今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ロータス(蓮)デー

2014-04-08 | 記念日
日本記念日協会(※1)に4月8日の記念日として登録しているものに「ロータス(蓮)デー」がある。
ロータス(蓮)は、仏教では泥水の中から生じ清浄な美しい花を咲かせる姿が智慧慈悲の象徴とされ様々に意匠されている。例えば、如来像の台座などの三昧耶形は蓮の花(金剛界曼荼羅では開花した蓮華)をかたどった蓮華座である。
日本の各地の寺では、4月8日に、釈迦の誕生を祝う仏教行事潅仏会」(花祭り、仏生会、浴仏会)の法要などが行われる(寺によっては月遅れの5月8日に行われるところもある)。
日本各地の寺院で行われる潅仏会では、いろいろな花で飾った花御堂という小堂を境内に設け、その中に銅製の誕生仏を潅仏盤と呼ぶ水盤上に安置し、その像の頭上から柄杓で甘露(アムリタ,amṛta)にみたたて甘茶を注ぐのが一般的。
釈迦様は摩耶夫人の右脇から生まれると、七歩すすんで右手を挙げてを指し、左手を垂下してを指し、「天上天下唯我独尊」と唱えられたといわれるが、誕生仏とか誕生釈迦仏とか呼ぶ仏像は、この姿をあらわしたもの。
誕生仏に甘茶を注ぐのは釈迦の誕生時、産湯を使わせるために八大竜王が天から清浄の水を吐きそそいで産湯をつかわせたという伝説に由来すると言われている。
インドでは王の即位や立太子での風習であった灌頂の一例であろう。
一方、花御堂の謂れについては、摩耶夫人がお釈迦様を出産したのは、釈迦の父である釈迦族 (シャーキャ族)の王シュッドーダナ(浄飯王)の居城、カピラヴァストゥ(カピラ城)の東方にあった藍毘尼園(ルンビニー園)の無憂樹の下であったとの伝説があり、花御堂は、これになぞらえたものであると考えられている。(冒頭に掲載の画像は奈良東大寺 誕生仏)。

その釈迦族の王子、シッダールタ(釈迦の出家以前の名前)の僧としての生涯を描きあげた仏教物語の大作が、潮出版社の少年漫画雑誌『希望の友』(後に『少年ワールド』→『コミックトム』と改題)に連載された漫画『ブッダ(BUDDHA)』であった。
この漫画『ブッダ』は、Wikipedia によれば、2010(平成22)年12月時点で単行本の発行部数が2000万部を超える売上となっており、アメリカでも高い評価を受け、2004年および2005年のアイズナー賞最優秀国際作品部門を受賞しているそうだ。
その超大作が、2010(平成22)年7月に『手塚治虫のブッダ』の題名で全3部作として東映でアニメ映画化されることが発表され、2011(平成23)年5月に第1部『手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく』が公開され、翌・2012(平成24)年第35回日本アカデミー賞の優秀アニメーション作品賞に選ばれている。そして、今年・2014(平成26)年2月8日に第2部『BUDDHA2 手塚治虫のブッダ -終わりなき旅-』が公開された。以下はそのカンヌ国際映画祭用特別映像である。
『BUDDHA2 手塚治虫のブッダ -終わりなき旅-』カンヌ国際映画祭用特別上映=YouTube

この仏教の祖であり、人々をしあわせへと導くお釈迦様の誕生日(花まつり)であるこの日を「し(4)あわ(8)せを分かち合い、感謝する日」として、その象徴の蓮から「ロータスデー」として記念日登録をしたのは映画『手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく』(※2)を手がける東映(株)だそうである。今日の記念日「ロータス(蓮)デー」は、この映画の宣伝用のものなのだろう。

