今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

引っ越しの日

2013-10-13 | 記念日
いつもブログを書くのに参考にさせてもらっている「今日は何の日~毎日が記念日」(※1)に、今日・10月13日の記念日として、「引っ越しの日」があった。
記念日は、引越専門協同組合連合会(※2)関東ブロック会が1989(平成元)年に制定したものだそうで、記念日の由来は、”1868(明治元)年のこの日、明治天皇が京都御所から江戸城 (現在の皇居)に入城された。”・・・ことによるそうだ。

「引っ越し」の語源は、動詞「引っ越す」から転じた名詞形だから、もとは「引っ越し」だが、いまは広辞苑他一般の辞書でも「引越し」と書くのが一般的。
「越す」は山や、河を超えて向こう側へ行くといった意味があり、「越す」だけでも「引越しする」の意味で使われる。
「引く」については、よくわからないが、昔は、荷車などを引いて家財道具を運搬したからだろうから、「引き移る」…と言った意味になる。

「番頭にここに佐野という人が下宿しているはずだがと聞くと番頭はおじぎを二つばかりして、佐野さんは先だってまでおいでになりましたが、ついこのあいだお引き移りになりましたと言う。けしからんことだと思いながらも、なお引っ越し先の模様を尋ねてみると、とうてい自分などの行って、一晩でも二晩でもやっかいになれそうな所ではないらしい。・・・・」

上掲の文は明治から大正の小説家夏目漱石 の随筆『手紙』 より引用したもの。ここでは、引っ越すことを「お引き移りになりました」と表現している(※3 「青空文庫」参照)。
「引っ越し」は、このほか、古くは家移り(やうつり)、宿替(やどがえ)、転宅などともいった。

ところで、今日の記念日の由来は、”1868(明治元)年のこの日、明治天皇京都御所から江戸城(現在の皇居)に入城された。”・・・ことによるということだが、関西人、特に京都の人たちには、天皇は、京都から、東京へ引っ越したわけではないと・・、ちょっと不満もあるだろうね。

明治天皇は江戸開城から半年を経た慶応4年(明治元年)8月27日(1868年10月12日)、政情の激しい移り変わりにより遅れていた即位の礼を執り行ない、明治元年9月20日(1868年11月4日)に京都を出発して、東京(7月に江戸から改称)に行幸(ぎょうこう、みゆき)した(東幸参照)。
東幸には岩倉具視議定(ぎじょう)中山忠能、外国官知事・伊達宗城らをともない、警護の長州藩、土佐藩、備前藩、大洲藩の4藩の兵隊を含め、その総数は3,300人にも及んだ。
天皇は同年10月13日(1868年11月26日)江戸城西の丸(現在は宮殿のみが建っている。現在の吹上御所とは別の場所)に入った際、江戸城も東京城と改称され、天皇の東幸中の仮皇居と定められた。そして、天皇は一旦京都に戻った。
翌明治2年3月28日(1869年5月9日)、再び東京に行幸した。1877年(明治10年)、東京の皇居に移っていた明治天皇が京都を訪れた際、東幸後10年も経ずして施設及び周辺の環境の荒廃が進んでいた京都御所の様子を嘆き、『京都御所を保存し旧観を維持すべし』と宮内省(当時)に命じて、保存され今に至っているという。
この明治天皇の東幸では、明確な遷都の詔は出されておらず、慶応4年7月17日(西暦1868年9月3日)の『江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書』が発せられての行幸であったが、この詔勅は、本文と副書から成り、本文は、端的に天皇が江戸で政務を執ることと、江戸を東京に改称する旨を述べており、副書は、天皇が東京で政務を執ることの意義を述べている。
本文の内容を現代語訳すると、以下のようになる。
「私は、今政治に自ら裁決を下すこととなり、全ての民をいたわっている。江戸は東国で第一の大都市であり、四方から人や物が集まる場所である。当然、私自らその政治をみるべきである。よって、以後江戸を東京と称することとする。これは、私が国の東西を同一視するためである。国民はこの私の意向を心に留めて行動しなさい。」
このように、天皇が日本をひとつの家族として東西を同視するとし、江戸が東国で第一の大都市・要所であるため天皇がここで政治をみることと、そのために江戸を東京と称することが発表されただけのものであり、現在でも正式には日本の首都は実は京都であり、天皇が東京に「滞在」している間だけ東京に「臨時移動」していることになっているのである。
行幸とは天皇が外出することをいう。天皇が東京へ行幸後に 京都の皇居は留守状態になり、その後、首都機能が東京に移った際も明確な遷都の詔は出されておらず、東京での政務を続けているだけなのである。(東京奠都の項目を参照)。

ここのところ大地震や大津波など自然災害が多く発生している日本では、今、また、災害時の首都機能バックアップに関する検討委員会より皇室や文化庁 などを京へ移転させようという案が正式に出ている(※4参照)。
今のように何でもかんでも、東京に集中しているリスク分散のためには早急に実施した方が良いと思うのだが・・・。さて、この話はここまでとし、本題に戻ろう。

引越しは、人が生活する場所つまり、居所(住んでいる所)あるいは事業場を構えた所などを他の場所へ移すこと、またその作業のことであり、引越しをするということは何らかの事情があることが多い。その理由を大きく二つに分けると、自らの意思で引っ越したいという自発的理由と、自らの意思でないものの引っ越さなければならないという非自発的理由に分かれるだろう。

個人の場合、自発的な引っ越し理由としては○環境の改善(居住環境の刷新、居住面積の拡大、立地条件の改善)、○家庭環境、構成員の変化、(結婚、離婚、出産、子供の自立[進学、就職]、死亡、不和)、○経済的事情(失業、転職、貧困)などがあげられるだろう。
又、非自発的理由としては、○生活環境の悪化(食料・水不足、公害、騒音)、○ 職業上の必要性(転勤、転職)、○立ち退き(公共工事の実施、施設の老朽化、陳腐化)、○治安の悪化(暴力、破壊、戦争)、自然災害(地震 津波 土砂災害、洪水)などがあげられるだろう。
これは、会社・団体等についても同様で、○事業等の規模の変化(拡大、縮小、リストラ)○事業等の消滅(倒産、解散)といったものの他、個人の場合と似たり寄ったりの事情に寄るものがあるだろうが、先の明治天皇の京都の御所から、東京の御所への政務地変更などは、政治の中心地が東京へ移ったためのやむを得ぬ理由による居住地の移転であり、それは決して、明治天皇の望んだ自発的理由による転居ではなかっただろう。
明治天皇は遷都をしていないが、飛鳥奈良時代つまり、7世紀半ばから8世紀にかけての150年の間には、皇極天皇が営んだ皇居飛鳥板蓋宮造りから、桓武天皇による平安京建設まで、実に13回もの遷都が行われている。
つまり、単純平均すると、10年少々で遷都を繰り返したことになるが、これは、「大王(おおきみ)のくに」から律令国家へと大きく変わる過程で国家の規模が大きくなる転換期にあり、宮城を移した理由は、旧政治勢力から離れて新政を行う、政情不安を切り抜けようとする、人心を一新する、などの意図をもち、さまざまの政治的背景によるものであったが、それだけで、これだけ頻繁な首都の引っ越しを説明できるだろうか。
古代、自然崇拝の世界観は、清らかなものと穢れたものに二分された。
この穢れたものは一時も早く清めなければならない。「穢れ」は、(みそぎ)や(はらい)によってしかぬぐうことはできない。それでもまだ「 穢れ」を感じれば、居場所を変えるしかなかったのだろう。
日本人は、最大の穢れを死んだ姿に見出した。この死穢からの遁走、つまり、そのため先代天皇の死に当って、次ぎの天皇をしてその穢れから逃れるために、狭い飛鳥という盆地の中で、あちこち宮処を移させたのではないかという説がある。そこには、奈良時代の度重なる伝染病の発生も関連しているのではないかと思われる(※6、※7なども参照)。

