真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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パル判決書

2016年03月14日 | 国際・政治

パル判決書

 極東国際軍事裁判(東京裁判)において連合国が派遣した判事の一人でインド代表のラダ・ビノード・パール(英語表記: Radhabinod Pal)は、被告人全員の無罪を主張したことで知られています。
 彼の「意見書」である通称『パル判決書』の「第七部 勧告」は、「以上述べてきた理由にもとづいて、本官は各被告はすべて起訴状中の各起訴事実全部について無罪と決定されなければならず、またこれらの起訴事実の全部から免除されるべきであると強く主張する」という文章で始まっています。
 日本では、このパルの「無罪」論を正しく受け止めず、「南京大虐殺はなかった」という主張に無理矢理結びつけて、先の大戦における日本軍の軍事行動や日本兵の所業を正当化しようとする人たちがいることを残念に思います。

 パル判事は南京において、日本兵が残虐行為を働いたことを否定してはいません。すでに「南京事件 パル判決書」で引用したように、パル判事は「これに関連し本件において提出された証拠に対し言いえるすべてのことを念頭に置いて、宣伝と誇張をでき得る限り斟酌しても、なお残虐行為は日本軍のものがその占領した或る地域の一般民衆、はたまた戦時俘虜に対し犯したものであるという証拠は圧倒的である」と言っているのです。
 そして、「これらの恐るべき残虐行為を犯したかもしれない人物は、この法廷には現れていない。その中で生きて逮捕されたえたものの多くは、己の非行にたいして、すでにみずからの命をその代価として支払わされている。かような罪人の、各所の裁判所で裁かれ、断罪された者の長い表が、いくつか検察側によってわれわれに示されている」として、東京裁判における被告席の司令官や政治家にその責任を負わせることには問題があると指摘しているのです。
 だから私たちは、パル判事がその『判決書』で展開した極めて重要な問題提起の数々を、正しく受け止めて生かしていくことを考えなければならないのだと思います。そこで、そうしたことを教えてくれる『共同研究 パル判決書』東京裁判研究会(講談社学術文庫)の中から、「」(資料1)と 共同研究者の一人、角田順氏の書いた「第三章  パル判決書と昭和史」の中の「六、無罪勧告の意味」(資料2)および『パル判決書』の「第六部 厳密な意味における戦争犯罪」の中からパル判事自身の文章(資料3)を抜粋しました。そして特に記憶したい文章を赤字にしました。
 パルは、原子爆弾使用の決定に関しても、戦争犯罪と関連して重要なことを指摘しています。
資料1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   序
 東条英機元首相以下25名の戦犯被告を有罪とした東京裁判(正しくは極東国際軍事裁判所の裁判)
の多数派判決を正面から堂々と論駁したインド代表パル判事の反対意見書(いわゆる『パル判決書』)は永遠に歴史に残る「真理の書」である。そこに脈々と伝わる東洋的哲理、にじみ出る正義感、裁判官としての誇りと信念、真に法による世界の平和を祈念する法学者としての人類愛、強力な占領権力の圧迫下、身にふりかかるやも知れぬ危険を顧みず、裁判を不当と断じた勇気、とくに、戦勝国の大統領、しかも占領軍最高司令官自身の属するアメリカ合衆国大統領の、原子爆弾使用の決定を、第一次大戦におけるドイツ皇帝カイゼルの敵国民全殺戮指令ないし今次大戦におけるナチス指導者の虐殺指令に匹敵すると叫んだ判事の心境は、17世紀、当時なお人間の法の上に超然としていたローマ法皇や諸皇帝、諸国王も、ひとしく人間の法にしたがうべきものであると叫んだ近代自然法の父フーゴー・グロティウス(『戦争と平和の法』<1625年>の著者、近代国際法の先駆者の一人)の覚悟にもくらべることができよう。

