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続・高野山を歩く!

2008-11-10 21:55:17 | ウォーキング
(10月14日の続き)高野山に上る七口の一つ、弘法大師(空海)
が開いた祈りの道、高野山町石道の後半を歩いてきた。

現地への最寄駅、南海高野線上古沢駅についたのが9時半
ここから前回ゴールで今回スタートの笠木峠を目指して小雨の
中を行く。


前日からの雨を含んだ道は滑りやすいので歩幅を小さくしなが
ら厳しい上り道を1時間20分、ようやく峠にたどりついた。

高野山の根本大塔前にある町石1番がゴール、前回は180番
の慈尊院から86番町石まで歩いて来ているので6町石の大門
到着を14時半とした。


前回の通り、ひとつひとつの町石を見逃さないように撮影して
手を合わせてすすむ。かっては、この町石そのものが信仰の
対象とされ参拝する人は1町ごとに手を合わせたそうだ。


笠木峠からしばらく歩いたところで、50歳くらいの男性が後ろ
からきた。声をかけると180番の慈尊院から来たという、早い。
しばらく話をしながら進むが、写真を撮る自分と同じようには
進めない、お先にどうぞと行ってもらった。


1人になってほっとしていたら?また、次の人が来た。
この人、挨拶だけ、顔も真剣、話かけられる雰囲気ではない。

町石には目もくれないで猛烈な勢いで行ってしまった。
そんなに急いでどうするの? 

しばらくすると向かいから男性6人のグループが来た。
こんにちは!
ひとりひとり、きちんとあいさつを交わして気持ちのいい出会い。


その後もバラバラ何人かに会ったが、最後に会った二人の
女性は大丈夫かと心配になるくらいしんどそうだった。


気をつけて行ってくださいね・・・思わず、口に出た。

結局、その人が最後で高野山の入口の大門までだれにも
会うこともなく、小雨の中の単独ウォークを続けた。

道標の町石に掘られている言葉・・・梵字はわからない。


なんとか読めるものはないかと今回は執念を燃やして
ひつこく町石をよく見て歩いていたら・・・・発見した。

いくつかの町石の横面の下の位置に製作日なのか年月の
入った町石を見つけた。文永七年二月と掘られている。


写真にも撮ったが、どれも文永6-8年のもの。
空海(弘法大師)が開山したときは木製の卒塔姿を建てたが
朽ちてきたので鎌倉時代になって弘法大師の生誕地である讃
岐産の花崗岩を使った石塔に建て替えられたという。
文永2年(1265)から弘安8年(1285)まで20年かかり完成
した。50町石くらいが補修され、あとは当時のままだそうだ。

どの町石にも五輪塔がつけられているが、町石は下から地、水、
火、風、空を表現して方、円、三角、半月、団の形の五輪を積み
上げたような形になっている。
五輪塔は平安時代中期以降に建立されるようになり高野山が
発祥の地という。


一般道路と交差する矢立茶屋でちょうど12時
小雨に濡れて身体も冷えているのでここで温かいものを
いただこうかと思ったが弁当を持っているのでパス。

しばらく急坂を上り、35番石を過ぎたところにある袈裟掛石へ
弘法大師が袈裟をかけたという石らしい。

この岩のような石、真中に穴があいていて、そこをくぐれると
長生きすると言われがあるらしい、ほんとうならくぐりたいが
のぞいてみても大人の男性はまず無理だろう
もし、出られなくなったら長生きどころではないぞ!


すぐ横の木の根っこのところにシートを敷いて雨の中の
昼食とした。弁当に雨が落ちる。

新旧二つの33町石、左が新、右が旧。がけ下に転落し埋も
れていた旧町石が平成十年に発見され補修して建てたもの。


さらにすすんで押上石の前に着いた
ここは、弘法大師の母が結界を越えて入山しょうとしたとき激
しい雷雨が火の海となり弘法大師はこの大岩を押し上げて母を
かくまったと伝えられているところ。


このあたりから、周囲を圧倒するような杉の老巨木が
両側に迫ってくる、その間を進むのが怖いくらいだ。

小雨の続く道を上り下りしながらどんどん進んで行く
木の根元に小さなお地蔵さんがしっかり見守ってくださる
立ち止まって手を合わせて少ない小遣いから・・・



半分埋もれている町石もある。長い間ご苦労さん!