庶民の話に戻るが、かっての引っ越しは地域共同体で助け合うものであった。現在の私が住んでいる家に越してきたのは、越してくる前に住んでいた家が市の都市計画道路上あったためである。
神戸の街は山と海に囲まれた狭い街であり、都市部の土地が少ない。それで、道路の拡幅をする計画が出て、実現するまでには、20年くらいかかったのではないか。
都市計画による道路を拡幅するために、市民には土地区画整理法 による宅地の減歩が義務づけられた。いくら減歩するかはそれぞれ宅地の広さによって異なるが、土地を持っているものは土地で、無い者は金銭で相応の負担をしなければならないのだから、もめて、年数がかかったのは致し方ないだろう。
それに神戸市の私のいる地域などでは数人の大地主が多くの土地を持っており、自前の土地に家を建てている人は少なく、大地主からの借地に家を建てている人、また、借地にアパートを建てていたり、貸家にしている人などが多く、権利問題が複雑であったことも起因している。
この土地・建物に関する複雑な権利問題は、後に発生した阪神・淡路大震災からの復興の際にも大きなネック(支障や障害)となっている。
私の家の場合は、土地は自分の所有なので、市と市民の間で個別交渉が始まった、ごく最初に交渉をして貰い、私の家の土地と私の家より15分ほど離れたところにあった市有地とを等価交換し、そこに家を新築して移った。どうせ移転するなら、いつまでもごねているよりは、早く交渉をして、少しでも良い場所に移った方が得だから自分の方から申し出て優先的に交渉してもらったのだ。
市の土地は現在の私の家の裏山への登り口の造成地であったが、その時しっかりと、市の造成図面を見せてもらい、埋立地ではなく切り崩した地盤の固いところを手に入れた。
家屋などを建てるための土地は、地盤の固いところを取得すべきことは、土地取得のためのいろはのいであり、このことは若いころから親父などに教えてもらって知っていた。これが後の阪神・淡路大震災の際、同じ町内の家が大被害を受けているのに、幸い私の家が外壁のひび割れていどの軽度の被害で助かった大きな理由でもある。
越してくる前の家は、戦後30年ほど住んでいたので、ご近所の人たちが、今の家に引っ越すときには、総動員で、駆けつけてくれ早く片付き、引っ越し先も近いことから午前中に引っ越しは完了した。
市に明け渡した家は、私たちが家財を引き上げた後すぐに、市の依頼した解体業者によって解体されていた。手際良いものである。
近所の人が大勢手伝ってくれたお蔭で、引っ越しは早く片付いて助かったのだが、ただ一つ、大事にしていたお好み焼き用の鉄板が、積忘れでなくしてしまった。
薄い鉄板なので、気が付かなかったのだろう。ただ、薄いとはいえ、同鉄板は、市販されているものではなく、お好み屋さんが使っていた業務用のものをカットして譲って貰った分厚い鉄板だったので非常に残念であった。
兎に角、引っ越しをすると、こんな鉄板を無くしただけではなく、それまで貯めていたごちゃごちゃしているものを思い切って処分してしまったが、このような時、大事なものまで処分してしまい後悔するなんてことは多いのではないか。
私の場合も、その一つに、趣味で数多く貯めていた漫画の単行本があり、白土三平の『カムイ伝』や『カムイ外伝』、さいとう・たかをの『ゴルゴ13』、神田たけ志の『御用牙』、小池一夫原作・小島剛夕画の『子連れ狼』など段ボールに入れて保管していたが、手伝いに来てくれた若い男の子がマンが大好きだというので、すべてやってしまった。
それに、何とも悔しいのは、その段ボールの中に、仕事の関係であることから手に入れて大事に保管していた手塚治虫の『ジャングル大帝』のアニメのセル画約20枚ほども一緒にやってしまったことだ。
やってすぐに気が付けば返してもらうのだが、何年もたってからではそうもゆかず、本当に情けない思いをした。今は、いろんなものに興味を持ち、コレクションなどしている私だが、当時、そのようなものにあまり価値観は持っていなかったせいもあるが・・・。
引っ越し、特に古い家から新築の家などへ引っ越しをすると、古い家具類やカーテンなど、色やサイズが合わなかったり、新しいところに古いものを置きたくないので、買い替えたりするので、直接の引っ越し費用とは別に、随分といろいろお金がかかるものだ。
ことわざに「引越し三両」というのがある。引越しをすれば何やかやで出費が馬鹿にならないことを言った言葉だが、本当にその通りだ。だから、どこの国でも、経済成長をさせるのに住宅建設に力を入れる。
新築の住宅に住むといろいろ部屋に合わせて買わなくてはならなくなるからである。今、安倍政権も一生懸命になっている。
贅沢に慣れた今の若い人達は、所得の割には高価なマンションを頭金もあまり入れずに手に入れているようだが、そのうち、日本にも、アメリカが経験したと同じようなサブプライムローン問題が起こりそうな気がしてしようがないのだが・・・。
出来ることなら、余り引っ越しなどしたくないものだが、サラリマンの場合など、就職をするときから、居住地より遠いところの企業へ入社したり、その後の転勤などで、繰り返し引っ越しをしなければならないことはよくあることだ。
神戸に住んでいた私など、社会人として大阪の商社へ入社した後、仕事で上司と対立し、やりたい仕事のあった東京の会社へ、再就職し、東京での生活もした。
幸い東京では成功していたのだが、親父が早く亡くなり母親の手一つで苦労して育ててもらった私(長男)は、結婚を機に神戸に帰り母親の面倒を見なければならないので、大阪の支店へ転属させてもらい実家に帰ってきたが、大阪の支店長とも対立して、別の大阪に本社のある会社へ三度目の就職をした。
その後、その会社で定着していたのだが、その会社は、ものすごい急成長をしていた会社なので、社員で能力もあり出世をしようと思うものは転勤が常習化していた。
私など、その会社では、営業から管理部門といろいろな職種を経験しのち、本社で少し、特殊な仕事をしていたので、日本国中いろんなところへの出張が多かったものの転勤することはなかった。
それでも、仕事柄、やむを得ず、愛知県、福岡、また、福岡の別関係会社へと3度職場を変わり、当然引っ越しもした。
福岡へ転勤した時には、女房が目を患い神戸の脳神経外科で手術をすることになったので、病気が治るまで神戸へ帰らせていたので、この期間は一人暮らしとなり、その間会社の飲んだくれ連中と独身を謳歌したお蔭で、いっぺんにメタポになってしまった。
それでも、私は、余り、神経質なタイプでではないので、どんな環境にあっても、仕事自体はマイペースでやってきたので、異郷の地に行っても、何も気にせず、地元の人とも親しくお付き合いをし、地元の観光をし郷土料理を味わい楽しく暮らしてきた。
「郷に入れば郷に従え」ということわざがあり、このことわざは、“その 土地やその環境に入ったならば、そこでの習慣ややり方に従うのが賢い生き方である、 といった意味であり、これが出来ずに悩む人も多いようだが、こと私に関しては、どこの土地でもすぐに慣れてしまうし、逆に異郷の地を楽しんでしまえるのが私の特徴だろう。
しかし、この会社は急成長会社であったので、若い将来性のある人ほど、キャリアを積ませる必要もあり、私も買っていた優秀な若者など、ひどい時には年に三回も転勤・引っ越しを繰り返したため、とうとう小学生の女の子がノイローゼになり、それを期に退職してしまうといった残念な結果も生じている。
今でも、サラリーマンにとっては、転勤は避けて通れないものであり、私の甥の中の二人も、転勤を繰り返し今は、東京、新潟の方に単身で引っ越している。
私は生まれてから親父の商売の都合で、5歳位までに神戸市内を2度引越しをしているが、戦時中であり、空爆が激しくなると3度目の家も焼夷弾が玄関先に落ちるなど危険が迫ったので、神戸から高砂市の父方の親戚へ疎開し、そこで幼稚園に入り、高砂市も重工業都市なので空爆の危険性が出たため、今度は徳島県の母方の親戚へ疎開し、そこで小学校に入学した。
終戦後神戸の父親から帰ってこいと連絡があり、帰った家は、疎開中に空爆で焼かれたらしく、焼け野原に残っていた家の一軒を買い取ったところに引っ越していた。それが、今住んでいる家へ越してくる前の家であるから、考えてみると、生まれてから、小学校に入学くらいまで5回家を引越し、それから、転職や転勤で、6回ほど引っ越しているから、11回ばかり知らない土地へ引っ越していることになる。
これが、他の人と比較して多いか少ないか知らないが、最近の若い人など、転勤を拒否して、動かない人も多いようだが、色々なところに住み、異文化を吸収することは、楽しいことだと私は思うのだがね~。
「住めば都」とはよく云ったもので、どんなに辺鄙な場所であっても、住み慣れれば都と同じようにその土地、その土地の良さがあり、慣れれば住み心地がよいものなのだが・・・。ただ、年取ってからは、辺鄙なところに住むのは生活に支障があるので、最近は、都市部の高層住宅へ郊外から引っ越している人が多いようだ。

皆さんもよく知っている推理小説作家として有名な故・江戸川 乱歩(本名:平井 太郎)は、三重県名賀郡名張町(現・名張市)に名賀郡役所書記の平井氏長男として生まれて後、2歳の頃父の転勤に伴い鈴鹿郡亀山町(現・亀山市)、翌年名古屋市に移り、以降、大人になっても点々と引越しを繰り返し、生涯引っ越した数は46回にも及ぶという引越し魔だったらしい(Wikipedia)。
乱歩はもともと偏執狂的・整理癖の持ち主で、46回にもおよぶ転居では、それぞれの家の植木の名前まで書込んだ見取図や、家にまつわる思い出なども『貼雑」(はりまぜ)年譜』というものに書き込んでいたらしいよ(※8、※9参照)。

これはすごいと思っていたら、まだ上がいた。それが、江戸時代後期の浮世絵師葛飾北斎である。
北斎は、90歳の生涯のうちに幾度となく名や号を変えているが、93回もの転居を繰り返したことは、あまりにも有名な話である。
Wikipediaによれば当時の人名録『広益諸家人名録』(※10参照)の付録では天保7・13年版ともに「居所不定」と記されているらしいが、これは、あまりに頻繁に引っ越しをしたためだろうといわれているが、なんと一日に3回も引っ越したことがあるという(飯島虚心『葛飾北斎伝』)。そして、75歳の時には既に56回に達していたらしいという。
北斎が転居を繰り返したのは、彼自身と、離縁して父・北斎のもとにあった出戻り娘のお栄(葛飾応為)とが、絵を描くことのみに集中し、部屋が荒れたり汚れたりするたびに引っ越していたからであるという。どうも、大の掃除嫌いであったのだろう。
また、北斎は生涯百回引っ越すことを目標とした百庵という人物(幕府表坊主・歌人。寺町三知。※11参照)に倣い、自分も百回引っ越してから死にたいと言ったという説もあるようだ。
ただし、北斎の93回は極端にしても“江戸の庶民は頻繁に引越ししたらしく”、鏑木清方は『紫陽花舎随筆』において、自分の母を例に出し自分も30回以上引越したと、東京人の引越し好きを回想しているという。
なお、明治の浮世絵師豊原国周は、北斎に対抗して生涯117回引越しをしたそうだ。国周は自らも認めているほどの変わった性格をしていたというが、同じく転居の多かった葛飾北斎と比べ「絵は北斎には及ばないが、転居数では勝っている」と誇っていたという。

先に、“江戸の庶民は頻繁に引越ししたらしく”・・と書いたが、江戸に、城ができると人口が急増し、都市集中による地方からの引っ越しに始まり、江戸庶民は頻繁に市中で引っ越しをするようになる。
まず生まれたのが口入屋である。口入屋は江戸への転入者に対して、身元保証、雇入先の斡旋、就職先がきまるまでの宿泊案内、短期労働者への住居の斡旋を生業とした。
転入者の流入が進んだ17世紀後半(寛文・元禄)頃には地主が長屋を建て、借家経営をするのが一般的になる。現存する大家と店子の始まりである。
江戸では地主と家守(いえもり。屋守[やもり】とも。=大家のこと)は別で、多くの場合家守が屋敷地内に住居を構え、地代や店賃・家賃の徴収を代行した。家守はこれ以外に、住人の人別改め(戸籍調べ)や町触(法令)通達などを行い、事実上の行政管理者となっていった。
その制度的背景のなかで、家具をもたない身軽な江戸人たちは、頻繁に引っ越しをしたようである。
江戸時代は私たちの想像以上に経済社会化が進んだ時代であり今日のライフスタイルの原型が江戸の生活文化の中に見出せる。その一つに、貸物屋(損料屋)、現代でいうところのレンタル業がある。
狭い長屋暮らしに大量の所有物を収納するスペースは無く、様々な生活物品を貸し出す貸物屋(損料屋)が発達した。これは、長屋以外の小商売人にも一時的に必要な諸物品を賃貸して彼らの商売や生活を維持し円滑化する機能を果たしていた。
大阪の長屋では「裸貸(はだかがし)」と呼ばれる畳や建具を付けずに貸す方法が発達し、借家人が自分で建具を入れて暮らしていたという。
だからといって、引越しが大変になることはなかった。道具屋や損料屋というビジネスがあったから、引越す前に近所の道具屋に道具を売り、引越し先の道具屋から必要な道具を買えば、荷物は少なくて済む。また、何でも貸すというレンタル業の損料屋に、必要なものを必要な期間だけ借りるというスタイルが定着していたので、自分の持ち物は本当に少なく、収納場所もあまり必要ではなかったのだ。
しかも、1月分の長屋の店賃(たなちん=家賃)は、当時真面目に働けば2~3日で稼げる程度の安い金額だったそうだから、そこに住むのが嫌になればいつでも簡単に引越せたわけだ(※13、※14参照)。

引越しの多い人物として海外でも有名なのが、音楽史上極めて偉大な作曲家で、「楽聖」とも呼ばれるベートーヴェンで、生涯で少なくとも70回以上引越しを繰り返したことでも知られている。
以下参考の※12:「町家コラム:第拾記」によると、ベートーヴェンも葛飾北斎同様に、引っ越しの回数が正確にわからないのは、住所不明の時期が多々あった為と思われるが、1年に1回以上行っていたことは確実のようで、また、それだけの引越しを行うこととなった原因も諸説あって面白い。
例えば、作曲用に行うピアノ演奏の音や歌声を家主や隣人に嫌われたことや、部屋を水浸しにする粗野な行水を嫌われたこと、そして整理整頓が出来なかった為、散らかれば転居していた等々である。そもそも、気難しい性格故、家主や隣人との衝突が絶えず、些細な部屋の欠陥も我慢出来なかったことも大きく影響しているようである。・・・という。
Wikipediaでも、ベートーベンの弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者と誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こったそうだ。
部屋の中は乱雑であった一方、風呂と洗濯を好むなど清潔好きであったと言われる。・・と書かれているので、作曲に夢中で、部屋の掃除などには無頓着、気難しく変わり者のベートーベンは、いろいろトラブルメーカーとしてご近所ともめることが多く引っ越しばかりせざるを得なかったのだろう。もし、このような人物が、自分の住んでいる住まいの隣へ引越してくると相手が引越すか、自分の方から引越しでもしなければ、今の世の中では裁判沙汰になるだろう。

