真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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大陸政策の一環「万宝山事件」の詳細

2011年07月20日 | 国際・政治
 万宝山事件に関しては、当時吉林総領事であった石射猪太郎が、その著書「外交官の一生」(中公文庫)で「非はわれにあり」と書いている。また、「借地契約そのものの合法性にも疑問があった」とも書いている。にも拘わらず、彼は日本の立場を擁護して苦闘したのである。そこで、「万宝山事件」とはどのような事件であったのか、さらに、その詳細を調べるために「万宝山事件研究」朴永錫(第一書房)を手にした。そして、「万宝山事件の経緯」と題された文章から、地域の所在について書いた部分のみをカットして抜粋した(下 記)。
 著者朴永錫(パクヨンスウ)は高麗大学大学院史学科卒の韓国の歴史学者である。当時の日本・韓国・中国の三国を幅広く研究し、万宝山事件の事実経過はもちろん、歴史的背景や事件後の中国人襲撃事件とその事態収拾の状況、中国における排日運動と日中間外交交渉などについて、様々な事実を明らかにしつつ考察している。なかでも、万宝山事件が韓国内における「中国人襲撃事件」へと発展したのは、関東軍を背景とする関係機関の情報操作の結果である、という指摘は見逃すことができない。次の課題としたい。
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               第二章 万宝山事件の経緯

第一節 万宝山地域の土地商租権問題


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 事件発生の原因は、長春に居住する郝永徳が日本側と密かに結託して個人的に長農稲田公司を設立した後、1931年4月16日に、伊通河東側の三姓堡官荒屯一帯を蕭翰林等の12戸と10年期限契約を締結したことから始まる。「地主蕭翰林張鴻賓等12人与郝永徳所訂租地契約」の最後の第13項には「此契約於県政府批准日発生効力如県政府不准仍作無効」と明記されていたのであるが、このような条項があったにも拘わらずそれを履行せず、郝永徳はこの地を更に「郝永徳与鮮人李昇薫等9人所訂転租契約」を結んで韓農188名を呼び寄せたのであった。

 かくして、韓人は到着するするや否や用水路の掘削工事に取りかかったのであり、伊通河を塞き止めて水路を設けたのである。従って中国人の抗議が矢継ぎ早に起こり、中国の警察も現地から去るよう屡々通告したが、応じなかった。
 更に工事場の中間地帯は中国人地主の孫永清等41戸の所有地であったが、郝永徳と韓農たちは開墾地の中国人地主の諒解も得ずに、20余里の水路と中国人の土地40余晌を掘り返してしまった。このことから事件は漸次加熱し始めたのである。


 この時、長農稲田公司経理の郝永徳が租地契約の第13項に明示された長春県政府の許可を得ずして更に転租したのは、或る陰謀から故意にしたものと考えられる。それは長農稲田公司なるものが、日本の帝国主義的大陸侵略の一環として、日本の資本を密かに滲透させる為に利用して作った御用会社であったからである。その裏付けとして次の如き、中国国民党吉林省党務指導委員会からの、8月14日付の万宝山事件調査報告書第2項を挙げることが出来る。

 秘密情報によると日本人は伊通河に大水路17個所を作り、沿道に稲田1,000晌から2,000晌の水田耕作を経営する土地を確保し て、韓農2,3万名を収容せんとしている。又南満路を延長して馬家哨口に至らしめ、大倉庫を作り糧穀を買収備蓄して、日本領事館と 警察の支部を設置せんとする陰謀から、極秘裡に詳細なる測量まで終えた。次に伊通河の堤を築き水路を掘るのは、彼等の意図した工事 の一つに過ぎない。かくして長農稲田公司を中国人の郝永徳をして設立せしめて、「長」は長春、「農」は農安という意味で、長農稲田公司と呼ぶことになった。

