今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ボタンの日

2006-11-22 | 記念日
今日(11月22日)は、「ボタンの日」
日本釦協会 によると、1870(明治3)年の今日(11月22日)、太政官布告によってヨーロッパスタイルのネイビールックが日本海軍の制服に採用され、前面に2行各9個、後面に2行各3個の金地桜花のボタンをつけることが決められた。このことから、この日を記念して、日本のボタン業界が1987(昭和62)年に11月22日を「ボタンの日」と定めたそうだ。
また、ボタンの漢字である「釦」の文字は、太政官布告の際にボタンの文字がなく、当時の兵部大輔、大村益次郎(1824~1869)が服の口に金属製品を入れて紐の代用にする意味から「紐釦」と書き、これをボタンと読ませることを採用したのが始まりともいわれるそうだ。
何でも日本製の漢字(国字)、「釦」の発案者は当時の兵部大輔であった、大村益次郎だとか。ボタン(釦)は、 衣服についているもので、しめるためのもの、もしくは布を固定するためのもの。多くは装飾を兼ねる。 また、「飾りボタン」として装飾目的のみ、あるいは「止め具」として鞄や袋の口を閉じることにも使われる。西洋では狩猟文化の影響で動物の骨を利用して留め具を作る方式が生まれ、これがボタンに発展したといわれている。最初は紐で引っ掛けて固定したが、のちに南仏でボタンホールが考案され、布と布を直接固定できるようになった。 十字軍によって、イスラム社会から西欧社会に伝わったという。
以下参考の「ボタンの博物館 」で、ボタンの語源を見ると、”ボタン「button」の語源について定説はないが、古代ゲルマン語の「button」と古代ラテン語の「bottanei」がその出所とされており、ポルトガル語の「botao」から転訛したものだろうという。言葉の意味は“花の蕾”。日本で「ボタン」という名が用いられたのは、江戸時代中期だそうで、故実家伊勢貞丈(江戸時代中期の幕臣)の「安斎随筆(あんさいずいひつ )」に“和蘭国にてはコノブと言ふ、ポルトガル国にてはブタンと言ふ、それを言ひたがえて日本にてボタンと言ふなり”と記されている”そうだ。
明治政府は、これからは洋服の時代と考え、海軍の制服に実用的な洋服を取り入れ、イギリス海軍の制服を参考にして金地桜花のボタンのたくさん付いた制服を定めた。なお陸軍の制服は明治4年にフランス陸軍の制服を参考に定められたそうだ。
欧米では家族の思い出の服を処分する時にボタンをはずして残す習慣があったという。
そういえば、日本でも、卒業シーズンになると、男子の制服の心臓に一番近いボタン(多くの場合は第二ボタン)を好きな女の子に渡すといったことが流行っていた事があるが、今でもやっているのだろうか・・・。
何でもこのような風習は、中島みゆきが書いた詩を、柏原芳恵が歌った「春なのに」(1983=昭和58年)という歌の歌詞がルーツと言われている。
「卒業だけが 理由でしょうか
 会えなくなるねと 右手を出して 
  さみしくなるよ それだけですか・・・・中略
   記念にください ボタンをひとつ 青い空に 捨てます・・・以下略。」
『春なのに』作曲:中島 みゆき、歌:柏原芳恵 ↓
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/haru_nanoni.htm
何でも、詰襟の学生服にはボタンが5つ付いているが、その一番上のボタンは自分が記念に持っておき、二番目は一番大切な人へ、三番目は友人へ、四番目は家族へ、五番目はナゾ?…とそれぞれ意味を持っているそうだ。だから、この歌でも、女に子が貰うのは2番目のボタンだろう。
私のような無粋な男にはよく分からないが、卒業を迎えた彼と女の子の気持ちには、相互の思いに微妙な違いがあるようだ。彼女は、彼の第二ボタンを貰っておいて、大事においておこうと言うのではなく、捨ててしまおうというのだ。なんとなく切ない感じだね~。
「若い血潮の予科練の  
 七つ釦(ぼたん)は桜に錨  
  今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ
   でかい希望の雲が湧く ・・・・」
『若鷲の歌』作詞:西条 八十 、作曲:古関 裕而  ↓
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/JASRAC/wakawashi.html
若鷲の歌でも歌われている「桜に錨」をデザインした七つ釦の制服は、元は海軍予科練の制服であった。1942年(昭和17)年10月甲種飛行予科練習生の募集が海軍省から告示された。そして、予科練の制服は、ジョンベラ(水兵服)と呼ばれるものから海軍兵学校に準じた「七つ釦」の新しい形の制服に改めて、志願者の拡大を図った。ミッドウエー海戦や、ソロモン群島方面での航空戦で、虎の子の飛行機搭乗員を大量に喪失した海軍は、これを急速に充足する必要に迫られたからである。そのため、年齢の制限も1歳切り下げ入隊時満15歳とした。
戦時中。日本の若者がもう二度と帰ってくることができないかもしれない戦地へ向かう前に一番大切な、想いを寄せている女性に、形見として軍服の第2ボタンを贈っていたという話もある。卒業の日に、一番大切な人に第二ボタンを送る風習は、すでにこの頃に出来ていたのではないか。若い兵隊が、生きて返れる保証もない戦地へ大切な人と別れて赴かねばならなかった彼らの心境は如何ばかりのものであったのだろうか。同じ第二のボタンを渡しての別れであっても、ただ、同じ学校で学生生活をともにした女の子への別れとは大分違うよね。
(画像はDVD,映画「決戦の大空へ」太平洋戦争時、当時不足していた航空兵を補うため、PR用に製作されたプロパガンダ映画。土浦海軍航空隊の予科練習生たちの姿を描く。)
参考:
日本釦協会
http://www.jah.ne.jp/~jbutton/
ボタン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3
十字軍 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%AD%97%E8%BB%8D
大村益次郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E7%9B%8A%E6%AC%A1%E9%83%8E
ボタンの博物館
http://www.iris.co.jp/
伊勢貞丈 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E8%B2%9E%E4%B8%88
軍服 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E6%9C%8D
予科練甲飛12期 鹿児島空
http://www.warbirds.jp/senri/12-3/01kagosima/sygan.html
海軍飛行予科練習生 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E7%A7%91%E7%B7%B4



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