私が若いころ、引っ越しをした中に、公団住宅一棟すべてを会社が借り上げ社宅としていたところへ引っ越したことがある。そこには、若い女子から部課長職クラスの人までが住んでいるので、若い人は随分と気を使ったようである。
中でも、部長は良い人で人気があるのだが、その夫人が少々意地悪で、トラブルメーカーになっていたが、会社の上司の夫人ではそれを表ざたにもできず困っている人がいた。社宅などに引っ越すとこんなことはよくあることのようだ。
兎に角、引っ越しで一番気になるのは、周囲の人との人間関係だろう。それに、引っ越しで何かと費用も大変だが、それ以上に引っ越し準備や家財の搬出入、その他、引越し前後の諸手続きも煩わしいしものだ。出来る限り、慣れた土地に住み、引越しをしたくない気持ちは引っ越し馴れしている者でも同じだろう。
しかし昔と比べれば、引越し作業そのものは、自分でしなくても、引越しを専門とする大手運送業者が引っ越しのサポートをしてくれるので楽になった。その上、こうした手続きも、本人に代わって行ってくれる代行サービスがあるようなので、今の時代金さえ出せば、便利な世の中にはなったものだ(※15、※16参照)。

立つ鳥跡を濁さずというように、 引っ越しの後片づけは入念にしておくことがエチケットである。それから、引越し先での人間関係を良くするためにも、日本独特の習慣の1つ、「引越し蕎麦」というものがあるので活用すべきだろう。
しかし、どうして引っ越した時に蕎麦を配るのか?
引っ越しの挨拶にそばを配るようになったのは江戸時代中期また後期の町人文化からはじまったという。  
近くの意のそばにひっかけ「おそばに末長く」、またそばの形態から「細く長いお付き合いをお願いします」といった意味合いは後からつけられたようで、本音は安くてうまくて喜ばれるといったことが第一だったようだ。
それまでは小豆を使った粥やお餅を配っていたようだが、それではちょっとした挨拶なのに丁寧すぎないか?という思いからだというが、この時代、小豆を使ったお餅やお粥は少し高価なものだった為、もう少し安上がりな挨拶はないか?・・・との思惑から、安値のそばに白羽の矢がたったというのが本音だったようだ。江戸期には乾蕎麦は一般的ではなかったし、生の蕎麦や茹でた蕎麦では時間による劣化が起こる。そのため江戸では「蕎麦切手」という一種の商品券のようなものを配ることが多かったようだ(※18のここ参照)。
昭和の初め頃までは、ごく一般に行われていた風習だったようだが、大阪ではこのような蕎麦を配る風習はなかったように思うのだが・・・・。
ただ、現代でも、引越し先での新しく住む所の隣人や家主にはタオルや洗剤のような実用品、お菓子、蕎麦などを配ることが多い。
昔は人とのつながりを大事にしていたことがわかるが、その気持ちは今も大事にしたいものだよね。

引越しは煩わしくて嫌だが、中国には、「孟母三遷の教え」(もうぼさんせんのおしえ)というのがある。
子供の教育には、環境が大切であるという教えであり「孟母の三居」ともいう。孟子の母は、はじめ墓地の近くに住んでいたが、孟子が葬式の真似をして遊ぶので、市場の近くへ引っ越した。ところが今度は孟子が商売の真似をするので、学校のそばへ引っ越した。すると礼儀作法を真似るようになったので、そこに安住したという故事から。出 典:は『古列女伝』からという(※17)。
この教えは史実ではないとされているらしいが、子供の育成に対する環境の影響に関して良く引き合いに出される。今日本では、貧富の格差だけではなくあらゆる面で格差が開いているが、学校間格差もできてきているという( 教育格差参照)。
教育熱心な親、またより高度な学問を追及しようと思う子供は、良いと言われる学校へ入るため居住地をかえることもある。日本では親までが一緒に引っ越しはできないので、大概は子供だけが、学校の寮に入ったり、寮がなければワンルームマンションなどを借りて住んでいることが多いだろう。
しかし、このようなことができるのは、親にそれ相当の甲斐性がないとできないので、結局それのできる親から生まれた子とできない親から生まれた子との間には、ますます、格差が出来てゆくということになるのだろう。

ところで、引っ越しで検索していると、壮大な引っ越し計画が見つかった。
国営の採掘会社LKABによる地下での鉱石採掘が進んでいるスウェーデン北部鉱山のキルナ(Kiruna)では、1万8000人が住む街の地盤が陥没によって住宅や庁舎などへの被害が予想されるため、町ごと引っ越すことが決められたという。
移動しようとしている先は、東に4マイル。つまり6.4キロ先で、新しい町のデザイン・コンペティションを勝ち取ったのは「Kiruna 4-ever」というプラン。100年以上の歴史ある建物や教会、市長舎、一般住宅などは解体され、移動先で復活する。他の住宅は壊され、新たに作られた建物にそれぞれが引越しするそうだ。
そこには3000戸の集合住宅、200戸の戸建住宅、キルナのランドマークとなるKiruna駅、教会、市長舎などが建設される。新規の交通システムは、気候の特性に配慮したものとなり、さらにはKiruna駅から鉱山へアクセスできるロープウェイも作られる予定だという。計画は2033年に完了する予定だそうだ(※19、※20参照)
世界に類を見ない町全体の壮大な引っ越し計画だ。
日本では2011年の東日本大震災 で、津波により市街地あるいは集落単位で建物やインフラが破壊され都市機能が失われた岩手・宮城・福島3県沿岸などの地域では、復興の方向性を巡る議論が行われ、一部は事業が開始されている。具体的なアイデアには以下のようなものがある(※21、※22参照)。
・高台への移転 - 消失した市街地や集落を、従来の津波浸水地域ではなく、高台に移転して再建するもの。被災地の土地を国・自治体が買い上げる形で公費負担により集団移転を行うことが計画されている(※21参照)。
・地盤かさ上げを伴う現地での再建 - 従来の津波浸水地域内で、地盤のかさ上げを行って津波のリスクを低減した上で再建するもの。区画整理方式や、拠点となる市街地を国・自治体が買い上げて一括整備する事業などが計画されている(※21参照)。
・職住分離 - 住宅、行政庁舎、高台、病院などは高台・地盤かさ上げ地に移転する一方、産業に関連する施設は従来の津波浸水地域内に残すもの。水産や観光が主産業で全面的な移転が難しい地域で検討されている(※22参照)。…等々。
いずれにしても、住み慣れたところに戻りたい人、新しい地域へ移転(引越し)して、一から出直したい人、年齢や所得、職業等、人によって いろいろ考えがあり意見調整は難しいことだろうが、一日も早く復興をして、スウェーデンなどに負けない良い街づくりをしてほしいものだと祈っている。
(頭の画象は、明治天皇の東京行幸("Le Monde Illustre"、1869年2月20日。Wikipediaより)

参考:
※1:今日は何の日~毎日が記念日~10月13日
http://www.nnh.to/10/13.html
※2:全国引越専門協同組合連合会
http://www.hato.or.jp/
※3青空文庫-夏目漱石 手紙
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/798_43613.html
※4:資料1 東京圏の中枢機能のバックアップに関する検討会 ... - 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/common/000185224.pdf#search='%E7%81%BD%E5%AE%B3%E6%99%82%E3%81%AE%E9%A6%96%E9%83%BD%E6%A9%9F%E8%83%BD%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A'
※5:奈良時代前後における疫病流行の研究 - 関西大学(Adobe PDF)
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※6:飛鳥・奈良・平安時代の遷都
http://homepage2.nifty.com/kaidowalker/sento.htm
※7:奈良時代の遷都が穢れ思想を発展させた。 - るいネット
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=209793
※8:mm(ミリメートル) 江戸川乱歩『貼雑年譜』
http://mmaehara.blog56.fc2.com/blog-entry-1440.html
※9:江戸川乱歩年譜集成
http://www.e-net.or.jp/user/stako/ED1/E04set.html
※10:国立国会図書館デジタル化資料 - 広益諸家人名録
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2543329
※11:寺町三知|美術人名辞典-思文閣
http://www.shibunkaku.co.jp/biography/search_biography_number.php?number=18032
※12:町家コラム:第拾記
http://www.roommarket.jp/column/?p=30
※13:江戸時代の借家|土地活用の東建コーポレーション
http://www.token.co.jp/estate/history/edo/
※14:物品賃貸業の歴史的研究 - 立教大学(Adobe PDF)
http://www.rikkyo.ac.jp/eco/research/pdf/papar/58_2_2.pdf#search='%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AB%E6%A5%AD%E3%81%AE%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A'
※15:引越しの手続きを代行してくれる便利なサービス - 引越し虎の巻
http://www.leadingdesign.org/tetsuduki/benri.html
※16:引越しに伴う主な公的手続 - 行政書士法人 日本行政手続代理システム
http://www.tetuzuki-dairi.com/words.html
※17:孟母三遷の教え - 故事ことわざ辞典
http://kotowaza-allguide.com/mo/moubosansen.html
※18:そばの豆辞典:
http://jiten.kurumaya-soba.com/toppage.htm
※19:街ごと移転?鉱山の街、スウェーデン・キルナ市 - ニュースマガジン PUNTA
http://punta.jp/archives/11263
※20:スウェーデン、街全体が引っ越し。 - maash マーシュ
http://maash.jp/archives/23377
※21:復興の現状と取組-PDF
http://www.reconstruction.go.jp/topics/20130110_sanko03.pdf
※22:宮城県震災復興計画-PDF
http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/36636.pdf
江戸時代の「1両」の価値って?(1)-お金の歴史 雑学コラム
http://manabow.com/zatsugaku/column15/
引越し - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%95%E8%B6%8A%E3%81%97




















