今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

広島平和記念日,広島原爆忌

2005-08-06 | 記念日
今日(8月6日)は、「広島平和記念日,広島原爆忌」でもある。
1945(昭和20)年8月6日、午前8時15分、米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」号が、広島市上空で世界初の原子爆弾「リトルボーイ」を投下した。重さ4トンもあるその爆弾は、地上1500メートルのところで爆発、強烈な閃光に続いて火の玉の熱風と放射線が地上を襲った。これによって市街は壊滅し、約14万人の死者を出し、その後、原爆症等で亡くなった人を含めると、犠牲者は25万人以上に登るという。この広島の「リトルボーイ」はウラニューム爆弾だったが、3日後の9日、プルトニューム爆弾「ファットマン」が長崎市に落とされ、同じく数万人の死者を出している。核分裂が発見されて、3年後の1942年、アメリカは原爆製造のためのマンハッタン計画を開始しているが、この計画推進を急いだのは、ドイツが、自分達より先んじるのではないかという恐怖から、アメリカに亡命してきた科学者、レオ・シラードたちが、アインシュタインを通じてルーズベルト大統領に原爆の製造を働きかけたからである。しかし、ドイツが降伏後進行し発見されたものは、まだ臨海にも達していない基礎的な原子炉だけだったようであり、ドイツが、原爆の製造が出来ていないのは、その中心人物である物理学者ブエルナー・ハイゼンベルグの言うようにドイツの科学者達のヒトラー総統に対するサボタージュだったのではないかと論議を呼んでいるともいう。日本でも、理化学研究所の仁科研究室が原爆研究の命令を受けていたが、ウラン濃縮法を研究している段階で敗戦を迎えたといわれている。恐れていたドイツが降伏したため、原爆の投下目標は何時までも、降伏せずに戦争を続けている日本にむけられるにようになった。又、この原爆投下は、フランクリン・ルーズベルトの急死で大統領となった、トルーマン大統領が、ソ連の日本進撃を恐れ、対日終戦を早めるためにニューメキシコ州アラモゴールドでの実験成功の僅か3週間後に投下を決めたという。昨日毎日TVで戦後60年特別企画”ヒロシマ”あのとき原爆投下は止められた・・をテーマーに放送をしていたが、それを見ていて泣けた。その中で印象的であったのは、アメリカの専門家の間でも、日本への原爆投下をためらう動きもあり、最初に、原爆製造を進言したレオ・シラードは、今度は日本への原爆使用に反対する請願書をつくった。68名もの科学者の署名を得たこの請願書がワシントンに送られたが、効果はなかったという。シラードは、米国の日本への原爆の投下によって、今度は、米国がドイツに変わって、核をもつ脅威の国となり、世界中の国から恐れられる国となることを恐れていたという。しかし、その後の事態は、シラードの予測通りに進んだ。このアメリカの日本への原爆投下を知ったソ連は、原爆開発を急ぎ1949年に原爆実験に成功、それを追って、1952年イギリス、1960年フランス、1964中国と核保有国は増え、その後、1970年の核不拡散条約や国連総会での採択された包括的核実験禁止条約により、5大国のみの核保有としその他の国の核保有を禁止したものの、その後、対立しているインドやパキスタンといった国などが核実験を行い、核の拡散により地域紛争などでも使われる危険性が出てきている。
今、世界一の軍事大国の米国によるイラク攻撃などから、力による支配力とそれに協力する国に対して、世界のあちこちで、テロが続発している。そして、核拡散防止の大きな声とは裏腹に、北朝鮮のような危険な国までもが「核兵器」を保有しているのが実情である。そのため、今、日本では、核に対しては核を持つことが抑止力につながるとの考え方も増えてきている。8月6日の今日、原爆を投下された広島市では原爆慰霊祭が行われ、世界平和を祈念するアピールが宣言され、燈籠流しが行われる。
このような時代の流れを認識し、改めて平和の有り方を見直さなくてはならないと思う。被爆から60年、今こそ、唯一被爆の経験をもつ日本から、核兵器のない平和な世界を確立するための有効な提案をしていくことができるだろうか。
そういえば、もう亡くなられて、今年で17年目を迎えた美空ひばりさん。昭和歌謡史にとてつもなく大きな足跡を残した昭和を代表するスーパースターであるが、彼女自身が、体験に根ざした反戦歌として、生涯大切にした歌に、「一本の鉛筆」(松山善三作詞・佐藤勝作曲)がある。

あなたに 聞いてもらいたい
あなたに 読んでもらいたい
あなたに 歌ってもらいたい
あなたに 信じてもらいたい


              一本の鉛筆が あれば
              私はあなたへの 愛を書く
              一本の鉛筆があれば
              戦争はいやだと 私は書く

この歌は、1974(昭和49)年、第一回広島平和音楽祭にて、歌われた。原爆の悲惨さと戦争の愚かさを感じさせるとともに、自分にできる戦争を否定するすべを教えてくれている。数ある中でも、私の大好きな歌の一つである。
この素敵な歌を、皆さんも歌ってみませんか。歌詞付きの曲が以下にあります。
一本の鉛筆

(画像は原爆ドーム)
参考:
平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1111661498299/index.htmlヒロシマ・ピース・サイト
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/peacesite/
広島原爆写真館 -平和都市 ヒロシマの願い
http://www.nvccom.co.jp/abomb/
平和や原爆についての詩・絵画・歌など
http://kids.s24.xrea.com/heiwa/uta/
広島に落とされた原子爆弾について調べよう2
http://kids.s24.xrea.com/heiwa/index2.htm
原水禁運動の歴史と教訓
http://www.gensuikin.org/data/rekisikyoukun.html
うたごえサークルおけら
http://bunbun.boo.jp/index.htm


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2 コメント

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原爆 (Linda)
2005-08-06 09:43:11
よーさん、お早うさんです。

若い頃、広島の記念式典に参列しました。平和公園のに並べられた椅子に座って空を見上げますと真っ青な空にギラギラと輝く太陽、周りの木々からジージーと鳴くセミ、投下された日もこんな状態だったのだろうと思うと、僕の関係者には被爆者は居ませんが涙が溢れました。絶対に戦争はしたらアカンと再認識しました。

アメリカでは一般の非戦闘員の大量殺戮である原爆投下を正当化する教育をしているそうですね。これに対して何の抗議もできない政府には呆れてしまいます。

心あるアメリカ人が真実を言おうとしても9.11以来、言えない雰囲気があるそうです。戦争反対を唱えようものなら非国民扱いされるそうです。アメリカが戦前の日本の様になって来ているのかもしれませんね。
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アメリカ (よーさん)
2005-08-06 17:45:48
Lindaさんの言われるとおり、9.11以来のアメリカは変ってきましたね。もう、自分の国を守ることだけで、四苦八苦し始めたのではないですか。最近は、自分の国のエゴだけで行動しているように感じられます。
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