GRA 公式ブログ・サイト

NPO法人GRAの活動や考えを伝えます

SNSサイトの展開について

2010-08-30 19:37:36 | GRA活動の目標達成
当SNSサイト 『 歩・GRA 』 の 今後の展開意図について、簡単に伝えますので、意図を理解の上で積極的に参加を願います。

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◆ NPO法人活動と 『歩・GRA』 の目的 ◆

NPO法人GRA の活動目的は、Webサイトのポリシーでも明記の通り、 「 いつまでも、楽しく、安全に、オートバイに乗れる環境を創る人の育成 」 です。

つまり、オートバイをいつまでも胸を張って、非難を受けず、より深く楽しめる環境を作るには、一個人、一法人だけの力でなく、ライダーや社会全体の力が 必要だからこそ、人の育成活動をが大切になります。

そして、これを実現させるには イベントを開催するだけで実現できると考えていませんし、説教や説法をするだけで実現できるとは思っていません。

活動目標を実現させるには、「いつまでも 楽しく 安全にオートバイに乗る 」 という目標をより多くの人と共有し、しかもその目標(夢) を 実現させるために “わがまま" の力を発揮する人を多く生み出す事が大切です。


◆ “わがまま" と 活動との関係 ◆

なぜ? “わがまま"の力を発揮する人が大切なのか ? という疑問を持つ人は少なくないと思うので、“わがまま" について説明をします。

人は誰でも夢や願望を抱いて生きています。
しかし、色々な制約や理由もあって実現を充分に達成できない場合が多いのですが、別の言い方をすれば “わがまま" 発揮力が不足しているとも言えます。

つまり、“わがまま" とは 単に自分勝手という意味ではなく、その夢や願望を実現させるために、周りの人の意識や考え方を変えていく努力そのものです。
周りの人の利益や健康を損なう事なく、説得して納得してもらうための努力こそ “わがまま"ですから、周りの人 つまり 社会全体の利益になるという事を理解してもらう努力が “わがまま" であり、この 能力を発揮する人を増やす事が GRA の 活動目的を達成するために 大変に大切にしている事です。


◆ SNSサイト活動と GRA活動との関連性は ◆

以前、別なトピックで簡単な設問をした事を覚えている人も少なくないと思いますが、 「 GRA活動を深く理解してくれる人は 全国で何人か? 」 という問い掛けをしました。

その際、返信してくれた人に共通していた回答は、「 全国の方々へ多く告知をするべきだ、でも 深く理解し賛同する人は 10名程度か 」 というものでしたが、正に 私も同様な考えでいます。

ただ、「深く理解する人」 を見つけ出したり 育成するためには、Webサイト活動で “意見展開" などの告知活動だけでできる訳はなく、 お互いに意見交換を深くできる場所を設置する必要があります。
その場所こそが、この SNSサイト 『歩・GRA』 であり、 この SNSサイトでの活動が NPO法人GRA の 活動目標達成の大きな鍵になっています。


◆ 『 歩・GRA 』 の 今後の展開方向について ◆

Webサイトでの告知活動などを通じて、全国の興味を抱いてくれた方々には 『 歩・GRA 』 に登録してもらって、直接意見交換や“わがまま" 発揮の現場に触れてもらいます。
そして、実際に “わがまま" を発揮したり、あるいは 意見交換 を積極的に展開できる方に残ってもらい、より積極的に GRA活動の本質に沿った活動を実現させていきます。


◆ 登録者に求められるもの ◆

以上の NPO法人GRAの活動目標と 『歩・GRA』 で実現させようとしている事柄の内容や関連性を理解しておく必要は、難解だと思いますので 今の所必要は無いと考えています。

しかし、自分のやりたい事や興味のある事を発表する “ わがまま " か、または 意見交換に積極的に加わり 自身の意見を相手に分かりやすく説明して説得しようとする努力は求められます。

以上の通り、“わがまま"発揮&発表か、 意見展開で相手を説得しようとする努力をする人が 『 歩GRA 』 で求められる人で、それらを発揮できない方や、他の人の意見交換を見物するだけの人、ただ関心があるだけの人は、
残念ながら 『 歩・GRA 』 では必要としません。

“わがまま" を発揮できるようになってから、または 意見をしっかりと述べる事が出来るようになってから改めて『 歩・GRA 』 に再登録してもらいます。


≪追補 ・ “わがまま"って?≫

『歩・GRA』 で発揮する “わがまな" ってどんなの? とか、 それと GRAの活動とどんな関係があるの? という疑問もあるでしょうから、簡単に説明を。

“わがまま" の内容は何でも一切構いません。
「私はこんな事が好きだ!」 とか 「これを 一緒にしませんか? 」 とか、自身の趣味や興味を持っている事を、継続的に 広く 多くの方に知ってもらって、それにより多くの興味を持ってもらって、その事について一緒に語れる仲間を増やしてもらう 行動 が 『歩・GRA』 での “わがまま" です。


