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今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ドンク 創業者・藤井幸男忌日

2010-03-08 | 人物
3月8日の今日は、明治時代に神戸で創業された「藤井パン」を父から引継ぎ、神戸を代表するフランスパンの店「ドンク」を創業した藤井幸男の2008(平成20)年の忌日である。
「ドンク」の前身となる「藤井パン」は、三菱重工の長崎造船所の御用達の印刷業者だった幸男の祖父・元治郎。外国人技術者がパンを食べる姿を目の当たりにし、パン店の開業を思いつき、神戸造船所の建設計画と並行して準備を進め、兵庫区和田崎町に出来た神戸造船所の稼働と同じ1905(明治38)年8月8日に、兵庫駅前の御旅筋商店街(以下参考の※:「神戸市商店街連合会/商店街探訪」参照)・柳原に店を開く。経営は外国人技術者が多く働く同造船所での販売権をほぼ独占し、順調だったようだ。毎朝焼きたてのパンをリヤカーに積み、約2㎞離れた造船所に運んだという。
余談だが、商店街の名前「御旅(おたび)」は、神様の宿場を意味しており、かって商店街の北橋に生田神社兵庫宮(御旅所ここ参照)、南端から高架下をくぐると柳原戎神社。JR兵庫駅前へといたり、歴史は古く大正時代から店舗が集積し戦前は大賑わいを呈したところだ。
1918(大正7)年、日本は 第一次世界大戦の特需景気によるインフレと凶作に悩まされていた。米の高騰に耐えかねた民衆の暴動が富山で発生。7月23日から始まった米騒動は8月に入って、神戸でも米を扱っていた大手商社の鈴木商店が米を買い占めているという某紙の報道によって焼討ちされ、系列会社の神戸製鋼所も襲われるが、この食糧不安を払しょくするため、陸軍省がパンに目をつけ、供出命令が下され県庁に納入。このことにより、それまでパンを食べたことのない人達にパンの味が広く知られるようになり、同商店の追い風となったようだ。
翌・1919(大正8)年 創業者の元治郎(44)が亡くなり、父親の全蔵が藤井パン二代目として跡を継ぐ。幸男はこの二代目全蔵の長男として生まれる。14歳で家業を手伝い始めるが、パン職人としての自負も出来ていた幸男は、22歳となった1944(昭和19)年、海軍に応召さるが、翌1945(昭和20)年第二次世界大戦終戦の秋復員すると、店は空襲(神戸大空襲)により焼失していたという。
1946年2月父全蔵らと元町通に店を構えるが、当時は、原材料がなく、原料の小麦粉は、配給を受けていた中国人から、こっそり譲り受け、高架下の闇市など“裏ルート”での販売であったようだ。1947(昭和22)年4月になって、幸男が(25歳)が父より事業を継承。現三宮センター街)3丁目に新店舗をを開業し、店名も新しく「ドンク」(DONQ)とした。業態も見直し、パンの小売りに加え、飲食店に洋菓子を卸す事業を収益の柱とした。そして、戦前、帝国ホテルの製菓チーフであった井上松蔵が、製菓部門初代職長に就任。彼によって選りすぐりのさつまいもだけを使って、素材の良さをそのまま活かしてつくられたあっさりとしたスイートポテト。この菓子はドンクブランドの1つ「松蔵ポテト」として今も人気のようだ。
1951(昭和26)年2月には株式会社組織に改組し、商号も「株式会社ドンク」とした。7月には三宮センター街トアロード角に現在の三宮本店を開店させた。この「ドンク」と言う社名の由来は、自らを伝説の騎士と思い込み東奔西走する小説の主人公「ドン・キホーテ」(Don Quixote)の名を縮めて「ドンク」としたものだそうで、猪突(ちよとつ)猛進する気質になぞらえたようだ。
「ドンク」と言えば、私などは直ぐにあの固いフランスパンを思い出すのだが、フランスパンは、その硬さが大きな特徴となっている。とくに英語で「クラスト」(crust)と呼ばれる外皮部分は煎餅のようにパリパリしており、フランスパンの独特の食感を生み出している。基本的に生地には砂糖を使わない上、卵、乳製品、油類などの副材料を使わないのも特徴であり、それゆえ作り手の技術が味を左右するため、フランスパン作りはパン職人になる上での難関であるともいわれている。外皮部分に比べ、中はさっくりした食感となっている。ヨーロッパなどでは通常、パン(Pain、Brot、Brotchen 等)と称されるのは食事パンのこと、つまり、日本のご飯に相当する主食であり、一般的にこのような砂糖や油脂は使用しないものがほとんどであり、日本でいう菓子パン類は、菓子に分類されている。
