大手制服メーカー「トンボ」(岡山市)が、社内に設けている「ユニホームミュージアム」の内容を充実させようと、大正時代に洋装制服を採用した女子高から記念誌などを集めて調査・分析した結果セーラー服を学校の制服に日本で初めて採用したのは、これまでの通説だった福岡女学院(福岡市南区)より、1年早い、1920(大正9)年の平安女学院(京都市上京区)と見られることがわかったそうで、その当時の制服の複製が、2007(平成19)年の今日・10月6日、横浜マリンタイムミュージアム(横浜市西区)の企画展で披露されたことが報じられたのが同年10月6日付け朝日新聞夕刊であり、その時掲載されていた写真が、冒頭の画像である。向かって、左が、平安女学院が1920(大正9)年に採用したというセーラー服。右が当時のセーラー服の複製である(いずれも平安女学院提供のもの)。
平安女学院では、1875(明治8)年の創立当初、袴主体の和装だったが、平安高等女学校時代の1920(大正9)年11月にセーラー服を採用したそうだ。胸にリボンがついており、白い襟が目立つ。入学希望者が理由に挙げるほど好評だったという。現在は中学校がセーラー服、高校はブレザーにスカウトの制服だそうだ。色は紺のようだが濃いさはわかっていないという(朝日新聞)。これまで1921(大正10)年12月に採用し「元祖」とされていた福岡女学院京都に代って平安女学院がセーラー服の学生服の「元祖」となったわけだが、このことにより、2番手となった福岡女学院が約1年後、独自に導入したのは、ワンピーススタイルではなく濃紺の上着とスカートの組み合わせ(上下セパレート型)であり、より現在のセーラー服に近いといえる。
両校共にキリスト教系のミッションスクール(Yahoo!百科事典参照)であり当時、エリート層の中でも進歩的な動きをしていたミッション系の学校が体格や見栄えをよくしたいと、洋服を採用したのではないかと「トンボ」のユニフォーム研究所の広報担当はいっている。
現在のような独特のセーラー(Salor=水兵)カラー(襟)のある制服は、1857(安政3~4)年にイギリス海軍が制定した軍服(甲板衣)が最初とされている。当時のイギリス海軍は世界の中でも最も進んだ海軍であったため、それを、参考に各国が海軍を作り、制服もイギリスのものに習って採用したという。セーラー服の胸元が大きく開いて逆三角形になっているのは、海に落ちた時にすぐ服を破り、泳ぎやすくするためといわれている。装飾として胸元にネクタイ(蝶結び)をしているものがあるが、これも起源は水兵が手ぬぐい代わりに使うためのものとされている。イギリスではその後、このセーラー服が海軍幼年学校の制服に採用されたことから、海軍好きのイギリスの国民性から、子供服として流行するようなり、19世紀後半には、子供服としてポピュラーなものになり、男の子は水兵と同じようにズボン、女の子はスカート姿が定着したようだ。その独特で、かわいいスタイルを、ヨーロッパ各国の多くの学校で女生徒はセーラー服として採用するようになった。ただ、その初期のスカートは当時の婦人服同様に、細く長く、くるぶしあたりまであった。冒頭の平安女学院の制服を見ても長いのが判る。そして、20世紀に入り、自転車が発明され、ビーチ遊びやテニス、クリケットなどのスポーツが先進的な女性に広まった時期、スポーティで、しかも海のイメージがある独特のデザインはヨーロッパ各国やアメリカで女性のファッションとして流行した。
日本でのセーラー服の始まりも、日本海軍(大日本帝国海軍)だ。
王政復古により成立した明治政府が、江戸幕府の海軍操練所や海軍伝習所などの機関を継承し、幕府や諸藩や海援隊の人員や装備を整理・編成したのを基礎に、1870(明治3)年陸海軍を分離し、1872(明治5)年に海軍省を東京築地に設置したのに始まる。このとき、セーラー服が日本海軍の水兵の制服として採用された。この時、日本海軍がセーラー服を採用したのも、当時の大日本帝国海軍はイギリス海軍の影響を受けており、それをモデルにしたからだろう。現在でも海上自衛隊において、男性の海士(海上自衛隊における下級の階級名)の制服として用いられている。男性の幹部(士官)、海曹(下士官)はダブルのスーツ、または詰襟が制服であり、女性自衛官はダブルのスーツまたはシングルのスーツが制服である。
制服メーカー「トンボ」のHPにも書いてあるように、“セーラー服をどう定義するか”・・・で、いろいろ解釈が異なってくるが、最も早く洋服を導入したのは平安女学院(京都)と言うことになったものの、同学院のものは、冒頭画像に見られるように、セーラー襟の付いた濃色のワンピース型であった。現在一般的にセーラー服と呼ばれている上下セパレート型でリボンのついた洋服を採用し、しかも、それをそのまま継続している学校という点では、福岡女学院が最初のようだ。福岡女学院のセーラー服は、1920(大正9)年頃父母や生徒から、体操服や運動に和服・袴では不便で経費がかかるという声もあり、当時の校長エリザベス・リーが、活動しやすい体操服を作るべく、欧米各国の服装を調査し、制作されたもので、セーラー服のスカートのプリーツは動きやすさを研究した結果、まずは運動着として使用され、その後、1921(大正10)年に制服として採用された。・・・と同行HP(以下参考の※:学校法人福岡女学院 福岡女学院中学校・高等学校※学院案内「制服・校章」参照)にはあり、そういう点では、実際に、セーラー服の元祖がどちらが先かはよく判らない。
