藤田東湖や吉田松陰などの尊王思想に学び、「皇国日本」の「義」のために「奸」を討とうと命をかけて蹶起した将校の一人、磯場浅一は、「昭和維新」を実現できなかったのみならず、一緒に蹶起した多くの同志が処刑され、日本がさらに悪い方向に変化していると思われる事実を前に、当初の奸賊に対する攻撃の矛先を、自らの尊王思想がよって立つ天皇にも向けていきます。磯部浅一は、
”なぜ不義の臣等をしりぞけて 忠烈な士を国民の中に求めて事情を御聞き遊ばしませぬので御座いますか 何んと云ふ御失政でありませう”
というのです。また、様々な天皇の認識不足を指摘しつつ
最終的には
”天皇陛下 何んと云ふ御失政でありますか 何んと云ふザマです 皇祖皇宗に御あやまりなされませ”
とまで言うのです。
でも、こうした「皇国日本」は、尊王攘夷をかかげた薩長を中心とする討幕派が、武力で幕府を倒し、その骨格を作った明治時代から変わることなく続いて、二・二六事件当時はもちろん、敗戦にまで至っていることを忘れてはならないと、私は思います。
倒幕派の間では、天皇は「玉」(ギョクあるいはタマ)と表現され、王政復古前に、木戸孝允が、「うまく『玉』をわがほうへだきこむことが、何にもましてもっともたいじなこと」と主張していたことに、いろいろな研究者や歴史家が触れていますが、天皇は常に政治的に利用されてきたのだと思います。
明治維新時、薩長倒幕派は、官軍であるという大義名分を得るために「偽錦旗」を利用したといいます。また、薩長に下された「討幕の密勅」は御画可や御璽を欠き、太政官の主要構成員の署名もなされていないものであり、正式な詔書とはいえないものでした。天皇を政治的に利用することで、倒幕が可能になったともいえるのではないかと思います。
さらには、孝明天皇は、幕府に攘夷を認めさせ鎖国の体制に戻すために、和宮の将軍家降嫁の奏請にこたえて、いやがる妹の和宮を無理矢理降嫁させ、徳川家茂の正室としたことを重く受け止めて、倒幕を受け入れなかったので、倒幕派に毒殺されたといわれています。そして、岩倉具視や伊藤博文が、孝明天皇毒殺のために動いたと疑われているのです。自らに敵対し、政治的に利用できない天皇は、抹殺することもある、ということではないかと思います。
だから、「うまく『玉』をわがほうへだきこむこと」が、明治維新以来、敗戦に至る迄の「皇国日本」の現実であり実態ではないのか、と思います。
蹶起将校の一人、磯部浅一は、蹶起が失敗した結果、天皇が「奸賊」と一体であり、政治的に利用されていることを悟ることになったのだと思います。
下記資料1は、「二・二六事件 獄中手記・遺書」河野司編(河出書房新社)から、獄中日記の一部を、とびとびにを抜粋しました。
資料2は、「英霊の聲」三島由紀夫(河出文庫)から抜粋したものですが、「英霊の聲」は能の修羅物の様式を借りて表現されたものであるといいます。その文章の一部です。「などてすめろぎは人間(ヒト)となりたまいし」は「現人神」である天皇が、なぜ「人間」として振る舞ったのか、ということではないかと思います。
三島由紀夫の思想は、私にはよくわかりませんが、一部将校の蹶起に怒り、「お前たちが朕の命令を躊躇するなら、朕自ら近衛師団を率いて討伐する」とまで言って、事件処理に大きな影響を与えた天皇の過ちを指摘する内容だと思います。「神」は人間として振る舞ってはならないのであり、天皇自ら「皇国日本」の精神を蔑ろにしてしまった、ということではないかと思います。
下段は、同書に入っている「二・二六事件と私」の中の文章の一部です。三島由紀夫は、”その純一無垢、その果敢、その若さ、その死、すべてが神話的英雄の原型”として蹶起将校を評価していることがわかります。
二・二六事件の処理の仕方や蹶起将校の処刑、事件の詳細の隠蔽は、明治維新以来の「皇国日本」が、いわゆる「特権階級」の支配の手段であることを露呈したのだと思います。
そういう意味で、もっと注目されるべき事件なのだと、私は思います。
資料1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
磯部浅一獄中日記
八月九日
死刑判決理由主文中の「絶対に我が国体に入(ママ)れざる」云々は、如何に考えても承服できぬ。
天皇大権を干犯せる国賊を討つことが、何ぜ国体に入れぬのだ 剣を以てしたのが国体に容れずと云ふのか、兵力を以てしたのが然りと云ふのか
