真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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大日本帝国統治下の台湾における教育政策

2021年01月06日 | 国際・政治

 台湾でも、朝鮮とまったく同じ”教育ハ教育ニ関スル勅語ノ旨趣ニ基キ忠良ナル国民ヲ育成スルコトヲ本義トス”と定めた「台湾教育令」(下記)が発布されていますが、それは朝鮮よりかなり後のことです。
 でも、台湾総督府直轄国語伝習所では、日本で「教育勅語」が発布されて間もない頃から、勅語の奉読が、盛んに行われていたといいます。また、第三代総督の乃木希典は、台湾での「教育勅語」の普及のために漢訳文を作り、「漢訳勅語」を各学校で奉読させるようにしていたといいます。下記の台湾総督府直轄国語伝習所規則には、”皇室ヲ尊ヒ本国ヲ愛シ人倫ヲ重ンセシメ以テ本国精神ヲ養成スルヲ旨トシ…”とあることから、そうした取り組みが進められたことは、当然のことであったと思います。

 ただ、台湾総督府国語学校規則第七条には、”語学部ニ国語学科及土語学科ヲ設ケ内地人ニハ土語学科ヲ本島人ニハ国語学科ヲ授ク”とあり、”内地人”対象ではあっても、学校で「土語(土着住民の言葉)」が教えられていたことは、朝鮮と大きく異なるのではないかと思います。

 それは、やはり台湾統治に至る歴史的経緯が朝鮮とは違う上に、台湾は民族的にも文化的にも複雑で、朝鮮と同じ政策を進めることが難しかったからだと思います。また、第四代台湾総督児玉源太郎が、内務省の官僚だった後藤新平を民政長官にして以降、一時的ではあっても、それまでの強硬な軍事的統治政策を修正し、「飴と鞭の政策」に変えたことなども影響したのではないかと思います。

 結局、後藤新平などが”社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきである”という考えのもとに進めた「特別統治主義」、すなわち、台湾を日本内地の外に存在する植民地として内地法を適用せず、独立した特殊な方式により統治するという政策は、その後、原敬などの考えに基づく「内地延長主義」、すなわち、台湾を内地の一部とし、内地法を適用するという政策に変えられ、「台湾教育令」に基づく教育が行われることになったのだと思います。
 台湾の人たちは、歴史や文化は無視され否定されて、朝鮮人と同じように、日本人に同化することを求められたということだと思います。

 だから、大日本帝国統治下の台湾における教育政策も、台湾の人たちの民族性を剥奪し、神話的国体観に基づく皇国日本の思想や制度を押しつけるものになってしまったと言っても過言ではないと思います。それは、西欧の植民地支配とは、異質だったのではないかと、私は思います。

 ”夫れ戦陣は 大命に基づき、皇軍の神髄を発揮し、攻むれば必ず取り、戦えば必ず勝ち、遍く皇動を宣布し、敵をして仰いで御稜威(ミイツ)の尊厳を感銘せしむる處なり。されば戦陣に臨む者は、深く皇国の使命を体し、堅く皇軍の道義を持し、皇国の威徳を四海に宣揚せんことを期せざるべからず”(戦陣訓)
 という考えにつながる教育政策が、台湾でも進められたということです。

 下記は、「続・現代史資料(10) 教育 御真影と教育勅語 3」(みすず書房)から「八紘一宇への途」の「(二)台湾」の一部を抜粋したものです。
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                   八紘一宇への途
                   (ニ) 台湾
            一     
一 台湾総督府直轄国語伝習所規則(抄)  明治二十九年六月二十二日  台湾総督府令第十五号
台湾総督府直轄国語伝習所規則左ノ通相定ム

台湾総督府直轄国語伝習所規則
     第一章 本旨及種類
第一条 国語伝習所ハ本島人ニ国語ヲ教授シテ其日常ノ生活ニ資シ且本国的精神ヲ養成スルヲ以テ本旨トス
〔略〕
第十一条 年中休業日ハ左ノ如シ
 一 日曜日
 一 祝日大祭日
 一 夏期休業日   七月十一日ヨリ八月三十一日ニ至ル
 一 年末年始休業日 十二月二十九日ヨリ翌年一月三日ニ至ル
 〔略〕
第三章 教授ノ要旨及教科ノ程度等
第十三条 本所ハ国語ノ伝習ヲ以テ本旨トスト雖常ニ道徳ノ教訓ト智能ノ啓発トニ留意スルヲ要ス
道徳ノ教訓ハ 皇室ヲ尊ヒ本国ヲ愛シ人倫ヲ重ンセシメ以テ本国精神ヲ養成スルヲ旨トシ智能ノ啓発ハ世ニ立チ業ヲ営ムニ必須ナル知識技能ヲ得シムルヲ旨トス