運動器の10年・骨と関節の日

2013-10-08 | 記念日
日本記念日協会に登録の今日10月8日の記念日に「運動器の10年・骨と関節の日」というものがある。
骨と関節を中心とした体の運動器官が身体の健康維持にいかに大切かを、より多くの人に認識してもらうために公益社団法人日本整形外科学会(※1)が1994(平成6)年に制定したもの。
日付は骨(ホネ)のホの字が十と八を組み合わせたように見えることと、体育の日(10月第2月曜日)に近いことから・・・だそうである。
ところで、運動器とはなにか?
運動器とは、自分の意志で動かせる組織、つまり、筋肉関節腱(けん)靭帯(じんたい)神経等の組織のことであり、立つ、歩く、投げるといった身体活動を担っている組織である。
からだを動かすためには、骨や関節の状態が良好に保たれて、さらに神経が正しく働いて筋肉を動かすことが必要であるが、これらの「運動器」に何らかの障害がおきるのが運動器疾患である。
「運動器」の病気は、からだの動きを直接左右するものなのでとても重要である。だからこそ、子供の頃からはもちろんのこと中高年になっても、運動器を鍛えておくことが、膝の痛みの原因となる変形性膝関節症、骨が弱くなる骨粗鬆症、脚のしびれの原因となる腰部脊柱管狭窄症や、骨折など身近な直接的な症状のみならず、寝たきり生活習慣病糖尿病高血圧等)、循環器病(心臓病脳卒中をあわせて、循環器病と呼ぶ※2参照)等さまざまな病気を予防することにも役立つのである。
人の組織・臓器はいずれも重要な意義と役割があり,内臓器は人の生存に必須であるが、自分の意志で制御できない。は重要な中枢であり、脳が働いていることが人間の生きている証明ともいえるが、脳が直接に行動することはない。
人は身体活動によって、自己の存在を証明し、尊厳を保持している。言い換えれば、運動器を介する身体的な動作や行動によって、自分の活力・能力や精神性をも表現している。つまり、自己の『自立と尊厳を支えている』のが運動器ということにもなるのである。
この運動器こそが動く生物(動物)の原動力であり、人は、その運動器を活用して、立って、歩いて行動することから、次第にその能力を開発し、文明を発展させ、今のような便利な世の中を築いてきたといえる。
しかし、この間、人々の主な関心は生命を長らえることであったといえる。
したがって、医学医療は命を長らえる臓器の保全に力を注ぐことが主流であった。
しかし、今の時代のように人の(生命)が長くなってみると、どのように生きるかが大きな関心事になった。そして、日々の生活の過ごし方に意義を求め始めるようにもなった。
生活・人生の質(クオリティ・オブ・ライフ)の向上を目指し、個人の尊厳を尊重するようになってきたのである。
クオリティ・オブ・ライフ(英:Quality of Life。:略してQOL。)とは一般に、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質のことを指しており、「生活・人生の質」と訳されている。
つまり、ある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、・・・ということを尺度としてとらえられているもので、これは、物理的な豊かさやサービスの量、個々の身辺自立だけでなく、精神面を含めた生活全体の豊かさと自己実現を含めた概念をいっている。つまり、QOLの「幸福」とは、身心の健康、良好な人間関係、やりがいのある仕事、快適な住環境、十分な教育、レクリエーション活動、レジャーなど様々な観点から計られる。
QOL に対する取り組みは医療の歴史とともに発展してきた。
医療は人を見るものであり医学は病気を見るものだとする考え方があったが、医療も科学的側面が強くなり、「病気は治ったが患者は死んだ」という状態が問題となった。その典型が、抗がん剤治療である。
現状、長期療養を要する疾患、ならびに消耗の激しい疾患や進行性の疾患では、いたずらな延命治療、患者への侵襲(しんしゅう、英:invasion)が激しい治療を継続することによって、患者が自らの理想とする生き方、もしくは社会的にみて「人間らしい生活」と考える生活が実現できないことが自覚された。このような状況を「QOL (生活の質)が低下する」と呼んでいるようだ。
これに対して、患者が自身の尊厳をより保ち得る生活の実現を目的とした援助が重要であるという考え方が生じた。これを「QOL(生活の質)を維持する、向上させる」などというそうだ(Wikipedia)。
1960年代までの医学的リハビリテーションや福祉では、AD L(日常生活動作)が意味する、歩行、摂食、衣服の着脱、洗面、入浴、排便といった日常生活における身辺動作の回復や介助という点のみが目指されてきた。
しかし、1970年代のターミナルケア(終末期医療および看護)や障害者の自立生活運動(※3も参照)などの領域で、ADLのみに注目するのではなく、身辺自立ができなくても他者の介助を利用して当事者の望む生活の質を確保することに目が向けられるようになった。
高齢者福祉においても、生きがいや幸福感といったQOL向上の援助が求められている ( 中谷茂一 聖学院大学助教授.。コトバンク参照)。
ところで、「運動器の10年」とはどんな運動か・・・を調べてみると以下の様である。
「運動器の10年」という運動は、スウェーデンに始まった『Bone and Joint Decade 2000-2010』(略称:BJD世界運動)が、またたくまに世界的な運動として広がっていったもので、1999年11月、国連の承認を得て、2000年1月に、WHO(世界保健機構)本部において正式に発足が宣言され、これまで社会から注目が少なかった関節疾患や骨粗鬆症など運動器に関わる病気(筋骨格系障害)の制圧(予防法の開発・本質的な治療)を目指し、「骨と関節の10年」として世界に向けて発信され活動をしていた。
我が国においても2000(平成12)年から「骨と関節の10年」日本委員会が発足。2002(平成14)年からは「運動器の10年」日本委員会と改称され、これまでに73団体が参加し、さまざまな活動を通して、その成果を挙げてきた。
しかし、そのミッション(mission。使命、任務。)は道半ばであり、2009(平成21)年に開かれたBJD世界カンファレンス((英:conference。会議)において、全ての参加国の同意を得て、BJD世界運動は、2020年まで継続されることが決定された。
我が国も2010(平成22)年に開かれた「運動器の10年」日本委員会・総会で、「運動器の10年(2010-2020)」活動が継続することが決定し、翌・2011(平成23)年4月より「一般財団法人 運動器の10年・日本協会」が設立され活動しているようだ(※2参照)。
今日の記念日を登録している、日本整形外科学会は、骨と関節を中心とする運動器官が、身体の健康およびQOLの維持にいかに大切であるかを認識してもらおうと、記念日の今日・10月8日を「運動器の10年・骨と関節の日」そして、10月を「運動器の10年・骨と関節の月間」と定め、10 月に毎年、全国各地で講演会、 座談会、医療相談などの催しを行っており、また、そのひとつに「骨と関節-電話相談室」があり、市民からの整形外科分野の質問に、日本整形外科学会 の専門医が直接電話で応えてくれるものだという(電話番号は03-3816-8768)。

今日の記念日が何のことかは、ネットで検索していて、凡そわかった。
私の家の近辺でもひざの痛みを訴えている中高年女性の方が多くみられるが、この中高年女性に多くみられる病気として、骨粗鬆症が挙げられている。
この病気は、カルシウム不足によって骨がすかすかの状態になり脆くなることで、腰痛の原因になったり、転倒したこと等の軽い衝撃で骨折してしまう状態を引き起こしてしまう。高齢者では、これが原因でその後寝たきりになってしまう方も珍しくないようだ。
残念ながら、私の妻も、70近くなってから、ひざ痛の治療で、整形外科のお世話になっている。しかし、妻の場合は骨粗鬆症ではなくその寸前にあり、変形性ひざ関節症だそうだ。
加齢、筋力低下、肥満などのきっかけにより膝関節のクッションの役目を果たす膝軟骨や半月板が長期間に少しずつすり減り変形していることによるらしい。膝の痛みは治る見込みはないので、その痛み止めと、骨粗鬆症がこれ以上悪化しないように通院し、治療とリハビリを受けている。