つまり、自分のやりたい事や 興味のある事を広く公開して、それによって周りの人の 興味や考え、意識を少しずつ変えていく行動 ・“わがまま" こそが NPO法人 GRA としての目標の達成に必要な事ですし、人の育成そのものにつながるのです。

他の人の出した “トピック" へのコメント返信も結構ですが、 積極的にトピックを立てて、自身の趣味や考えを発表して世に問う(?) くらいの人も 歓迎です。


企画名について (オートバイ基本講座) 問い

2010-08-30 19:26:57 | 基本講座の意図・目的
※ 新企画構想 ・・ Webサイト を通じて、全国各地の方々に オートバイの楽しさや充実感 を高めてもらうため、 GRA 流の考え方をアピールする 活動企画。

【 企画名 】 (プラン) ・・・ 『 初級者のための、オートバイ基本講座 』 ・・ は どうでしょうか?

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ここで (ついでに♪) その 講座の概略について説明をします。
その 基本講座は、次の 四つの講座に分かれています。
○ 「社会人ライダーの基本」
○ 「 ライディングの基本 」
○ 「 オートバイ整備の基本 」
○ 「 セッティング(調整)の基本 」

どの講座でも共通している考えは、普通はしっかりと考えられていなかったり、理解されていない “基本の中の基本" を、誰でも理解できるように 分かり易く例え話を交えながら説明するものです。

例えば、色々と例を挙げると ・・
「 ボルトは 何故 部品を固定できるのか? 」
「 ライディングの基本は二つ、直線走行 と サークル走行 」
「 金属の表面の手入れは お肌の手入れ より難しい 」
「 オートバイの整備は、料理と 心得に通じる 」
「 社会の中で “わがまま" を実現するための努力が大切だ 」 ・・ などです。

本質と基本について (企画・オートバイ基本講座)

2010-08-30 19:22:54 | 基本講座の意図・目的
◆ 基本 の浸透の必要性 ◆


オートバイの解説書だけでなく、世に出回っている 初級者用と題している解説で、その 本質を分かりやすく説明しているものは 殆ど無いように思います。

例えば、教習所で 車やオートバイを習う場合は、その車両の 本質的な運動特性を 教えるのではなく、運転技能検査に通るための指導を “基本" としています。
同様に、パソコンの手引書でも、使いこなすための ノウハウばかりだったり、逆にPC言語の解説や難解な用語を説明無くちりばめた書籍ばかりで、平易な言葉でPCを利用した場合の可能性や夢を 分かりやすく興味津々に読ませる 絵本レベルの本が皆無なのが問題だと思います。

基本 とは 本質を理解する事で、誰でも 興味を持って読めて理解できる レベルで伝えられるようにする事です。

特に、オートバイの場合には、パソコンなどとは異なり、高額な商品というだけでなく、本人と周りの方々の生命に危害を及ぼす可能性が大きなものです。
現在の 教習所の講習レベルのまま、基本・本質を理解しないままで、車両を購入して保有・整備して、実際に公道を走行するには不十分な理解レベルと言えます。

だからこそ、“基本"(本質) を 分かりやすく説き続ける事は必要であり、私たちの活動の 本質 だと思います。



◆ なぜ? 初級者のための * * と ◆


前項の説明であらかたの理解は得られたと思いますが、それでも 「初級者のために」 とは? と 違和感を感じる方も少なくない筈です。
それは、そこに本質とは別の 狙い(アピールポイント)を 含めさせているからで、違和感を多くの方が感じるとすれば 成功!だと考えています。

つまり、そこには 様々な意図を埋め込んでいるのです。

○ 基本・本質 を きちんと理解することの大切さをアピール
○ 初級者 こそ、基本・本質 の大切さを 理解して欲しいという願い
○ 上級者と自認する人へは、本質を捉えていない可能性を問題提起する
○ または、上級自認者は相手にしないという アピール ・・・ etc

どちらにして、良識ある判断ができる方に読んでもらえたならば、その方には書いている文章の意図を正しく理解してもらえると信じており、そういう意味からも 「初級者のための * * 」 は ほど良いタイトル設定だと思えます。

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折角、免許を取得して、決して安くない車両を購入して、低くないリスクを負って公道を走行しつつも、整備やライディングの基本・本質の解説に出会えず、調整(セッテイング)という ライダー個人に合わせる本質的な解説も無く、やがて購入当初の意欲も薄れて 車両に維持し乗る事にも限界を感じ、最後にはバイク王などへ売却してしまうような オートバイ趣味で終わる方々へ “転機"や “きっかけ" を 与えるのが 私たちの務めだと思います。

ネジ 基本編

2010-08-30 19:07:39 | 基本講座・車両整備
部品を 固定する ボルト は ゴム紐 と同じです。
コム紐は それ自体を伸ばすからこそ 元に戻ろうとする力で 荷物 を固定していますが、ボルトの場合も同じです。 ボルト 自体が少し伸びて戻ろうとする 力 で 部品を固定しているのです。

