昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

暑かった!暑かった!

2008-07-06 23:45:28 | ウォーキング
今月後半のクラブの例会コースを下見に行ってきた。

まあ、とにかく暑かった!
コースは、京都府長岡京市、そう、平安京の前に長岡京があったところ
(正確には長岡京大極殿は現在の向日市にある)
豊臣秀吉と明智光秀の山崎の合戦のあった天王山のふもとにある町だ。

菅原道真公が大宰府に左遷され名残を惜しんだ地として道真公をまつっている
長岡天満宮、ここの境内は広大だが、いまハスの花がきれいだろうと八条ヶ池
に寄ってみるときれいに咲いていた、スイレンも目を楽しませてくれた。





お暑うございます!


それにしてもむし暑さは格別
暑いウォーキングにも慣れているつもりだったが、汗かきだから
あっというまにタオルはしめつぽっくなって、水分補給とおっかけっこ。

小倉神社で昼食
天王山から降りてきたというご婦人二人としばし話してわかれた
あの急な山をたいしたことはなかったと言っていたのだから恐れ入る。




そこから本番でも訪れるサントリービール京都工場へ
当日の予約時間までのウォーク時間か確認できた
これで集合時間も決めた。



最後に勝龍寺城跡へ行った
勝龍寺城は、かって、明智光秀の娘、玉(のちのガラシア夫人)が
細川忠興に嫁いだ城で、後年の山崎の合戦では、光秀がここに本陣をかまえた。



いまはわずかに残る城跡は、きれいな公園に整備されているが
見どころも保存されているので本番では時間をとることにした。

お暑うございます!


タオルは二枚、ちゃんと持ってきたのに
うっかり替え着と靴下をもってこなかったのはうかつ
集中力を欠くとこんなことになる。

コース途中の寄り場所をカットしたり、一部変更して夏用10キロコースにして
メンバー全員に連絡した。

サントリーに予約しているので、天気にかかわらず行くが問題は「暑さ」だ。

思い出す母の教え(その2)

2008-07-05 20:03:25 | 家族
人のことでもらい続けるストレスでか不眠が続いているが
夕べも寝付けなくて悶々としていると
ふるさとで病床にある母とのことが思い出された。

「人の迷惑になることをしちゃあいけんよ」
小学生のころから、いつも、聞かされた母の口癖だ。

大学生になり下宿生活を始めることになったときも
見送りにきた国鉄の駅で言われたことをはっきりと覚えている。

”人に迷惑をかけちゃあいけんよ!下宿の人に好かれるようにしんさいよ!”

「迷惑をかけない・・・かけることはしない」
「人に好かれる・・・嫌われることはしない」

そのことが

”自分がしていることが人の迷惑になっていないか?”
”自分は人にきらわれていないか?”

と自分への問いかけを繰り返す習慣が身に付いた。

これは、これまで自分の生きてきた道で
仕事や人間関係や生き方全般のベースになり
大きく影響してきたと思っている。

子供のころから友達関係はよかったと思うし
大人になっても人間関係には恵まれてきたほうだと思う。

力のない者がこれまでひとりで生きてこられたのも
多くは人の縁のおかげだと思っている。

人と人との関係はそのように大事なことだが
それを損なうと見えないストレスとなってつきまとう
これが一番の厄介者だ。

そんな自分がいつも心がけていることは

人と人との関係は、距離をうまく保つようにして
必要以上に踏み込まず、ちゃんと節度をもって

さらりと、接していくようにしているつもりだ。

べたべたは大嫌い
どやどやと遠慮容赦なく踏み込んでくるタイプも大嫌い
まして、人の迷惑も顧みないタイプは論外だ。

さらりと、あかるく、さわやかに、がモットーだ。

だから、セールスマンとしては、あと一歩の押しが効かなくて
大成しなかったのだと思う。

多分、傍の人から見れば窮屈なタイプかもしれないし
好き嫌いが激しい器の小さな人間かもしれないが
いまさら変えることはできないし必要性もないと思う。

ただ、自分が気がついていないだけで
いろいろと、多くの人に迷惑をかけているだろうから
いつも謙虚に、つねに誠実に
嫌われないように、好かれるように
過ごしていきたいと思っている。

