真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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古文献における尖閣諸島と無主地先占の疑問その3

2012年09月26日 | 国際・政治
 <古賀辰四郎という人物が、沖縄近海の尖閣諸島(釣魚諸島)で海産物やアホウ鳥の羽毛の採取による事業をすすめるため、1885年に沖縄県に土地貸与を願い出たので、沖縄県が政府に日本領とするよう働きかけた。それを受けた政府が、現地調査の結果「無主地」と判断し、尖閣諸島(釣魚諸島)の領有が1895年に閣議決定された>という話は、下記の「沖縄県令西村捨三」の文書と「外務卿伯爵井上馨」の文書を読むと、とても真実とは思えない。
 沖縄県ではなくて内務省がこの島を領有しようとして、沖縄県に調査するよう「内命」を発しているのである。なぜ「内命」であったのかということが重要であるとともに、沖縄県令西村捨三も外務卿井上馨も尖閣諸島(釣魚諸島)が無主地でないことを意識して対応していたことが分かる。
 特に、直ちに領有を決定しようとする内務卿山県有朋に対する外務卿井上馨の返信には「近時、清国新聞紙等ニモ、我政府ニ於テ台湾近傍清国所属ノ島嶼ヲ占拠セシ等ノ風説ヲ掲載シ、我国ニ対シテ猜疑ヲ抱キ、シキリニ清政府ノ注意ヲ促ガシ」と書かれているのである。これを「無主地」として領有を閣議決定したのは、日清戦争の勝利が確定的となり、沖縄県令のいう「懸念」がなくなったからであり、また井上馨のいう「他日の機会」が到来したからであると考えざるを得ない。合法的・平和的に無主地先占されたとは考えられないのである。「尖閣列島-釣魚諸島の史的解明」井上清(第三書館)からの抜粋である。
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11 天皇政府は釣魚諸島略奪の好機を9年間うかがいつづけた

 ・・・
 琉球政府や日共は、85年に古賀の釣魚島開拓願いをうけた沖縄県庁が、政府に、この島を日本領とするよう上申したかのようにいうが、事実はそうではなく、内務省がこの島を領有しようとして、まず、沖縄県庁にこの島の調査を命令した。それに対して、沖縄県令は85年9月21日次のように上申ししている。

 「第315号

  久米赤島外二島取調ノ儀ニ付上申
 本県と清国福州間ニ散在セル無人島取調ノ儀ニ付、先般、
在京森本本県大書記官ヘ御内命相成候趣ニ依リ、取調ベ致シ候処、概略別紙(別紙見えず──井上)ノ通リコレ有リ候。抑モ久米赤島、久場島及ビ魚釣島ハ、古来本県ニ於テ称スル所ノ名ニシテ、シカモ本県所轄ノ久米、宮古、八重山等ノ群島ニ接近シタル無人ノ島嶼ニ付キ、沖縄県下ニ属セラルルモ、敢テ故障コレ有ル間敷ト存ゼラレ候ヘドモ、過日御届ケ及ビ候大東島(本県ト小笠原島ノ間ニアリ)トハ地勢相違シ、中山傳信録ニ記載セル釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼ト同一ナルモノニコレ無キヤノ疑ナキ能ハズ。
 果シテ同一ナルトキハ、既ニ清国モ旧中山王ヲ冊封スル使船ノ詳悉セルノミナラズ、ソレゾレ名称モ付シ、琉球航海ノ目標ト為セシコト明ラカナリ。依テ今回ノ大東島同様、
踏査直チニ国標取建テ候モ如何ト懸念仕リ候間、来ル10月中旬、両先島(宮古、八重山)ヘ向ケ出航ノ雇ヒ汽船出雲丸ノ帰便ヲ以テ、取リ敢ヘズ実地踏査、御届ケニ及ブベク候条、国標取建等ノ儀、ナホ御指導ヲ請ケタク、此段兼テ申上候也
  明治18年9月21日
                                     沖縄県令 西村捨三
  内務卿伯爵  山県有朋殿」


 ・・・
 沖縄県令の以上のようなしごく当然な上申書を受けたにもにもかかわらず、山県内務卿は、どうしてもここを日本領に取ろうとして、そのことを太政官の会議(後の閣議に相当する)に提案するため、まず10月9日、外務卿に協議した。その文は、たとえ「久米赤島」などが『中山傳信録』にある島々と同じであっても、その島はただ清国船が「針路ノ方向ヲ取リタルマデニテ、別ニ清国所属ノ証跡ハ少シモ相見ヘ申サズ」、また「名称ノ如キハ彼ト我ト各其ノ唱フル所ヲ異ニシ」ているだけであり、かつ「沖縄所轄ノ宮古、八重山等ニ接近シタル無人ノ島嶼ニコレ有リ候ヘバ」、実地踏査の上でただちに国標を建てたい、というのであった。この協議書は、釣魚諸島を日本領にする重要な論拠に、この島が沖縄所轄の宮古・八重山に近いことをあげているが、もしも80~82年の琉球分島・改約の方針が持続されていたら、こういう発想はできなかったであろう。
 これに対し外務卿井上馨は、次のように答えている。


  「10月21日発遣
  親展第38号
                                    外務卿伯爵  井上 馨
     内務卿伯爵  山県有朋殿
 沖縄県ト清国福州トノ間ニ散在セル無人島、久米赤島外二島、沖縄県ニ於テ実地踏査ノ上国標建設ノ儀、本月九日付甲第83号ヲ以テ御協議ノ趣、熟考致シ候処、右島嶼ノ儀ハ清国国境ニモ接近致候。サキニ踏査ヲ遂ゲ候大東島ニ比スレバ、周囲モ小サキ趣ニ相見ヘ、殊ニ清国ニハ其島名モ附シコレ有リ候ニ就テハ、近時、
清国新聞紙等ニモ、我政府ニ於テ台湾近傍清国所属ノ島嶼ヲ占拠セシ等ノ風説ヲ掲載シ、我国ニ対シテ猜疑ヲ抱キ、シキリニ清政府ノ注意ヲ促ガシ候モノコレ有ル際ニ付、此際ニワカニ公然国標ヲ建設スル等ノ処置コレ有リ候テハ清国ノ疑惑ヲ招キ候間、サシムキ実地ヲ踏査セシメ、港湾ノ形状并土地物産開拓見込ノ有無ヲ詳細報告セシムルノミニ止メ、国標ヲ建テ開拓等ニ着手スルハ、他日ノ機会ニ譲リ候方然ルベシト存ジ候
 
且ツサキニ踏査セシ大東島ノ事并ニ今回踏査ノ事トモ、官報并新聞紙ニ掲載相成ラザル方、然ルベシト存ジ候間、ソレゾレ御注意相成リ置キ候様致シタク候。

 右回答カタガタ拙官意見申進ゼ候也。」


 ・・・
 つまり、井上外務卿は、沖縄県の役人と同様に、釣魚諸島は清国領らしいということを重視し、ここを「このさい」「公然」と日本領とするなら、清国の厳重な抗議を受けるのを恐れたのである。それゆえ彼は、日本がこの島を踏査することさえ、新聞などにのらないよう、ひそかにやり、一般国民および外国とりわけ清国に知られないよう、とくに内務卿に要望した。しかし、この島を日本のものとする原則は、井上も山県と同じである。ただ、今すぐでなく、清国の抗議を心配しなくてもよいような「他日ノ機会」にここを取ろうというのである。山県も井上の意見を受けいれ、この問題は太政官会議にも出されなかった。
 ・・・(以下略) 


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