でも、ゴム紐 よりも ボルト は伸ばし難いので 斜面 (ネジ) の原理を利用しているのです。
斜面の傾きが緩やかであればあるほど、小さな力で ボルト を廻せます。
つまり、図で示すように ネジの 山と山の間隔が狭いほどに ボルト で部品の固定が簡単になるのです。
そして、この ネジの山と山の間隔 (ピッチ)は、ボルト の太さ や ボルトの材質 によって 幾つかの種類があります。
( M8 × 1.0 と M8 × 1.25 の 違いなども簡単に説明 )

さて、ボルト を 廻して 部品を固定する時に 大切な注意点を考えてみましょう。
ネジ(斜面)の 面と面 が当たったままで 廻していきますので、ここに 滑りの抵抗(摩擦)が どうしても生まれます。 また、座面 (図示 ) にも 同様に滑りの抵抗(摩擦) が 生まれます。
それらの 抵抗(摩擦) に 負けない 力 でボルトを廻していくのですが、忘れてはいけない事は、部品は ボルト が少しだけ伸ばす事で固定される事です。

では? 廻す力の内、実際に ボルト を伸ばすために使われる 力 は どの程度でしょうか?
それは、ネジの面や座面にゴミが付着していなくて、ネジも変形していない場合で、廻す力の 約 1/10 が ボルト を 伸ばすために利用されます。

つまり、整備の基本の中の基本、ボルト を廻す作業を行なう場合には、取り付ける前に ネジ山に付着したゴミをきれいに拭い取り、ネジ山が変形していたり、ネジ部が伸びていない事を確認する事が とても大切です。

取り外した ボルト を無造作に 床面 に置き、取り付ける時に ネジ山の掃除や 変形の確認 も 行なわないでする事は、 オートバイの調子を整えて元気に する整備作業では あってはならない事ですから、十分に注意しましょう。
そして、大切で重要な部品を固定する ボルト を廻す時には、基本的にはトルクレンチ という 廻す力を測定できる 工具を使い、車両メーカーやボルトメーカーの指定する力で正しく固定をしましょう。

・・・ 以上の説明を、 可能な範囲で 図 や 写真 を使い、 数ページ (数回) に
分けて説明を する予定

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※ 『GRAのセッティング講習』 の開催案内を下記の通り紹介します
ぜひ、ご利用ください

『 GRAのセッティング講習 』

http://gra-npo.org/schedule/setting/setting_top.html





「教育」 の徹底 よりも 「学習」 の浸透へ

2010-08-19 23:17:25 | コラム・社会
「教育」の弊害が人々の幸せを奪っている事を伝えたい。

「教育」とは、その漢字の成り立ちの通り、“えて” “てる”という立場に立っての言葉である。
つまり、教える立場の者が人を育てるという、一個人が成長していく立場から見ると、「教えて育ててあげる」というある意味で横柄で独善的な意味を持っている。

そして、その言葉から受ける印象と同じく、実際の学校での教育現場でも「教育」が行なわれており、教育機関だけでなく社会全般のシステムも「与える側」と「受ける側」に分かれている事に疑問を呈しない異様な社会が形作られているから問題だ。

本来、人が育ち成長していく能力や欲望は、自然界のどの生物種が生まれ持って備えている特質で、決して外から与えられるから育つのではない。
自らが育ちたいように育つのが本来の姿であr、最も能力を発揮しやすく生存能力も高められるものだ。

しかし、一般的な教育機関においては、教える側は職業にしているから行なっているだけであり、しかも教える側の都合によって幾つかの教科に勝手に分割しているからタチが悪い。
それでは、受ける側にとっては本来の育つ能力が発揮されないのだ。

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人は他の動物達とは大きく異なる特質を生まれながらに備えている。
それは、創造力だ。

創造力とは、新たに何かを工夫しながら作り出す能力の事だ。
例えば、文学や美術しかり、音楽や各種の運動競技もそうだ。
建築や乗り物、各種の機械や装置、衣服や通貨、政治や法律など、すべてが創造する力によって作り上げられ積み重ねられてきたものだ。

そういう人間の本質とも言える創造力は、知的好奇心や探究心をエネルギーの源として育まれ発揮されると言える。

では、「教え育てる」をテーマとして押し進められている教育は、そういう創造力を育む事を目的としているであろうか?
いや、現在の教育システムは進学や就労、資格取得のための点数判定システムで構築されており、一個人毎に異なる創造力や個性を伸ばす事に力を注いでいない。

だとすれば、義務教育期間などを経て成長した個人は、その人独自の創造力や個性を伸ばす手法を知らず、ただ社会という世界の一部品となるべく“良い子”に躾けられた動物と言っても大きな間違いでなくなるだろう。

果たして、人として生まれそれで幸せなのだろうか。

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