町石の数がだんだんと少なくなっていくので
高野山上が近付いていることがわかる
時々見える向こうの山々がけむってわずかに見える。


上り下りの道もけむってきて、いよいよ聖地への入口かと
不思議な気持になっていく。

そうそう、道中の木々の枝に、板切れや布切れがいたるとこ
ろにかけてあるが、どれにも「へんろ道」と書いてある。


そうだ
ここは遍路道、どれだけ多くのお遍路さんが通ったことやら
そして、いまなお、通り続けているのやら


その人たちの足あとを踏ませていただき
ぬくもりを感じながら歩いていることで
自分も一日お遍路さんをさせていただいていると
とても不思議なつながりを覚えた。

杉の木に前を塞がれた11町石。後からくっつくように生えて
大きくなったと思われる、町石がいかに古くからここに立って
いるか想像できる。


最後に続く長い急な坂道を上ぼりきると
そこには、朱色の大きな大門が迎えてくれていた
ここは天上の聖地、高野山の入口だ。14時10分。


ここにある町石が6番目。あと1町石までは5つ。

去年、ここに来たのは真夏だった
これから高野山の奥の院まで一回りだ。

まず、大伽藍へ
819年の高野山開山に空海が創建した金堂から伽藍参り。


すぐ横にある根本大塔は、周囲を圧倒する50メートルの朱塗り
の塔、真言密教の源泉という意味も込めて根本大塔といい現在
の大塔は昭和9年に建てたもの。

ここは堂内にある真言密教の世界を代表する大日如来と
金剛界四仏が安置されている、この仏様も大きい。

伽藍内をゆっくりと見て回り東側にある金剛峯寺へ
高野山真言宗約3600寺の総本山だ
ここにはお揃い姿のお遍路さんが大勢来ていた
弘法大師の歩いた四国88ケ所霊場めぐりの結願成就の
お礼参りを済ませて戻ってきた人なのだろう。



念願の1町石まで行き写真も撮れた。


弘法大師の眠る奥の院まで行くことにした
1000メートルの高野山は、いま、紅葉の真っ盛り。



町石をめぐりながら紅葉の美しい道々を奥の院入口まで
十分に楽しませてもらった。



いよいよ奥の院


入口の一の橋から弘法大師ご廟までの約2キロの浄域。
その一の橋を渡るとそこは巨大な杉の老木が左右に林立し
両側には20万基以上の墓石や供養塔が並んでいる。

秀吉や信長、信玄等の武将から著名人、ありとあらゆる層の
周囲を圧倒する墓石や供養塔には、カメラを向ける手にまで
緊張が走る、奥の院も初めてではないのに、なぜか足が鈍る。

仙台伊達家墓所


薩摩島津家墓所


弘法大師ご廟まで延々と続く・・・30分も


豊臣家墓所


織田信長墓所


御廟橋をわたる
ここでは、だれもが手を合わせお辞儀をして橋をわたり
ご廟に向かう。
そして橋をわたって戻ってきた人もご廟を向いて手を合わせ
お辞儀をしている・・・
写真撮影は禁止、脱帽。


