真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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二・二六事件 「蹶起趣意書」その他重要文書

2018年12月10日 | 国際・政治

 下記資料1は、二・二六事件で裁かれた将校の「蹶起趣意書」です。

 薩長を中心とする明治新政府によって形づくられた「皇国」日本。その日本で育った将校が、「昭和維新、尊皇斬奸」をかかげ、私利私欲をほしいままにしている”元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党”などの”奸臣軍賊”を暗殺して”昭和維新”を成し遂げようと蹶起したことがわかります。蹶起将校は”尊王攘夷”をかかげ、要人暗殺や異人斬りに命をかけた幕末の志士を彷彿とさせます。昭和に至ってもなお、人命や人権についての意識は、何も変わっていなかったように思います。

 資料2は当時の警備司令官香椎(カシイ)中将が、歩兵第一聯隊長に「蹶起部隊」を「指揮」し「警備に任ずべし」と命令した文書「師戦警第二号」と、「戒厳令」です。戒厳令公布後は香椎中将は戒厳司令官となっていましが、香椎中将の「師戦警第二号」の命令と、27日の「戒厳令」の公布は、蹶起部隊を”義軍”と認めたことを意味していました。だから、処刑された磯部浅一が、それを知ったとき「私等ハ思ハズ陸相官邸デ万歳ヲ叫ビマシタ」と証言しています。

 資料3は、二十六日午前中に宮中に参集した軍事参事官によって作成され、川島陸相によって下達された「陸軍大臣告示」です。これには、その後修正されたものがいくつかあるようですが、”蹶起”を”反乱”とは位置づけておらず、”国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム”として、肯定的に受け止めていることが見逃せません。

 資料4は、「第八師団長・下元熊弥中将」宛の「進言」と 歩兵第五聯隊による「川島義之陸軍大臣」宛の「進言」です。蹶起部隊は、歩兵第一連隊の二個中隊、歩兵第三連隊の四個中隊、近衛歩兵第三連隊の一中隊であったということなので、蹶起していない部隊にも、蹶起を指示し「進言」する将校が大勢いたというだと思います。具体的に、名前を挙げていることも見逃せません。それぞれに、許し難いことがあったのではないかと思います。 

 資料5は、蹶起将校たちが”奸臣軍賊”と呼んだ人たちの側の勝利をうかがわせる、”陸密第一四〇号 事件関係者ノ摘発並ニ捜査ニ関スル件”という文書です。
 戒厳令下の特設軍法会議において、主席検察官をつとめた匂坂春平には、二・二六事件に関する大量の秘蔵文書がありました。それを丹念に読み込んで「雪はよごれていた 昭和史の謎 二・二六事件最後の秘録」(日本放送出版協会)を世に出した著者(澤地久枝)が書いています。

”「今日に至るも」とあるが、五十年をへだてた今日もなお、まったく同様の疑問がある。鎮定直後に、すでにこういう意見が書かれ、しかもあの川島陸相によって達せられている

 「陸軍大臣告示」と「陸密第一四〇号」が、同じ川島陸相名であることに驚かざるを得ません。刑死した人たちの”奸臣軍賊”の声が聞こえてくるような気がします。

 そして、戒厳令下の上告なし、弁護人なし、非公開の特設軍法会議の結果が、資料6の「(七) 軍法会議」でわかります。

 下記資料は、「二・二六事件裁判記録 蹶起将校公判廷」池田俊彦(編)高橋正衛(解説)(原書房)と「昭和史の謎 二・二六事件最後の秘録 雪はよごれていた」澤地久枝(日本放送出版協会)より抜粋しました(読み仮名はカタカナ表示にし、一部を省略しています)。
資料1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                       二・二六事件、蹶起趣意書 (昭和十一年二月二六日)
 謹んで惟(オモンバカ)るに我が神洲たる所以は、万世一系たる天皇陛下御統帥の下に、挙国一体生成化育を遂げ、終(ツイ)に八紘一宇を完ふするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方(マサ)に万方(バンポウ)に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋(トキ)なり。