1. 幼なじみの思いでは 青いレモンの味がする
閉じるまぶたのその裏に 幼い姿の君と僕
(2、3略)
4. にきびの中に顔がある 毎朝鏡とにらめっこ
セーラー服がよく似合う 君が他人に見えたっけ
(5以降省略)
「幼なじみ」作詞:永六輔、作曲:中村八大
1963 (昭和38)年のNHK・TV番組「夢であいましょう」の中でデューク・エイセスが歌い、翌年にレコード発売された。以下で歌詞並びに試聴が出来る。
Japan/listen「おさななじみ の歌詞」試聴可 http://listen.jp/store/artword_1106943_30300.htm
この歌は、幼稚園から結婚、そして彼らの子供の幼稚園入学までと、幼なじみの成長していくようすを永六輔が節目節目をピックアップして上手く描いているが、その中で、昔はよく一緒に遊んだ幼なじみがセーラー服の似合う年頃になって、ドキドキしてしまう場面が登場する。
日本で、セーラー服が全国に広まった背景には、男子学生が陸軍の軍服に強く影響された詰襟の学生服を採用していたため「それならば女子には海軍の軍服を」という理由があったとも言われているようだ。そういったことから、セーラー服といえば、女生徒の学校制服を意味するほど、セーラー服は女子学生の学校生活に溶け込み、日本の風景にもなじんでおり、今なお中学校では半数以上、高校でも2割強で採用されているほどの長寿アイテムだそうであるが、セーラー服をこのように多数が着用し愛用している国は今では、世界を見渡しても日本以外に見当たらないのだという。
しかし、今でも、セーラー服を大学以上のものが着ることはなくなり、セーラー服を着ているといえば、イメージ的には思春期の中学・高校の女子生徒を連想する。そういえば、私などセーラー服と言えば、赤川次郎の小説を映画化した同名の『セーラー服と機関銃』
を思い出す。遠い血縁関係にあるヤクザの親分が死んで跡目を継ぐことになった主演の女高生(薬師丸ひろ子)が4人の子分と、対立する組織に戦いを挑む。主演の薬師丸が機関銃を撃ちまくり「カ・イ・カ・ン!」とつぶやく有名な場面が有名だが、この映画、当時東京都立八潮高等学校2年生の薬師丸の夏期休暇に合わせて、東京・新宿周辺でのロケを主体に撮影されたというが、彼女が出演時に着用していたセーラー服は同行の制服だったそうだ。しかし、この時の彼女本当にセーラー服がよく似合い可愛かったな~。
しかし、そんな、セーラー服は、思春期世代の少女のイメージが非常に強いことから、中にはセーラー服というと猥褻(わいせつ)なことを連想するものも多いようで、そんな人を対象に着古したブルセラなるものが販売されたりしてもいるようだ。気持ち悪い。いやだね~。
(画像は、平安学院のセーラー服。朝日新聞掲載写真より)
参考:
セーラー服 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%9C%8D
トンボ学生服
http://www.tombow.gr.jp/
セーラー服の歴史|ユニフォームミュージアム|株式会社トンボ
http://www.tombow.gr.jp/uniform_museum/nihon/sailor_rekishi.html
神戸海軍操練所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E6%93%8D%E7%B7%B4%E6%89%80
※:学校法人福岡女学院 福岡女学院中学校・高等学校
http://www.fukujo.ac.jp/js/intro/index.html
平安女学院・制服の歴史について
http://www.heian.ac.jp/head/about/uniform.php
日本丸、メモリアルパーク
http://www.nippon-maru.or.jp/index.html
青春とセーラー服の文化社会論
http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/mimisuma/mimilink15.htm
永 六輔- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%85%AD%E8%BC%94
おさななじみ
http://kii1.hp.infoseek.co.jp/ukon10-2.htm
思春期 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F
セーラー服と機関銃 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%9C%8D%E3%81%A8%E6%A9%9F%E9%96%A2%E9%8A%83
