真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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皇太子妃方子の子「晉」第1王子の死

2009年12月24日 | 国際・政治
 「朝鮮王朝最後の皇太子妃」本田節子(文藝春秋)には、李王家世子(大韓帝国皇太子)李垠と方子(梨本宮守正王第一王女)の子「晉」第一王子の死について、恐るべき説の存在が取り上げられている。それは、李方子が「流れのままに」の中で書いている理解とは正反対ともいえるものである。すなわち、「晉」の毒殺は、高宗皇帝毒殺の仕返しなどではなく、「李王家断絶を意図した日本人による毒殺である」、という説である。当時の日韓関係を考えれば、あり得る話であるだけに、真実を闇に葬むれば、「閔妃、高宗、晉と李氏朝鮮王朝の3人が、次々に日本人によって殺害された」と受けとめる韓国人と、今や、そうしたことは想像もしない日本人の溝は、永遠に埋めることができなくなるのではないかと懸念せざるを得ない。いずれにせよ、真実が明らかになれば乗り越えることは可能であろうが、謎として残れば乗り越えようがないと思うからである。そうした意味で「方子を診察した医師3人は殺された」は、聞き捨てならない。
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                 第6章 王子「晉」の死

 8ヶ月の生命


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 韓国では、幼くて逝った場合、葬儀をせず埋葬だけするのが古来からの習わしである。だが、晉の場合は、成人親王の資格で葬儀が執り行われた。そして、祖母厳妃の墓所、清凉里永徽園(チョンリャンリヨンヒウオン)の峰続きに埋葬された。 私がお参りしたとき、盛り土を被う芝の中に一輪のねじり花が風に吹かれていた。

 晉の死因については、「毒殺です」と言下に答える人、「真相はわかりませんが、毒殺に違いないと思います」という人、ほとんどの答えがこのどちらかであった。
 理由は、李太王の仕返しが一番多く、閔甲完側の怨恨説をいう人が何人かあった。その中の数人の人から恐ろしい話を聞いた。その内容を総合すると、方子が天皇家でなく李王家に嫁入りが決まったのは方子が石女(うまずめ)
<不生女(子を産めない女)>だから、というのである。ところが晉が生まれてしまい、方子を診察した医師3人は殺された。だから、晉の死も、李太王や閔家の仕返しなどといわれているが、真実は李王家の血筋を絶やすために日本側がとった処置である、というものであった。
 韓国のある大学の理事長もこの説であり、誰もがこれをいう時声をひそめた。
 石女の診察のことを方子に尋ねると、
「結婚前の私がそんな診察を受ける訳がありません」
 とんでもないという表情であり、語調であった。


 ソウルの街角の立話で聞いた話は毒殺説を全く否定するものであった。その時は帰国の時が迫っていて、くわしい話を聞く時間がなく、改めて問い合わせの手紙を出した。ソウル在住の森田芳夫にである。
「晉殿下のこと──私が直接承ったのは、ソウル(当時京城府)南山町で開業しておられた池田小児科病院院長池田秀雄氏からです(当時私は学生)。『生まれて8ヶ月の赤ちゃんを連れて長い旅行をされ、慣れない土地で大きな行事に参列されたのは赤ちゃんに無理だった。疲労からくる消化不良だよ』と断定されました。池田先生は当時、小児科の開業医として名声の高かった方なので、危急の時に呼ばれて他の医師と共に診察に当たられたのでした」

 森田は当時、池田医師宅に下宿していた。

 母伊都子妃の自伝には、
「帰国を前日にして、消化不良の自家中毒という電報ではありましたが、毒殺以外には考えられませんでした。それをなんとか防ぐ方法はなかったものだろうか。侍女から乳母まで日本人を連れて行って用心はしていたであろうに……。だが、遺体解剖ができない以上、晉の死はやはり永遠の謎として葬り去られる運命にあったのです」
 と書かれている。


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