     二
台湾総督府国語学校規則〔抄〕 明治二十九年九月二十五日  台湾総督府令第三十八号
台湾総督府国語学校規則左ノ通相定ム
台湾総督府国語学校規則
第一章 学校ノ区分及本旨
第一条 国語学校ハ分チテ師範部及国語部トシ且附属学校ヲ仮設ス
第二条 国語学校師範部ハ国語伝習所並師範学校ノ教員及小学校ノ校長若クハ教員タル者ヲ養成シ兼テ本島ニ於ケル普通教育ノ方法ヲ研究スル所トス
第三条 国語学校語学部ハ国語及土語ヲ教授シ兼テ他日本島ニ於テ公私ノ業務ニ就カムトスル者ニ須要ナル教育ヲ施ス所トス
第四条 国語学校附属学校ハ内地人ノ学齢児童並本島ノ幼年及青年者ニ須要ナル教育ヲ施シテ本島ニ於ケル普通教育ノ模範ヲ示シ且師範部ノ生徒実地教授練習用ニ供スルモノトス
     第二章 学校ノ編制
第五条 師範部ノ生徒ハ年齢十八歳以上三十歳以下ノ内地人ニシテ尋常中学校の第四年生以上ノ学力アルモノトシ語学部ノ生徒ハ年齢十五歳以上二十五歳以下ニシテ高等小学校卒業以上ノ学力ヲ有する内地人及国語学校附属学校又ハ国語伝習所ノ卒業生以上ノ学力アル本島人トス
附属学校ノ生徒ハ学齢内地人並年齢八歳以上二十五歳以下ノ本島人トス
〔略〕
第七条 語学部ニ国語学科及土語学科ヲ設ケ内地人には土語学科ヲ本島人ニハ国語学科ヲ授ク
〔略〕
第十五条 年中休業日ハ左ノ如シ
 一 日曜日
 一 祝日大祭日
 一 学年末  三月二十九日ヨリ三月三十一日ニ至ル
 一 夏季   七月十一日ヨリ八月三十一日ニ至ル
 一 年末年始 十二月二十九日ヨリ翌年一月三日ニ至ル
〔略〕
 ・・・以下略

     十二
 台湾教育令〔抄〕   大正八年一月四日 勅令第一号
   台湾教育令
    第一章 総則
第一条 台湾ニ於ケル台湾人ノ教育ハ本令ニヨル
第二条 教育ハ教育ニ関スル勅語ノ旨趣ニ基キ忠良ナル国民ヲ育成スルヲ以テ本義トス
第三条 教育ハ時勢及民度ニ適合セシムルコトヲ期スヘシ
第四条 教育ハ之ヲ分チテ普通教育、実業教育、専門教育及師範教育トス  
第二章 普通教育
 ・・・以下略


     一三      
 台湾教育令制定ノ趣旨   大正八年二月一日 台湾総督府論告 第一号

帝国ノ台湾ヲ当地スルコト既ニ二十有余年揚文興化ノ跡歴然見ルヘキモノアリ今ヤ教育ノ方針ヲ確立シ洽(アマネ)ク庶民ヲシテ其ノ率由スル所ヲ知ラシムルハ蓋シ刻下ノ急務ナルヘシ是レ台湾教育令ノ発布ヲ見ルニ至リタル所以ナリ
恭シク惟(オモイミ)ルニ
先帝夙(ツト)ニ郷党痒序ノ教ヲ軫念(シンネン)シ竟(ツイ)ニ教育勅語ヲ宣布シ以テ帝国学政ノ根本義ヲ示シ給ヘリ是レ実ニ千古不磨ノ典謨(テンボ)謨謨ニシテ乾坤(ケンコン)ノ柱礎(チュウソ)復タ此ノ他ニ出ツ可カラス茲ニ台湾教育令ヲ施行スルニ方リ固ヨリ之ヲ奉体シテ唯一ノ憲章ト為スハ論ヲ俟タス 叡慮(エイリョ)ノ存スル所モ蓋シ亦述ヘテ作ラサルニ在ルナリ庶民宜シク斯旨ヲ遵守シ以テ文教ノ大義ヲ愆(アヤマ)ル勿カレ徒ニ奇ヲ好ミ新ヲ趁(オ)フテ軽佻浮薄ノ俗ヲ成シ或ハ旧套(キュウトウ)ヲ墨守(ボクジュ)シテ毫モ文化ノ推移スル所ヲ知ラサルカ如キハ倶(トモ)ニ是レ本令発布ノ趣旨ニ協治スル所以ニ非サルナリ
台湾ノ教育ハ之ヲ分チテ普通教育、実業教育、専門教育、師範教育ノ四トス通教育ハ国語ヲ教ヘ日常生活ニ必須ナル知識技能ヲ授クルヲ目的トシ女子ニ在リテハ特ニ貞順温和ノ徳ヲ養ハシメ実業教育専門教育倶ニ其ノ必要ナル学術技芸ヲ授クルヲ以テ主ト為ス而シテ師範教育ニ在リテハ特ニ品性ノ陶冶ト国語ノ習熟トニ其ノ能力ヲ傾注セシメ以テ普通教育ノ淵源ヲ作ラムコトヲ要ス然レドモ各種ノ教育ニ於テ其ノ徳性ヲ涵養スルハ根本ノ大義ニシテ敢テ其ノ問ニ軽重アルコトナキハ昭トシテ明ナリ今ヤ総督府ハ学制ヲ統一スルノ必要ヲ認メ専門教育ヲ施ス学校ヲ官立ニ限リ師範並普通教育ヲ施ス学校ヲ官立若クハ公立ニ限レリ是レ即チ前者ニ在リテハ時勢ト民度トニ適応スヘキ諸般ノ設備ヲ為スノ必要アリ後者ニ在リテハ国民性涵養ノ統一機関トシテ特ニ其ノ必要アルカ為ナリ若夫レ本令ニ掲クル以外ノ特殊学校其ノ他ノ教育施設旧私立学校ニ関シテハ本令ノ趣旨ニ依リ各般ノ事情ヲ斟酌シ漸次其ノ規定ヲ設ケテ準拠スル所ヲ示サムトス
要スルニ台湾ノ教育ハ現時世ニ於ケル人文発達ノ程度ヲ観察シ島民ヲシテ之ニ順応スル智能ヲ啓発セシメ徳性ヲ涵養シ国語ヲ普及セシメ以テ帝国臣民タルヘキ資質ト品性トヲ具備セシメムトスルニ在リ台湾ノ民衆ニ克ク此ノ精神ヲ体得シ各其ノ分ニ応シ子弟ヲシテ就学セシムルアラハ庶幾クハ帝国ノ隆運ニ伴フテ常ニ浩蕩(コウトウ)タル聖恩ニ沐浴シ光栄アル帝国ノ臣民トシテ永ク太平ノ楽ヲ享クルヲ得ム惟其レ遵行シテ以テ違フ毋(ナ)カレ

     一四
 台湾教育令制定について   大正八年二月一日 民生部、庁、官立学校、公立学校ヘ台湾総督府訓令第十二号

台湾教育令新タニ発布セラレ学制ノ方針茲ニ明カニ施設ノ綱要モ亦始メテ定ル今之カ実施ニ際シ洽ク民衆ニ諭告(ユコク)スルト同時ニ諸官ニ訓示シ以テ其ノ遵奉スル所以ノ途ヲ一ニセシメントス粤(ココ)ニ稽(カンガ)フルニ我カ邦ノ教育勅語ハ千古不磨ノ大訓ニシテ乾坤ヲ貫キ古今ヲ通シ炳焉(ヘイエン)タルコト日星ノ若シ苟モ帝国ノ臣民タルモノ其レ孰(イズレ)カ之ヲ服膺セサラム殊ニ教育ニ従事スル者ハ須ラク此ノ 聖慮ニ基キ広ク子弟ヲ指導誘掖(ユウエキ)シ以テ其ノ大本ヲ謬ル勿カラムコトヲ要ス
我カ台湾ノ皇化ニ浴スルヤ未タ久シカラスト雖教育ノ本義ニ至テハ即チ復タ先帝ノ教育勅語ヲ憲章シ洽ク島民ヲシテ之ニ率由(ソツユウ)セシムルコト儼(ゲン)トシテ敢テ渝(カワ)ルコト旡(ツク)シ唯須ラク民度ノ適スル所ヲ察シ緩急其ノ序ヲ失ハス学ヲ奨メ業ヲ励マシ博ク島民ノ知識ヲ啓発シ母国ノ文明ト倶ニ渾然融化セシムルヲ得ハ本令発布ノ旨復タ壙(ムナ)シカラス諸官其レ克ク之ヲ期スヘシ


          
        

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