、しばらくすると夫婦らしい中年の男女がきたので尋ねたら、東田子の浦駅の近くまでもどると海岸へ出る道があることを親切に教えてくれた、そして“お気をつけて”と一番のごちそうことばをかけてもらった。

少し戻って松林を抜けて海岸に出た、堤防の向こうに海が広がっている。“わー広い、伊豆半島が見える!さいこう、サイコウ!”と、ひとりではしゃいだ。
松林は防風林になっているのだろうか、ずっと続いている、海岸もずっと続いている、沼津の千本松原までだろう、このあたりは砂地ではなく石ころごろごろで瀬戸内の白砂の浜辺で育った者には物足らないが、海のスケールがまるで違う。


山部赤人の詠んだ歌はいまでも覚えている
    「田子の浦 ゆうち出でて見れば 真白にぞ
                   富士の高嶺に 雪は降りける」
少し早いが、この絶景を見ながら堤防に腰をかけて弁当を食べた。↓田子の浦海岸と伊豆半島。


10時45分から11時7分まで海岸の堤防で休ませてもらった。ここで予定時間を大きく遅れてしまった。ただし、昼食時間が不要になるので、午後のスタート地点までに取り戻すことにして、ここから一気歩き。

富士市から沼津市へ入り東海道線の踏切を渡って、浅間神社、大通禅寺に寄り、沼川第二放水路を通り163号線を約3.5キロを急いだ。JR原駅に寄った。12時20分。


近くの浅間神社で休憩。このあたりが旧原宿の中心だったと思うが、その面影はない。天保9年(1878)に大火があり再建されなかったらしい。町の規模も小さい。

予定ではここから午後のスタート、12時40分の予定も、ほぼ、その時間通り。問題は、疲れの出る午後をいかに歩くか・・・気を引き締めて、歩道のない道が続くので事故にあわないように車に注意!

午後のスタート、白隠禅師の誕生地と墓があるゆかりの松陰寺を訪れた。臨済宗の名僧として知られる白隠禅師は、この地に生まれ、15歳で松陰寺で得度、諸国を修行し享保2年(1717)に松陰寺の住持となった、参勤交代の際、大名が白隠禅師をよく訪ねたそうだ。


晴れ渡ってかんかん照りの道はますます暑い、男性二人ずれのウォーカーにあったが、あいさつがかえってこなかった、暑くて疲れているのだろう。JR東海道線の踏切に出た、振り返ると富士山がきれいに見える。また、その気になって電車が来るのをじっと待った、日陰のない線路わきで5分も待っただろうか、電車が来た、ラッキー、しかし、撮った写真を見たら富士山は電車に隠れて入っていなかった。あードジ!ばかばかしい!とぶつぶつじいさんをしながらまた、歩く。このあたりが、地図上では、今日の中間地点、予定通過時間が13時10分のところ13分、ほぼ、予定時間通り。なんとなくうれしい。単純!


三島神社、祥雲寺を過ぎJR片浜駅前を通り、さらに直線163号をまっしぐらにすすむ。吉祥院、大諏訪天満宮、栄昌寺を過ぎ八幡神社で5本目の水を買って休憩していると50歳くらい男性が声をかけてきた。大阪からここまで歩いて来たことを話すと驚いていた。タクシーの運転手さんだそうで、さすがに詳しい、これから先のことを説明してくれた。この人にも“気をつけて行ってください!”と言われた。
みんながそう言うのは、ひょっとして、こちらが年寄りだから労わってくれているのかもしれない?本人は、大丈夫と思っていても、人からみると気になるのだろうか・・・うーん、そうなんかなあ・・・。


14時25分、問門橋を渡る、予定の時間通り、さらにまっすぐな道が続く、驚く、しかも、歩道のない車の通行量の激しい道だ。景色も同じように見えて疲れる。コンビニによって凍ったペットボトルを買って、顔や首筋にあててすすむ、人からみたら、いったい何をしてる?と思われるだろうが、顔がほてる、熱いのだ。左のほほに当て、右に当て、ひたいに当て、首筋に当て・・・歩きながらそれを繰り返す。交差点で小学生が不思議そうな顔をして見ていた。子供には声をかけてはいけない。


背中の重さがこたえてきた、30Lのリュックに着替えや書類、資料、関係本、携帯・デジカメの充電器からパンとかバナナ、お茶までたっぷり入れた上に、昨日買った広重の大判の分厚い本も入っているために重い。

