今日(8月5日)は「ハンコの日」
「は(8)んこ(5)」の語呂合せで、山梨県甲府市の印判総合商社・モテギ株式会社が制定したそうな。このハンコ=印章の発祥は、紀元前4000年頃、メソポタミア文明の時代とされている。古代メソポタミアでは、今の日本にまさるとも劣らぬハンコ社会だったそうだが、それは、中世ヨーロッパ時代、国王や諸侯たちの中には読み書きのできない者が少なからずあり、そのためハンコが使用されていた。しかし、その後、教育の普及にともないサインの習慣が定着し、欧米社会ではハンコは消滅したそうだ。
その後シルクロードを経て、紀元前1400年、殷の時代に中国に伝わったとの記録があり、日本では、1784(天明4)年に筑前国《現在の福岡(ふくおか)》志賀島(しかのしま)で、「漢倭奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻印された金印が出土したが、これは、中国の王朝から日本に贈られたもので、これがわが国最古の印章とされている。日本の文献に初めて登場する印鑑は、持統天皇6年に、天皇に木製の印を献上したという史実が「日本書紀」に記されており、祭礼に用いた神具であったようだ。
そういえば、日本では、戦国時代などに、よく「花押」と言うものを使ってたね~。この、「花押」とは、署名の下に書き加える書版で、草書体文字を組み合わせて形様化したものだが、日本の政治家なども使ってるよね~。
現代一般の庶民は、花押なんか使わないので、印鑑を使っているが、これは何時頃から始まったかと言うと、明治新政府が太政官布告で「署名と実印を押す制度」を定めた1873(明治6)年10月1日からだそうである。それ以来、「証書の姓名欄には本人が自書し、実印を押すこと。自分で名前を記すことが無理な場合は他人に書かせてもいいが、実印は必ず押さなければならない」ことになったとか。それで、印章業界では、この10月1日を「印章の日」と定めているそうだ。
しかし、欧米社会などでは、教育の普及に伴い、サインが普及し、ハンコは消滅していったというのに、日本には、厳然と明治時代に作られた法律が生きており、何処でもハンコがないとダメなのである。そして、重要な証書類以外では、普段、そのハンコも、三文判と言われる何処にでも売っているハンコが使われたりしているが、このハンコを押すことが何の役に立っているのか?、私には、よく分からない。私は、以前ある調査で、ある東北地方のあるところの書類を調べに言ったことがある。すると、殆どの書類に「佐藤」さんの三文判が押印している。調べてみると、その地域には佐藤姓の人が非常に多く、私が調査した部署の4人の人の中3人が佐藤さんなのである。だから、書類を見ると、佐藤さんが発行した書類に上司の佐藤さんが検印をしているが、3人の使っている印鑑は、どれもシャチハタの同じ三文判なのである。だから、部下の書いた書類をちゃんと上司が点検したものかどうかも分からない。私はあきれ返っった記憶があるが、同じようなことは、色んなところで見られるのではないだろうかね~。よく郵便局の小包や宅急便などでも受け取り印をくださいといって三文判を押印している。そんな三文判が受け取り印として通用することでよく事故も起こらないものだと感心している。少なくとも私は、仕事上には三文判は使わなかったが、こんな三文判をハンコと認めて何時までも証明代わりに使っているのは、日本人が中世ヨーロッパ時代の人と同じレベルだからと思っているからかな~・・・?