インドは仏教発祥の地であり、その仏教の開祖と呼ばれる「釈迦」は、釈迦牟尼(しゃかむに、[zaakya-muni](Śākyamuni)、シャーキャ・ムニ)の略で、彼の部族名もしくは国名でもあり、牟尼は聖者・修行者の意味。つまり釈迦牟尼は、「釈迦族の聖者」という意味の尊称であり、他にもいろいろな称号で呼ばれるが、称号だけを残し、世尊、仏陀、ブッダ、如来とも略して呼ぶが、日本では、一般にお釈迦様と呼ばれることが多い。
その本名(俗名)は、パーリ語形 ゴータマ・シッダッタ(Gotama Siddhattha)またはサンスクリット語形 ガウタマ・シッダールタ([Gautama Siddhārtha])、漢訳では瞿曇 悉達多(クドン・シッダッタ)と伝えられる。シッダッタ」とは古代インドパーリ語で「目的を成就した者」という意味だそうである。
ただ、釈迦の生きた古代インドの状況もよくわからない上に、余りにも神格化された為、ブッダがその時代にどのような苦悩や喜びの感情を持って生きていた人なのか、そして何を悟ったのか等、その歴史的な人間としての面がよくわからず、一時期はその史的存在さえも疑われたことがあった。
日本のインド哲学、仏教学の権威であった中村元(はじめ)は、パーリ語聖典『スッタニパータ』の韻文部分が恐らく最も成立が古いとし(『ブッダのことば スッタニパータ』 中村元訳注・解説、岩波書店)、日本の学会では大筋においてこの説を踏襲しているが、釈迦の伝記としての仏伝にはこれと成立時期が異なるものも多い。
しかし、1868年、イギリスの考古学者A・フェラーがネパール南部のバダリア(現在のルンビニー、Lumbini、藍毘尼)で遺跡が発見され、そこで出土した石柱には、インド古代文字で、「アショーカ王が即位後20年を経て、自らここに来て祭りを行った。ここでブッダ釈迦牟尼が誕生されたからである」と刻まれていたそうで、この碑文の存在で、釈迦の実在が史上初めて証明され、同時にここが仏陀生誕の地であることが判明している(仏教の八大聖地の一つとされている)。
ただ、釈迦の没年、すなわち仏滅年代の確定についてアショーカ王の即位年を基準とするが、仏滅後何年がアショーカ王即位年であるかについて、異なる伝承があり、いずれが正確かを確認する術がなく、よって歴史学の常ではあるが、伝説なのか史実なのか区別が明確でない記述もあるようだ。
従来、釈迦の生涯を取り扱った著書は多いが、そんな中に中村元博士の『ゴータマブッダ Ⅰ・Ⅱ』(※3参照)があり、この著書は、仏典だけでなく、ジャイナ教文献、ウパニシャッド文献などを援用して生々しい釈迦の実像を描き出ししており、その研究成果の果たした役割は非常に評価されているようであり、恐らく、手塚治虫もこの著書を参考にしているものと思われる。