静かに長い道をすすむと弘法大師廟につく。

180の町石を2回に分けて、奥の院までゆっくりと歩いて
みたいという当初の思いは実現した。

高野山上は、ひとつの町
1000メートルの山上なのに坂がなく平地で
そこに大伽藍を中心に宿坊が連なり
祈りの町が形成された聖地だ。

奥の院のさらに一番奥にある弘法大師のご廟にお参りして
夕暮れの高野山を後にケーブルで南海極楽橋へ下り、電車で
帰路についた。

紅葉の高野山は、とても安らぎの時間だった

○2007.7.9「世界遺産の高野山を歩く」のブログあり。

信条。

2008-11-08 09:18:45 | 輝いて生きる
昨日は、終日、若手の経営者の卵さん達と
勉強をしてきた

「信条」について話をしていたら
「・・・・の信条を聞かせてください」と
逆質問を受けた。

うかつなことをしゃべるとこれがある

すかさず、三つほど紹介した。


まず、ひとつが、仕事上で常に大事にしていること

「自分を活かしてより多くの人により多くの喜びを!」

二つ目は、独立をして最初に考え、長く名詞に印刷を
していた言葉について(略)

三つ目は、人生の後半になって思いついたこのブログの
タイトルにしている言葉

みんなが熱心にメモをしていたので
少しは心に響いたのかなあと思った。

いつでも、どこでも、どんなときでも

自分が、自分らしく、自分でいるために
大事にしている自分へのメッセージ

それがどんなに自分を助けてくれているか
自分が迷った時に前向きにしてくれてきたか
わずかな体験だが話させてもらった。

終わって、関係先から慰労の席を設けていただき
久しぶりに夜の街で楽しいひとときを過ごした。


緊張が続いた四日間だが
現場は自分を生き返えらせてくれる

お金は二の次
やっぱり現場にいる自分が
一番輝いていると思う

生涯現役
お役に立つ限り
現場人でいたい

しみじみと思った。


社員食堂はいいなあ・・・

2008-11-06 23:17:09 | ひとりごと
今週は、火曜、水曜、今日の木曜と連続して早朝から
仕事で終日、会議室に缶詰状態

さすがに午後になると部屋の空気がよどんできて
それが微妙に疲れを感じさせる

楽しみといえば
社員食堂での昼食
今日の企業の社員食堂は料金が安い

外の食事どころで食べる三分の一くらい
それにメニュも豊富
おかずもいろいろと選べるので楽しい

ちなみに今日、食べたメニューは
ドライカレーにスープに野菜たっぷりのサラダに
ひじきと大豆の小鉢、おいしかった。

明日もその会社に行くので、なににしょうかと
今から楽しみにしている

おいおい、昼飯食べにいくんじゃないぞ
仕事、仕事や,しっかり頼むで!

重荷を背負って・・・負けるな!

2008-11-05 22:43:19 | 輝いて生きる
朝、6時半に自宅を出てJR福知山線、神鉄を乗継ぎ
8時半過ぎ、兵庫県下にある某研修施設に行った。


J-院主催のお国の恒例の課長さん達のお勉強会
もう5年になるだろうか、今年は35名

仕事にも人生にもキャリア豊富なおじさんたちとの
遠慮がいらないお勉強はとにかく楽しい


責任も身体も重くなっているみなさんだが
さすがに熱心、やる気にみちている

ついつい、こちらも引きずり込まれて
終日、気持ちのいい仕事をさせてもらった。


せいいっぱいのメッセージを送って戻ってきた。

昼の休憩時間、施設の外に出て、高い空を眺めていた
秋の空はあきない。



引退する新幹線「0系」。

2008-11-03 11:18:47 | 電車・鉄道
東京オリンピックの年、1964年10月1日に開業した東海道新幹線、
最高速度210キロでデビューした「0系」が今月末、引退する。
当時、東京-新大阪間を4時間で結び夢の超特急といわれたものだ。

現在は、山陽新幹線・新大阪-博多間を「こだま」として一日、
二編成のみ運行している。
あの団子っ鼻で親しまれた0系の引退ということでファンが
すでに各駅に殺到し開業当時の記念駅弁やグッズも飛ぶように
売れているという。