 然るに頃来(ケイライ)遂に不逞凶悪の徒簇出(ソウシュツ)して私心我慾を恣(ホシイママ)にし、至尊絶対の尊厳を藐視(ビョウシ)し僭上(センジョウ)之れ働き、万民の生成化育を阻碍して塗炭の痛苦に呻吟せしめ、随つて外侮外患(ガイブガイカン))日を逐うて激化す。
 所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元兇なり。倫敦(ロンドン)軍縮条約、並に教育総監更迭に於ける統帥権干犯、至尊兵馬大権の僭窃(センセツ)を図りたる三月事件或は学匪共匪大逆教団等の利害相結んで陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にして、その滔天(トウテン)の罪悪は流血憤怒真に譬(タト)へ難き所なり。中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の憤騰(フントウ)、相沢中佐の閃発となる寔(マコト)に故なきに非ず、
 而も幾度か頸血を濺(ソソ)ぎ来つて今尚些かも懺悔反省なく、然も依然として私権自慾に居つて苟且偸安(コウショトウアン)を事とせり。露支英米との間一触即発して祖宗遺垂(イスイ)の此の神洲を一擲破滅に堕(オトシイ)らしむるは火を睹(ミ)るより明かなり。
 内外真に重大危急、今にして国体破壊の不義不臣を誅戮(チュウリク)して稜威(ミイツ)を遮り御維新を阻止し来れる奸賊を芟除(センジョ)するに非ずんば皇謨(コウボ)を一空せん。恰(アタカ)も第一師団出動の大命渙発(カンパツ)せられ、年来御維新翼賛を誓ひ殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衛戍(エイジュ)の我等同志は、将に万里征途に上らんとして而(シカ)も顧みて内の世状憂心転々(ウタタ)禁ずる能はず。君側の奸臣軍賊を斬除して、彼の中枢を粉砕するは我等の任として能く為すべし。臣子たり股肱(ココウ)たるの絶対道を今にして尽さざれば破滅沈淪(チンリン)を翻(ヒルガ)へすに由なし
 茲に同憂同志機を一にして蹶起し、奸賊を誅滅(チュウメツ)して大義を正し、国体の擁護開顕に肝脳(カンノウ)を竭(ツク)し、以て神州赤子の微衷を献ぜんとす。

 皇祖皇宗の神霊冀(ネガワ)くば照覧冥助(ショウランメイジョ)を垂れ給はんことを。

            昭和十一年二月二十六日

                                                      陸軍歩兵大尉 野中四郎
                                                           外 同志一同
資料2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   師戦警第二号
 歩兵第一聯隊長は朝来行動しある部下部隊及歩兵第三聯隊、野重砲七の部隊を指揮し、概ね桜田門、(日比谷)公園西北側角、(旧)議事堂、虎ノ門、溜池、赤坂見附、平河町、麹町四丁目、半蔵門を連ぬる線内の警備に任じ、歩兵第三聯隊長はその他の担任警備地区の警備に任ずべし
ーーーーーーーーーーー
   戒厳令
戒厳令別冊ノ通制定ス
右奉 勅旨布告候事
 (別冊)
 第一条 戒厳令ハ戦時若クハ事変ニ際シ兵備ヲ以テ全国若クハ一地方ヲ警戒スルノ法トス
以下、第十六条まで。

資料3---------------------------------------ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   陸軍大臣告示
 
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ
  天聴ニ達セラレアリ
ニ、諸子ノ行動ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム 
三、国体ノ真姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼(キョウク)ニ堪エズ
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ
五、之以外ハ一ツニ大御心ニ俟ツ

資料4-----------------------------------ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー-----
  第八師団長宛「進言」(秩父宮は第三十一連隊に勤務)

進言
一、今回之挙ハ一種ノ遭遇戦也
 情況明確ナラサルハ遭遇戦ノ常ニシテ 諸報告ヲ蒐メテ始テ処置セントスルカ如キハ概ネ失敗ニ終ルモノナルハ言ヲ俟タサル也
 須(スベカ)ラク速ニ戦闘ノ原則ニヨリテ行動スヘキモノト思惟ス
 本戦闘ニ於ケル原則トハ即チ維新翹望(ギョウボウ)ノ精神ニシテ絶対ナル尊皇心ニ外ナラス
一、破壊ハ本日ハ 建設ノ今日也
 速ニ 大詔 ノ渙発(カンパツ)ヲ仰キ維新直進ノ大号令渙発ヲ 蹶下(ケッカ)ニ奏上翹望スヘキ也
 一瞬ノ停滞遅疑ハ三千年ノ光輝アル皇国国体ヲ毀却シ皇軍ノ神聖ヲ汚辱シ神土又外侮ニ委スルヤモ計リ難シ
一、大詔ノ渙発ニヨリ又行動隊ヲシテ速ニ逆賊ノ名ヲ芟除(サンジョ)シ、皇軍一体ノ実(ジツ)ヲ挙クルハ緊喫事也
 以上ノ理由ニヨリ 速ニ 閣下ノ御決心ヲ熱望悃願(コンガン)シ奉ル