天皇の玉体に危害を加へんとした者に対しては忠誠なる日本人は直ちに剣をもつて立つ、この場合剣をもつて賊を斬ることは赤子の道である 天皇大権は玉体と不二一体のものである されば 大権の干犯者(統帥権干犯)に対して 純忠無二なる真日本人が激怒し この賊を討つことは当然ではないか その討奸の手段の如きは剣によらうか 弾丸によらうか 爆撃しようが 多数兵士と共にしようが、何等とふ必要がない、忠誠心の徹底せる義士は簡短(ママ)に剣をもつて斬奸するのだ 忠義心が自利私慾で曇っている奴は理由をつけて逃げるのだ 唯それだけの差だ だから斬ることが国体に入れぬとか何とか云ふことには絶対にない筈だ 否々、天皇を侵す賊を斬ることが国体であるのだ 国体に徹底すると国体を侵すものを斬らねばならなくなる、而してこれを斬ることが国体であるのだ
・・・
八月十一日
天皇陛下は十五名の無双の忠義者を殺されたのであらうか そして陛下の周囲には国民が最もきらっている国奸等を近づけて 彼等の云ひなり放題に御まかせになつているのだらふか
陛下 吾々同志程国を思ひ 陛下の事をおもふ者は日本中どこをさがしても決しておりません その忠義者をなぜいぢめるのでありますか 朕は事情を全く然(ママ)らぬと仰せられてはなりません 仮にも十五名の将校を銃殺するのです 殺すのであります 陛下の赤子を殺すのでありますぞ 殺すと云ふことはかんたんな問題ではない筈であります 陛下の御耳に達しない筈はありません 御耳に達したならば なぜ充分に事情を御究め遊ばしませんので御座いますか、なぜ不義の臣等をしりぞけて 忠烈な士を国民の中に求めて事情を御聞き遊ばしませぬので御座いますか 何んと云ふ御失政でありませう、
こんなことをたびたびなさりますと 日本国民は 陛下を御うらみ申す様になりますぞ 菱海はウソやオベンチャラは申しません 陛下の事 日本の事を思ひつめたあげくに 以上のことだけは申上げねば臣としての忠道が立ちませんから 少しもカザらないで 陛下に申し上げるのであります、
陛下 日本は 天皇の独裁国家であってはなりません。重臣元老 貴族の独裁国であるも断じて許せません 明治以後の日本は 天皇を中心とした一君と万民との一体的立憲国であります。もつとワカリ易く申上げると 天皇を政治的中心とせる近代的民主国であります。左様であらねばならない国体でありますから 何人の独裁お(ママ)も許しません 然るに今の日本は何と云ふざまでありませうか
天皇を政治的中心とせる元老 重臣 貴族 軍閥 政党 財閥の独裁国ではありませぬか、いやいや よくよく観察すると この特権階級の独裁政治は 天皇さえないがしろにしているのでありますぞ 天皇をローマ法王にしておりますぞ ロボットにし奉つて彼等が自恣専断を思ふまゝに続けておりますぞ
日本国の山、山津々の民どもは この独裁政治の下にあえいでいるのでありますぞ
陛下 なぜもつと民を御らんになりませんか 日本国民の九割は貧苦にしなびて おこる元気もないのでありますぞ
陛下がどうしても菱海の申し条を御きゝとゞけ下さらねばいたし方御ざいません 菱海は再び 陛下側近の賊を討つまでであります 今度こそは宮中にしのび込んででも 陛下の大御前ででも きつと側近の奸を討ちとります
恐らく 陛下は 陛下の御前を血に染める程の事をせねば 御気付き遊ばさぬのでありませう、悲しい事でありますが 陛下の為 皇祖皇宗の為 仕方ありません 菱海は必ずやりますぞ
悪臣どもの上奏した事をそのまゝうけ入れ遊ばして 忠義の赤子を銃殺なされました所の 陛下は
不明であらせられると云ふことはまぬかれません 此の如き不明を御重ね遊ばすと 神々の御いかりにふれますぞ 如何に陛下でも 神の道を御ふみちがへ遊ばすと 御皇運の涯(ママ)てる事も御座ります
統帥権を干犯した程の大それた国賊どもを御近づけ遊ばすものですから 二月事件が起つたのでありますぞ 佐郷屋、相沢が決死挺身して国体を守り 統帥大権を守つたのでありますのに かんじんかなめの 陛下がよくよくその事情を御きわめ遊ばさないで 何時迄も国賊の云ひなりになつて御座られますから 日本がよく治らないで常にガタガタして そここゝで特権階級をつけねらつているのでありますぞ
陛下 菱海は死にのぞみ 陛下の御聖明に訴へるのであります どうぞ菱海の切ない忠義心を御明察下さります様伏して祈ります
獄中不断に思ふ事は 陛下の事で御座ります 陛下さへシッカリと遊ばせば 日本は大丈夫で御座います 同志を早く御側へ御よびください
八月廿八日
竜袖にかくれて皎(キョウキョウ)不義を重ねて止まぬ重臣 元老 軍閥等の為に 如何に多くの国民が泣いているか
天皇陛下 此の惨タンたる国家の現状を御覧ください、陛下が 私共の義挙を国賊反徒の業と御考へ遊ばされていられるらしいウワサを刑ム所の中で耳にして 私共は血涙をしぼりました 真に血涙をしぼったのです
陛下が 私共の挙を御きゝ遊ばして
「日本もロシアの様になりましたね」と云ふことを側近に云はれたとのことを耳にして 私は数日間 気が狂いました、