163号線、妙傳寺、六代松を過ぎ、しばらく行った幸橋手前の自販機で6本目、ここで同じように自販機に来た男性と立ち話。この人も大阪からと言うと驚いていた。大阪に居たことがあるとも言っていた、以外とそういう人に会う。お決まりの“気をつけて・・・”と言われた。うれしいね!
このあたりからにぎやかになっていく、浅間神社の交差点を右に千本浜通りと標識が出ていたので千本松原に行けるかもしれない、残念だが、そこまではとてもいかれない。次の交差点、静岡銀行角を左折するのだが、静岡銀行はなくなっていた。このあたりが沼津の中心街なのだろう、商店街が続く。通りに本陣、脇陣跡の碑がたっている。このあたりが、旧沼津宿の中心だったのだろう。


本町で右折し次の交差点を左折するとモニュメントが並ぶ通りに出た。楽しい。
沼津は水野氏の五万石で栄えた城下町だから独特の紆余曲折した道になっている。城下町と宿場があった町はどこも同じだ。


次の信号を右折してゆるやかな坂道を下っていく。中央公園横で休憩していると、多分、東海道歩きと思われる男性に会ったので目礼したが、反応がなかった。お互いに疲れる時間帯。大きな通りに出て歩道橋を渡り360号線をすすむ、市街地から少しずつ離れていくのがわかる。脇道をしばらくすすみ再び360号線にそって坂道を上っていく、後ろ左からの直射日光でほほから首筋が痛い、氷はとけてしまってなすすべもなく、汗をぬぐうタオルも朝からの汗でぬれてしまった。ここが一番疲れを感じたところ。東下石田交差点に16時2分着、予定時間が16時、ほぼ完ぺきにすすんでいる。

360号線から145号線へとすすむ、黄瀬川を渡り頼朝、義経の対面石があるという八幡神社へ寄った。治承4年(1180)10月、頼朝が黄瀬川の宿に陣した時、奥州からかけつけた弟の義経と対面、互いに懐旧の涙を流したという。その時に腰かけたふたつの石が、対面石として八幡神社境内の奥に残っていた。


神社の入り口の階段に腰を下ろし靴を脱いで足を休ませていたら、50歳くらいの男性が話しかけてきた。写真を撮ってあげようという。変わった人やなあと思いながらお願いしたとき、バスがやってきて、それに乗るので気をつけて行ってください!とあわてて乗って行った、そこはバス停だったのだ。バスから手を振ってくれてた。こんな出会いもあるから東海道53次ひとり歩きは楽しい。


国道1号線を渡り、少しすすむと左右に大きなお寺が見えてきた。宝池寺、玉井寺。そのどちら側にも伏見一里塚があり、右の宝池寺のほうは復元されたものだが、左の玉井寺側の一里塚は原型に近いものという。


境川を渡り秋葉神社前を通りゴールの三島市本町交差点の樋口本陣跡をめざす。伊豆箱根鉄道の三島広小路駅横を通り、江戸時代、宿場の人々に明け六つ、暮れ六つを知らせた「時の鐘」に寄った。


そして樋口本陣跡のある本町交差点に17時40分にゴール。10分遅れたが、ほぼ、予定通りに歩くことができた。


ここからJR三島駅へ、15分ほど歩いて駅についた。駅で着替えをして18時26分の新幹線こだまに乗って、そのまま乗り換えもせず帰阪した。車中では、三島駅で買った沼津の駅弁「港あじ鮨」と缶ビールで二日間の慰労会をした。この沼津のあじ鮨はおいしかった。
この日の距離数-吉原→原→沼津→三島 約46,600歩 32.6k


あれだけあこがれて、目標にして追い続けてきた富士山が振り返っても見えなくなっていた。

朝は、横をみるとやや後ろに見えていた富士山がだんだんと後方になっていく・・・69歳のじいさんの小さなたった一歩でも積み重ねていくと一日で大きな前進になる、魅力のあるゴールさえ見つけておけば、こんな怠け者の老人でも、一歩を踏み続ける限り、ゴールに近づいていることがわかる、わかれば楽しくなる、その連続でとうとう三島まできた。63歳から始めたリレー式ウォーキングを自分のウォーキングスタイルの中心において多くのことを学んでいる。歩くことは、人生そのもの、歩き方と生き方は同じこと、あきらめてはいけない、一日一歩、めざすところにすすむだけでよい、つないで、つないでリレーしていけば、ゴールが待っている。そう自分に言い聞かせてこれからもお江戸をめざす。次回、いよいよ箱根の関所に向けて厳しい山登りかもしれないが、面白い、受けてやろう!