 この『パル判決書』は、法廷の朗読も行われず、日本国民に無用の刺激を与え、占領政策に有害なものとして、占領軍当局は、その公刊も禁じた。その後、部分的に一、二出版され、また東京裁判刊行会『東京裁判』(全三巻)の下巻に全文が収録された。しかし、、前者は「日本無罪論」の名がとかく一般国民に誤解を与えてパル判事の真意を伝えず、後者は、裁判の全貌をつたえ、その細かい情景まで描写しえたことは、学術書ではとうてい及ばぬところであるが、専門家の引用に適せぬのみならず、非専門家にとっても、判決書そのものが、難解至極の上、膨大であってはとりつくすべもないであろう。そこで、さきに『東京裁判』を刊行した「東京裁判刊行会」は、一には、若い世代の教育にたずさわる人々が、東京裁判そのものの全貌およびそこで占める『パル判決書』の位置とその意義を客観的に理解できるよう、なるだけコンデンスし、かつ学者の見方を二、三附すること、ならびにでlきるだけ専門家の引用にも耐えるような全文を附することを本研究会に委嘱された。1964年5月ごろから、東京裁判の研究を行ってきた本研究会は、その趣旨に賛同して、この仕事に協力することになった。かねがね、われわれは、東京裁判の研究が、わが国でもっと早くから、もっと広く、そして深い徹底さでおこなわれなければならなかったし、行われれていなければならないし、また、行われるようにならなければならないと痛感していたが、政府、学界、一般のいずれの怠慢かは別として、裁判終了後裁判記録が公刊されておらず、却下証拠のごときは印刷もされていない。研究しようとするものは、裁判当時配布された原本によるほかはない。邦文速記録は国会議事録のような体裁で印刷されていたが、英文は全部タイプ謄写である。これを全部そろえて整理している大学や研究所は僅々数カ所であろうし、外国でも数えるくらいである。ニュルンベルク裁判の全記録が索引二巻までも入れて全43冊に本印刷で公刊されているに比すれば雲泥の差である。東京裁判記録が本印刷で公刊されないのは、連合国だった国々が、かえってこれを欲しいからだともいわれている。さすれば、怠慢からにせよ、無関心からにせよ、われわれ日本の国民の責任は、なおさら大きいといわなければならない。ひろく資料を提供することはわれわれの義務である。われわれは、その意味からいっても、まず手はじめにわが国の人々に資料を提供したいのである。本判決もさることながら、日本国民がいまもっとも読んでおかねばならないのはなんといっても『パル判決書』っである。せめても本書の刊行が、この要請に応える第一歩であると理解されれば、企画者として、また参加者として、このうえなき幸いである。

資料2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                    第三章  パル判決書と昭和史
          
   六、無罪勧告の意味
 パル判決書第七部「勧告」の趣旨は、冒頭の一句、
「以上述べて来た理由にもとづいて、本官は、各被告は、起訴状の中の各起訴事実全部につきすべて無罪と決定されなければならず、またこれらの起訴事実の全部からすべて免除さるべきである、と強く主張する」(判下・727)
に尽きている。しかしながら、ここでわれわれが注意を払うべき点はこの「無罪」の意味である。それは、目下の論点たる共同謀議だけに限るとしても、日本の為政者、外交官、および政治家は「共同謀議者ではなかった。かれらは共同謀議をしなかった」(判下・466)。したがって、検察側の共同謀議の訴追には該当せず、したがってその関係からは無罪とせざるを得ない、という意味なのであり、広く一般的に、あるいは日本の国内法上から無罪である、もしくは道義上も責任がない、という種の判断とは全然無関係なのである。したがってパル判決書を至当と認める立場に立つ場合においても、なお昭和の日本の為政者、外交官および政治家に対する一般的あるいは国内法上の追及、および道義上の糾明の自由を、われわれは全然損なわれずに保障されているのである。パル判事もまた、その判決書が全面的共同謀議の検討を離れて、広く日本の要路者あるいは日本国の「行動を正当化する必要はない」(判645)、日本の「行為が果たして正当となしうるものであったかどうか、を検討することは全然必要ない」(判766、858)との建前を堅持して、
「当時の日本の政策が隣国に対する正義と公平に基づく賢明な利己政策であったか、あるいはたんに主我的な侵略政策であったか、われわれの現在の目的のためにはさほど重大事ではない」(判746)
と断言しているのである。しかしたとえば、
「無謀で卑怯でもある」張作霖殺害事件(判786)
「1931年9月18日以降の満州における軍事的な発展はたしかに非難すべきものであった」(判793)
 日本の大東亜共栄圏建設計画推進にさいしての米国の態度は「無理であり、攻撃的であり、あるいは傍若無人的であったかもしれない」(判下・375)
と言うように散見するパルの判断から演繹するならば、昭和日本に対するパルの総括的な評価が
「日本がある特定の時期に採用したどの政策にしても、あるいはその政策にしたがってとったどの行動にしても、それはおそらく〔法律的に〕正当化できるものではなかったであろう。…日本の為政者、外交官および政治家らはおそらくまちがっていたのであろう。またおそらくみずから過ちを犯したのであろう」(判下・465)
ということにあったとしても、怪しむには足りないのである。検察側と弁護側の間をおそらくは一身上の顧慮から、蝙蝠のごとく飛びまわった田中隆吉証人にたいするパルの深刻な道義的嫌悪も、ちなみに、ここに引用しておこう。
「ここに一人の男があり、その男は日本の不法行為者どもの一人一人にとって非常に魅力ある存在であったとみえて、それらの人々はその行為をなした後に、どうにかしてまたいつか、この男を探し出してその悪行の数々を打ち明けたのである」(判711)
「これらの自白者らは、共同謀議の連鎖を完全なものにするために、かれらの行ったことのすべてを〔田中に〕自白しなければならなかった。このような多数の人々が田中証人に、別々に、そしてくりかえし、接近し、何回も何回も打明け話をしにきたと称することは、格好のよいものではないであろう」(判・741)
 パル自身が現代日本史に対するその痛烈な不満の一端をその判決書の中にかように隠顕させているのであり、したがって、この無罪勧告も、昭和史に対するわれわれの自主的な反省の自由を保障しこそすれ、その安易な全面的肯定とはまったくいれないものなのである。
 昨今の歴史的考察は、東京裁判についても「占領軍は、前例のない〔戦争犯罪〕という概念にもとづいて日本の指導者層を裁いていく過程において、日本の行った戦争が正義の連合国にたいして最初からいかに不正であったかを立証し、またそれを国民に印象づけることに力を注いだ。…
 かくして東京裁判が…連合国の観点からする戦争観をわが国民に押しつけ、反省と悔悟とを強い、自国の過去への嫌悪と軽蔑とを、抜きがたく植えつける、という点において、より大きい効果を生んだことは、今日となっては誰しも否定することができない、すなわち占領軍による旧日本抹殺と糾弾のピークとなった東京裁判は、…実に無形の国民精神に再び回復しがたい深傷を与える結果となった(原敬吾『自由』昭和41年2月号72-73ページ)と述べうるにいたったが、かように規定しうる東京裁判への反発の余勢から、もしわれわれがパルの無罪勧告をもって現代日本への総括的な免罪符と解するにいたるならば。それはパルにたいして根本的に錯誤を犯すこととなるのである。