 これで見ても日本帝国主義が、爾後の関東軍をはじめとする日本人の食糧を現地調達する為に、長春から農安までの大規模農場を開拓する陰謀が介在していたことが分かる。
 しかし韓農の立場から見ると原租地者が第三者に再商租したことになるが、この第2契約者である韓農としては、その実施に於いて長春県政丁の承認を必要とする規定はなかったのである。従って、県政庁からは中国人の郝永徳が許可を得て韓農に転租すれば良かったので、一切韓農にはその責任がないものとみなければならない筈である。しかし中国側は郝永徳が韓農と転租契約を締結したけれども、原租地契約も県政庁の許可を得ていないので無効であり、転租契約を結ぶ権利がない郝永徳が韓農と締結した転租契約は、当然無効であると主張している。


 そして中国側は郝永徳が故意になしたことで、既に日本の帝国主義者と内通して事前に謀議したものとみたのである。又ここで中国公安署側が韓農の水路工事を中止させながら、転租契約者の中でも、李錫昶をその主謀人物と看做したところをみると、李錫昶等の韓国人も、その陰謀に主動的な役割を果たしたものといえよう。李錫昶が関連しているとみられるのは、日本帝国主義の資本が中国人郝永徳と同時に韓国人とも結託したかも知れないが、大部分の韓農たちは稲栽培にのみ利用されたものと推察することができるからである。
 
 一方、この万宝山地方での韓中両民族農民の衝突は、日本帝国主義の大陸侵略上に於いての土地商租権の問題に帰結するものでもあった。郝永徳は中国人地主蕭翰林、張鴻賓等の12名と租地契約を結んだのであるが、その租地契約の第13項には、「この契約は県政庁の批准の日から効力が発生する。若し県政庁の許可を得られない場合は無効である」という但し書き付いている。しかるに郝永徳は県政庁の許可を得ていない租地契約を以て、再度在満韓人の李昇薫等の9名と転租契約を締結したのであった。だから、韓農たちを取り囲む日中間の土地商租権の紛争は、ここに於いても尖鋭化されることになった。

 特に東三省当局や南京政府としては、排日運動が、即ち在満韓人への圧迫と追放及び土地の外国人への貸与を国土盗売法によって処断することだと考えていたのである。このような時に、郝永徳が日本帝国主義と結託して張春県政庁の許可を得ずして、転租契約を結んだということは、中国側としては大変なる違法行為であった訳である。しからば先ず租地契約上の13項目を対象にした日中間の是非を究明することによって、転租契約が成立するか否かに就いて検討することにしよう。

 リットン報告書によると、郝永徳は、本租地契約が張春県長の許可を得ることによって有効であるにも拘わらず、許可を得ずして韓農たちと転租契約を結んだという。だから転租契約は無効だといえるが、租地の契約自体は中国人同士の約束だともいえる。郝永徳と韓国人との転租契約には、別途の但し書きが付いていなかった。即ち、原商租者が第3者に再商租したことになっているのである。この第2契約者はその締結に於いて、官憲の承認を必要とする規定はないのである。

 一方、中国側では、長春市政籌備処長が遼寧吉林政府の主席及び吉林省政府の報告によって発表されたところによると、租地の契約を県政庁の許可を得ずして転地契約をしたという。中国側の外交文書には、租地の契約は長春県長の許可を得ていないから無効であるとの主張に反して、満州青年同盟の長春支部長の小沢開策の現地の真相報告によると、許可を得ているとのことであった。即ち、伊通河流域は水田の適地にして万宝山一帯の東支線一間堡の付近は、10年前から在満韓人、又は、日本の大倉組等の日本人の間で、調査及び計画がなされたが1931年までその実現をみるに至らなかった。しかし、その理由は資金の事情もあったが、灌漑用の水路等がその主な原因であったといえる。その所へ中国人郝永徳が沈宣達(韓国に帰化した中国人)、それから、姜直順等と親しい間柄であったので、1926年、一間堡に3人は共同投資して農場経営を目論んだが、容易ならず失敗している。その後万宝山の水田開発計画を立て1931年、吉林省政府と万宝山第3区公安局から正式に許可を得たということになっている。
 
 以上の如く中国側に於いては県長の許可を得ていないから無効であるとの主張に対し、日本側に於いては正式に許可を得たと主張しているのである。しかるに第3者の立場で調査したリットン報告書には、許可を得ていないことになっている。従って総合的な検討を加える時、許可を得ていないという中国側の主張が客観的に妥当視されるものと考えられる。

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