新大阪駅をエリアにしている自分も、早朝の6時、7時代なの
で普段、姿をみかけることはない。

その「0系」に会っておきたくなって、今朝、新大阪駅のホーム
に駆け付けた。
7時59分新大阪発-博多行の「0系」、昔のまま、なつかしい。



ホームは、撮影する人でいっぱい、車内も乗客でいっぱい、
多分、別れを惜しむ人たちなんだろう。
子供たちには、多分、初めて見る新幹線のはず。



この0系は、1964年から85年まで3216両も製造され、
1986年に100系がデビューするまで東海道・山陽新幹線の
主役であり続けた。



サラリーマン時代に東京出張でどれほど利用したことか、仕事
より新幹線に乗る楽しみのほうが強かったことを思い出す。

日本の高度経済成長期の足を支えたのも「0系」だったかもしれ
ない。

新婚旅行も0系だった、そういえば、あの頃の関西では、新婚
旅行は新幹線で伊豆方面行きが定番だった。

いまは、スマートな車体が次々とデビューする新幹線だが、
自分にとっては、やっぱり「0系」が新幹線のイメージだ。

1999年に東海道区間から引退した「0系」をなつかしむ全国の
ファン、とくに当時のビジネス戦士たちにとっては、なつかしい
0系だろうと思う。

博多へ向けて発車していく「0系」。



詳細はこちらでどうぞ。
http://www.jr-odekake.net/navi/shinkansen/0kei/

鉄道ファンの団体「鉄道友の会」の2008年の「ブルーリボン賞」
に東海道・山陽新幹線の新型車両「N700系」が選ばれた。
仕事場から撮影。


これ今日の300系、1992年3月デビュー。かなり古いタイプ。
仕事場から撮影。

おだやかな晩秋の一日。

2008-11-02 17:51:48 | ひとりごと
昨日、今日と穏やかで、暖かくて
ウォーキングには格好の日が続いたが
終日、ずっと仕事場に籠って
来週四日間のふる操業に備えて下準備を続けた

いつものように
出掛けに玄関の姿見に自分を映す
これも日々の習慣

顔色はどうか
イキイキしているか
くたびれていないか
見苦しくないか

こんな時期に
この年齢で
仕事がいただけることを
ありがたいと思う

全力で
やるだけのことはやろう

必死で
いい仕事にしよう

よかった
と言ってもらえる仕事にしよう

明日も終日仕事場籠り

その代わり
いい仕事をして

次の日曜日には
思い切り高野山を歩いてきたい!




11月が始まる。あと2カ月。

2008-11-01 18:12:43 | 本・読書・音楽
暖かくて穏やかな天気に恵まれて
11月が始まった

あと二月しかないないと思えば気ぜわしくなるし
まだ二月もあると思うとゆとり心にもなる

こんなときこそ、世間の喧騒に巻き込まれないように
買ったままになっている本の何冊かでも読んでみよう
とこのところ読書時間が増えている。

本と言えば
数日前に一緒に勉強を続けている若手経営後継者の1人から
メールがきた。

勉強会で推薦本を二冊紹介しておいたら


私は、課題の本を二冊読み終えましたよ。
恥ずかしながら、マンガですら読む習慣がなかったのですが
不思議とすらすら読むことができました。

前回の研修でのモチベーションを切らさないためにも
いつも本を持つようにしています。
読書に目覚めたのでしょうか・・・

先日、先輩の○○さんから、二冊の本をいただきました。
おもしろいからということですが、これを機に読んで
みようと思ってます。

何かおすすめの本があればまた教えて下さい。


これまで読書に無縁だった人に本を読ませるには
キッカケづくりが大事なので、個人ではなく
グループを対象に、読みやすい本を、共通の課題本として
紹介をすると義務感からでも読み始めて
いつの間にか本と友達になっているというケースを
たくさん見てきている。

本が嫌いなのではなく、ただ、読んでこなかっただけ
だから、逆に本に取りつかれるということもあるのだろう。

紹介するための読書であってはいけないが
読んでいない本を紹介するわけにはいかないので
ついつい本を購入してしまい、積読になっている
気の毒な本のためにも年内、あわただしい時を
心に栄養のためにも読書をやろう。