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連合赤軍リンチ事件で妙義山中に最初の遺体が発見された日

2006-03-07 | 歴史
1972(昭和47)年の今日(3月7日)は、 連合赤軍リンチ事件で妙義山中に最初の遺体が発見された日(25日までに14遺体発見 された)。
連合赤軍事件と言えば、先ず思い出すのが、1972年2月2月「浅間山荘事件」であろう。2月19日、連合赤軍の坂東国男、坂口弘等5人が管理人の妻牟田泰子さんを人質に、軽井沢の「浅間山荘」に立てこもり、10日間にも及んだ警察官との銃撃戦はその間中テレビで中継され人々を釘付けにした。10日目の2月29日、山荘から銃を撃ってくる中、警察官は大きな鉄球で山荘を破壊し、放水とガス弾で征圧しようとするが、2階の犯人たちは手投げ弾や銃で応戦、8時間余りの攻防のなか弾を撃ちつくした犯人5人を逮捕し、人質になっていた牟田さんも救出されたのは夕方の6時過ぎであった。当時、日本でこんな事件が起こるとは夢にも思っていなかった私たちには、まるで、外国映画を見ているような感じであった。
連合赤軍に変な言い方だが、光と闇の面があるとすれば、この「浅間山荘事件」が脚光を浴びた光の面であり、その逆の闇の面が妙技山中での出来事ではないだろうか・・・?
東大紛争を頂点とした、大学闘争敗北後の1969(昭和44)年、「武装蜂起」を狙う「赤軍派」と、「銃口から革命は生まれる」を信条に掲げたそして、京浜安保共闘が結成され、この両派が、1971(昭和46)年、9月、連合赤軍を組織して、群馬県榛名山中や妙義山などで軍事訓練を行っていた。そして、交番や銃砲店、郵便局、銀行の襲撃による武器や資金の確保を重ねていた。
浅間山荘事件が終了後の、1972年(昭和47)2月17日群馬県妙義山籠沢アジト付近で、連合赤軍最高指導者森恒夫と永田栄子が逮捕される。このとき、アジトを脱出した坂口浩、坂東邦夫等が浅間山荘に逃げ込んで起こした事件が「浅間山荘事件」であった。逮捕した幹部等の自供から、京浜共闘が脱走したメンバー2人を死の処刑にしたのをはじめ、連合赤軍のアジトでは、”総括”の名で戦闘員の反省を迫り、群馬県内の榛名山、迦葉山、妙義山などの山岳アジトを転々としていた27人のうち、男8人女4人の合計12人が次々と仲間のリンチによって処刑され、遺体は妙義山中、白沢村、倉淵村の山林に埋められていたという、衝撃的な事実が明るみに出た。リンチは非常に凄惨で、被害者らの死因は殴打による内臓破裂や、氷点下の屋外にさらされたための凍死であった。アイスピックやナイフで刺された後に絞殺された者もいる。遺体はすべて全裸で土中に埋められ、証拠隠滅が図られていた。
この事件に関しては、今度の郵政民営化に反対し、自民党からホリエモンを刺客に送られた、亀井静香氏のHP「あさま山荘事件 無念の作戦失敗」で当時、、亀井氏は警察庁警備局公安第一課課長補佐として作戦に加わっていたが、この事件では、”目の前で、内田尚孝警視庁第二機動隊長、特科車両隊の高見繁光氏の両警察官が撃ち殺され、多くの重軽傷者を出した。これは、警察のとった作戦の失敗であり、何より慚愧に堪えないのは、私の捜査が万全ならば、そもそも浅間山荘事件は起こらなかったという思いがあるからだ”と述べられている。それは、1972年(昭和47)2月17日の群馬県妙義山アジト付近で、森恒夫と永田栄子を逮捕のときに捕らえることの出来なかった坂口浩らが引き起こした事件であったからだ。この連合赤軍による”総括”と言う名のリンチ事件で、過激派集団の非人間性が露呈されて、その後、日本での武装闘争路線は一挙に支持を失っていくことになった。しかし、海外の日本赤軍は、その後もテルアビブ空港襲撃事件などの活動を続け、1975年には、「マレーシア・クアランプールのアメリカ大使館占領事件」ではアメリカ領事を人質にした。そして、その引き換えに獄中犯7人の釈放を政府に要求し、日本政府は「超法規的措置」として、出国を拒否した松浦、坂口を除いた坂東国男ら5人をクアランプールで釈放した。日本赤軍に“奪還”された坂東国男は、その後も、1977(昭和52)年8月28の「ダッカハイジャック事件(パリ発東京行日航機をハイジャック)」のグループに入っており、人質と交換に日本で拘留中の奥平純三等を9人の釈放と身代金6000万ドルを要求。このときも、日本政府は、出国を拒否した3人を除いた6人を釈放しと身代金を日航特別機でダッカ空港に送った。部隊は釈放者と合流した後、アルジェリアに向かい、アルジェリア政府に投降した。
しかし、この2つの事件では、日本赤軍の要求に応じ、服役、拘置中の赤軍幹部ら計11名を釈放し、それについて、当時の福田赳夫首相は「人の生命は地球より重い」と発言したが、日本のテロリストに対する措置は国際的批判を受けることとなった。兎に角、日本は、脅しには弱い国なのである。
(画像は、榛名山南面のリンチ遺体発掘現場。毎日ムック・戦後50年より)
参考:
連合赤軍 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E8%B5%A4%E8%BB%8D
連合赤軍と「二十歳の原点」
http://www12.ocn.ne.jp/~chi0010/
連合赤軍あさま山荘事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/rengou.htm
Mediaメディア・あさま山荘事件 無念の作戦失敗(亀井静香HP)
http://www.kamei-shizuka.net/media/2005/050501b.html
日本が生んだ國際テロ集団・日本赤軍
http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~w003034/2003homepage/sotusei11.htm

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2 コメント

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総括 (Linda)
2006-03-07 11:58:48
よーさん、お早うさんです。

連合赤軍の総括と称したリンチは酷いものでしたね。確か妊娠していた胎児まで取り出されたとか・・。人間があそこまで残酷になれるとは考えられないことです。
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命の尊さが・・・ (よーさん)
2006-03-08 08:57:26
本当にあの事件があったときには、Lindasさんの仰るようになんて残酷なとおもいました。

しかし、今や、命の尊さが軽視され、残酷なことは日常茶飯事に行われている。猟奇事件が珍しくもない世の中になってしまった。日本も情けない国になりましたね~。
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