上掲の画象は膝の内部構造(右内側)、Wikipediaより。
日本における寝たきり老人は、欧州先進諸国に比べて多いと聞く。そのため、寝たきりを予防して寝たきり老人を減らすことが我が国にとっては重要な課題でもある。
寝たきり”の原因について、厚生労働省の国民生活基礎調査(平成22年度版)によると、65歳以上の人の要介護の直接原因(ほぼ寝たきり”の直接原因)とされるものは、
1位 脳卒中(24.1%)、2位 認知症(20.5%)、3位 高齢による衰弱・老衰(13.1%)、4位 骨折・転倒(9.3%)、5位 関節疾患(7.4%)6位以下、パーキンソン病、心臓病、糖尿病、呼吸器疾患、ガン、と続いている。
そして、この統計データで注目すべきなのは、このうち認知症と老衰は別にすると、血管の老化による脳卒中(24.1%)を筆頭に、4位と5位を一緒にした骨折・転倒・関節疾患(16.7%)の大きくは2つの原因にまとめることができる。
又、要介護(要介護認定参照)の一歩手前の“要支援”での原因別データで見てみると、
1位 関節疾患(19.4%)、2位 高齢による衰弱・老衰(15.2%)、3位 脳卒中(15.1%)、4位 骨折・転倒(12.7%)、5位 心臓病(6.1%)、6位 認知症(3.7%) ※7位以下省略・・・ という結果で、1位と4位を合わせた骨折・転倒・関節疾患(32.1%)は他を圧倒する原因になっている。
詳しくは、以下参考の※4:「平成22年国民生活基礎調査の概況|厚生労働省」の“Ⅳ介護の状況”の表24 “要介護度別にみた介護が必要となった主な原因の構成割合を参照されるとよい。
このような、死亡原因の第1位が脳卒中(脳血管障害参照)であった1980年代まで、その後遺症として寝たきりが多発していた。
高齢化の急速な進展等を背景として、寝たきりの更なる増加が予想され、厚生省(現: 厚生労働省)が1989(平成元)年に策定し、翌・1990(平成2)年度から始まった「高齢者保健福祉推進十か年戦略」(ゴールドプラン)の中で、寝たきり予防対策である「寝たきりゼロ作戦」が国の健康政策の重要な1つとして掲げられ、このプランに基づき、高齢者保健福祉サービスの基盤整備が進められることとなった。
このゴールドプランは、1989(昭和63)年導入の消費税(税率3)をめぐる議論とも関連があったもので、本格的な高齢社会に対応するための新たな税としての消費税の趣旨にかんがみ、消費税導入による増税財源を、高齢者保健福祉サービスの拡充にあてることとしたものであった。
同プランは、具体的なサービス整備目標値を設定して、1990(平成 2)年度から1999(平成11)年度までの10年間に目標値の達成に向けて、サービス基盤の整備を推進していくこととなった。
この時は、全市町村・都道府県が策定する老人保健福祉計画が、各自治体のゴールドプランと呼ぶべき性格のものとなった。ところが、高齢化が当初の予想を超えて急速に進んだため、1994(平成6)年に全面的に改定された新ゴールドプラン(高齢者保健福祉5ヵ年計画)が策定された(※5 参照)。旧プランは進行に対応し切れず崩壊したとも言える。
「寝たきりゼロ作戦」開始以降に、寝たきりの発生率・有病率が低下したかどうかは、明確な変化は認められなかったようだが、それは、脳卒中の発症率の減少以上に、高齢化の進行の影響が大きく、寝たきりを含めた要介護高齢者の急増があったからのようだ。
ゴールドプラン21の基本方向の”II 高齢者の尊厳の確保と自立支援”では、以下のように明言している。
“健康づくりや介護予防に努めても、高齢化の進行に伴い要援護の高齢者は毎年10万人ずつ増え続けることが予想されており、介護の問題は、老後生活の最大の不安要因となっている。高齢者や家族が安心して生活を送れるようにするためには、こうした不安を解消し、家族が長期にわたる介護のために疲れ果てて崩壊することがないようにしていく必要がある。
 このため、在宅福祉を基本理念として、必要な介護サービス基盤の整備を進めるとともに、介護サービスの質の確保には特に配慮する。これにより、高齢者が自らの意思に基づき、自立した生活を尊厳を持って送ることができ、家族介護者への支援が図られるような環境づくりを推進する。また、特に重要性が増している痴呆性高齢者(認知症高齢者のこと)への取組みを重点的に進める。“・・・・と。非常にいいことが書かれている。、
国では、家庭や施設でできる寝たきり防止として「寝たきりゼロへの 10 か条」(※6参照)を 1990年に作成しており、特に注目すべき点は、すでにこの時点で第9条に「家庭(うち)でも社会(そと)でも よろこび見つけ みんなで防ごう 閉じこもり」と閉じこもりを採り上げている点である。
しかし、残念ながら、国民への浸透はもちろん、行政関係者、専門家にも認知されずに、10 年以上が経過したということである。
寝たきりの原因としては、「寝たきりゼロへの 10 か条」の第1条にあるように、原因疾病としては脳卒中が大半を占めており、次に多い骨折が欧米と同様に増加すると予測されていた。しかし、適切なリハビリテーション(第3条、第4条)を実施することで、これら疾病になった人が必ずしも、寝たきりになるわけではなく、むしろ、大半は自立にまで回復することが知られていた。
年齢階級別に介護が必要になった原因を見ると、60 代から 70 代までは脳卒中が圧倒的に多いが、より高齢になるほどその割合は低下する。また、転倒・骨折も年齢と共に増加し、90歳以上で脳卒中よりも多くなるが、脳卒中、転倒・骨折をあわせた身体的疾患の割合は加齢と共に低下している。
一方、衰弱という、明らかな疾患が原因ではないと考えられる場合は高齢になるほど急増しているのがわかる。
このことは何を意味するのであろうか。
高齢になるほど要介護になりやすいことは言うまでもないが、脳卒中や転倒・骨折という疾病が直接の原因で要介護状態になるのではなく、要介護状態の原因・背景要因として衰弱(心身の廃用状態。廃用=使わないこと、 生活の不活発=安静で起る全身の「心身機能」の低下)がある。
従って、脳卒中予防対策や転倒・骨折予防教室のみでは、生活障害としての要介護状態に対して十分な効果は挙げられないことは予想されたことだ。
有効な対策が見出せない中で、要介護高齢者の増加に対応するために 、2000(平成 12)年に介護保険制度が導入されることになった。
また、要介護状態にならないことを目的とした「介護予防・生活支援事業(※7参照。後に介護予防・地域支え合い事業に改称)も同時に開始された。
この事業では、補助事業として市町村が独自にさまざまな取り組みをしてきたが、残念ながら効果が実証できた事業はほとんどなかったという。
寝たきりの原因としての閉じこもり症候群(※8参照)の考え方は 1980 年代より提起されていた。
閉じこもり症候群とは、生活の活動空間がほぼ家の中のみへと狭小化することで活動性が低下し、その結果、廃用症候群を発生させ、さらに心身両面の活動力を失っていく結果、寝たきりに進行するというプロセスを指したものである。
介護予防の重要性が認識されるに至り、閉じこもりが改めて注目されるところとなり、2006(平成 18)年の介護保険法の改正に伴い、地域支援事業における介護予防のプログラムとして、閉じこもり予防・支援(※9参照)が取り上げられることになり、全国的に取り組みが行われることとなった(以上※10参照)。
しかし、介護保険制度が導入されても、施設介護サービスのうち、特別養護老人ホーム(特養)の供給が需要に対して著しく不足していて、入所までに年単位の待機が発生している状況である。
厚生労働省は介護療養型医療施設を2012年3月31日までに、医療療養病床、介護療養型老人保健施設、介護老人保健施設、介護老人福祉施設のいずれかの業態に転換する計画を進めていたが、介護療養病床の一部しか業態転換できず、業態転換完了の目標期限は2018年3月31日に延期されたという。
そして、閉じこもり症候群が、寝たきりの原因が身体の障害にあるのではなく、身体の障害をきっかけとして起こる、生活の中での障害や、人間関係の喪失などによる・・という考えから作られた言葉であるが、この閉じこもり予防・支援といっても、齢と共に生きる希望を失いかけている年寄に、活動しろとやいやい言ってもそう簡単には活動しないだろうが、今の支援体制で、どれだけのケアができているのだろうか。
日本は諸外国に比べ高齢化のスピードが速く、高齢化社会の定義である高齢化率7%からその倍の14%になるまでわずか24年(1970年~1994年)であったため、高齢者の介護問題が老後最大の不安要因として認識された。また、1989(平成元)年の合計特殊出生率ひのえうまの年を下回り、戦後最低となったことは「1.57ショック」と呼ばれた。
少子高齢化への対応作として、先にも述べた1989(平成元)年のゴールドプラン、1994(平成6)年の新ゴールドプラン及びエンゼルプラン、1995(平成7)年の障害者プラン、2000(平成12)年の新エンゼルプランにより保健福祉サービスの基盤が図られた。また2000(平成12)年に介護保険制度(※11参照)が創設され、老人福祉と老人医療に分かれていた高齢者の介護制度を社会保険の仕組みで再編成した。また、厚生年金の支給開始年齢の引き上げや医療費の患者負担の引き上げが行われた。
しかし、平成23年版高齢社会白書(※12参照)によれば、平成 21 年度(2009年)の社会保障給付費は 99 兆 8,507 億円であり、対前年度増加額は 5 兆 7,659億円、伸び率は 6.1%である。
社会保障給付費の対国民所得比は 29.44%となり、前年度に比べて 2.70%ポイント増加している。国民 1 人当たりの社会保障給付費は 78 万 3,100 円で、対前年度伸び率は 6.3%である。
また、年金保険給付費、高齢者医療給付費、老人福祉サービス給付費及び高年齢雇用継続給付費を合わせた高齢者関係給付費は、平成 21 年度には 68 兆 6,422億円となり、社会保障給付費に対する割合は 68.7%にもなっている。
この様に、現在の社会保障給付は7割が高齢者に充てられており、人口の高齢化による給付の増加が現役世代の負担を年々増やしているため、給付と負担のバランスの確保や世代間の不公平の是正が求められている。
2011(平成23)年105兆円であった社会保障給付費は、2025年度には141兆円(国民所得比26.1%)に達するとの見通し(※13参照)である。
今の日本では高齢者介護や老齢年金の財源をいかに確保するかが最大の課題となっていると言える。
しかし、現状の日本は、東日本大震災からの復興、また、福島第一原発事故の解決、そして、今年の異常気象による各地での大災害発生の復旧。
また、2020年東京オリンピック開催決定による投資。それに、バブル期に建設した高速道路、橋その他老朽化した設備の保全。それに、近く予想されている東南海地震への備え、・・・と、早急にやらなくてはならないことが山ほどある。
そのような中で、今回も年金・医療その他の社会保障費に充当するという大義名分のもと、阿部政権では来年度から消費税率を現行の5% から8%に増税することになっている。
しかし、デフレからの脱却を目的に、アベノミクスの円安誘導によるインフレ政策は、輸入物価の上昇が引き金となり公共料金他、色々な製品の値上げにまで影響を与えている。
しかも、まだ、気分的なものと、この夏の異常気象の景気への影響や災害特需などによるものはあっても、景気が完全に上昇しているともいえない現状において、低所得者に負担が重い消費税アップは庶民にとっては大きな負担となり、消費が落ち込む可能性がある。
そのため、また、公共投資などに金をばらまき、景気刺激をしようとしている。
これらを一気にやって、多少の経済成長をしても日本政府の抱える国および地方の100兆円を超える債務残高を償還してゆけるのだろうか(※14参照)。
初めて、消費税を導入した時も、名目は社会保障にあてるというものであったが、それが、5%になり、そして8%、そして、いずれ10%以上になろうとしている消費税は一体今まで何に使われてきたのか・・・。
今、日本では、老後の介護は在宅ケア・・を基本い進めているが、これは、公共の施設が間に合わないから、家で家族によってケアをしてもらおう。・・・ということだろう。
しかし、今、核家族化し、若者は夫婦共稼ぎでやっと生活ができている状況の中で、誰が、年老いた老人をケアするのか。
高齢化している日本では、例え、子供達が介護するとしても、老老介護>となり、その負担は重すぎる。いわんや、夫や妻がケアすることなどできるわけがない。したがって、施設に入らざるを得ないのだが、その施設には、何年待ちの状況で入れない「医療難民」が多くいると聞く。結局、金を使ってヘルパーなどに介護を依存しようすると、相当な費用がかかるだろう。
インフレで諸物価が上がり、年金は減額される中で、なけなしの蓄えが目減りし、消費税が上がる。高齢者は自分の老い先をどうすればよいか不安いっぱいである。どうすれば、QOL(「人間らしい生活」)をできるのか。高齢者の尊厳は保たれるのか。私の知っている限り、老後の「ねたきり」を心配していないお年寄りはいない。
先月・9月15日の朝日新聞朝刊によると、厚生労働省は、特別養護老人ホームの入居要件を必要とする度合い厳格化し、「要介護3」以上に限定することにすることにしたという。理由は、都市部を中心に特養が不足しているためとか。現在入居している要介護1~2の人は引き続き入居を認めるらしいが、その人たちの入居理由を調査すると「住居問題、介護者が居ない」が6割を占めるという。受け皿として、厚労省は低所得者向け施設の整備や都市部の空き家を活用するというのだが・・・。特養が不足していることなど、前から分かっていることだが何も改善されていない・・・。このようなニュースを聞くたびに将来が心配になる。
ところで、日本人がこれだけ「ねたきり」を不安に思って過ごしている人が多いのだが、欧米には寝たきり老人がいないと聞く・・・なぜだろうか?。
その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろう点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているから、つまり、多くの患者は、寝たきりになる前に亡くなっているからだという(※15)。
宗教その他倫理上の問題もあり、欧米が良いのか、日本が良いのかは簡単には言えないことであるが、延命治療を行った場合、患者はその間余計に苦しむ場合がある。また、患者本人に意識がない状態でもただ延命されている状況を見て家族や友人などが苦痛を感じることもある。当然ながら延命治療であっても医療費や年金などは必要であるため、延命すればするほど社会保障費がかさんでくるという問題もある。
私などは、そんなことが嫌なので、夫婦で話し合って、「いかなることがあっても延命のための治療はしてほしくありません」と、書面に書き、遺言書などと一緒に保管している。そのことは、息子や兄弟などには告げてあるし、その保管場所は、息子たちにも知らせてある。
兎に角、私も、もし末期のがんなどにでもなったら抗がん剤などを打ちながら「病気は治った、でも患者は死んだ」・・・という状態で、人生の最後を過ごしたくはない。

(冒頭の画像は「運動器のしくみ」日本整形外科学会HP「運動器のしくみ」より。ここ参照)
参考:
※1:公益社団法人 日本整形外科学会
http://www.joa.or.jp/jp/index.html
※2運動器の10年」-日本協会
http://www.bjd-jp.org/index.html
※3:エンパワーメント と 自立生活運動
http://home.p02.itscom.net/kibunnet/empower.htm
※4:平成22年国民生活基礎調査の概況|厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa10/
※5:厚生労働省・報道発表資料・今後5か年間の高齢者保健福祉施策の方向~ゴールドプラン21~
http://www1.mhlw.go.jp/houdou/1112/h1221-2_17.html
※6:寝たきりゼロへの 10 か条(Adobe PDF)
http://www.ookawa-ishikai.jp/pdf/hitokuchi/netakiri.pdf#search='%E5%AF%9D%E3%81%9F%E3%81%8D%E3%82%8A%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%81%B8%E3%81%AE+10+%E3%81%8B%E6%9D%A1'
※7:介護予防・生活支援事業の実施について - 国立社会保障・人口問題研究所
http://www.ipss.go.jp/publication/j/shiryou/no.13/data/shiryou/syakaifukushi/863.pdf#search='%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E4%BA%88%E9%98%B2%E3%83%BB%E7%94%9F%E6%B4%BB%E6%94%AF%E6%8F%B4%E4%BA%8B%E6%A5%AD'
※8:誰でもわかる介護保険・閉じこもり症候群とは
http://www.seo-f.net/2007/02/post_80.html
※9:第6章 閉じこもり予防・支援マニュアル 6-1 事業の趣旨 - 厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/topics/2009/05/dl/tp0501-1_07.pdf#search='%E9%96%89%E3%81%98%E3%81%93%E3%82%82%E3%82%8A'
※10:寝たきりゼロへの10か条(Adobe PDF)
http://www.mhlw.go.jp/topics/2009/05/dl/tp0501-1g_0001.pdf#search='%E5%8E%9A%E7%94%9F%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%9C%81+%E9%AB%98%E9%BD%A2%E8%80%85+%E5%AF%9D%E3%81%9F%E3%81%8D%E3%82%8A+%E4%BB%8B%E8%AD%B7++%E5%8E%9F%E5%9B%A0+%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%99%A8%E7%96%BE%E6%82%A3'
※11:介護保険制度の概要|厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/gaiyo/index.html
※12:平成23年版高齢社会白書 第1章 高齢化の状況 - 内閣府
http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2011/zenbun/html/s1-2-3-02.html
※13:厚生労働省:社会保障の給付と負担の見通し-平成18年5月推計
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/05/h0526-3a.html
※12:リアルタイム財政赤字カウンター 13
http://www.kh-web.org/fin/
※13:欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか - ヨミドクター - 読売新聞(2012年6月20日)
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=60441
医療制度改革の課題と視点 - 厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/houdou/0103/h0306-1/h0306-1.html
孤立する高齢者 医療支援の課題 - NHK 特集まるごと - NHKオンライン
http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2012/10/1025.html
e-ヘルスネット(厚生労働省)
http://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/others/index.html
医原病 ~前篇~
http://ameblo.jp/aiai7wakuwaku/entry-11513565822.html
整形外科シリーズ「運動器不安定症とは」(日本整形外科学会発行)ーEisai
http://qa.eisai.jp/diseases-and-symptoms/detail.asp?baID=3&nodeid=295&faqid=276




