昨年の韓国総選挙では、革新系最大野党が、保守系の尹錫悦政権や与党側を「親日」と攻撃する主張を展開し、与党は野党側を北朝鮮に追従する「従北勢力」と主張して、互いに非難し合う選挙戦でした。
日本やアメリカの政権は、尹錫悦政権が親日的であり、親米的なので、いろいろなかたちで支援したのではないかと想像します。
だから、日本の報道も、尹政権が日韓関係の改善に強い意欲を持ち、「自由、人権、法の支配といった普遍的価値を共有する国」ということで、関係を深めるべきであるというような内容のものばかりだったと思います。特に尹政権が、北朝鮮による核・ミサイルの脅威に対抗するため、アメリカや日本との連携強化を重視していることを評価する姿勢が鮮明だったと思います。
だから先日、尹大統領が、国会の議決を尊重せず「非常戒厳」を宣布し、軍を動員するという民主主義の破壊ともいえる挙に出たのに日本政府は非難せず、「今後の状況を注視する」とか、「事態の推移を見守りたい」とか言って、事実上、黙認する姿勢を見せているのは、アメリカの反共的な戦略からくるものだろう、と私は思います。それは、下記の「朝鮮戦争 38度線の誕生と米ソ冷戦」孫栄健(総和社)の抜粋文で、明らかだろうと思います。
ふり返れば、韓国では、植民地支配時代の親日派の排斥の動きは、アメリカ軍政庁統治下の時代に既に始まっていました。1948年5月10日、総選挙が実施され、その後、「制憲国会」が開会されました。そして、「大韓民国憲法」とともに「反民族行為処罰法」が制定されているのです。
でも、アメリカ軍政庁やアメリカと手を結んでいた李承晩大統領は それを受け入れず、ソウル市警を動員し、特警隊を強制的に解散させているのです。米軍の後押しがなければできないことだったと思います。
国民の支持が得られない少数与党の保守系、尹大統領が、「非常戒厳」を宣布し、軍を動員するということは、李大統領と同じように、尹大統領も、アメリカを中心とする西側諸国の支えがあるからできたことだろうと思うのです。
だから日本人は、日本政府が、尹政権の韓国が、「自由、人権、法の支配といった普遍的価値を共有する国」などと言って、同盟関係を強化していることを、そのまま受け入れてしまってはならないと思います。現実は、尹政権の韓国が、「自由、人権、法の支配といった普遍的価値」を尊重しない国だといってもよいと思います。
自民党政権も、戦後、アメリカによって戦犯としての公職解放を解除され、一線に復帰させてもらった戦争指導層の流れをくんでいる政権です。戦時中、国民に「鬼畜米英」を強要しておきながら、戦後は、手の平を返したようにそのアメリカと「日米安全保障条約」を締結し、アメリカに基地を提供し、アメリカの言い成りになる政権をつくりあげた思います。
極論すれば、戦後間もないころの日本の自民党の政治家の多くも、一線に復帰するために、アメリカと手を結んだ売国的政治家で、韓国の「反民族行為処罰法」の対象になるような政治家だったといってもよいと思います。
だから、自民党政権の主張する日韓関係の改善や同盟関係の強化は、アメリカの手下となった売国的政権の関係改善や強化だと思います。両国の一般国民の利益に反するものだと思います。
そして、今や自民党政権のみならず、日本の主要メディアも、アメリカの手下のような報道をしていることを見逃すことができないのです。
29日、朝日新聞は、”「反ワクチン」派ケネディ氏、政権入りの衝撃 科学への不信 陰謀論の入口” と題する神里達博・千葉大学大学院教授の記事を掲載しました。普段、学ぶことの多い学者なのですが、やっぱりアメリカの影響下にあると思いました。「陰謀論」などという言葉を使って、ケネディ氏を貶める記事を書いているからです。
先日、取り上げましたが、世界中で「mRNAワクチン」に反対する声が上がり、日本でも「mRNAワクチン」接種後に亡くなった被害者が声を上げ、「副反応などのマイナス情報を広報せずに被害を広げた」として、国に賠償を求める訴えを起こしました。でも、メディアはそうした声にきちんと向き合い報道することはありませんでした。
「mRNAワクチン」で、薬物のデリバリーシステムとして使用さる脂質ナノ粒子と組合せて使われるという酸化グラフェンは、血栓症が生じやすくする成分で、接種後早期の血栓症(心筋梗塞や脳卒中など)やショックなどは、酸化グラフェンという磁性体が入っているからだと言われています。国を訴えた被害者が言うように、そういう副反応などのマイナス情報は、ほとんど報道されなかったと思います。
ケネディ氏はそういうことを指摘しているのに、神里教授は、”歴史をふり返れば、米国の大企業がさまざまな環境問題や薬害などの原因を生みだしてきたケースはいくつも見つかる”といいながら、なぜ、ケネディ氏を「陰謀論者」にしてしまうのかと思います。
また、中国は、従来の製造方法で、コロナの不活化ワクチンなどを製造し、ロシアも不活化ワクチンや「スプートニクV」という生ワクチンを製造して対応し、トルコも不活化ワクチンを製造したというのに、なぜ、アメリカの影響下にある日本や韓国は不活化ワクチンや生ワクチンを製造できなかったのか、なぜ、輸入し続けたのか、も疑問です。
日本は、ファイザー社やモデルナ社、アストラゼネカ社から、それぞれ、1億回を超えるワクチンを輸入したというのですから、大変なお金が、英米に流れたと思います。
だから、多少時間がかかっても、従来の方法でワクチンを製造するべきだったように思います。それをせず、リスクの伴う「mRNAワクチン」の輸入を続けたのはなぜなのか、と疑問に思うのです。
