今日(11月23日)は、「手袋の日」
日本手袋工業組合が1981(昭和56)年に制定。これから手袋が必要になる季節に向けて、祝日の勤労感謝の日を記念日にしたそうだ。
手袋は、手を覆う衣服。英語の glove は、中世イギリスで使われていた古英語の glof から来ている。指1本ずつ覆うようにできているものを手袋と呼び、親指を除く指をまとめて覆うようにできているものをミトンと呼ぶ。また、指が露出するようにできているフィンガーレスグローブもある。手袋の素材には多くの素材が使われており、布、毛糸、フェルト、革、ゴムなど、いろいろな素材で作られている。手袋の中には、手首までではなく肘近くまで保護するものもあり、これらをガントレットと呼んで区別している。
この手袋の歴史は古く、少なくとも古代ギリシア時代に遡るそうで、ホメロスの『オデュッセイア』の中や紀元前440年に書かれたヘロドトスの著書『歴史』の中にも手袋のことが記述されているそうだ。又、エジプトのツタンカーメン王の墓からは麻製の手袋が出土しているという。
13世紀ごろからヨーロッパでは女性の間でファッションとして手袋を着用するようになったようであり、これらは、リネンや絹でできており、時には肘まである手袋が広まっていた。16世紀にエリザベス1世が宝石や刺繍、レースで豪華に装飾されたものを着用した時に手袋の流行が頂点に達したという。
手袋は、世界中で生産されており、今でもフランスやカナダでは高価な女性用のブランド物手袋が作られている。近年では安い手袋の多くが東アジアで作られている。又、日本では、国内製手袋の約90%が香川県東かがわ市で作られているそうであり、このことは、以下参考の日本手袋工業組合の手袋の歴史に詳しく書かれている。
手袋の歴史 → http://www.tebukurokumiai.jp/
手袋は、冬12月の俳句の季語ともなっている。限られた五七語の音数の中での表現を可能にするために、季語は大切な役割を果たしている、この季語からさまざまな思いが呼び起こされるのは、季節感だけでなくこの季節感に絡んだ人間の感情もっ含まれているという。そうすれば、12月の寒い季節にどのような手袋が俳句を読む者に具体的なイメージを喚起させたり、様々な連想を広げたりさせるかと言えば、やはり、毛糸で編んだ、手編みの手袋、それも、お母さんが編んでくれた手袋などが一番ぴったりと来る。今の時代、お金さえ出せば、いくらでもいいものが手に入るが、やはり、お母さんが、寒い冬の日、可愛い子供のために夜なべして編んでくれた手袋・・・これ以上に温かみを感じるものはないのではないだろうか。昔そんなミトンと呼ばれる手袋を紛失を避けるために、両方から紐で繋げて、首にかけていた小さな子どもの姿が目に浮かぶ。
「かあさんが夜なべをして 手ぶくろ編んでくれた
こがらし吹いちゃ つめたかろうて せっせと編んだだよ
故郷(ふるさと)の便りはとどく いろりの匂いがした」
窪田 聡作詞・作曲の『かあさんの歌』。・ダーク・ダックス、倍賞千恵子、 芹洋子 他多くの歌手が歌っている。
二木紘三のWebサイト『かあさんの歌』↓
http://www.duarbo.jp/versoj/v-folksong/kaasannouta.htm
歌詞の冒頭の「かあさんが夜なべをして」の部分、原詩では、「かあさんは夜なべをして」らしい。作詞者の窪田聡さんは、高校卒業の時、進路をめぐって母親と対立したことから、家を飛び出したそうだ。しかし、お母さんは息子の身を案じて行方を捜しだし、衣類や、食べ物、ビタミン剤を送ってくれたという。そうした中から生まれた歌が、この、かあさんの歌だそうである。本当に気持ちがあったかくなる歌である。
昭和30年代、ちょうど、私が、大阪の会社に働き始めた頃、歌声喫茶と言うのが流行り始めた。私の勤めていた会社のすぐ近くのビルの何階だったか忘れたが、歌声喫茶があったので、よく、歌の好きな仲間と一緒に、出かけたものだ。そこへ行くと歌の詩を書いた小さな冊子をくれた。リーダーの司会で、生演奏にのって、皆で合唱するのである。最近又はやりだしたようではあるが、今流行のカラオケバーで歌っているカラオケなどよりは、ずっと、健康的であり、知らないもの同士であっても歌の好きなもの同士がともに合唱する楽しさは格別であった。その頃、よく歌われた歌の中でも『かあさんの歌』はトップクラスではなかったか・・・。他には、ロシア民謡が多かった。兎に角、綺麗な曲か明るい曲が好まれて歌われていたよな~。
あたたかい手袋の話と言えば、新美南吉の童話「手袋を買いに」がある。冷たい雪で牡丹色になった子狐の手を見て、母狐は手袋を買ってやろうと思い、母狐は子狐の片手を人の手にかえ、銅貨をにぎらせ、「人間は相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴まえて檻の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐いものなんだよ」だから、かならず人間の手のほうをさしだすんだよと、よくよく言いふくめて町へ送り出した。はたして子狐は、無事、手袋を買うことができただろうか?