コーヒーの日

2013-10-01 | 記念日
日本記念日協会(※1)の10月1日・今日の記念日に登録されているものに「コーヒーの日」がある。
全日本コーヒー協会(※2)が1983(昭和58)年に設けた日である。国際協定によって、コーヒーの新年度が始まるのが10月で、この日がコーヒーの年度始めとなることから。さらに、これからの秋冬期に、温かいコーヒーがよく飲まれるようになるため・・・だそうである。

コーヒーは、コーヒー豆アカネ科コーヒーノキの種子)を焙煎し挽いた粉末から、湯または水で成分を抽出した飲料であり、世界で最も多くの国で飲用されている嗜好飲料である。家庭や飲食店、職場などで飲用され、また、コーヒーの専門ショップも多数存在する。「コーヒー」はアラビア語でコーヒーを意味するカフワ (アラビア語: قهوة‎ ; qahwa) が転訛したものだそうである。日本語では「珈琲」と当て字されている。

コーヒーノキの原産地はアフリカ大陸中部で、エチオピアなどが原産の常緑樹で、熱帯亜熱帯地方で栽培される。
果実にはカフェインを多く含み、その果実には赤い実のなる種子が通常2個入っている。
コーヒーがいつ頃から人間に利用されていたかは、はっきりしていないが、果実の赤い果肉は甘く食べられるため、種子の効用を知る機会も多かったと考えれば古くから薬効を利用されていたと考えられている。また、果肉や葉にも若干含まれていて、これらも利用される事がある。今回はコーヒーの歴史を語るつもりはないので歴史についての詳細はコーヒー#「コーヒーの歴史」を参照されるとよい。
コーヒーノキの主な種類は、アラビカ種と、ロブスタ種(他にりべりカ種と合わせ「コーヒー3原種」と呼ばれる)で、アラビカ種は世界に流通しているコーヒーの中でも最もよく飲まれている品種であり、薫り高く品質が優れている。その品質は栽培条件や収穫時期そして乾燥や脱穀などの精製処理の仕方に左右される。
本種に次いで流通量第2位のロブスタ種はインスタントコーヒーあるいは廉価なレギュラーコーヒーの増量用として用いられている。この2種で世界全体のコーヒー流通量のおよそ99パーセントを占めると言われる。

今日、コーヒーの生産形態は世界諸地域によって異なる。中南米では、ブラジルなど大規模農園中心の生産形態もあれば、小規模農家が多数存在する国々もある。
アジアおよびアフリカではほとんどが小規模農家の家族労働である。インドネシアでは、植民地時代のプランテーション民族主義の台頭で没収され、その代わりに強制栽培制度(特産品を栽培させ無償で取り立てる制度)の名残りで多数の小規模農家が生産を担っている(オランダ領東インドも参照)。また、1990年代以降に新規参入したベトナムは、政府の補助金政策でコーヒー生産を奨励しており、大規模生産によって生産量が急激に拡大している。
20世紀になって、第二次世界大戦後、コーヒー生産国(コーヒー豆の生産参照)の多くは独立したが、植民地時代のモノカルチュア体質は残存し、依然としてコーヒーがその国の重要な輸出品目となっている国が多い。
現在国際市場でのコーヒー(豆)生産国は60ヶ国ほどで、国際コーヒー機関(ICO)による集計では、2009年の生産量はブラジルが約3分の1を占め、現在の生産国2位はベトナム(約15%)、3位インドネシア(約9,6%)、そして4位にコロンビア(約7b%)、5位がエチオピア(約4%)となっているようだ(※3参照)。

コーヒーは1次産業で石油に次いで多くの金額が国際的に取引されているコモディティ(Commodity)商品(※4 参照)であるが、世界のコーヒー豆の生産量全体のおよそ3割を占めるブラジルの収穫高や品質は、世界のコーヒー市場の動向に大きな影響を及ぼすこととなる。
そんなコーヒーの生豆(きまめ。まだ焙煎されていない生のコーヒー豆)は収穫された年度によって分類されるが、毎年9月にほぼすべての収穫を終え、生豆の収穫年度は毎年10月1日を初日として計算されるという(コーヒー豆#生豆)。
この様な事情から「コーヒー年度」はブラジルのコーヒー栽培のサイクルに合わされているようだ。
その年度つまり、10月1日以降に収穫された新しいコーヒー豆は「ニュークロップ」と呼ばれている。 クロップ(crop)とは「作物・収穫物」という意味で、「ニュークロップ」はお米でいえば「新米」に相当するもの。 米には「米穀年度」というものがあるように、コーヒーにも「コーヒー年度」があるということらしい。

コーヒー豆をほぼ輸入に頼っている日本だが、どの国から輸入しているかについて、2011年度の財務省調べでは、1位がブラジル、2位がコロンビア、3位がインドネシアとなっており、この上位3国が全体輸入量の6割以上を占めているという(※5:「AGF/知る・楽しむ」コーヒー大事典>の“世界と日本のコーヒー豆事情”参照)。
ラテンアメリカ最大の経済大国であるブラジルは、コーヒーの難しい生育環境条件を全てクリアするまさに選ばれた地であり、収穫される上質なコーヒーは、世界中で愛されている。
しかし、世界のコーヒー生豆貿易の60 % ~80%を占めるというアラビカ種の場合、商品として出荷できるほど十分に結実するのは種子から栽培してようやく4~5年経ってからのことである。つまり短時間に利益を上げることのできない作物である。しかも収穫の方法や果実から生豆を取り出す精製の方法、或いは焙煎の技術のいかんによってもその品質や商品価格が大きく異なってくる手のかかる作物なのである。
また、コーヒーは米や麦と言ったカロリーやビタミンを我々の体に補ってくれる基本食品ではなく、酒やたばこ等と同様の嗜好食品であり国際経済の動向や消費国の経済状況に大きく左右されやすい商品である。
これら商品の価格決定で重要なのはニューヨーク・ロンドンでの相場である。コーヒー輸出国の不安定を改善しようと輸出割当方式により供給量を管理する協定(ICA=国際コーヒー協定※6参照)や機構(ICO=国際コーヒー機構.。※6参照)が設立されてきたが、膨大な数の小規模農家を抱え、貯蔵も3年が限度で、石油のような生産調整は極めて困難であり、国際コーヒー協定の輸出割当制度が停止(その後削除)されて事実上破綻した1989年以降、現在では市場の調整は機能していないようだ。
そのような関係で、輸出価格が大幅に下落したにもかかわらず、消費者価格はさほど変わっていないのが現状だそうである。
現在コーヒー豆の流通は、世界の大手4社(クラフト(世界第二位の食品・飲食会社。日本では、味の素との合弁会社「AGF(味の素ゼネラルフーヅ)」が有名)、ネスレ(スイスのヴェヴェイに本社を置く、世界最大の食品・飲料会社)、P&G(米国の大手日用品メーカー)、サラ・リー(シューケア製品ブランド KIWI[キィウイ]が有名。ただ、KIWI は2011年に権利をSCジョンソンに売却されたと聞く)による寡占状態でる。
かつて世界の一次産品貿易品目のうち、貿易高で石油に次ぐ取引規模を誇るその莫大なコーヒー市場は大手企業が支配しており、コーヒー農家に支払われる対価は低い状況が続いており、多くの農家が困窮し、農園を手放さなくてはならないという現実があることを、2008年に話題となったドキュメンタリー映画「Black Gold(邦題:おいしいコーヒーの真実)」では訴えている。
しかし、この映画の原題“BlackGold”がどうして『おいしいコーヒーの真実』という邦題になているのだろうか?
映画『おいしいコーヒーの真実』公式サイト(※7参照)の予告編動画(2013年10月1現在のもの)では、トップページには、スターバックスを連想させる緑色を背景にして「トールサイズコーヒー一杯330円」のカップが現れ、そのカップの中身が下から「コーヒー農家が手にする金額 ¥3~9円」 と映し出され、企業が利益を出したいため原材料費を抑えており、そのため農業者が低賃金であえいでいる旨を訴えている。
同ホームページ右にもスターバックスを連想させるコーヒーと共に「あなたの支払ったコーヒー代はどこに行く?」とあり、Goをクリックし進んでゆくと。
“コーヒー1杯の価格構成に関する注意”・・・とあり、そこには、
『おいしいコーヒーの真実』公式サイトで使用しているデータは、イギリス版のWEBSITE(http://www.blackgoldmovie.com/)からの転載で、イギリス国内のコーヒーチェーン店を対象に調査されたものです。しかしコーヒーの価格変動は激しく、また生産国、品質・銘柄、消費国、喫茶店やコーヒーの種類によって、価格は大きく異なりますと断ったうえで、
1998~99年、喫茶店(東京)のコーヒー1杯の平均価格が419円(総務庁統計局の調査)の時に、タンザニア産(「キリマンジャロ」)コーヒーの生産者価格から焙煎豆価格を調査したデータがあります(辻村英之『コーヒーと南北問題』日本経済評論社、2004年)。その価格構成(概算)を以下に掲載いたします。・・として、
タンザニアのコーヒー農家 0.4%(1.7円)
タンザニアの流通業者・輸出業者 0.5%(2.1円)
日本の輸入業者・焙煎業者・小売業者 8.2%(34.4円)
日本の喫茶店 90.9%(381円)
なおコーヒー危機の2002~03年、タンザニアのコーヒー農家の取り分はさらに降下し、なんと喫茶店コーヒー価格の0.1%になりました(辻村英之「コーヒーのグローバル・フードシステムと価格変動」『季刊at』11号、太田出版、2008年)。・・と記載されている。
これを見る限り、映画『おいしいコーヒーの真実』(原題“BlackGold”)予告編の「カップの中身の数字」は決して大げさなものではない。
予告編を閲覧していくと、
「コーヒー業は地域に密着し 人とつながるしごとなの」「それがスターバック精神よ」・・・そして、「スターバックへコーヒーを供給しているシダモ地域(※エチオピア、シダモ地方と思われる。モカコーヒーで知られている)」のタイトルで同地域の貧しい状況が映し出され、次にスターバックの女店員らしい女性が「ありがとう」と言って手を振る・・・。
このようにフェアトレードコーヒー(※8参照)を扱っている業者や店舗を紹介し、生産国と消費国との間にあるアンフェアな商取引の告発をしているが、同時に、森林保護や環境問題、自然食品、エコな消費スタイルへの取り組みを強調されているような印象も受ける。