手塚の漫画『ブッダ』は、実在した人物と手塚の創作した人物が入り乱れ独自の世界観で貫かれているが、元々は、手塚の漫画『火の鳥』の一編として「火の鳥 東洋編」の名前で潮出版社から企画されたものであったらしい。
『火の鳥』は、手塚が漫画家として活動を始めた初期の頃(1954=昭和29年)から晩年(1986=昭和61年)まで手がけられており、手塚がライフワークと位置付けた漫画作品であり、古代からはるか未来まで、日本を主とした地球や宇宙を舞台に、生命の本質・人間が、手塚自身の独特な思想を根底に壮大なスケールで描かれたもの。物語は「火の鳥」と呼ばれる鳥が登場し火の鳥の血を飲めば永遠の命を得られるという設定の元、主人公たちはその火の鳥(不死鳥)と関わりながら悩み、苦しみ、闘い、残酷な運命に翻弄され続ける。
『火の鳥』の連載は1954(昭和29)年の「黎明編」を初めとする「〇〇編」と名の付く複数の編から成り立っている。
しかし、漫画雑誌『 COM』が休刊時に、連載の『火の鳥』をそのまま中断してしまうか、どこか別の雑誌へ移すかが問題となった時、『希望の友』編集者より、連載希望があったが、同誌は少年雑誌であり、連載するには内容の程度をすこし下げねばならず『火の鳥』のような漫画マニア向けのものは、『希望の友』のほかの作品とは全然あわず「火の鳥」のカラーが変わってしまうだろうから、それでは、テーマは同じだが、別のほかの作品の大河ドラマを描いてみようということになったようである。
そして、「お釈迦様の伝記」を書こうということになったが、仏教臭くならないよう、少しフィクションを入れた手塚流の釈迦、つまり,シッダルタをめぐる人間ドラマを描こうということになり、タイトルも釈迦ではなく英語タイトルの「ブッダ」にしたという。この件に関して、手塚は、以下のように語っているという。
「シッダルタのありがたさとか、シッダルタの教えよりも人間そのものを掘り下げたい。
仏陀の生きざまを、ぼくなりの主観を入れて描きたかった。
しかし、仏陀の生きざまだけでは、話が平坦になってしまうでしょう。
その時代の色々な人間の生きざまというものを並行して描かないと、その時代になぜ仏教がひろまったか、なぜシッダルタという人があそこまでしなければならなかったか、という必然性みたいのものが描けません。ですから、仏陀とまったく関係ないような人を何十人も出して、その人たちの生きざまをもあわせて描く。そのことによって、あの時代にどうしても仏教が必要だったというところまでいきたいのです。
そして、仏教と人間が生きるということを結びつけて、一つの大河ドラマ、大げさにいえばビルドゥングス・ロマン(主人公の内面的な人間形成の過程を描いた作品のこと)のようなものを、描きたいと思っています。」・・・と(参考※4:潮出版社-手塚治虫「ブッダ」の手塚治虫と「ブッダ」より引用)。
そのため漫画『ブッダ』は『火の鳥』と作風・テーマ性が共通し、鼻が大きな人物(猿田彦)など共通の登場人物が数人出てくる。
『ブッダ』は、シャカ族の国の王子として生まれたゴータマ・シッダッタが、その身分を捨てて29歳で出家し、6年間の激しい苦行を行い、そして、苦行を捨てた後に35歳で悟りを得て、人々に教えを広め、80歳で亡くなるまでの一代記を描いている。
全12巻からなる漫画『ブッダ』第1巻 背表紙には、
紀元前6世紀、今のネパールの小族シャカ族の王族として生まれた釈尊。だが、彼の周りにはカースト制の厳しい身分差別の中で苦しむ人々がいた。「身分を決めたのは人間、身分で苦しむのも人間」人はなぜ生きるのか、人はなぜ苦しむのか・・・。命の神秘な謎を解くため、彼は修行にはげんだ。」とあり、
第1章 バラモン の冒頭プロローグとして、バラモンによる差別の発生とバラモンの堕落、人々が新しい教えを待ちのぞんでいることが語られる。
そして、いきなり、次のような物語が語られている。
吹雪の中で行き倒れになった僧を、熊とウサギと狐が発見し、熊は魚を、狐は木の実を僧に与えるが、ウサギは何も持ってくることができなかったので、みずからを火の中に投じて僧に与え、神となって天にのぼった。アシタの師ゴシャラは、この体験によって悟りをひらいた。アシタは弟子のナラダッタに、ウサギが自分で身を焼いたナゾがとける偉大な人を探してくるよう命じた。そして、ナラダッタはあてのない救世主探しの旅に出た・・・・。(物語あらすじは※4参照)、このウサギの話は、仏教説話 『ジャータカ』(※6の兎の話参照) や 『今昔物語』(※7の三の獣、菩薩の道を行じ、兎身を焼く話を参照)に出てくる。
『ブッダ』全体のストーリーは仏典に沿いながらも、仏典に登場する人物の改変を行ったり、また、手塚が創造した架空の人物を登場させたりして、物語がドラマチックに進行する中で、ブッダの悟りとは何か、ブッダの教えとはどういうものなのか・・・が、自然に語られていく展開となっている。
歴史上実在した人物であるゴータマ・ブッダの一生が、手塚の卓越したストーリー展開で、生き生きと描かれており、先にも手塚が語っていたように、抹香くさいと敬遠されがちな一般のブッダ伝をこの漫画『ブッダ』 はそれを打ち破り、壮大な、大河ドラマに仕立てあげているのは流石だ。

古代インドは、インド・アーリア人の部族のひとつバラタ族が征服したとも言われており、インド人は自分たちの住む国のことを彼らの名でもある「バーラタ」とか「バラタ族の地」という意味で「バーラタヴァルシャ」と呼んでいた。
「古き物語」を意味する言葉の略称で呼称される一群のヒンドゥー聖典の総称である『プラーナ』(prāṇa)は、その多くの著述を、天の啓示を受けて伝えた大叙事詩『マハーバーラタ』((Mahabharata) の登場人物でもあり、著述者でもあるとされる伝説上のリシ(聖仙)ヴィヤーサ (vyaasa) のものとされている。


