今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「八雲忌」小泉八雲の忌日

2005-09-26 | 人物
今日(9月26日)は「八雲忌」小泉八雲の1904(明治37)年の忌日です。
「怪談」や「知られぬ日本の面影」など、数々の名作を著した、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの出世地は去年、パラリンピックが開かれていたギリシャ・アテネの西の方のイオニア海に浮かぶ小島レフカダの「リュカデイア」と呼ばれる地で、それは「放浪」を意味するといわれているらしい。辛く苦しい前半生、20年に及ぶアメリカ大陸での放浪を経て1890(明治23)年米国の雑誌特派員として41歳で来日。日本文化に強くひかれ、島根県の松江中学に英語教師として赴任した。彼は、松江在住中に、身の回りを世話してくれた武家の娘小泉セツと結婚。松江に居を構えて日本の伝統文化の研究にとり組んだ。その旧居は平屋建瓦ぶきの日本家屋で、元々は松江藩士の武家屋敷として建てられたもの。隣接の「小泉八雲記念館」は、1984(昭和59)年に旧居との調和を配慮し、長屋門と塀とを配し、土蔵づくりをモチーフとした純和風様式に建て替えられている。記念館には八雲の使った文机などの遺品や、関係資料が多数展示されているらしい。 私も松江へ仕事で何度か行っており、その際、一度訪れたことがあるが、中には入っていない。
松江での生活、1年3ヶ月後には、熊本の第五高等学校へ転任し、3年間勤めた。当時の学長は、世界に柔道を普及させた人物として知られている嘉納治五郎である。その後、神戸で新聞記者として働いたこともあるらしい。
来日して以来、日本人よりも「日本」を愛し、日本の女性を妻とし、1896(明治29)年には日本に帰化して、名前も小泉八雲と改めた。この名前は「古事記」からとったものとか。後に、東京帝国大学で英文学講師となる。この間日本の自然と伝統に彩られた生活文化を欧米に精力的に紹介。此の世よりも夢の世を好み、「浦島太郎」を心から愛した人だという。1904(明治37)年9月26日夕、狭心症のため14年余りを過ごした異国の地で此の世を去った。八雲の墓は雑司が谷霊園(東京都豊島区)にある。この霊園には、有名人の墓も多く、東京帝国大学・英文学講師でハーンの後任になった夏目漱石他、永井荷風などの文人、竹久夢二、東郷青児などの画家、漫画家のサトウハチローも眠っている。
「ハーン」のことを、「ヘルン」と呼ばれることがあるが、これは、松江へ赴任した際、ハ-ン自身の発音が「ヘルン」に近かったらしく、当初松江の学校関係者は「ヘルン先生」と呼んでいたらしい。ハ-ン自身もこの読み方が気に入ったらしく、「ヘルン」と刻印の印鑑や蔵書印があるそうだ。
本の「怪談」は、日本の古典、民話から取材した短編集で、日本各地に伝わる恐い話、不思議な話の怪談傑作集である。「耳なし芳一の話」「ある鏡とつり鐘の話」「食人鬼」「ろくろ首」「雪おんな」「青柳物語」など十八編を収録している。
私は、この「怪談 」が、映画化(1965.年1月。文芸プロ=にんじんくらぶ )され、見に行ったのを思い出す。 原作の「怪談」 の中から、「黒髪」 「雪女」 「耳無し芳一の話」 「茶碗の中」 の4話をオムニバス形式で撮ったものだった。この映画は、カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞している。この中で私の好きなのは、やはり、 「耳無し芳一の話」 だ~。たしか、中村賀津雄 が芳一を演じていたよ。ある阿弥陀寺に琵琶法師として有名な芳一という盲人が住んでいた。この琵琶を聞きたいと現れたた平家の怨霊に誘われるがまゝついてゆくと、そこには居ならぶ武士等が威儀を正して待って居り、正面の御廉の中から「壇之浦の合戦を弾奏せよ」との事で、琵琶を奏でると、厳然としてゐた武士たちは涙を流し、婦人等は嗚咽の声を出して泣いてゐる。この後、毎夜、芳一が琵琶を抱えては出てゆくのを不審に思った和尚が後をつけてみると、真暗やみの中で平家一門の墓を前に、琵琶を奏でている芳一がいた。平家の怨霊から芳一を守るため僧侶は、芳一の身体中に般若心経を書いたが、両耳だけ経文が書かれていなかったため、怨霊がその耳を引きちぎって立ち去ったというのが物語のあらすじ。
本・「怪談」の巻頭に収められているこの「耳なし芳一」の物語は、江戸時代には、既に語りつがれていた物語で、一夕散人著「臥遊奇談」という1782(天明2)年に出版された木版本の話を、妻のセツが八雲に語って聞かせ、それをもとに書かれたものだそうだ。因みに原典では「耳きれ芳一」、民話の世界では「耳きり団一」として伝えられているものだそうだよ。
ハーンは幼い頃、左目を失明し、残る右目も極度の近視であったらしい。セツから「耳なし芳一」の話を聞かされたときは、目の見えない主人公に強く感動して、執筆しながら芳一になりきっていたとか・・・。
(画像は、小泉八雲旧居。写真は以下参考の小泉八雲記念館より借用)
参考:
富山大学附属図書館ヘルン文庫
http://www3.toyama-u.ac.jp/lib/hearnlib.html
根岸泰子のページ・耳なし芳一のはなし」とその原典・『臥遊奇談』現代語訳
http://www.gifu-u.ac.jp/~kameoka/Gayu_mJ.html
ラフカディオ・ハーン:日本の庭-『知られざる日本の面影』より-
http://www.gifu-u.ac.jp/~kameoka/Hearn.html
小泉八雲記念館
http://www.san-in-tabi.net/kankou/map2/matue/koizumi.htm


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2 コメント

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気味が悪い (Linda)
2005-09-26 12:05:23
よーさん、お早うさんです。

子供の頃に読んだ耳なし芳一の挿絵をまだ覚えています。芳一のお経を書き込んだ顔が気味悪かったこと、平家の怨霊の周りの火の玉など気味の悪い絵でした。それなら見なければエエのにまたしてもそのページを見たものです。
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Unknown (よーさん)
2005-09-27 06:30:57
Lindaさん、耳なし芳一怖い話ですね。

人は、怖いものを見たがるものですね~。
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