「日本もロシアの様になりましたね」とは将して如何なる御聖旨か俄かにわかりかねますが 何でもウワサによると 青年将校の思想行動がロシア革命当時のそれであると云ふ意味らしいとのことをソク聞した時には、神も佛もないものかと思ひ 神仏をうらみました、
だが私も他の同志も 何時迄もメソメソと泣いてばかりはいませんぞ 泣いて泣きね入りは致しません 怒つて憤然と立ちます、
今の私は怒髪天をつくの怒りにもえています、 私は今は 陛下を御叱り申上げるとこころに迄 精神が高まりました、だから毎日朝から晩迄 陛下を御叱り申しております、
天皇陛下 何んと云ふ御失政でありますか 何んと云ふザマです 皇祖皇宗に御あやまりなされませ
八月廿九日
十五同志の四十九日だ、感無量、同志が去つて世の中が変つた 石本が軍事課長になり、寺内はそのまゝ大臣、南が朝鮮(総督)、鈴木貫も、牧ノも、西寺も、湯浅も、益々威勢を振つている、
たしかに吾が十五同志の死は、世の中を変化さした、
悪く変化さした、残念だ 少しも国家の為になれなかつたとは残念千万だ 今にみろ、悪人ども 何時迄もさかえさせはせぬぞ 悪い奴がさかえて いゝ人間が苦しむなんて そんなベラ棒な事が許しておけるか
八月卅日
・・・
二、自分に都合が悪いと 正義の士を国賊にしてムリヤリに殺してしまふ そしてその血のかわかぬ内に 今度は自分の都合の為に贈位する 石碑を立てゝ表忠頌徳をはじめる、何だバカバカしい くだらぬことはやめてくれ
俺は表忠塔となつて観光客の前にさらされることを最もきらふ いわんや、俺等に贈位することによつて 自分の悪業のインペイと自分の位チを守り地位を高める奴等の道具にされることは真平だ
・・・
資料2-----------------------------------ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー----
英霊の聲
・・・
されど、ただ一つ、ただ一つ、
いかなる強制、如何なる弾圧、
いかなる死の脅迫ありとても、
世のそしり、人の侮りを受けつつ、
ただ陛下御一人(ゴイチニン)、神として御身を保たせ玉い、
そを架空、そをいつわりとはゆめ宣(ノタマ)わず、
(たといみ心の裡深く、さなりと思(オボ)すとも)
祭服に玉体を包み、夜昼おぼろげに
宮中賢所のなお奥深く
皇祖皇宗のおんみたまの前にぬかずき、
神のおんために死したる者らの霊を祭りて
ただ斎(イツ)き、ただ祈りてましまさば、
何ほどか尊かりしならん
などてすめろぎは人間(ヒト)となりたまいし。
などてすめろぎは人間(ヒト)となりたまいし。
などてすめろぎは人間(ヒト)となりたまいし」
・・・・・・・・・・・・・・・。
いくたびこの畳句がくりかえされたか、川崎君は手拍子を以て、次第にひろがる大合唱を追っていたが、追いきれなくなるにつれて、手拍子も乱れてきた。
・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
二・二六事件と私
・・・
…たしかに二・二六事件の挫折によって、何か偉大な神が死んだのだった。当時十一歳の少年であった私には、それはおぼろげに感じられただけだったが、ニ十歳の多感な年齢に敗戦に際会したとき、私はその折りの神の死の怖ろしい残酷な実感が、十一歳の少年時代に直感したものと、どこかで密接につながっているらしいのを感じた。それがどうつながっているのか、私には久しくわからなかったが、「十日の菊」や「憂国」を私に書かせた衝動のうちに、その黒い影はちらりと姿を現わし、又、定かならぬ形のままに消えていった。
それを二・二六事件の陰画とすれば、少年時代から私のうちに育まれた陽画は、蹶起将校たちの英雄的形姿であった。その純一無垢、その果敢、その若さ、その死、すべてが神話的英雄の原型に叶っており、かれらの挫折と死とが、かれらを言葉の真の意味におけるヒーローにしていた。
・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
”http://hide20.web.fc2.com” に それぞれの記事にリンクさせた、投稿記事一覧表があります。青字が書名や抜粋部分です。ところどころ空行を挿入しています。漢数字はその一部を算用数字に 変更しています。記号の一部を変更しています。「・・・」は段落の省略、「…」は文の省略を示しています。(HAYASHI SYUNREI) (アクセスカウンター0から再スタート:503801) twitter → https://twitter.com/HAYASHISYUNREI