上掲の画像はヴィヤーサ。

この大叙事詩『マハーバーラタ』(※8参照) はヒンドゥー教の聖典のうちでも重視されるものの1つで、グプタ朝(西暦320年-550年)ごろに成立したと見なされている。
「マハーバーラタ」はパーンダヴァ族とカウラヴァ族族(この二つを合わせてバラタ族=バーラタ)の争い・・・つまり、バラタ族の王位継承問題に端を発して同族の間で起こった対立と抗争と戦闘を綴ったものである(※11 参照 )。
同叙事詩は、世界の始まりから始まる。その後、物語はバラタ族=バーラタの争いを軸に進められ、物語の登場人物が誰かに教訓を施したり、諭したりするときに違う物語や教典などが語られるという構成で、千夜一夜物語と似た構成になっているが、大きな相違点としては、バラタ族の王位継承問題に端を発して同族のあいだでおこった対立と抗争と戦闘を綴った“戦記物語”である。しかし、同門が骨肉相争ったとはいえ、全体としては王族バラタの波瀾万丈・栄枯盛衰の物語なので「マハー」(大いなる)と形容され、「マハーなるバラタの一族の物語」と名付けられてきた。

画像:クルクシェートラの戦いを描いた図 。五王子と百王子の戦いを表現している。

『マハーバーラタ』は、全部で18巻10万詩節20万行から成る長大な物語となっているが、その理由はこの叙事詩の成立にはおそらく紀元前4世紀ごろから紀元後4世紀くらいまでの、ざっと800年もの編集がかかっており、その間に数多(あまた)の尾鰭がついた。
聖書や仏典の場合は、それらを創世記、民数記、ヨブ記、般若経、華厳経、法華経などとクラスターごとに切り出して自立させたが、ヒンドゥイズム(狭義では宗教=ヒンドゥー教を意味するが、広義では、インドの社会、インドの心ともいうべき概念である。※9参照)はそれをせず、そのまま延々と繋げていったからだという(※10:「松岡正剛の千夜千冊」の1021夜『インド古代史』1512夜『バガヴァッド・ギーター』等参照)。
インドの民族主義者で、教師、社会改革者、そして、最初期のインド独立運動で活躍した政治指導者であるティラクやインド独立の父として知られるグジャラート出身の弁護士、宗教家、政治指導者ガンジーの座右の書だったというヒンドゥー教の重要な聖典の一つで古代インド至高の「神の歌」ともいわれる『バガヴァッド・ギーター』は、『マハーバーラタ』(全18巻)の第6巻に編入されている短い一章分の詩編である(※12の原作台本、※8の24.クルクシェートラの戦い1参照)。
この『マハーバーラタ』はヒンドゥー教におけるヴィシュヌ神の第8の化身(アヴァターラ)であるクリシュナと主人公でパーンダヴァ兄弟5人のうちの第3子アルジュナ王子の対話の形を取る。
クリシュナは戦いに迷う王子アルジュナに「戦え、行動せよ、」と激励。
『バガヴァッド・ギーター』はクリシュナ(=ヴィシュヌ)と一体化し、我を捨て持って生まれた義務(ダルマ)を遂行すること。放擲(ほうてき)を説いた。神が激しく道徳の危機に瀕した人間を宥め、導く様を記録したものであり、クリシュナが王子アルジュナに説いてみせた格別のギーターになっている。
ギーターは神がもたらした詩歌のこと。「バガヴァッド」はサンスクリット語で「神」をいう意味。クリシュナはインドの神統譜では最高のバガヴァッド(=崇高神。ヴィシュヌ神)が変身した神格であるから、このギーターはすなわち「バガヴァッドのギーター」であり、ここではクリシュナがそのギーター「神の歌」を説いた。
インドにおいては『バガヴァッド・ギーター』の占める地位は大きく、時にヴェーダより重要とされることもある。バガヴァッド・ギーターの成立年代は定かではないが、世紀後一世紀頃として大過はないといわれる。
また、ヴィシュヌ派の創世神話によると、宇宙が出来る前にヴィシュヌは竜王アナンタの上に横になっており、ヴィシュヌの臍(へそ)から、蓮の花が伸びて行きそこに創造神のブラフマー(Brahmā)が生まれ、ブラフマーの額から破壊神シヴァが生まれたとされている。ということはヴィシュヌが天地創世以前の最高神なのである。以下YouTubeの画像は、アンコール遺跡の中でも人気の高いクバールスピアン。その魅力は川底に彫刻があること.。その中に、横たわるヴィシュヌ神の彫刻がある。
Cambodia Kbal Spean 川底に眠る遺跡「クバールスピアン」 - YouTube