子狐は帰ってきて母狐に言いました。「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。新美 南吉が描こうとした親子の愛情や善意、信頼といったものが行動的な子狐の体温とともに伝わってくるこの童話は青空文庫でも読めるよ。
図書カード:「手袋を買いに」著者名: 新美 南吉↓
http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/card637.html
本当に、お母さん狐が言ってるように、人間はいいものかしらね~。子狐が初めての買物でたまたまいい人に出会いそう思って、又、人間に近づいたとき・・・その時も無事でいられるだろうか?。今、毎日のように報道されているいじめの問題や親殺し子殺しの問題を狐の親子が聞いたら気絶してしまうだろうね。温かい毛糸の手袋がよく似合う社会になって欲しいものだ。さしずめ、今の世の中に似合う手袋と言えば黒く光るレザーの手袋だろうかね~?
(画像はAmazon.co.jp: 「手袋を買いに」本:著者名: 新美 南吉、 黒井 健 )
参考:
日本手袋工業組合
http://www.tebukurokumiai.jp/
手袋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E8%A2%8B
ツタンカーメン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3
こだまの唄
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/kodama.html
日本手袋工業組合が1981(昭和56)年に制定。これから手袋が必要になる季節に向けて、祝日の勤労感謝の日を記念日にしたそうだ。
手袋は、手を覆う衣服。英語の glove は、中世イギリスで使われていた古英語の glof から来ている。指1本ずつ覆うようにできているものを手袋と呼び、親指を除く指をまとめて覆うようにできているものをミトンと呼ぶ。また、指が露出するようにできているフィンガーレスグローブもある。手袋の素材には多くの素材が使われており、布、毛糸、フェルト、革、ゴムなど、いろいろな素材で作られている。手袋の中には、手首までではなく肘近くまで保護するものもあり、これらをガントレットと呼んで区別している。
この手袋の歴史は古く、少なくとも古代ギリシア時代に遡るそうで、ホメロスの『オデュッセイア』の中や紀元前440年に書かれたヘロドトスの著書『歴史』の中にも手袋のことが記述されているそうだ。又、エジプトのツタンカーメン王の墓からは麻製の手袋が出土しているという。
13世紀ごろからヨーロッパでは女性の間でファッションとして手袋を着用するようになったようであり、これらは、リネンや絹でできており、時には肘まである手袋が広まっていた。16世紀にエリザベス1世が宝石や刺繍、レースで豪華に装飾されたものを着用した時に手袋の流行が頂点に達したという。
手袋は、世界中で生産されており、今でもフランスやカナダでは高価な女性用のブランド物手袋が作られている。近年では安い手袋の多くが東アジアで作られている。又、日本では、国内製手袋の約90%が香川県東かがわ市で作られているそうであり、このことは、以下参考の日本手袋工業組合の手袋の歴史に詳しく書かれている。
手袋の歴史 → http://www.tebukurokumiai.jp/
手袋は、冬12月の俳句の季語ともなっている。限られた五七語の音数の中での表現を可能にするために、季語は大切な役割を果たしている、この季語からさまざまな思いが呼び起こされるのは、季節感だけでなくこの季節感に絡んだ人間の感情もっ含まれているという。そうすれば、12月の寒い季節にどのような手袋が俳句を読む者に具体的なイメージを喚起させたり、様々な連想を広げたりさせるかと言えば、やはり、毛糸で編んだ、手編みの手袋、それも、お母さんが編んでくれた手袋などが一番ぴったりと来る。今の時代、お金さえ出せば、いくらでもいいものが手に入るが、やはり、お母さんが、寒い冬の日、可愛い子供のために夜なべして編んでくれた手袋・・・これ以上に温かみを感じるものはないのではないだろうか。昔そんなミトンと呼ばれる手袋を紛失を避けるために、両方から紐で繋げて、首にかけていた小さな子どもの姿が目に浮かぶ。
「かあさんが夜なべをして 手ぶくろ編んでくれた
こがらし吹いちゃ つめたかろうて せっせと編んだだよ
故郷(ふるさと)の便りはとどく いろりの匂いがした」
窪田 聡作詞・作曲の『かあさんの歌』。・ダーク・ダックス、倍賞千恵子、 芹洋子 他多くの歌手が歌っている。
二木紘三のWebサイト『かあさんの歌』↓
http://www.duarbo.jp/versoj/v-folksong/kaasannouta.htm
歌詞の冒頭の「かあさんが夜なべをして」の部分、原詩では、「かあさんは夜なべをして」らしい。作詞者の窪田聡さんは、高校卒業の時、進路をめぐって母親と対立したことから、家を飛び出したそうだ。しかし、お母さんは息子の身を案じて行方を捜しだし、衣類や、食べ物、ビタミン剤を送ってくれたという。そうした中から生まれた歌が、この、かあさんの歌だそうである。本当に気持ちがあったかくなる歌である。
昭和30年代、ちょうど、私が、大阪の会社に働き始めた頃、歌声喫茶と言うのが流行り始めた。私の勤めていた会社のすぐ近くのビルの何階だったか忘れたが、歌声喫茶があったので、よく、歌の好きな仲間と一緒に、出かけたものだ。そこへ行くと歌の詩を書いた小さな冊子をくれた。リーダーの司会で、生演奏にのって、皆で合唱するのである。最近又はやりだしたようではあるが、今流行のカラオケバーで歌っているカラオケなどよりは、ずっと、健康的であり、知らないもの同士であっても歌の好きなもの同士がともに合唱する楽しさは格別であった。その頃、よく歌われた歌の中でも『かあさんの歌』はトップクラスではなかったか・・・。他には、ロシア民謡が多かった。兎に角、綺麗な曲か明るい曲が好まれて歌われていたよな~。
あたたかい手袋の話と言えば、新美南吉の童話「手袋を買いに」がある。冷たい雪で牡丹色になった子狐の手を見て、母狐は手袋を買ってやろうと思い、母狐は子狐の片手を人の手にかえ、銅貨をにぎらせ、「人間は相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴まえて檻の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐いものなんだよ」だから、かならず人間の手のほうをさしだすんだよと、よくよく言いふくめて町へ送り出した。はたして子狐は、無事、手袋を買うことができただろうか?
子狐は帰ってきて母狐に言いました。「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。新美 南吉が描こうとした親子の愛情や善意、信頼といったものが行動的な子狐の体温とともに伝わってくるこの童話は青空文庫でも読めるよ。
図書カード:「手袋を買いに」著者名: 新美 南吉↓
http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/card637.html
本当に、お母さん狐が言ってるように、人間はいいものかしらね~。子狐が初めての買物でたまたまいい人に出会いそう思って、又、人間に近づいたとき・・・その時も無事でいられるだろうか?。今、毎日のように報道されているいじめの問題や親殺し子殺しの問題を狐の親子が聞いたら気絶してしまうだろうね。温かい毛糸の手袋がよく似合う社会になって欲しいものだ。さしずめ、今の世の中に似合う手袋と言えば黒く光るレザーの手袋だろうかね~?
(画像はAmazon.co.jp: 「手袋を買いに」本:著者名: 新美 南吉、 黒井 健 )
参考:
日本手袋工業組合
http://www.tebukurokumiai.jp/
手袋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E8%A2%8B
ツタンカーメン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3
こだまの唄
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/kodama.html
小さい時、お袋が編んでくれた手袋は紺色のミトンで右と左が紐で繫がっていました。そして甲の部分に白でYとSが重なり合った刺繍がしてありました。懐かしいです。
懐かしいといえば歌声喫茶も懐かしいですね。同じ一般教養寮に居た男声合唱団に入っている奴がアルバイトでリーダーをしていましたので、よく行きました。歌詞を印刷した小さな本も沢山持っていましたが、みんなどこかへ行ってしまいました。確かにロシア民謡が多かったですね。演歌、軍歌はなかったですね。