 右ノ御決心ニ基キ左ノ御処置ヲ速ニ取ラレンコトヲ進言ス
一、速ニ上京
 至尊(天皇)
 ヲ翼賛シ奉ラレ度
一、速ニ
 殿下(秩父宮)
 ノ御上京御参内ヲ請ヒ奉ラレ度
一、前二項ニ伴ヒ 命ヲ尊皇ニ捧ケ鴻毛ノ軽キニ比ス生等ノ微衷(ビチュウ)ヲ憐マレ給ヒ御途中警備ノ任ヲ賜ハラルルヲ
 祖宗神霊
 ノ照鑑ノ下ニ敢テ熱願ス
一、以上ノ外団下一般ノ意志ヲ国家中枢部ニ進言スルハ維新動向決定ノ重大要素ト信セラルルヲ以テ右速ニ御処置アラレンコトヲ望ム
 謹テ進言ス
 皇紀二千五百九十六年二月二十六日
                                               少尉 小岩井光夫
                                               少尉 倉本 條蔵
                                               中尉 遠山弥兵衛
                                                  杉野 良任
                                                  志村 陸城
                                                  出雲井英雄
                                               少尉 小村谷康二
                                               大尉 末松 太平
                                                  亀居 英男
                                               中佐 谷口 呉朗
                                               少尉 高谷 隆利
   中将 下元 熊弥 閣下   
         麾下  
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  進言
今回ノ異変ハ断シテ単ナル一事件トシテ葬リ去ラルヘキニ非ス
須(スベカラ)ク昭和御維新断行ニ嚮ヒ敢為(カンイ)直進スヘシ
是カ為左ノ如キ旧指導階級ノ現存、現出ハ断シテ許容スヘカラス
例ヘハ 西園寺公望
    一木喜徳郎
    牧野伸顕 等 
例ヘハ 後藤文夫 等
例ヘハ 鈴木喜三郎
    町田忠治
    安達謙蔵 等
例ヘハ 三井・三菱等財閥
    高橋是清
    池田成彬 等

例ヘハ 宇垣一成 等々
敢テ進言ス
皇紀二千五百九十六年二月二十七日
 歩兵第五聯隊

 このあとへ、中尉志村陸城を筆頭に中佐谷口呉朗まで、少尉十名、大尉八名、少佐三名、中佐二名三等主計一名、一等主計一名、三等軍医一名 二等軍医一名、一等軍医一名、そして特務曹長一名の三十七名が連署している。進言の相手は
 陸軍大臣 川島義之閣下 
 である。この進言にも小野連隊長の捺印があるが、もうひとつの印は「飯野」と読める。旅団長は飯野庄三郎であった。
資料5ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
   陸密第一四〇号 事件関係者ノ摘発並ニ捜査ニ関スル件
ニ、本事件ニ関スル観察
”(前略)彼等幹部及背後の一味の中には此の大命すら君側の奸臣の作為せる偽命と為すものあり寔に言語道断にして 聖旨の存する所 御軫念(シンネン)の如何に深きかを思う時毫も弁ずるの要なし
反乱経過中に於ける二、三、事実に就き疑を懐くものなきにあらず即ち左の如し
(一)「陸軍大臣ヨリ」と題する大臣の意嚮(イコウ)の伝達
(二)要地占拠部隊を戒厳部隊の一部として併せ指揮せる件
(三)鎮定に四日を要し其の間屡々反乱軍をして自由奔放の行為を為さしめたること
此等の措置の為反乱軍をして一時順逆の理を誤解せしめたるのみならず、部外官民をして今次の反乱は全軍又は軍首脳部の後援に依り行なわれ又は軍自体の八百長なるが如き疑惑を深からしめ今日に至るもなお完全に之を解消する能わざる状態なり(枢密院本会議の<天皇の>御前に於ても質問出でたり) 

資料6--------------ーーーーーーーーーーーーーーーーーー---------------------------ーーーー
                          (七) 軍法会議
三月一日の枢密院会議で次のような緊急勅令が可決された。そして、この勅令によって、三月四日、東京陸軍軍法会議が開設された。

    緊急勅令
 朕茲ニ緊急ノ必要アリト認メ枢密顧問ノ諮詢ヲ経テ帝国憲法第八条第一項ニヨリ東京陸軍軍法会議ニ関スル件ヲ裁可シ之ヲ公布セシム
  御名御璽
   昭和十一年三月四日
                                                 内閣総理大臣
ーーーーーーーーーーーー                                       各省大臣
    陸軍刑法
    第二編 罪
     第一章 反乱の罪
第二十五条 党ヲ結ヒ兵器ヲ執リ反乱ヲ為シタル者ハ左ノ区別ニ従テ処断ス
 一 首魁ハ死刑ニ処ス
 ニ 謀議ニ参与シ又ハ群衆ノ指揮ヲ為シタル者ハ死刑、無期若クハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処シ其ノ他諸般ノ職務ニ従事シタル者ハ三年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
 三 附和随行シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス 

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