静止画は以下参照。
聖地クバールスピアンの神々 - クメールの誘惑 

アナンタ竜の上に横たわるヴィシュヌ神。妻であり神妃であるラクシュミー(Laksmi)と臍から生えた蓮の花の上でブラフマー神が瞑想している。ラクシュミーの顔ガ盗掘されてないのが残念。

このヴィシュヌには多神教独特の性質がある。アヴァターラと呼ばれる10の姿に変身して地上に現れる。これは、偉大な仕事をした人物や土着の神を「ヴィシュヌの生まれ変わり」として信仰に取り込む為の手段であったと考えられており、よく「化身」と訳されるが「権化」「権現」「化現」と言った方が正しいようだ。『マハーバーラタ』のなかではいろいろと身を変じて、戦争や人生の戦略家あるいは指南役としての相貌を与えられている。

『マハーバーラタ』第VI巻の巻頭には バラタ大戦争(英:クルクシェートラの戦い)開戦直前の場面で、盲目の老王ドゥリタラーシュトラ( Dhrtarstra)とサンジャヤ(Sanjaya)の対話があり、サンジャヤが古インドので大地の形態や山岳・河川・民族の名称等を詳細に述べているがそれはインドの古代の宇宙論でもあるが、そのことはここでは、省略する。別表を作っているので興味のある人は以下で見てください。

別表:『マハーバーラタ(Mahabharata)』 第VI巻の巻頭で述べられるインドの大地(宇宙観)へ

しかし、そこに書かれているインドは途方もなく広い。その王がバラタである。『リグ・ヴェーダ』ではバラタ王はアーリア人の一族だということが、はやくも謳われている。母がシャクンターラだった。そのバラタ王の統治する世界が、すなわちバラモン教発祥の地となった。ということは、この国は政治領域として確立されたのではなく、宗教領域として形成されていったのだということをあらわす。
ヴェーダには多数の神が登場するが、神々はまとめてデーヴァ(天)である。ヴェーダという名詞は「ヴィッド」(知る)という動詞の語根から派生した言葉で、知識を意味するそうで、そのころの知識といえば、すべからくが聖なる知識だそうだ。
やがて天の恩恵を司るデーヴァ神族と宇宙の法を預かるアスラ神族とに分かれた。
デーヴァは現世利益を司る神々とされ、人々から祭祀を受け、それと引き換えに恩恵をもたらす存在とされた。代表的なデーヴァは雷神インドラ(日本では帝釈天)であり、実に『リグ・ヴェーダ』全讃歌の4分の1が彼を讃えるものである。
アスラ神族を代表するのはヴァルナであった。現在では前述のヴィシュヌ神等に押されて影が薄い。ヴェーダの宗教がバラモン教と呼ばれる。
現在のヒンドゥー哲学の基本となる「因果応報」「霊魂不滅」「輪廻転生」などの諸観念の淵源は、ウパニシャッドが完成した頃まで遡れる。ウパニシャッドの時代では、そのヴァルナとミトラが社会の原理として称揚された。ウパニシャッドは紀元前800 - 500年頃にガンジス川流域で作られたインド古代哲学の総称である。
バラモン教はインドを支配するアーリア人の祭司階級バラモンによる祭儀を重要視する宗教であった。紀元前5世紀頃に、バラモン教の祭儀重視に批判的な仏教とジャイナ教が成立した。
更にインド北西部は紀元前520年ころにはアケメネス朝ペルシア、前326年にはアレクサンダー大王に支配された。その後仏教はアショーカ王(在位紀元前268年頃 - 紀元前232年頃)の帰依などにより一時期バラモン教を凌ぐ隆盛を示した。この時期にヴェーダを基本とする宗教であるバラモン教は「支配者の宗教」からの変貌を迫られ、インド各地の先住民族の土着宗教を吸収・同化して形を変えながら民衆宗教へ変化していった.。
紀元後4世紀頃、グプタ朝がガンジス川流域を支配した。グプタ朝はチャンドラグプタ2世(在位紀元385年 - 413年)に最盛期を迎えるが、このころに今もヒンドゥー教徒に愛されている叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』がまとめられるなど、ヒンドゥー教の隆盛が始まった。
バラモン教は具体的な目的に対して神に「供犠」を捧げる、いわば「ギヴ・アンド・テイク」の宗教であったのに対し、ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神のような至高の神への絶対的帰依(「バクティ」と呼ぶ)に基づく信仰態度が多くの大衆に受け入れられ始めた。この時期に六派哲学と呼ばれるインドの古典哲学が確立し、互いに論争を繰り広げた。
5世紀〜10世紀の南インドでは「至高の神への絶対的帰依」、「自己犠牲をいとわない神への奉仕」を信仰の柱とするバクティと呼ばれる信仰形態が顕在化し始めた。このバクティに関して、12世紀から13世紀にかけてヴェーダーンタ学派の学匠達によって「ヴィシュヌ神」を崇拝する信仰が理論化された。、
バクティー(信仰行法)とは、無条件の心の状態になることだそうである。無条件になるために、自己を他に捧げることであり、理屈抜きですべてを行なうことなのだそうである。
そして、正確なことはわからないが西暦紀元前5世紀頃、シャーキャ族王・シュッドーダナ(漢訳名:浄飯王 じょうぼんのう)の男子として、釈迦が現在のネパールのルンビニにあたる場所で誕生したとされている。
釈迦の生涯や釈迦が何を悟り説いたか、又、日本の法華経など仏教で説かれているものと教えがどのように違うかなどほとんど何もかけていないが、以下参考の※13:「環境イーハトープの会」で、いろいろ詳しく書かれているので興味のある人は、そこを見られるとよい。

