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大人が少ない

2013-04-02 23:27:27 | コラム・社会

既に旧聞に属しているが、オリンピック競技とそれを目標にしている人の話題が一時期世間を賑わせた。

スポーツ全般に対して、取り組む人と取り囲む人の意識の低さを挙げたい。


【 レスリング競技に対して・・ 】

ブラジルのリオデジャネイロでの開催の次。2020年のオリンピックからレスリングが“中核競技”から外す決定がされたというIOCからの報道に対して、ギリシャ・オリンピック協会や米国のホワイトハウスからも、その決定を取り消しを求める声明が出されている。

日本国内においては、特に女子選手に実績を残してきた人が多い事もあり、発表された直後から TV や新聞、ネットを通じて広く報道されてきた。

そして、その多くがその決定に対して批判であったり、嘆願めいた内容であった。

しかし、そういう “被害者” 的な視点に立っての報道だけで良いのだろうか?
僕には、被害者を祭り上げ、被害妄想的に騒いでいるように見えてしまうのだ。



【 狭い了見と見識 】

夏季オリンピックに限定した話をしても、過去にオリンピック競技の一つとして組み込まれ、今は外れている競技は多くある。

最近の話題では野球とソフトボールが有名だが、過去にはゴルフに始まりクリッケット、ラグビーやラクロス、ポロやモーターボートまで、一時は正式な開催競技だった。

逆に、近年になってから新しく加わった競技には、卓球やバドミントン、トライアスロンやトランポリン、そしてBMX(自転車競技)などがある。

では、これらの競技の選択基準がどこにあるのか?と言えば、大きな要因からあげると、その競技が盛んな国の数、世界の中での競技人口数、そして政治的な配慮だろう。

どちらにしても、参加国数が 200ヶ国を超え、総参加者数が 10,000人を超えるまでの規模まで大きくなった国際的なイベントだからこそ、盛んな国が少ない競技は選定から外れる事は、過去の例を見ても明らかだ。

そんな事実や傾向を認識もせず、「 私の競技人生が・・・ 」 と悲嘆にくれたり、IOC(国際オリンピック委員会) を非難したりするのは誤りだ。
まして、オリンピックへの参加を目標にして日々鍛錬に明け暮れている者ならば、自らの手でオリンピック開催競技の歴史を調べ、主催者側(国際オリンピック委員会) の判断に委ねる覚悟の上で、競技に打ち込むべきだろう。


【 一般の人にも同じ傾向が 】

そういう見解や見識の不足は、オリンピック競技を目指している一部の人達だけに見られる事ではない。
ごく一般的な人達、社会人として生活をしている人々にも散見される。

昨日と同じ一日が、無事に暮らせる一日が、今日も続くと盲信して、降りかかる可能性のある災いや事故に注意を払わず生きている。

だから、急にそれが阻害された時には狼狽し、慌てふためき、その運命や結果を非難して悲嘆にくれるのだ。

有史以来の人間の歴史を俯瞰し、近年 50年の世界情勢や歴史の流れを見るだけで、未来が今日と同じではない事は簡単に理解できる。
逆に、社会全般に対しての日々の努力で、自らの未来を導き出すほどの気概を持つべきだろう。


【 自らの人生を創るために ・・ 】

ここで、もう一度、オリンピックの話に戻る。

オリンピックのような国際的なイベントで活躍する夢を持っているならば、その為に人並み以上の努力を惜しまないというならば、例えオリンピックが開催されなくなったとしても悲嘆にくれる暇は無いはず。

世界中に同じ夢を抱いた人が数多くいるならば、連絡を取り合い、連帯して試合イベントを開催すれば良い。
過去に金メダルを授与した者であれば、有名人であり、多くの人の目標となっている筈だ。
決して簡単な事ではないが、参加する者達が中心になって開催組織を作りあげれば、他の者の思惑に左右される事も無い。

単なる一競技者(参加者)の立場だけの人生よりも、より広い世界が拡がるだろう。

この事はスポーツ競技者だけに留まらない。
自身の夢や目標、楽しみを追及するのは良い事だが、社会全般の人に対して高い関心を持って接し、その夢や目標・楽しみの実現を確保して、更に大きく拡げる意識と努力こそ、本来の大人の生き方であろう。