セーラー服と機関銃 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17130/index.html
横浜みなと博物館 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0
平安女学院では、1875(明治8)年の創立当初、袴主体の和装だったが、平安高等女学校時代の1920(大正9)年11月にセーラー服を採用したそうだ。胸にリボンがついており、白い襟が目立つ。入学希望者が理由に挙げるほど好評だったという。現在は中学校がセーラー服、高校はブレザーにスカウトの制服だそうだ。色は紺のようだが濃いさはわかっていないという(朝日新聞)。これまで1921(大正10)年12月に採用し「元祖」とされていた福岡女学院京都に代って平安女学院がセーラー服の学生服の「元祖」となったわけだが、このことにより、2番手となった福岡女学院が約1年後、独自に導入したのは、ワンピーススタイルではなく濃紺の上着とスカートの組み合わせ(上下セパレート型)であり、より現在のセーラー服に近いといえる。
両校共にキリスト教系のミッションスクール(Yahoo!百科事典参照)であり当時、エリート層の中でも進歩的な動きをしていたミッション系の学校が体格や見栄えをよくしたいと、洋服を採用したのではないかと「トンボ」のユニフォーム研究所の広報担当はいっている。
現在のような独特のセーラー(Salor=水兵)カラー(襟)のある制服は、1857(安政3~4)年にイギリス海軍が制定した軍服(甲板衣)が最初とされている。当時のイギリス海軍は世界の中でも最も進んだ海軍であったため、それを、参考に各国が海軍を作り、制服もイギリスのものに習って採用したという。セーラー服の胸元が大きく開いて逆三角形になっているのは、海に落ちた時にすぐ服を破り、泳ぎやすくするためといわれている。装飾として胸元にネクタイ(蝶結び)をしているものがあるが、これも起源は水兵が手ぬぐい代わりに使うためのものとされている。イギリスではその後、このセーラー服が海軍幼年学校の制服に採用されたことから、海軍好きのイギリスの国民性から、子供服として流行するようなり、19世紀後半には、子供服としてポピュラーなものになり、男の子は水兵と同じようにズボン、女の子はスカート姿が定着したようだ。その独特で、かわいいスタイルを、ヨーロッパ各国の多くの学校で女生徒はセーラー服として採用するようになった。ただ、その初期のスカートは当時の婦人服同様に、細く長く、くるぶしあたりまであった。冒頭の平安女学院の制服を見ても長いのが判る。そして、20世紀に入り、自転車が発明され、ビーチ遊びやテニス、クリケットなどのスポーツが先進的な女性に広まった時期、スポーティで、しかも海のイメージがある独特のデザインはヨーロッパ各国やアメリカで女性のファッションとして流行した。
日本でのセーラー服の始まりも、日本海軍(大日本帝国海軍)だ。
王政復古により成立した明治政府が、江戸幕府の海軍操練所や海軍伝習所などの機関を継承し、幕府や諸藩や海援隊の人員や装備を整理・編成したのを基礎に、1870(明治3)年陸海軍を分離し、1872(明治5)年に海軍省を東京築地に設置したのに始まる。このとき、セーラー服が日本海軍の水兵の制服として採用された。この時、日本海軍がセーラー服を採用したのも、当時の大日本帝国海軍はイギリス海軍の影響を受けており、それをモデルにしたからだろう。現在でも海上自衛隊において、男性の海士(海上自衛隊における下級の階級名)の制服として用いられている。男性の幹部(士官)、海曹(下士官)はダブルのスーツ、または詰襟が制服であり、女性自衛官はダブルのスーツまたはシングルのスーツが制服である。
制服メーカー「トンボ」のHPにも書いてあるように、“セーラー服をどう定義するか”・・・で、いろいろ解釈が異なってくるが、最も早く洋服を導入したのは平安女学院(京都)と言うことになったものの、同学院のものは、冒頭画像に見られるように、セーラー襟の付いた濃色のワンピース型であった。現在一般的にセーラー服と呼ばれている上下セパレート型でリボンのついた洋服を採用し、しかも、それをそのまま継続している学校という点では、福岡女学院が最初のようだ。福岡女学院のセーラー服は、1920(大正9)年頃父母や生徒から、体操服や運動に和服・袴では不便で経費がかかるという声もあり、当時の校長エリザベス・リーが、活動しやすい体操服を作るべく、欧米各国の服装を調査し、制作されたもので、セーラー服のスカートのプリーツは動きやすさを研究した結果、まずは運動着として使用され、その後、1921(大正10)年に制服として採用された。・・・と同行HP(以下参考の※:学校法人福岡女学院 福岡女学院中学校・高等学校※学院案内「制服・校章」参照)にはあり、そういう点では、実際に、セーラー服の元祖がどちらが先かはよく判らない。
1. 幼なじみの思いでは 青いレモンの味がする