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参考:
※1:日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
※2:映画「手塚治虫のブッダ-赤い砂漠よ!美しく-」オフィシャルサイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/buddha/
※3:山陰中央新報 - 中村元・人と思想(27) 「人間ブッダの発見」
http://www.sanin-chuo.co.jp/edu/modules/news/article.php?storyid=534797249
※4:潮出版社-手塚治虫「ブッダ」
http://www.usio.co.jp/html/buddha/
※5:マンガ「ブッダ」1「うさぎが火に飛び込んだ理由」/私の読書録(あらすじ・感想)
http://readingbookcom.seesaa.net/article/386913649.html
※6:ジャータカ物語 目次 jataka index - 日本テーラワーダ仏教協会
http://www.j-theravada.net/jataka/
※7:今昔物語集
http://yamanekoya.jp/konzyaku/index.html
※8:U-DARA’S YARD
http://www.geocities.jp/u_dara/udara/index.html
※9:インド理解のキーワード---ヒンドゥーイズム - 京都産業大学
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~yamakami/hinduism.html
※10:松岡正剛の千夜千冊:全読譜INDEX
http://1000ya.isis.ne.jp/souran/index.php?vol=102
※11:マハーバラの概要:マハーバラタの主要登場人物の紹介とあらすじ
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/aoyama/seaclcul-20111201.pdf#search="%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84"
※12:『バガヴァッド・ギーター』とはなにか
http://chitobunmei.com/bhagavadgita/index02.html
※13:環境イーハトープの会
http://kankyo-iihatobu.la.coocan.jp/index.html
倶舎論 (くしゃろん)
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/kusharon.htm
※10:【補註10】Saṅkassa(サンカッサ) - 原始仏教聖典資料による釈尊伝の研(Adobe PDF)
http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono15_s02_10.pdf#search='%E4%B8%89%E9%81%93++%E5%AE%9D%E9%9A%8E'
手塚治虫『ブッダ』の世界
http://60.43.152.48/buddha/buddha.html
漫画で学ぶ【仏陀・仏教】 - NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2133615721793721501

ロータス(蓮)デー :別表インドの大地

2014-04-08 | 記念日

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別表:インドの大地(宇宙観)

