今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

時代劇「必殺」シリーズなどで人気を集めた 俳優・藤田まことの忌日(Ⅰ)

2011-02-17 | 人物
てなもんや三度笠」、「必殺」シリーズ、「はぐれ刑事純情派」シリーズ、「剣客商売」などテレビドラマで人気を集めた俳優の藤田まこと(本名:原田真=〔はらだ・まこと〕)が亡くなって早や1年になる。
当たり役そのままの庶民派、人情派として幅広い層に愛された役者人生だったが、大動脈瘤破裂による死を知らされたときには、関西からスターの座に上り詰めた数少ない芸人であっただけに非常に残念であった。
草創期のテレビ界に飛び込み、それまで歌手を志望していた役者経験の乏しい藤田が、日本が高度経済成長を遂げる中、ブラウン管に、元気で圧倒的に異色の存在として頭角を現した。そして、日本の経済成長に合わせてテレビが成長するとともに出演作も増え、テレビにはなくてはならない存在となった。まるでテレビドラマが老成し、視聴率が低迷するのを見極めたかのように、今が死に時とばかりに突然消えていったような感じがする。
彼の最後のテレビドラマ出演作品は、死ぬ前年の2009(平成21)年10月に、土曜ワイド劇場(テレビ朝日系)で年に1回程度の割合で放送されていた和久峻三の推理小説を原作とした人気のテレビドラマシリーズ「京都殺人案内」(第32話)を収録したものとなったが、この同シリーズ第32話は、追悼企画として、藤田の亡くなった10日後、2010(平成22)年2月27日に放送された。
このドラマでの京都市内の名所で起こった難解な殺人事件を地道な捜査をもとに解決していく叩き上げの刑事「音やん」こと音川音次郎も渋い味があって大好きだった。
当ドラマも1979(昭和54)年4月21日に第1話放送(この時の原作者は山村美紗で藤田は狩矢警部を演じた)から1996(平成8)年4月までの17年と、一時中断の後、2000(平成12)年4月再開から2010(平成22)年2月迄の10年、計27年間も続いた長寿番組であった。
そんな藤田の作品の中で何が一番印象に残っているか・・・と問われれば、それぞれの年代や好みの問題等もあろうが、私たちのような古い年代の者であれば、彼の出世作でもある1960年代のお笑い番組であるミュージカル時代劇「てなもんや三度笠」のあんかけの時次郎、と言う人も多いだろうが、幅広い層では、やはり、必殺シリーズでの中村 主水役を思い浮かべる人が1番多いかもしれない。
私も時代劇大好き人間なので、この必殺シリーズも最初から殆ど欠かさず見ているので非常に面白く楽しんではきたが、私自身の好みの問題から言えば、その後、1990年代から始まった「剣客商売」の秋山小兵衛役や、現代劇ではあるが1980年代から始まった「はぐれ刑事純情派」の「やっさん(安さん)」こと安浦刑事などを演じている藤田の方が好きなのだが・・・。
藤田まことの父は大正から昭和時代にかけて無声映画で活躍した俳優藤間林太郎。1933(昭和8)年4月13日東京で生まれるが、生母は彼が生まれてすぐに死去し、継母に育てられるが反りが合わない等の複雑な環境で育つったようだが、1943(昭和18)年、と言うから彼が15歳の頃一家は京都に移ったようだ。
1940年代後半から父・林太郎が所属していた一座に参加し司会業で地方を回り、17歳のときに歌謡ショーの一座の公演で「旅笠道中」(作詞は藤田まさとで、唄は藤田が最も好きだったという東海林太郎のもの)を歌ったのが初舞台だそうで、やがて舞台俳優として舞台にも立つようになり、その頃、「藤田まこと」の芸名を名乗るようになったそうだが、芸名は父の芸名から藤の字を1字もらったもののようだ。
10代の終わりに歌手を志して上京し、ディック・ミネのカバン持ちをしながら前座の歌手として活動し、1年ほどで大阪へ戻り、日本マーキュリーレコードでアルバイトとして働きながら歌手としての修業を積み、同社所属の歌手の地方巡業に前座歌手として参加もしていたそうだ。
ある時病気になった司会者の代役を務めたのをきっかけに、巡業の司会者としても活動をしていたらしいが、当時の人気漫才コンビ中田ダイマル・ラケットのアドバイスを受けて司会の仕事をやめ、俳優として「ダイマル・ラケット劇団」に入団。1957(昭和32)年、コメディー時代劇「ダイラケのびっくり捕物帖」にチョイ役でテレビ番組に出演。この番組が藤田にとってのテレビデビュー作となった。
1961(昭和36)年4月からは同じくダイラケに、ミヤコ蝶々(社長役)や横山エンタツ(支店長役)など、当時の人気上方コメディアンを揃えた澤田隆治演出のコメディ番組「スチャラカ社員」に女性事務員を口説きたがる社員として出演している。
そして、それまで脇役しか演じたことのなかった藤田が初めて主役(あんかけの時次郎)に抜擢されたのが、同じく澤田演出の時代劇風コメディ「てなもんや三度笠」であった。まさに日本が高度経済成長真っ只中の1962(昭和37)年、藤田29歳の時である。
“ゴ〜ン・・・”と鳴る鐘の音とともに御堂の扉が“ギ〜ィ”と開きあんかけの時次郎が登場し、番組は始まる。
毎回様々な扮装をした怪人物が現れて一悶着した所で、時次郎が「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」と言いながら懐から前田製菓(この番組のスポンサー)のクラッカーを取り出し見栄を切って締める。