母の教えの続編とした。


思い出す母の教え。

2008-07-03 22:29:22 | 家族
今年も大震災関連NPOが行っているはるかのひまわりの種を
ずいぶんとあちらこちらに送らせてもらった。

郵送料はいりませんと毎年伝えてあるのでもらうつもりもないし
過去三年間、もらったこともなかったが

今年に限って三人の方から先日、相次いで切手が送られてきた。
そのお一人の方から忘れていた母の教えを思い出さしてもらって。

手紙入りの封筒の中に60円の花の記念切手が12枚入っていて
そこに3枚の手紙とは別にこんなメモが書いてあった。



「いつかまた誰かの為にお使いいただけると幸いです」

そういえば、母がよく言っていた。

「手紙をもらって返事を書くときは、必ず切手を入れておきなさい。
その人が次に誰かに手紙を出すときにつかってもらえるから・・・」

学生時代、下宿先に送ってくる母の手紙には
いつも、何枚かの切手が入っていた。

確かに、いつの頃だったか正確には覚えていないが
その通りにやっきた時代があったことだけは記憶している。
ただ、母の教えを子どもに教えることはしてこなかった。

インターネットで種を希望してこられたので会ったことのない方だが
手紙によると小学生の子供さんの母親とのことだから
きっと子供さんにも教えていることだろう・・・。

もう一人は、最近発売されたばかりの記念切手のシートが
入っていた・・・同じ切手がはってあっても記念切手は
相手の気持ちがなんとなく伝わってくる、ぜひ、大事に使わせてもらおう。
それぞ使った切手は80円切手なのに、かえって申し訳ない気持ちだ。



いまは、どこにでも電話やメールひとつで資料の請求や郵便物の
お願いができるので切手を貼るという行為そのものが少なくなったが
なにかの時に切手が手元にあると助かることが多い。

資料の請求とか仕事上のことはお互いさまと了解しても
個人的にお願いしたものには、それが当然なのだが
そこまで配慮する人は少ないからこそ・・・自分もその一人
こうして、心づかいのできる人に接するとさわやかな気持ちになる。

これから、個人的にお願いしたことには
手書きの切手入りお礼状が出せるように心がけよう。

何十年振りかに母の教えを思い出す手紙をもらったSさんに
お礼申し上げたい。


*これを読まれた方で、「切手を返さねば・・・」と思われる方がいたら
そのご心配はまったく不要です。そんなつもりで書いたのではありません。
こんな素敵な方をご紹介したくなっただけのことですから。

引退宣言・・・現役宣言。

2008-07-02 23:21:35 | 輝いて生きる
ただ一人、同い年で現役を続けていた
中小企業の経営者が
経営の後継を息子に委ねて、引退した
と挨拶状がきた。

引退宣言だ。

ここしばらくは会う機会もなかったが
たまに電話で話すことはしていたので
いつ、引退するのやら・・・気にはなっていた。

一般的にいえば、かなり、遅すぎるバトンタッチだが
少しでも、いい形で息子に譲りたいと思うのは
親としては、当然のこと。

だが、この時勢
むしろ、状況を悪くしての引退で
息子に苦労をかけるのがつらいと
添え書きしてあった。

思わず、電話に手がかかったが
やめておこう

向こうも電話したかったのだろうから・・・


いずれにしても、自分の知る限り
年賀状を出し合える知り合いで
自分と同年齢、もしくは年上の現役は
ひとりもいなくなった。

もちろん、ビジネスの世界だけではなく
社会的に必要とされ各種の専門的役割や
ボランティア等で活躍している人も現役に違いないが。

なんだか、ひとりっぽっちになったみたい
置き去りにされたとは思わないが
やはりさびしいものだ。

現役を続ける限り目標は現役の人
しかも、同じような世代の人に目が行っていたが
それが叶わない年齢に自分がいることを自覚して

これからは、若い人に学び、若い人から吸収せよという
ことだと思う。

幸いに自分が所属するY会には、若手の経営者や有能な専門家もいる。
これも自分が一生懸命につくったネットワークだから
生かしていかないともったいない。

ただ言えることは、若い人と接していけるだけのものを
自分がどれだけ持っているかということだ。

どういう環境、状況であれ
自らを磨くことを続けない限り
賞味期限がきて忘れ去られてしまう。

その恐怖心がある限り大丈夫だとは思うが・・・

まだまだ、生涯現役宣言!