「梶村秀樹著作集第1巻 日本人と朝鮮人」梶村秀樹(明石書店)には、竹島=独島についておもしろい推論がある。現在の竹島=独島は、江戸時代には日本では「松島」と呼んでいた。そして鬱陵島を「竹島」ないし「磯竹島」と呼んでいた。松が生えない岩礁をなぜ「松島」と呼んでいたのか、という謎についての推論である。まず「竹島」の呼称の方が先にあって、それと対になる名称として後から「松島」なる名称が生まれたと考えられるというのである。そして、それは日本側も韓国側同様に、当時、竹島=独島を鬱陵島の属島ないしは兄弟島としてとらえていたことのあらわれだろうというのである。
梶村秀樹著作集第1巻の竹島関連の記述は、固定観念を持って断定的に書かれたものとは異なり、客観的で公平であると思う。ところどころに、朝鮮史を知り尽くした人ゆえであろうと思われる鋭い指摘がある。川上健三説と比較すると、無理のない判断に基づいて書かれていることは、下記の抜粋部分からも感じられるのではないかと思う。(ただし、文献や史料の紹介が少ないことがやや残念ではある)
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Ⅳ 日本人と朝鮮人
竹島=独島の地理的位置
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歴史的経過についての論争と関連する大きな論点として、鬱陵島から竹島=独島が見えるかどうかという問題がある。日本側は一貫して見えるはずがないと強調してきた。特に川上健三前掲書(『竹島の歴史地理学的研究』古今書院、1996)は数式まで掲げてその主張を詳論している。
川上によれば地球が球体であることから、地上の二点間の絶対的物理的視達限界は次の公式で表されるものとなるという。
D=2.09×(√H+√h)(ただし、Dは視達<海里>距離、Hは対象物体の海面上の高さ<メートル>、hは観測者の眼の高さ<メートル>
この公式から川上は、海面上に浮かぶ船上から観測して竹島=独島の最頂部が見える限界は約30海里と算出し、49海里離れた鬱陵島からは見えないと説く。この計算自体は正確であるが、川上は、鬱陵島の海抜0メートルの浜辺から眺めると仮定している。しかし、鬱陵島の最高峰聖人峰は海抜985メートルもあり、李漢基氏が反論しているように山に登れば同じ公式を使っても視達距離は全く異なってくる。竹島=独島の最高峰を174メートルとして計算したばあい、49海里離れた鬱陵島からでも、海抜120メートル以上の所からなら見えることになる。ただし、120メートル地点からでは、頂上の一点が点として見えるにすぎない。竹島=独島の海抜50メートル以上の部分が面として視認できるのは、鬱陵島の海抜284メートルの地点である。また海抜200メートルの地点からなら、約96メートル以上の部分が見えることになり、少なくとも竹島=独島の西島頂部の三角形が見えることになる。つまり鬱陵島の、200~300メートルの高度の東南がひらけた場所からなら、竹島=鬱陵島は水平線上に小さくではあるがとにかく見える。そうした視達可能地点は地図を開いてみれば鬱陵島には随所にあることが分かる。川上氏もこういう単純な事実に気づいていないわけではなく、そこで、「往時の鬱陵島は全島密林におおわれていたから高所に登ること自体困難であり、たとえ登っても樹木にさえぎられて見えなかったにちがいない」と説くのだが、これはやはり無理な推論であろう。985メートルの所まで登らねばというならともかく、300メートルまで登ればいいのだから、それ以上の高度の地点は無数にあるのだ。実際、1438年に空島政策が最終的に実行されるまでは少なくても、公式的にも鬱陵島には多くの朝鮮人が定住していた。つまり当然漁業だけでなく農業を行っていたと推定されるのだが、鬱陵島もやはり海岸部は概して急峻で、むしろ200~300メートルの台地上に比較的平坦な開墾適地が多く、現在もそんな土地に少なからず人家があり畑がひらかれている。特に旧時の火田式農耕なら、そんな土地がまず開墾された可能性が高いはずなのである。従って、密林にさえぎられてどこからも見えなかったとはどうしても考えられない。
なお、以上の議論は空気の明澄度は一応度外視してのもので、気象条件のよい時なら見えるということである。現に東京から富士山までの絶対距離は、鬱陵島と竹島=独島の間よりかなり遠いが、我々は冬の晴れた日に東京から肉眼で難なく富士山を見ることができる。もっとも水平線部分ほどもやがたまりやすいから、高度が低いほど視認条件が悪くなることは確かだが、スモッグの東京より日本海のどまん中の方が空気が澄んでいることも確かであろうから、空気の明澄度ゆえに肉眼視認が絶対不可能と論ずることは無理があろう。なお、真偽は定かでないが18世紀の日本側史料に、隠岐の島北部の山頂からさえ竹島=独島が視認できたとする記述がある。鬱陵島に何百年も定住し、農耕も営んでいながら、竹島=独島の存在に全く気づかなかったろうと推論することは、朝鮮人民をよほどぼんやりした人々とみなす偏見に基づくことだ。
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