第3話からは「スチャラカ社員」に給仕役で出演し人気を博した白木みのるが小坊主役で登場し、時次郎の相方を務め、時次郎は顔が長いところから馬呼ばわりされる。白木みのるや財津一郎などとの掛け合いが絶妙で大いに人気を博した。
あんかけ時次郎の「耳の穴から指突っ込んで、奥歯ガタガタいわしたる」のフレーズも一世を風靡した。
冒頭に掲載の画像は「てなもんや三度笠」に出演の藤田まこと(左)と手前の小坊主役が白木みのるである(2010・2・19朝日新聞朝刊より)。
この番組は兎に角、毎週のゲスト出演者が素晴らしかった。まだ、藤田の人気が関西ローカルだったことから、東京や大阪の人気ゲストを出演させて番組の人気を上げたのは、ディレクターである澤田隆治の力によるところが大きかったが、この番組への出演依頼が来た時点で、藤田は脇役としてテレビで6本、ラジオで5本の番組にレギュラー出演していたそうだが、澤田からは「主役の役者が他の番組で脇役を演じては恰好がつかない」という理由からそれらの番組を全て降板するよう要求されそれを承諾したという。
視聴率は高く、最高視聴率は関西で60%、関東でも40%を超える人気番組となり、1968(昭和43年)3月31日まで続き、藤田はコメディアンとしての地位も確立したが、番組が終わると、この番組での名声がかえって藤田には呪縛となったようだ。
その後も、1971年(昭和46年)まで続編シリーズ(「てなもんや一本槍」、「てなもんや二刀流」)が続いたものの、時次郎のイメージが強すぎて、他の役が決まらない。超売れっ子から急転し、キャバレー回りなどで糊口(ここう=ほそぼそと暮らしを立てること。生計)をしのいでいたところへ、「必殺仕置人」への依頼が舞い込んできたのは、高度経済成長も終わる1973(昭和48)年のこと、藤田39歳の時であった。
この作品が、役者としての藤田の本当の転機となった。この必殺シリーズの中村主水という役柄が、藤田の個性をも作り上げた。この役で演技の幅を広げ、人生の襞(ひだ)まで表現できる役者に成長していった。
今では、「必殺シリーズ」と言えば、藤田演じる中村主水を想像する人が多いだろうが、このシリーズで藤田が初登場するのは、この1973(昭和48)年4月21日から始まった必殺シリーズ第2作「必殺仕置人」からである。
のさばる悪を なんとする
天の裁きは 待ってはおれぬ
この世の正義も あてにはならぬ
闇に裁いて 仕置する
南無阿弥陀仏
(必殺仕置人オープニングナレーション)
「闇に裁く」の名曲(BGM。以下※1で聴けるが少々雑音あり)をバックに芥川隆行のオープニングナレーションで始まる本作は、第1作「必殺仕掛人」(池波正太郎の小説『仕掛人・藤枝梅安』シリーズが原作)の設定を踏まえつつも、原作を持たないオリジナルドラマシリーズとして作られ、シナリオ展開、登場人物の配置など、以後の必殺シリーズの原型となっている。
以後、同シリーズの顔となる中村主水の初登場作品ではあるが、本作品における主人公は、前作「必殺仕掛人」の主人公・藤枝梅安緒形拳)をモチーフに作られた骨接ぎを営む、通称“念仏の鉄”(山崎努)であり、主水はあくまで参謀役であった。殺しには参加しない回もたびたびあり、全く仕置きに関わらないことすらあり、また、登場しない回もあった。
許せぬ悪を金で請け負い暗殺するときのすごみのある顔と、家に帰れば嫁姑に「ムコ殿!」と呼びつけられ頭の上がらない町方同心。表と裏の両極端な演技。長い間この役を演じている間に、藤田の目も座ってきて、それまでのコメディーをやっていたときとは違って本当の殺し屋かと思われるような目になっており、役柄がそのまま染み付いてきた感じだ。
しかし、藤田へこの作品に出ないかとの誘いが来て、引き受けたら、なんと、面接して10日目ぐらいでバタバタとクランクインしたという。理由は後でわかったらしいが、監督が出演を宛てにしていた複数の俳優に打診したものの、“うだつの上がらない町方同心で、家に帰ったら養子で肩身が狭い”という設定が嫌われ引き受け手がいなかったそうだ。
実際に、このドラマの役作りは藤田にとっても難しく、藤田はNECインターチャネルから、1996(平成8)年松竹映画「必殺!主水死す」で、中村主水シリーズの完結(一旦の最終回)を迎えたことを記念してリリースされた「必殺! CD-ROM」(必殺シリーズの中で中村主水の登場するものを収録)のインタビューで「中村主水というキャラクターが自分の中に確立できたのはいつ頃か」という質問に「必殺!商売人の頃だ」と答えている。(以下参考の※2を参照)。
第1作の『必殺仕事人』で主演した緒方が、過去のテレビには存在しなかった現代感覚を定着させた必殺シリーズの「生みの親」とすれば、藤田まことが必殺シリーズ「育ての親」と言うところだろう。
中村主水役を演じ当たり役となった「必殺シリーズ」全31作品中、16シリーズに出演(Wikipedia TVシリーズ参照)。そのほかテレビスペシャルや、映画・舞台にも数多く出演している。

時代劇「必殺」シリーズなどで人気を集めた 俳優・藤田まことの忌日(Ⅱ)へ

参考は、上記(Ⅱ)のページに有ります。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。