日本には、明治中期に東京市小石川区の関口町に在住していたカトリック教会の司祭によってフランスパンの製法が伝えられ、小石川関口教会製パン部(後の関口フランスパン。が1914年(大正3)年創業。これが日本における本格派フランスパンの誕生といえるようだ(以下参考の※:「関口フランスパンHP」関口フランスパンの歴史参照)。また、京都から進々堂の続木斉が日本人最初のパン留学生として訪欧。2年余パリでパンの理論・実技を学び、帰国後の1924年(大正13年)日本初の本場パリ仕込みのフランスパンを製造・販売したようだ(以下参考の※:「進々堂HP」会社案内参照)。
20世紀に、フランスの食生活を象徴するパンに育ったバゲット(baguette 杖、棒)型フランスパン。日本に本物のフランスパンを本格的に伝えたのは、日本で「パンの神様」と称されている元フランス国立製粉学校教授のレイモン・カルベルだとされている。
三宮センター街に三宮本店を構えた幸男は食の大国・フランスを手本に高級路線を走っていた。だがまだ本格的な製法に関する情報が不足していた。当時、パンといえば、ふわりとした食感の「ソフト系」を指し、フランスパンに代表される「ハード系」は希少な存在だった。「本物のフランスパンは本場の職人に教わるべきだ」が口癖だったという幸男が師と仰いだのはレイモン・カルベルだった。1954(昭和29)年に初来日し、9月末~12月初旬まで約3ヶ月間全国17会場で国際パン技術講習会が開かれ(バゲット、クロワッサン、ブリオッシュなどの伝統的なフランスパンが紹介されたが、神戸での講習会に参加し指導を受けた幸男はそれに感動しその後、試作を繰り返したようだ。
そして、11年後の1965(昭和40)年、カルべル教授のアドバイスによりドンクが、東京国際見本市においてフランスパンの製造を担当しブースを開設。この時、カルべル教授が愛弟子のフィリップ・ビゴが実演者として推薦され来日。フランス製機械も搬入され、本格的なフランスパンが同見本市で披露された。見本市終了後、使ったフランス製機材をドンクが引き取り、三宮町2丁目にフランスパン専門工場を建設。ビゴ氏はドンクの技術指導として残った。「フランスパン(バゲット)」は発売当初「硬くて口が痛い」と不評だったようだが、新しいものを好み、開放的な港町・神戸のことでもあり、少しずつ受け入れらるようになった。1966(昭和41)年8月 ドンク青山店が開店。青山の周辺には神戸と同じような外国人居住区があった事や、店の造りを職人の仕事が見えるようにした事もあり秋頃からフランスパンブームに火がついた。
「ドンク」の代名詞となる「フランスパン」の製パン職人兼技術指導者として「ドンク」三宮、東京及び札幌等のドンク各店舗を回ったビゴ氏は、その後、1972(昭和47)年2月、「ドンク芦屋店」を譲り受ける形で「ビゴの店」第1号店を開店。その後、1980(昭和55)年にドンクと共同出資で「ドゥース・フランス」を設立。現在は兵庫県阪神地区を中心に約10店舗を展開している。1972(昭和47)年に独立したビゴ氏は、ドンクと商圏の重ならない鎌倉で、店を捜していたようだが、幸男氏は「芦屋でおやりなさい」とドンクの芦屋の店を譲ったという。幸男氏亡き後、ビゴ氏は「彼なしに今の私はありません」と懐古していると言う。神戸のイスズベーカリーの井筒英治社長も幸男氏を「器の大きな人だった」1070年~19080年代、フランスパンを中心にした技術講習会を東京や神戸で開き、ライバルにも技術を与えた・・・と、賞賛している。亡くなった日、「棺には焼きたてのフランスパンが入れられた」そうだ(2008・4・25朝日新聞)。
神戸へ旅行にこられた人はパンとスイーツの店が多いことに気づくだろう。私の住んでいる住宅街に在る商店街でも数軒おきにパンとスイーツの店が在る。それは、神戸のパンや洋菓子の歴史が、神戸港開港とともに始まっているからである。開港の翌年には、居留地外国人のための、外国人によるベーカリーが既に開業し、そのうち日本人によるベーカリーも誕生した。パンは神戸人の食卓には欠かせないもの。毎朝、朝食はパンに紅茶と言う家庭が多いだろう。私の家もそうだ。
