虐殺・粛清
前掲の「華僑虐殺-日本軍支配下のマレー半島」林博史(すずさわ書店)に
は、大西覚憲兵中尉が責任者をしている検問所で、軍作戦主任参謀辻政信中佐
が
「何をぐずぐずしているのか。俺はシンガポールの人口を半分にしようと思っ
ているのだ」
と憲兵隊を激励したという一文があります。そして、軍参謀の朝枝繁春少佐は
憲兵隊本部に入ってきて軍刀を抜き、
「・・・軍の方針に従わぬ奴は憲兵といえどもぶった切ってやる」
と強引な指導をしたといいます。
だから憲兵曹長として検問にたった中山三男氏は
「・・・半分くらいは粛清せないかんのだ・・・」「半分もやるならちょっと
くさいものもというわけで・・・」
というようなことを述べているというのです。俄には信じられないのですが、
林博史氏は63人もの住民の証言で、日本軍の忌まわしく非道極まりない虐殺
・粛清の実態を明らかにしています。そして、それは米軍の臨検を受け拿捕さ
れた病院船(偽装)「橘丸」で、日本軍の陣中日誌が没収され、処分されるこ
となく後に返還されたことによって確認されることとなりました。公文書で粛
清の命令や事実が裏付けられることとなったわけです。粛清が一九四二年三月
の約一ヶ月に集中して、下記のように進められたことが分かりました。
第一次粛清:レンバウ地域 第二次粛清:クアラピラ南部
第三次粛清:クアラピラ北部 第四次粛清:ジェレブ地域
第5次粛清:セレンバン県北部 第六次粛清・セレンバン市とマラッカ市
かつて、高校用英語教科書に、戦争中のマレーシアのこととして日本兵が赤
ん坊を空中に放り投げて銃剣で突き刺したという話が入っていたそうです。こ
の教科書は、文部省の検定に合格していたにもかかわらず、自民党の圧力で出
版社側が自主的に別の内容に差し替えるという問題が1988年秋に発生した
といいます。自民党や一部マスコミは「そのような残虐行為をおこなったとい
うことは事実かどうか分からない」と主張したようですが、多くの住民の虐殺
・粛清の証言内容と、上記のような赤ん坊の刺殺に関する何カ所かでの住民の
目撃証言、および陣中日誌の粛清命令などを考え合わせると間違いのない事実
であると思われます。