マハーバーラタ』第VI巻の巻頭は、開戦直前の場面を描いている。
クル族(Kuru )の長老でもある聖仙 ヴィヤーサ(vyaasa) が、盲目の老王ドゥリタラーシュトラ( Dhrtarstra)に大戦の帰趨に関して予言を与えて去った後、王とスータ (suta.。王の車に陪乗し補佐役・伝令役を勤める)のサンジャヤ(Sanjaya)の対話が始まる。その始めの部分 は、大地のありさまに関する王の問いに、ヴィヤーサによって特殊な眼力を与えられたサンジャヤが答える体裁をとっている。
サンジャヤは先ず生物(二元論)の分類と五大元素説を語り、次いで大地の形態や山岳・河川・民族の名称等を詳細に述べているがプラーナ文献。「第5のヴェーダ」とも呼ばれている)で陸海は次のように描かれる。
中央に円形の大陸ジャンブー・ドヴィーパ( Jambudvipa)がある。その中心にメル山(Meru山=須弥山。) がそびえ、大陸を東西に横断して六つの山脈が地を区切っている。中央の区画は、 メル山の東西にそれぞれ一つの山脈が南北に延びることによって三分される。山脈によってジャンブー・ドヴィーパは九つの領域 (varlila)に区切られていることになり、南端のバーラタヴァルシャ(Bharatavarsa)が「我々の領域である。
又、 ジャンブー・ドヴィーパの周囲は、ドーナツ形の海陸が順次同心円状に取り巻いており、大陸の数はジャンブー・ドヴィーパ を含めて七つである。これらのさらに外郭には黄金の土地があって、その上を "Lokaloka山"が巡っている。・・・と(※1参照)。
ここに描かれている "Lokaloka山"がよくわからないが、まさに古代インドの世界観=宇宙観宇宙論)が描かれたものである。
古代インドで編纂された一連の宗教文書ヴェーダ(紀元前1000年頃から紀元前500年頃)の時代から、すでにからの発生、原初の原人の犠牲による創造、苦行の熱からの創造、といった宇宙生成論があったという。また、地上界・空界・天界という三界への分類もあったという(仏教用語の三界についてはここ参照)。後の時代、繰り返し生成・消滅している宇宙という考え方が成立したという。これには(ごう、カルマン)の思想が関連しているという。
ごう【業】は行為を意味するサンスクリットの漢訳語。善人も悪人も死んでしまえばみな同じだというのは不公平だという考えをもとに、インドでは業はその善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられた。
これに関し、ブラーフマナ文献あたりから因果応報思想が見え始め、ウパニシャッド文献で、輪廻思想の成立とともに急速に理論化され、のちに一種の運命論となった。
行為は,身体的な行為(身業),語るという行為(口業),思うという行為(意業)に分類されるが,それらの行為はその場かぎりで消えるのではなく、不可見のいわば潜勢体(功徳と罪障,法と非法)として行為の主体につきまとう(※2)。
この無限の反復の原因は、比較的初期の仏教においては、衆生の業の力の集積として理解されていたという。それが、ヒンドゥー教においては、創造神ブラフマーの眠りと覚醒の周期として表象(シンボライズ)されるようになったという(ブラフマーは後にヴィシュヌに置き換わった)。
このインド仏教の宇宙観の体系を示す書物の1つに、インド5世紀の仏僧ヴァスバンドゥ(世親)の『倶舎論 』(※3参照)があるが、この論書が書かれたのは釈尊入滅後900の事であり、『マハーバーラタ(Mahabharata)』 第VI巻(Bhi~maparvan) の巻頭でサンジャヤが述べているような宇宙観を仏教的に整理し体系化したものと思われる。冒頭の画像は須弥山の概念図。
因みに、『倶舎論』の中の1章 「世品(せほん)」に述べられているいわゆる須弥山(しゅみせん)説は以下のとおりである。