途上国のコーヒー生産者の多くが小規模農民である。コーヒー農家に支払われる価格は1990年代後半より恐ろしいほど低下し、2001年の末には30年来の安値となり、「コーヒー危機」が世界の小規模コーヒー農家を襲った(※9参照)。今年2013年も国際指標のニューヨーク市場の取引価格は3年8カ月ぶりの安値をつけ、コーヒー豆の国際価格が下落し続けている。・・・との報道が、たしか、日本経済新聞で5月頃にあったのを思い出す。
理由は、最大生産国のブラジルでは生育に適した天候が続き、今年も豊作の見通しが強いが、一方、大消費地の欧州では需要が伸び悩んでいることによるとのことのようであった。
このようにコーヒーの相場が暴落することで更なる貧困を強いられた農家は、開拓した農地を売却して牧場や宅地へと転用したり、生活に困って周辺の森林を違法伐採するなど、アンサステイナブル(Un Sustainable。非持続的可能)な行動をし、周辺森林が次々と壊され、「ホットスポット」(世界にある熱帯雨林の約30%を占めるアマゾンなど)の原生生態系が大きく破壊されているとも言われている。

今の日本はデフレ経済であり、需要と供給のバランスが崩れている。つまり、物が溢れているのに、市場に出回るお金が足りないから物の値段が、どんどん下がっているのである。
そのため、アベノミクスでは、デフレから脱却しようと、「金融緩和」では、インフレターゲット(物価上昇率の目標)を2%に設定し、お金をどんどん市場に出し、円安にしてインフレにもっていこうとしている。
そんな時、企業としてもやらなければならないことは、「コモディティ化からの脱却」だ・・・という説もある。
コモディティという単語を分解すると、「com(共通)mod(尺度)ity(状態)」となり、単一の尺度で測れる状態になったものと解釈できる。つまり製品やサービスが他と同じ品質やサービスになると共通の尺度で測れる状態になるので、後は価格で評価をするしかなくなってしまうということ。
一杯のコーヒーの値段分のコーヒー豆を販売価格にするといくらになるか?また、又その豆を挽いてコーヒーを飲み物として提供するといくらになるか?
ホットコーヒーの場合、1人分はおよそ150ccが妥当な容量だそうであるが、そのため、180cc前後の容量のコーヒーカップが普通サイズになる。したがってコーヒー一杯がいくらになるかは容量によって異なるが、例えば、今のドトールコーヒーとか、ファーストフードになると150円~200円くらいというところか。
しかし、それが、スターバックスのように、コーヒー体験として売ると1杯が300円~500円位にもなる。つまり、スターバックスに代表されるスペシャリティコーヒー(※9参照)はコーヒーを煎れるサービスにコーヒー体験を付加することで価格帯を引き上げてコモディティ化を脱しているのである。
普通喫茶店などの飲食店では、客席の回転率を重視して商売するのに反して、スターバックスは長く滞在することでホッと癒される、仲間が集まってさらに売上が上がる、という発想をもって商売をしている。スターバックスのように顧客は価値を認めれば客はそれだけの対価を払ってくれる(※11参照)。
企業が存続するために必要な利益の定義に 「WTP-C=P」.という公式がある(※12参照)。
WTPとは“、Willingness To Pay”の略で、製品やサービスに対して、お客さんがつけてくれる価値のことである。
Cは、Cost(コスト)であり、PはProfit(プロフィット)、利益のことである。
つまり、利益を上げるには、お客さんの支払意欲を上げるか、コストを下げるかであるが、コストを下げるとコモディティ化が進み、デフレに落ちていく。ならばWTPを上げるという方向に発想を転換したほうが良いのではないか・・・というのがその論理である。
さて、スペシャルティコーヒーとはどんなコーヒーか?について、日本スペシャルティコーヒー協会(※10)は、以下のように定義している。
スペシャルティコーヒーは、消費者(コーヒーを飲む人)の手に持つカップの中のコーヒーの液体の風味が素晴らしい美味しさであり、消費者が美味しいと評価して満足するコーヒーであること。そして、それが、生産国から消費国にいたるコーヒー産業全体の永続的発展に寄与するものとし、スペシャルティコーヒーの要件として、サステナビリティ(持続可能性)とトレイサビリティ(物品の流通経路などの追跡可能性)の観念が重要なものと考える。・・としている。
映画『おいしいコーヒーの真実』の中で、フェアトレードコーヒーを扱っている業者として扱われているスターバックスであるが、フェアトレードコーヒーは、最低販売価格が保障された小農家からなる農協を通じて供給されているコーヒーのことで、スターバックスは、2000年にアメリカ国内でフェアトレードのコーヒー豆の店頭販売を開始している(日本では2002年10月から販売)。
スターバックスが、フェアトレードコーヒーを実施したきっかけは、同社にフェアトレードのコーヒーを扱うようキャンペーンを張っているアメリカの消費者団体「オーガニック・コンシューマーズ・アソシエーション」の声に応えてのことらしい。ただ、同団体では、スターバックスのこうした取り組みを評価しつつも、「店内で出すコーヒーにもフェア・トレードのコーヒー豆を使って」と働きかけているそうだ(※9参照)。
つまり、高付加価値を付けて店内で出すコーヒーはフェアトレードコーヒーでは同店の求めるコンセプトを満たせないということなのだろうか・・・。この様な話はこれまでとして次の話に移ろう。

コーヒーは世界で最も日常的な飲物であり、全世界での1日あたりの消費量は約20億杯にもなるそうだ。
世界のコーヒー消費量で1位はアメリカ(1300千t位)で2位はブラジル、3位はドイツとなり、日本は約400千tほどで4位であるが、国によって人口も違うので、国民一人当たりのコーヒー消費量を見ると、アメリカは10位にすら入らず(アメリカ11位・日本12位)、世界の一人当たりの消費量、1位の国は、カフェの多くあるフランスでも、エスプレッソ発祥の地イタリアなどではなく、なんと人口 486,000人(2008年)の小国ルクセンブルクだという(※4参照)。

私は神戸っ子なので、もともとコーヒーより紅茶派であり、家では紅茶を飲むことが多くコーヒーはたまにしか飲まなかったが、家の外では、余り紅茶の美味しいところが少ないので、ほとんどコーヒーを飲んでいた。
現役時代、会社で昼食後などは職場の仲間と、また、人と待ち合わせの際や、セールスで出歩くことも多かったので、そんな時は休息を兼ねて喫茶店でコーヒーを飲むことが多かった。少なくとも喫茶店は1日1回は利用していたし、職場内では仕事の息抜き時などに、自販機のコーヒーを最低1~2杯は飲んでいたものだ。
しかし、今の喫茶店の営業状況など昔に比べどうなっているか気になったので、厚生労働省が平成20年11月1日に実施した「生活衛生関係営業経営実態調査」(※13参照)を見ると、“当業界は他業界からの喫茶機能をもったレス トランの進出、 低価格チェーン店の攻勢や自販機の普及などによって、 事業所数の減少が続いており、また、景気の長期低迷により、 サラリーマンを中心と した支出の抑制傾向などと相まって、 業界をとりまく環境は厳しさを増している”・・・とあった。
昔と比べ現在の喫茶店の店内に活気がないと思っていたらやはり数字がそれを示していた(日本における喫茶店の歴史は(ここを参照)。
因みに、データーの中から、1人1週間当たりlコーヒー杯数(2006年10月調査)を見てみると、
○飲食場所別1人1週間当たりlコーヒー杯数では、
昭和58年(8,6杯)に比し平成18年(10,59杯)は合計が1,99杯増加(123%)となっている。
増えているポイント順位では、その他を除くと、1位職場163%(1,70杯→2,78杯、)、2位、家庭125,1%(5,1杯→6,38杯)、レストラン110%(0,1杯→0,11杯)と増加しているのに比し、喫茶店は30,0%(1,10杯→0,33杯、)とマイナス70ポイントと大変落ち込んでいる。コーヒーの楽しむ場所が多様化していることがわかる。
○年齢別1人1週間当たり杯数を見ると
男女とも、40~59歳が最も多く男性が13,30杯、女性が13,82杯。次いで、25歳~39歳の男性が12,87杯、女性が10,52杯である。
これを見てもサラリーマン層の飲む杯数が多いことがわかるが、喫茶店の利用が減って職場や家庭で飲むことが多くなったのは、“コーヒーの楽しむ場所が多様化”だけではなく、やはり、マスコミなどでよく報道されているように、景気低迷によりお小遣いの減ったサラリーマン層の節約によるものではないかと思うのだが・・・。
私などが現役時代は、大体お昼は昼食と喫茶費用に1000円ほどかけていたが、少ない人でも700円~800円をかけいたのではないか今は随分と節約していると聞いている。

飲み物としてのコーヒーは、直前にコーヒー豆から抽出して飲むレギュラーコーヒー(ここ参照)と、抽出の手間を掛けずに手軽に飲むためのものとして、レギュラーコーヒーから工業的に作られたインスタントコーヒー缶コーヒーなど)に大別できる。
コーヒーの淹(い)れ方や飲み方は地域によってさまざまであり、また個人の嗜好によっても大きく異なるだろう。飲み方としては、抽出されたコーヒーに何も加えずそのまま飲むブラック・コーヒー(単にブラックと呼ぶ)や多くの場合、これに砂糖とクリームなどの乳製品を加えて飲む方法など。
インンスタントコーヒーとは、コーヒー豆の抽出液を乾燥させて粉末状に加工したもので、湯を注ぐだけでコーヒーが完成するので、手間がかからず便利である。
また、インスタントコーヒーの簡便性がさらに高められ、缶に入っていて、すぐに飲むことのできる缶コーヒーは、屋外でも手軽に消費可能である点が特徴で、日本では喫茶店ブーム、インスタントコーヒーブームを経て本格的に商品化され、自動販売機の発達とともに飛躍的な成長を遂げた。
今では、本当にコーヒーの愛好家以外は、便利なので、インンスタントコーヒー、缶コーヒーなどを飲む機会の多い人が多いだろう。
コーヒーを即席食品化する場合、抽出液を粉末化するのがもっとも簡易であるが、その過程で、味や香りが損なわれやすい。したがって、インスタントコーヒーの歴史は、加工後も味と香りを維持しようとする努力の歴史であったと言えるようだ。
1899年にアメリカのイリノイ州シカゴに在住していた日本人科学者のカトウ・サトリ博士が、緑茶を即席化する研究途上、コーヒー抽出液を真空乾燥する技術を発明し、1901年にニューヨーク州バッファローで開催されたパンアメリカン博覧会(同博出席のマッキンリー大統領暗殺事件のあったことで知られている)で「ソリュブル・コーヒー」(可溶性コーヒー)と名づけて発表したのがはじめとされる。
しかし、1906年にジョージ・ワシントンという人物がなぜかインスタントコーヒーの特許を取得しており、ワシントンを発明者とする文献も多いようだ。本来の発明者でもないワシントンに対して特許が認められた経緯も謎である。ただ、日本人が発明したということになっているようだがその後、権利化などがされていないため、詳しい情報は分らないようだ。
ワシントンの特許以後、いくつかのメーカーがインスタント・コーヒーの製造販売を行ったが、その中でもっとも大きな成功を収めたのが、スイス・ヴェヴェイに本拠を置く食品商社のネスレであった。
1937年にほぼ現在同様のスプレードライ法によるインスタント・コーヒーを完成。この製品は翌1938年に「ネスカフェ」の商品名で市販され、インスタント・コーヒーの代名詞として知られるようになる。
日本では1950年代からインスタント・コーヒーが輸入され始めたが、1960年代以降国産化が進み、1960年に森永製菓によって日本で初めて国内生産が開始されて一般大衆にコーヒーを広く普及させる契機となった。
尚、ネスレ (Nestlé S.A.) の日本法人であるネスレ日本が我が地元神戸市にあるが、同法人は1913(大正2)年にネスレ・アングロ・スイス煉乳会社のロンドン極東輸出部が横浜に日本支店を開設したのが始まりで、その後1922(大正11)年に神戸に移転したようだ。そして、ネスレ日本は、今年・2013年で、創業100周年を迎えている。