下記は、「朝鮮戦争 38度線の誕生と米ソ冷戦」孫栄健(総和社)からの抜萃ですが、尹政権と国会の対立は、戦後間もない頃の、李政権と国会の対立以来続いていることがわかると思います。
アメリカとの同盟関係が続いている限り、こうした対立は終わることはないと思います。
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第四章 南北政権の樹立と一般情勢
五節 朝鮮戦争直前の韓国情勢
(四)少壮派議員団の逮捕
そこで、反民法(反民族行為処断法)が政府部内、警察、軍隊内の該当者に及ぼす不安と、それによる行政の混乱、左翼勢力の台頭を考慮すれば、まず、その適用を緩和することによって現政府の組織維持がまず優先されたようだ。
また、対日協力者の処罰よりも、当面緊急の課題である共産主義者取り締まりと、現秩序と体制の安定を維持することの方が重要であるということであった。しかし、特別調査委員会は同49年3月7日までの2ヶ月間に、54名を逮捕し、その後も引き続き該当者追求の手を緩めなかった。
また、韓国国会にはその発足からことごとくに政府の政策を批判する先鋒に立ち、議事を操縦してきた少数のグループがあった。この、1948年12月10日、締結の米韓経済援助協定に反対し、米占領軍の撤退要請決議案を提出し、国家保安法の制定に反対し、憲法改正運動を行ない、反民族行為特別調査委員会を動かしてきたこれらの議員は、在野独立運動家の金九(1949年6月26日、李承晩派陸軍少尉安斗煕により暗殺)の流れを汲むといわれ、とくに少壮派と呼ばれていた。そのうち李文源および李泰奎同5月18日に、李亀洙は同20日に、いずれも国家保安法違反のかどで警察に検挙された。これは、政府内にあったは反民法対象となる旧親日派の反撃とみられた。
国会では同5月24日、88名の議員の署名をもってこれら三名の釈放要求が提出された。また、それをめぐってはげしい論戦が行われたが、結局否決されてしまった。だが、ソウル市では31日、これら88名の議員を共産党と非難する弾劾民衆大会が開かれ、弁明に立った議員柳聖甲が群衆に殴打されるという事件が起った。これを右翼の国会圧迫工作と見る国会側は。政府のこれまでの責任を追及し、両者間の対立は一層深まった。
(五)大統領と議会の対立
国会と政府間の軋轢の要因となったものは、それだけにとどまらなかった。道知事以下の地方行政機関を公選によろうとする国会の態度にもかかわらず、李大統領はすでに2回にわたり、次期尚早を理由としてこれに拒否権を行使した。また、農地改革法、帰属財産臨時措置法も国会の前会期で通過したにもかかわらず、大統領はこれに異議を付して国会に送り返し、再審を要求した。国会が夏季穀物の強制収集を否決したのに対し、政府側それを強行する構えを示した。これよりさき、曺奉岩農林部長官はどう同49年2月21日、糧穀収買資金の不正流用を監察委員会から指摘されて、罷免を要求されて辞職した。さらに、任永信商工部長官も、その財政上の不法行為を監察委員会から指摘されて、罷免を要求された。李大統領は、任長官の事件について、監査委員会の越権行為を非難し、その間の斡旋に努力した。だが、任長官その他の関係者は遂に5月28日、背任、横領のかどで正式に起訴されるに至った。これらはいずれも、政府に対する国会の批判の材料となったものである。
このような政府不信の気運は、ついに6月2日の国会で内閣総辞職要求決議案を可決させるに至った。
決議の直接の動機となったのは、国会がかねてから一般大衆からの寄附金募集を絶対に行わないように政府に要求していたにもかかわらず、地方において警察費の負担が民間に割り当てられている事実が明らかにされたことである。これが各道知事の罷免、内閣総辞職の要求にまで広がったのだった。少壮派の代表盧鎰煥議員が提出した国務総理以下全閣僚の引責辞任要求決議案は、出席議員144名中、82対61、棄権1で可決された。韓国憲法では、国会が内閣の総辞職を行う権限を認めていなかった。実際にも、国会が政府不信を正面から決議したのはこれが最初のことであった。李大統領はこの決議に応ぜず、一部閣僚の更迭を行っただけであった。
ところが、政府と国会の対立はこれにとどまらなかった。従来から両者の不和の一因となってきた反民族行為特別調査委員会所属の特別警察隊に対し、ソウル市警察局が6月6日に非常捜査を行ない、その武装解除するに至ったことから、さらに激しい軋轢を生じるに至ったのである。
つまり、特別調査委員会がソウル市警察局査察課長を民族反逆者として逮捕したのに対し。市警察側は大統領に対し、特別警察隊の総退陣、特別警察隊の解散、警察官の身体の安全保障の三項目を要求した。さらに、これがいれられるぬときは総辞職することを決議するとともに、この挙に出たのである。
この事件は同日直ちに国会で取り上げられ、特別警察隊の武装解除、解散が大統領の直接命令であることが明らかにされた結果、内閣の総辞職、特別調査委員会の現状復帰、政府責任者の処罰を要求し、政府がこの要求をいれるまで、国会は政府の提出する一切の法案および予算を拒否する決議案が89対59で採決された。しかし、大統領は従来の態度を緩和しなかった。逆に、特別警察隊解散の正式声明を6月11日公表するとともに、同13日、再開された国会に出席し、内閣総辞職の要求は受け入れられないと述べた。また、政府、国会を超えた挙国協力の必要性を説き、責任内閣制への憲法改正工作は不可である旨を強調した。
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