山崎製パン敷島製パンフジパンに次ぐ業界4位の神戸屋は、大阪に本社を置く製パン業者であるが、神戸屋の由来は、創業者の桐山政太郎が神戸の製パン会社に勤めていた際に、「神戸のパン」を大阪に配達、大阪で「神戸パン」という名称で販売を行ったことからであり、その後1918(大正7)年に政太郎が独立したのと同時に本社を大阪に置いた。このように、当時から、神戸のパンは、有名であったといえる。神戸には、昔から、個人のベーかイーショップが多く、余り、メーカーもののパンなどは食べなかったが、メーカーもののパンの中では、上位4社中で、神戸屋のパンが一番美味しかったと記憶している。メーカーものを扱っている神戸のスーパーなどでは、最近は山崎製パンが多くなったが、かっては神戸屋パンが多かった。しかし町にはベーカリーショップが非常に多く、味を競っているので、それぞれに特色のあるパンがあるので、私の家などでは、菓子パンではない食事用の山食パンなどでも、好みの味もあるが、メーカーものではなく、数件の店の違った味のパンを買って楽しんでいた。最近になって、山崎などのメーカーものも大分味はよくなってきたが、やはり、ベーカリーショップのものとは比べものにならない。
神戸には、開港を契機にいろんな人たちが神戸に集ってきた。そして、フランス、ドイツ、ロシア、中国、ありとあらゆる国の食文化が入ってきて、長い時を経ながらそれぞれに研鑚を積み、レベルアップをしてきたが、パンや洋菓子も同様である。素敵な店が沢山あるので、神戸へ来たときには、是非、パンと洋菓子を楽しんでください。
(画像はドンクのバゲット)
参考:
※:神戸市商店街連合会/商店街探訪
http://kobe-shisyouren.jp/cont03/cont03-45.htm
※:関口フランスパンHP
http://www.sekiguchipan.co.jp/
※:進々堂HP
http://www.shinshindo.jp/
鳥越製粉株式会社
http://www.the-torigoe.co.jp/index.html
DONQ|トップページ
http://www.donq.co.jp/
ビゴの店 公式ホームページ
http://www.bigot.co.jp/
神戸新聞>経済>連載「世紀を越えて ―百年企業の軌跡」
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200511seiki/index.html
神戸 パン 情報サイト pain de kobe
http://www.paindekobe.jp/
三菱重工業神戸造船所 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E9%87%8D%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E7%A5%9E%E6%88%B8%E9%80%A0%E8%88%B9%E6%89%80
Category:神戸市の神社-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E7%A5%9E%E6%88%B8%E5%B8%82%E3%81%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE
※ :帝国ホテル – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB
わんだふるはうす、ビゴの店 鷺沼店に行く
http://www5a.biglobe.ne.jp/~wo-house/bigot.html
神戸マイスター・トップページ
http://www.kobe-ipc.or.jp/technological_onemaking/kobe_master/
Category:日本の製パン業者 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%A3%BD%E3%83%91%E3%83%B3%E6%A5%AD%E8%80%85


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