閉じるまぶたのその裏に 幼い姿の君と僕
(2、3略)
4. にきびの中に顔がある 毎朝鏡とにらめっこ
セーラー服がよく似合う 君が他人に見えたっけ
(5以降省略)
「幼なじみ」作詞:永六輔、作曲:中村八大
1963 (昭和38)年のNHK・TV番組「夢であいましょう」の中でデューク・エイセスが歌い、翌年にレコード発売された。以下で歌詞並びに試聴が出来る。
Japan/listen「おさななじみ の歌詞」試聴可 http://listen.jp/store/artword_1106943_30300.htm
この歌は、幼稚園から結婚、そして彼らの子供の幼稚園入学までと、幼なじみの成長していくようすを永六輔が節目節目をピックアップして上手く描いているが、その中で、昔はよく一緒に遊んだ幼なじみがセーラー服の似合う年頃になって、ドキドキしてしまう場面が登場する。
日本で、セーラー服が全国に広まった背景には、男子学生が陸軍の軍服に強く影響された詰襟の学生服を採用していたため「それならば女子には海軍の軍服を」という理由があったとも言われているようだ。そういったことから、セーラー服といえば、女生徒の学校制服を意味するほど、セーラー服は女子学生の学校生活に溶け込み、日本の風景にもなじんでおり、今なお中学校では半数以上、高校でも2割強で採用されているほどの長寿アイテムだそうであるが、セーラー服をこのように多数が着用し愛用している国は今では、世界を見渡しても日本以外に見当たらないのだという。
しかし、今でも、セーラー服を大学以上のものが着ることはなくなり、セーラー服を着ているといえば、イメージ的には思春期の中学・高校の女子生徒を連想する。そういえば、私などセーラー服と言えば、赤川次郎の小説を映画化した同名の『セーラー服と機関銃』
を思い出す。遠い血縁関係にあるヤクザの親分が死んで跡目を継ぐことになった主演の女高生(薬師丸ひろ子)が4人の子分と、対立する組織に戦いを挑む。主演の薬師丸が機関銃を撃ちまくり「カ・イ・カ・ン!」とつぶやく有名な場面が有名だが、この映画、当時東京都立八潮高等学校2年生の薬師丸の夏期休暇に合わせて、東京・新宿周辺でのロケを主体に撮影されたというが、彼女が出演時に着用していたセーラー服は同行の制服だったそうだ。しかし、この時の彼女本当にセーラー服がよく似合い可愛かったな~。
しかし、そんな、セーラー服は、思春期世代の少女のイメージが非常に強いことから、中にはセーラー服というと猥褻(わいせつ)なことを連想するものも多いようで、そんな人を対象に着古したブルセラなるものが販売されたりしてもいるようだ。気持ち悪い。いやだね~。
(画像は、平安学院のセーラー服。朝日新聞掲載写真より)
参考:
セーラー服 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%9C%8D
トンボ学生服
http://www.tombow.gr.jp/
セーラー服の歴史|ユニフォームミュージアム|株式会社トンボ
http://www.tombow.gr.jp/uniform_museum/nihon/sailor_rekishi.html
神戸海軍操練所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E6%93%8D%E7%B7%B4%E6%89%80
※:学校法人福岡女学院 福岡女学院中学校・高等学校
http://www.fukujo.ac.jp/js/intro/index.html
平安女学院・制服の歴史について
http://www.heian.ac.jp/head/about/uniform.php
日本丸、メモリアルパーク
http://www.nippon-maru.or.jp/index.html
青春とセーラー服の文化社会論
http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/mimisuma/mimilink15.htm
永 六輔- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%85%AD%E8%BC%94
おさななじみ
http://kii1.hp.infoseek.co.jp/ukon10-2.htm
思春期 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%9D%E6%98%A5%E6%9C%9F
セーラー服と機関銃 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%9C%8D%E3%81%A8%E6%A9%9F%E9%96%A2%E9%8A%83
セーラー服と機関銃 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17130/index.html
横浜みなと博物館 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0