資料3ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
パル判決書               第六部 厳密な意味における戦争犯罪 

  日本占領下の諸地域の一般人に関する訴因
(訴因第五十四および第五十五)
 ・・・
 それらは戦争の全期間を通じて、異なった地域において日本軍により、非戦闘員にたいして行われた残虐行為の事例である。主張された残虐行為の鬼畜のような性格は否定しえない。
 本官は事件の裏づけとして提出された証拠の性質を、各件ごとに列挙した。この証拠がいかに不満足であろうとも、これらの鬼畜行為の多くのものは、実際に行われたのであるということは否定できない。
 しかしながら、これらの恐るべき残虐行為を犯したかもしれない人物は、この法廷には現れていない。その中で生きて逮捕されたえたものの多くは、己の非行にたいして、すでにみずからの命をその代価として支払わされている。かような罪人の、各所の裁判所で裁かれ、断罪された者の長い表が、いくつか検察側によってわれわれに示されている。かような表が長文にわたっているということ自体が、すべてのかかる暴行の容疑者にたいして、どこにおいてもけっして誤った酌量がなされなかったということについて、十分な保証を与えくれるものである。しかしながら、現在われわれが考慮しているのは、これらの残虐行為の遂行に、なんら明らかな参加をしていない人々に関する事件である。
 本件の当面の部分に関するかぎり、訴因第五十四において訴追されているような命令、授権または許可が与えられたという証拠は絶無である。訴因第五十三にあげられ、訴因第五十四に訴追されているような犯行を命じ、授権し、または許可したという主張を裏づける材料は記録にはまったく載っていない。この点において、本裁判所の対象である事件は、ヨーロッパ枢軸の重大な戦争犯罪人の裁判において、証拠によりて立証されたと判決されたところのそれとは、まったく異なった立脚点に立っているのである。

 本官がすでに指摘したように、ニュルンベルク裁判では、あのような無謀にして無残な方法で戦争を遂行することが、かれらの政策であったということを示すような重大な戦争犯罪人から発せられた多くの命令、通牒および指令が証拠として提出されたのである。れわれは第一次欧州大戦中にも、またドイツ皇帝がかような指令を発したとの罪に問われていることを知っている。
 ドイツ皇帝ウイルヘルム二世は、かの戦争の初期に、オーストリアの皇帝フランツ・ジョゼフにあてて、つぎのようなむねを述べた書翰を送ったと称せられている。すなわち、
「予は断腸の思いである。しかしすべては火と剣の生贄とされなければならない。老若男女を問わず殺戮し、一本の木でも、一軒の家でも立っていることを許してはならない。フランス人のような堕落した国民に影響を及ぼしうるただ一つのかような暴虐をもってすれば、戦争は二ヶ月で終焉するであろう。ところが、もし予が人道を考慮することを容認すれば、戦争はいく年間も長びくであろう。したがって予は、みずからの嫌悪の念をも押しきって、前者の方法を選ぶことを余儀なくされたのである」。
 これはかれの残虐な政策を示したものであり、戦争を短期に終わらせるためのこの無差別殺人の政策は、一つの犯罪であると考えられたのである。
 われわれの考察のもとにある太平洋戦争においては、もし前述のドイツ皇帝の書翰に示されていることに近いものがあるとすれば、それは連合国によってなされた原子爆弾使用の決定である。この悲惨な決定にたいする判決は後世がくだすだろう。
 かような新兵器使用にたいする世人の感情の激発というものが不合理であり、たんに感傷的であるかどうか、または国民全体の戦争遂行の意志を粉砕することをもって勝利をうるという、かような無差別鏖殺が、法に適ったものとなったかどうかを歴史が示すであろう。
「原子爆弾は戦争の性質および軍事目的遂行のための合法的手段にたいするさらに根本的な究明を強要するもの」となったか否かを、いまのところ、ここにおいて考慮する必要はない。
 もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においては、この原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦中におけるドイツ皇帝の指令および第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものであることを示すだけで、本官の現在の目的ために十分である。このようなものを現在の被告の所為には見出しえないのである。

 

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