『倶舎論』によれば、世界は相重なる三輪、つまり、風輪の上に水輪、その上に金輪がある。また、その最上層をなす金輪の最上面が大地の底に接する際となっており、これを金輪際(こんりんざい)という。なお、このことが俗に転じて、物事の最後の最後までを表して金輪際と言うようになった。
我々が住むのは海水をたたえた金輪に浮かぶジャンブー・ドヴィーパ(閻浮提)であり、須弥山中腹には日天と月天(どちらも天部十二天の一人)がまわっている。須弥山の高さは八万由旬(yojana)といわれ、中腹に四大王天(とう利天主・帝釈天の外臣)がおり四洲を守る。
さらにその上の山頂のとう利天欲界における六欲天の第2の天部である。意訳して三十三天ともいう)にはインドラ帝釈天)が所有し住居とする善見城がある。
尚、須弥山の四洲を守る四大王天のうちの一人、東勝神洲を守護する持国天 の梵名はドゥリタラーシュトラ・・・・冒頭の『マハーバーラタ(Mahabharata)』・・・つまり、 第VI巻の巻頭に登場している盲目の老王のことである。
この 須弥山には甘露(アムリタ,amṛta)の雨が降っており、それによって須弥山に住む天たちは空腹を免れる。・・・という。

上掲の画像は、アンコール・ワット第1回廊、浅浮き彫りにみられる乳海攪拌(一部)。中央にヴィシュヌ、その下に彼の化身の亀クールマがいる。ヴァースキを引っ張っているアスラが左側に、神々が右側に描かれている。
また、釈迦の母が死後とう利天こに生まれたため、釈迦が彼女に説法するため一時ここに昇り、帰りに三道の宝階によって地上へ降ったといわれる(※4参照)
三道の宝階について、
僧院を持つ都城で、ウッタル・プラデーシュアーグラの東にあるサンカーシャは、仏教の八大聖地の一つだが、ここだけが伝説に基づいた聖地だそうだ。
ここに、三道宝階降下の地とされる丘の上には、何かが崩れてできた煉瓦の小さな山と、釈迦の生母マヤ夫人を記念する小さな祠、ヒンドゥ教の神ハヌマーンを祀った小さな祠がある。
釈迦は、生後7日目に死別して天界にいる母マヤ夫人に無上の法(※5)を説くことを念願していた。ある時、祇園精舎サヘート)を訪れていた釈迦は、祇園精舎近くのオラジハール(Orajhar)の丘から三十三天(忉利天)に昇天して、雨安居の3ヶ月間、マヤ夫人に法を説き、報恩を果たしたと伝えられている。
釈迦は、三道の宝階を下って、再び、地上界のサンカシャに帰ってきたといわれている(※5)。降下する時、インドラが造らせた天界と地上界を結ぶ三つの階段が築かれた。釈迦は中央の金の階段を通り、右側の白金の階段をブラフマ神(梵天)が白い払子(ホッス)を手にして降下し、左側の瑠璃の階段をインドラ神(帝釈天)が天蓋を釈迦にかざして、多くの天人たちを従えて降下したとされている。
釈迦が地上に降り立つ時、少し先に降下したブラフマ神とインドラ神が合掌して、また、比丘尼が仏足の所で跪いて迎えたと伝えられているそうだ。

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参考:
※1:Maha bha rata VI.5-13の世界観
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/10785/1/mrp_031-043A.pdf#search='%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8A+%E4%B9%9D%E3%81%A4%E3%81%AE%E
5%9C%B0%E5%9F%9F%E4%B8%96%E7%95%8C'

※2:永遠のダルマと顕在化(Adobe PDF)
http://www2.lit.kyushu-u.ac.jp/~kkataoka/Kataoka/Kataoka_1999d.pdf#search='%E6%BD%9C%E5%8B%A2%E4%BD%93'
※3:倶舎論 (くしゃろん)
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/kusharon.htm
※4:【補註10】Saṅkassa(サンカッサ) - 原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究(Adobe PDF)
http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono15_s02_10.pdf#search='%E4%B8%89%E9%81%93%E5%AE%9D%E9%9A%8E'
※5:大乗無上の法
http://www.geocities.jp/fuw145/01-busseki-10.html
%8C%81%E5%9B%BD%E5%A4%A9/>http://busson.jp/busson/%E6%<8C%81%E5%9B%BD%E5%A4%A9/</a>
※6:仏跡 聖地 表紙
http://www.geocities.jp/fuw145/01-busseki-10.html
持国天 | 仏尊.jp - 仏像

仏教の宇宙観
http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0320a/contents/rekishi/answer01/main.html#top

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