(画像は福岡市博物館に常設展示されている「金印」。参考の福岡市博物館公式HPより借用)
参考:
『印鑑の長~い歴史』
http://www.rakuten.ne.jp/gold/best-hanko/rekisi/reki.htm
『はんこ歴史館』
http://abc-hanko.jp/history/index.html
『歴史の文字 記載・活字・活版』
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1996Moji/index.html
福岡市博物館公式HP
「は(8)んこ(5)」の語呂合せで、山梨県甲府市の印判総合商社・モテギ株式会社が制定したそうな。このハンコ=印章の発祥は、紀元前4000年頃、メソポタミア文明の時代とされている。古代メソポタミアでは、今の日本にまさるとも劣らぬハンコ社会だったそうだが、それは、中世ヨーロッパ時代、国王や諸侯たちの中には読み書きのできない者が少なからずあり、そのためハンコが使用されていた。しかし、その後、教育の普及にともないサインの習慣が定着し、欧米社会ではハンコは消滅したそうだ。
その後シルクロードを経て、紀元前1400年、殷の時代に中国に伝わったとの記録があり、日本では、1784(天明4)年に筑前国《現在の福岡(ふくおか)》志賀島(しかのしま)で、「漢倭奴国王(かんのわのなのこくおう)」と刻印された金印が出土したが、これは、中国の王朝から日本に贈られたもので、これがわが国最古の印章とされている。日本の文献に初めて登場する印鑑は、持統天皇6年に、天皇に木製の印を献上したという史実が「日本書紀」に記されており、祭礼に用いた神具であったようだ。
そういえば、日本では、戦国時代などに、よく「花押」と言うものを使ってたね~。この、「花押」とは、署名の下に書き加える書版で、草書体文字を組み合わせて形様化したものだが、日本の政治家なども使ってるよね~。
現代一般の庶民は、花押なんか使わないので、印鑑を使っているが、これは何時頃から始まったかと言うと、明治新政府が太政官布告で「署名と実印を押す制度」を定めた1873(明治6)年10月1日からだそうである。それ以来、「証書の姓名欄には本人が自書し、実印を押すこと。自分で名前を記すことが無理な場合は他人に書かせてもいいが、実印は必ず押さなければならない」ことになったとか。それで、印章業界では、この10月1日を「印章の日」と定めているそうだ。
しかし、欧米社会などでは、教育の普及に伴い、サインが普及し、ハンコは消滅していったというのに、日本には、厳然と明治時代に作られた法律が生きており、何処でもハンコがないとダメなのである。そして、重要な証書類以外では、普段、そのハンコも、三文判と言われる何処にでも売っているハンコが使われたりしているが、このハンコを押すことが何の役に立っているのか?、私には、よく分からない。私は、以前ある調査で、ある東北地方のあるところの書類を調べに言ったことがある。すると、殆どの書類に「佐藤」さんの三文判が押印している。調べてみると、その地域には佐藤姓の人が非常に多く、私が調査した部署の4人の人の中3人が佐藤さんなのである。だから、書類を見ると、佐藤さんが発行した書類に上司の佐藤さんが検印をしているが、3人の使っている印鑑は、どれもシャチハタの同じ三文判なのである。だから、部下の書いた書類をちゃんと上司が点検したものかどうかも分からない。私はあきれ返っった記憶があるが、同じようなことは、色んなところで見られるのではないだろうかね~。よく郵便局の小包や宅急便などでも受け取り印をくださいといって三文判を押印している。そんな三文判が受け取り印として通用することでよく事故も起こらないものだと感心している。少なくとも私は、仕事上には三文判は使わなかったが、こんな三文判をハンコと認めて何時までも証明代わりに使っているのは、日本人が中世ヨーロッパ時代の人と同じレベルだからと思っているからかな~・・・?
(画像は福岡市博物館に常設展示されている「金印」。参考の福岡市博物館公式HPより借用)
参考:
『印鑑の長~い歴史』
http://www.rakuten.ne.jp/gold/best-hanko/rekisi/reki.htm
『はんこ歴史館』
http://abc-hanko.jp/history/index.html
『歴史の文字 記載・活字・活版』
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1996Moji/index.html
福岡市博物館公式HP
仰るとおりですね。ハンコの意味はあまりありませんね。幾らでも偽造できますしね。
契約書なんかで捨印と言うのを押さされることがありますが、あれは何の意味があるのでしょう?一度捺さずにいたら後からまた捺してくれと言って来ました。