上掲の画像はあるスーパーでの100周年記念売り出しのネスカフェ。
このネスレ日本が、8月末に1960年から半世紀続けてきた「インスタントコーヒー」の呼称をやめると発表した。9月から、コーヒーの製法を全面的に変え、素材にコーヒー豆そのものが入るためだ。今後は、「レギュラーソリュブル(溶ける)コーヒー」と呼ぶ。粉末にお湯を注ぐだけの手間のかからない(インスタント)」入れ方は変わらない。
これからは、粉砕したコーヒー豆と抽出液だけを乾燥させる従来製法とは、豆そのものが入る点が異なる。これまでより、味や香りが本格的になるという。この製法は、ネスレのスイス本部で開発され、2010年から「ネスカフェ香味焙煎」などのブランドで世界に先行して日本で売り始めた。好評だったため世界に先駆けて日本で全面的に切り替えることにしたという。
売れ筋の「エクセラ」などは、希望小売価格を据え置きながら、容量を8%ほど減らす。高岡浩三社長兼最高経営責任者(CEO)は記者会見で「従来のインスタントにはない香り、味わい。これを機に家庭だけでなく、外食産業向けの販売もしたい」と語っている。
日本の公正競争規約上では、インスタントコーヒーを「コーヒーいり豆から得られる抽出液を乾燥した水溶性の粉状、顆粒状その他の固形状のコーヒー」と定義している(※14参照)。粉状で湯を注ぐだけで完成するコーヒーであっても、粒子の中にコーヒー豆を内包する製品の場合、日本では同規約上レギュラーコーヒーに分類されてしまい「インスタントコーヒー」を名乗れないためだ。

日本のように屋外に大量の自動販売機が設置されている国は他に類をみないと言われており、これら自販機などでも販売されている缶コーヒーは、インスタントコーヒーの中でも、いつでもどこでも飲める便利な飲料として人気がある。
日本における、缶コーヒー製品などの「コーヒー」表示は、「コーヒー飲料などの表示に関する公正競争規約」(※14参照)に基づく区分により、製品内容量100グラム中の生豆使用量によって、コーヒー(5グラム以上), コーヒー飲料(2.5グラム以上5グラム未満)、コーヒー入り清涼飲料(1グラム以上2.5グラム未満)の3種類に区分されている。
喫茶点などで供されるコーヒーの場合、1杯(100〜150ml)あたりの生豆使用量は約10グラム程度とされるため、濃度規格をもっと上げるべきだという意見も挙げられていたようだが、飲用するシチュエーション(【situation】 境遇。立場。状態。)が異なる缶コーヒーとレギュラーコーヒーを同列で比較するのは無理があるという観点から、当範囲内に収めるのが妥当という結論に至っているようだ。
2000年代前半から中盤における缶コーヒーの市場規模は推定約3億5000万ケースと横ばい~微減状態で停滞気味に推移しており、要因としては消費者の嗜好変化によるチルドカップコーヒーへの移行があげられる。また、2000年代中盤頃からは、メタボリックシンドロームが話題となるなど健康志向が高まっていることや、エスプレッソなど苦みの強いコーヒーを提供するカフェが普及したことが影響し、糖分の少ないコーヒーが好まれるようになった傾向によって微糖・無糖コーヒーの需要・市場が伸びているという。
昨年のPOSBANK(※15)による、首都圏コンビニエンスストア250店以上の調査(第34週)によると、同週の8月16日(火)に新発売されたサントリーフーズの缶コーヒーBOSS「ゼロの頂点」が発売と同時に突然1位に登場し、その後も1位で推移しているという(※16)。
同データーによると、缶コーヒー等(除・ボトル缶)カテゴリーにおける売り上げ構成比は以下の通り。
1位、サントリー 「ボス ゼロの頂点」  185G 19.89 %
2位、コカ 「ジョージアエメラルドマウンテンB」 7.16 %
3位、アサヒ 「ワンダ モーニングショット 」5.66 %
4位、UCC 「ブラックコーヒー 無糖 185G」 4.83 %
理由は、テレビCMをはじめ何かと話題の多いサントリー「BOSS 超」の大型キャンペーンが影響。この様な商品は、テレビCMの影響力は、想像以上に大きいいようだ。サントリーはCMがうまいからね~。
余談だが、現役時代の私の骨董仲間がサントリーのポスターが欲しくって、サントリー本社へ訪れると、応接室へ通され、お茶を出してくれ、広報の人が丁重にわざわざ訪問してくれた礼を述べた上でそのポスターをくれたという。
同じようなことは、私が銀行の貯金箱をコレクションしているので、余り貯金はしていないが、三菱銀行の大阪のある支店へ行き貯金箱をくださいとお願いすると、係員が何も理由を聞かずに「私どもの貯金箱集めてらっしゃるのですね。ありがとうございます」と言って両手でミッキーマウスのキャラクターの貯金箱を差し出してくれた。
普通、他所の銀行なら、貯金箱を厚かましくも貰いに来たと蔑視するところだろうが、さすが天下の三菱銀行、サントリー同様に自社のものに誇りを持っているところは、”自社の貯金箱を、そしてポスターを評価してくれているからこそ、わざわざもらいに来てくれた”・・・と善意に解釈して、逆に貰いに来てくれた人に感謝し丁重に扱ってくれているのである。
会社がそのように社員にも教育しているのだろう。これが優れた会社と平凡な会社との差なのだろうと感心したものだ。
ところで、コーヒーは発見当初から眠気防止や疲労回復などの作用を持つことに注目されてきた薬用植物であり、最近ではコーヒーに含まれるカフェインには、眠気を覚まし、利尿効果がある。利尿作用については、カフェインが自律神経に作用し腎臓に流れる血流を増大させるため、と考えられている。
又、コーヒーが最近結腸がんのリスクを下げるかもしれないということで話題になったがその他いろいろと言われている。
・大腸がんを予防するかも!?・糖尿病予防になるかも? ・肥満予防、ダイエットに効くかも? ・動脈硬化予防効果があるかも? ・ストレスに効くかも? ・・・ 等々(※17)。

しかし、今年2013年8月27の朝日新聞朝刊の「天声人語」で面白いことが書かれていた、以下にそれを引用する。
”コーヒーをめぐる名句の一つに、18~19世紀のフランスの辣腕政治家タレーランの言葉がある。
「悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように清く、愛のように甘い。汝(なんじ)の名は珈琲(コーヒー)」。イメージはぴったり、修辞はきらびやかで重厚だ。
▼日本へは、江戸時代にオランダ人が持ち込んだという。いまや世界有数の消費国だが、気になる記事を読んだ。1日に4杯以上飲む55歳未満は、飲まない人に比べて死亡率が高いそうだ。米国の研究チームが発表したという。しかし、待てよ
▼6年前、コーヒーを毎日飲む人は肝臓がんにかかりにくいと厚労省の研究班が発表して、小欄も書いた。飲まない人に比べて発症率は約半分と聞いて、気を良くしたコーヒー党もいたに違いない(※18参照)。
▼さて、悪魔なのか、天使なのか。その後の記事を調べると、体にいいと言われたり、良くないとされたりコーヒーも忙しい。大まかに見ると近年は各種の研究でかなり株を上げていた
▼古くから欧州では、コーヒーが毒か薬かでもめたようだ。北欧の王様が2人の囚人にコーヒーと紅茶を飲ませ、どちらが早く死ぬか試したという話もあると聞く。2人ともピンピンしていて、どうやら王様の方が先に死んでしまったらしい
▼珈琲をはじめ、幾つかある漢字の当て字の一つを「可否」としたのは慧眼(けいがん)だった。健康に可か否か。といっても話題ととらえ、朝の一杯、午後のブレークを楽しみたいものだ。一喜一憂で馥郁(ふくいく)たる香りを逃がしては、もったいない。”・・・と。
最近は、健康ブームで、どこのテレビや新聞・雑誌も競って、何々には何が良い・・と、健康に関する報道が朝から晩まで流れている。
そして、テレビ報道のあった日の直後などでは、視聴者がスーパーなどへ押しかけて買うので、スーパーなど店頭からその商品が消えることもしばしば・・。
しかし、数年経ったら、それがいけないと言った報道もよく聞くことだ。昔からなんでも「用い方によって薬にも毒にもなる」・・という。私の大好きな酒だって摂取する量によっては毒にも薬にもなる。そのため、若いころ飲みすぎて肝臓が弱ってしまった私は、今、ほどほどの晩酌を厳守し、毎日を楽しく過ごしている。
天声人語の皮肉ではないが、こーヒーだって、同じことで、自分の体と相談しながら、自分に合った適量を楽しまれるのが一番だろう。

(冒頭の画像「コーヒー」はWikipediaより借用。
参考:
※1:日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/
※2:社団法人 全日本コーヒー協会
http://coffee.ajca.or.jp/
世界のコーヒー(生産量、消費量、在庫量、輸出量、輸入量、価格の推移)
http://nocs.myvnc.com/study/geo/coffee.htm
※4:コモディティとは何か?
http://online-cfd.jp/commodity/
※5:AGF/知る・楽しむ
http://www.agf.co.jp/enjoy/index.html
※6:コーヒー用語辞典-UCC
http://www.ucc.co.jp/enjoy/knowledge/dictionary/dictionary_g-5-6.html
※7:映画『おいしいコーヒーの真実』公式サイト
http://www.uplink.co.jp/oishiicoffee/top.php
※8:フェアトレード-ロハス(lohas)な生活 意味辞典
http://eco.kinomama.jp/lohas/yogo/907/
※ 9:コーヒー危機の原因とコーヒー収入の 安定・向上策をめぐる神話と現実(Adobe PDF)
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/AA11868267/13482084_57_203.pdf#search='%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E5%8D%B1%E6%A9%9F'
※10:スペシャルティコーヒーの定義 - 日本スペシャルティーコーヒー協会
http://www.scaj.org/about/specialty-coffee
※11:不思議なほどスタバの値段が高く感じなくなる4つのレシピ
http://nanapi.jp/23350/
※12:wtp - 川上昌直オフィシャルウェブサイト
http://wtp-profit.com/wtp/
※13:喫茶店営業の実態と経営改善の方策(1)(PDF) - 厚生労働省(Adobe PDF)
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000022xf0-att/2r98520000022xtz.pdf#search='%E5%96%AB%E8%8C%B6%E5%BA%97+%E7%B5%8C%E5%96%B6%E7%8A%B6%E6%B3%81'
※14:レギュラーコーヒー及びインスタントコーヒーの表示に関する公正競争規約
http://www.jfftc.org/cgi-bin/data/bunsyo/A-23.pdf
※15:PosBankとは
http://www.posbank.jp/
※16:POSBANK、売れ筋缶コーヒー。サントリー「BOSS 超」が、いきなり1位 ..
http://blog.goo.ne.jp/pbfaq/e/ed0877eb57e079fce3cf9fd32a4482d8
※17:コーヒーの効能あれこれ [食と健康] All About
http://allabout.co.jp/gm/gc/298701/
※18:はじめよう!ヘルシーライフ|肝がんの予防のために|オムロン ヘルスケア
http://www.healthcare.omron.co.jp/resource/life/81
大腸ガンとコーヒー、 両者の関連とは? | 全日本コーヒー協会
http://coffee.ajca.or.jp/webmagazine/health/doctor/health71
天声人語Web|朝日新聞
http://tenjin.asahi.com/
コーヒーの話(ケルンコーヒー)
http://www.cairn.co.jp/coffee.html
コーヒー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC