先日の朝日新聞に、生成AIが追い風となって、半導体大手エヌビディアの時価総額が30日、一時1兆ドル(約140兆円)を超えたとの記事がありました。そして、時価総額トップ10の企業が取り上げられていました。それによると
”①アップル(米)、②マイクロソフト(米)、③サウジアラコム(サウジアラビア)④アルファベット(米)、⑤アマゾン(米)、⑥エヌビディア(米)、⑦バークシャー・ハサウェイ(米)、➇メタ(米)、➈テスラ(米)、➉台湾積体電路製造(TSMC、台湾)”
ということで、10社中8社が、アメリカの企業で、エヌビディアは6位に食い込んでいるのです。
ベスト20をみても、⑫に、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH Moet Hennessy Louis Vuitton)、⑲に中国の騰訊控股(Tencent Holdings)、⑳に、韓国のサムスン・エレクトロニクス(Samsung Electronics)が入るだけで、その他はすべて、アメリカの企業です。
なぜ、こんなことになっているのかということを考えることは、世界情勢を正しく認識するために必要なことではないかと思います。
私は、その一つは、どこの国にもある資本家による労働者からの搾取だと思いますが、アメリカが、最も広く、世界中の労働者から、酷い搾取をしているからだろうと思います。
もう一つは、覇権大国アメリカが、世界中に軍事基地を持ち、その軍事力や経済力を背景に、他国の政権や関係組織に隠然たる圧力をかけ、収奪しているからだろうと思います。それを実証するような文章が資料2です。すでに以前取り上げましたが、メキシコのサパティスタ民族解放軍総司令部が、クリントン大統領に宛てた告訴状ともいうべき「訴え」の文章です。
独裁者を支援し、一体となって搾取や収奪、また、軍事力行使を行使するようなことがなければ、アメリカの企業が、時価総額トップ10やトップ20の大部分を占める結果は、ありえないと思います。
ところが、中国の急成長その他によって、世界情勢は明らかに変わりつつあるのだと思います。今のまま推移すると、数十年後には、上記のような企業の、時価総額の結果が得られることはなくなっているのではないかと思います。世界中で、アメリカ離れが急速に進んでいるからです。
現在、非米・反米のBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国)や上海協力機構(SCO=Shanghai Cooperation Organization)が拡大する傾向にあるようです。
現在のBRICSの国々は、すでに、それぞれ広大な領土や人口を誇る大国だと思いますが、そのBRICSに多くの国が加盟を希望しているのです。
報道では、BRICSの首脳会議開催を前に、すでに、19カ国から加盟の申請が行われているといいます。先行きは不透明なようですが、その19カ国の中に、イランやサウジアラビア、アルゼンチンなどの資源大国が含まれていることは、見逃せません。
もはや、いままでのようにアメリカを中心とするG7(米国、英国、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ、EU)の国々の思うようには、いかなくなりつつあるということです。そして、こうしたアメリカ離れの変化の背景に、私は、欧米による苛酷な搾取や収奪、また、軍事力行使に苦しめられた過去に対する、それぞれの国の人たちの思いがあるのではないかと想像します。サパティスタ民族解放軍の言葉を借りれば、欧米の干渉は、”もうたくさんだ”ということです。
世界の石油供給量の4割を握るOPECプラスが昨年10月、石油の協調減産を決めたのみならず、ウクライナ戦争を契機に、欧米日(G7)各国がエネルギー不足に直面しているとき、サウジアラビアなどが、さらに自主的減産を発表したりしたこともそうした流れを示していると思います。
ところが、こうした国際情勢の変化を受け入れることができず、焦っているのは、アメリカだと思います。BRICSや上海協力機構を主導する中国やロシアを弱体化しなければ、アメリカが覇権や利益を失うばかりでなく、現在のアメリカ社会の維持さえ難しいので、戦争に突き進んでいるのだと思います。だから、国際情勢の変化を見定め、危機を煽るメディアの報道に惑わされないようにしなければいけないと思います。
アメリカの挑発がなければ、今、国際社会に対する影響力が拡大傾向にある中国が、わざわざ国際社会を敵にまわしてまで、台湾に軍事侵攻するわけはないと思います。また、台湾の人たちの多くも、現状維持を望んでおり、中国と争ってまで、独立すべきだとは思っていないことが、台湾の世論調査でわかっているのです。
下記資料1は、「アフリカの21世紀 第3巻 アフリカの政治と国際関係」小田英郎編(勁草書房)からの抜萃ですが、搾取と収奪、また、軍事力行使をくり返してきた欧米の歴史を踏まえて、現状を捉えることが重要ではないかと思います。
あらゆる面で、世界を牽引してきた欧米日も、いまだに、アパルトヘイトを正当化したり、黙認したりしてきた過去を きちんと克服してはいないことがわかると思います。
資料1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第四章 人種主義からの解放
── 南アフリカ共和国とナミビア
Ⅰ 南アフリカ共和国のアパルトヘイトと反アパルトヘイト運動の展開
1 白人支配・人種主義の歴史的背景
現在南アの領土となっている地域に対するヨーロッパ人の進出は、はるか17世紀の半ばまで遡ることができる。現在のケープタウンへやってきた最初のヨーロッパ人(オランダ人)は、インドへの通商ルートの中継地を確保することをその目的としていたが、その後彼ら(現在ボーア人ないしはアフリカーナーと呼ばれている人々の祖先たち)は、次第に内陸部に向ってその入植地を拡大していった。その後同地域、すなわちケープ植民地の宗主権は、いわゆるナポレオン戦争(1793─1815年)を契機としてオランダからイギリスへと移行したが、イギリスの統治はアフリカーナーのなかに大きな不満を生みだすことになった。というのもイギリスが、財政上の理由から入植地の拡大に消極的であり、また奴隷廃止という当時の国際世論を背景として非白人に対する保護政策を打ち出したためであった。このため土地不足と労働力不足に悩むアフリカーナーたちは、19世紀前半(1837年)にケープ植民地におけるイギリスの統治を離れ新天地を求めて内陸部へと大移動を開始したが、これが今日に至るまでアフリカーナーにとっては歴史的なモニュメントとなっているいわゆるグレート・トレック(内陸大移動)である。当時アフリカーナーが置かれていた心理的・物理的状況は、グレート・トレックの初代指導者であったP・レティーフの起草した「フォルトレッカーズ宣言書」に端的に示されている。すなわち「我々は、不正な浮浪者(アフリカ人──引用者)によってかきまわされたこの国に失望している。奴隷解放やカフィア戦争(1877─78年にかけて現在の南ア南部沿岸地域で発生したアフリカーナーとアフリカ人のあいだの武力衝突──著者)による損失、宣教師の偏狭かつ不公平な態度、主人と召し使いのあいだの秩序の破壊等に対して心から不満を抱くものである。我々は、平和な国を求めてこの国を立ち去ることを言明する。我々は、イギリス当局が我々に対してこれ以上何も要求せず、将来もまた何ら干渉することなく、我々に自治を認めるであろうことを確信してこの国を去るものである」。そして彼らは、アフリカ人と衝突しイギリス当局の干渉にあいながらも最終的にトランスヴァール共和国(1852年)、そしてオレンジ自由国(1854年)という二つのアフリカーナーの国家を樹立したのであった。
19世紀の後半に入りアフリカに対するヨーロッパ列強の植民地主義的進出が始まると、南部アフリカにおいてもイギリス政府はこれまでの財政緊縮から領土拡張へとその政策を転換した。そしてこうした政策転換に拍車をかけたのが、現在の南アの経済的繁栄への基礎となったダイヤモンドが1867年にキンバリー、そして金鉱が同86年にヨハネスブルグというアフリカーナーの居住地域において相次いで発見されたことであり、これはイギリスの帝国主義的野心をさらに刺激することになった。かくして1899年から1902年にかけてイギリスと二つのアフリカーナー国家のあいだでいわゆるボーア戦争が発生した。同戦争はイギリス側の勝利に終わり、その後、アフリカーナーの居住地域(すなわちかつてのトランスバール共和国とオレンジ自由国)とイギリス植民地(すなわちケープ植民地とナタール植民地)の統合に向けてイギリス・アフリカーナー両者のあいだで討議が行われ、その結果、1910年に四つの州からなる南フリカ連邦が成立したのである。
以上のようにアフリカーナーたちは、新天地を求めてバンツー系アフリカ人との激しい衝突を繰り返しながら内陸部へと進出して自分達の国家を築き、またボーア戦争において約26000人の非戦闘員(婦女子)たちをイギリス側の強制収容所において失うという犠牲を払いながらも自分達の主体性を堅持しようとした。そしてこうした彼らの精神的支柱となったのが、彼らアフリカーナーの信奉するオランダ改革派教会の次のような教義である。すなわちアフリカーナーは神に選ばれたるものであり、異教徒の有色人種は彼らに対し、あるいは彼らの所有する土地に対して何ら自然権を持たない。すべての人間は神に救われるものと救われざるものに分かれ、異教徒の有色人種は生れつきアフリカーナーの下僕となることが運命づけられている、というものであった。こうした彼らの建国意識、あるいはアフリカーナー・ナショナリズムとも呼ぶべき彼らの歪んだ主体性の主張というものが、非白人を犠牲にして築き上げた自分達の特権的な地位の喪失という危機意識と相俟って、現在、保守党を中心とする白人右派ないしは極右勢力の拡大を助長していると見てよいであろう。
人種社会の形成
連邦結成後、南アは人種差別社会の形成に向って急速に動きはじめた。そこで以下重点的に初期の人種差別法について見てみたい。非白人の参政権についてみると、すでにかつての二つのアフリカーナー共和国では彼らの参政権は全く認められていなかったが、これに加えて連邦会議においても非白人の代表権は否定された。さらに1853年以来人種に係わりのない制限選挙権が導入され、英語の読み書き能力を身に付け、一定の財産を所有する非白人には参政権が認められていたケープ州およびナタール州においても、1936年「原住民代表法」によってアフリカ人の、そして46年には「インド人代表法」によってインド人の参政権が剥奪された。
他方、こうした政治面における人種差別制度の形成と並行して、経済・社会面における人種差別も逐次実施されていった。すなわち1913年には全人口の約70%を占めるアフリカ人に対して全国土の約9%の原住民保留地を定め、この地域以外に土地を取得することを禁じた「原住民土地法」が制定された。この結果、アフリカ人は原住民保留地に家族を残し、白人地域へ出稼ぎ労働者として働きに出ていかねばならなくなった。というのも原住民指定地は面積が狭いうえに降水量が少なくさらに地味も乏しいために農業生産性が低く、人口増加率の高いアフリカ人人口を支えるためには極めて不十分であったためである。アフリカ人の労働条件に関する人種差別法としては、1911年には「鉱山・労働法」が制定されて、熟練工への道がアフリカ人に閉ざされ、さらに同24年には「産業調停法」そしてその翌年には「賃金法」がそれぞれ成立している。「産業調停法」は、労働組合と雇い主組合の登録を義務づけるとともに労使間の紛争を調停し、労働条件を明確化することを定めたものであり、他方「賃金法」は、いわゆる未組織労働者のために政府が最低賃金と労働条件の改善を図る、というものである。ただし「産業調停法」および「賃金法」は、あくまでも白人労働者の雇用確保と労働条件の向上を目指したものであって、アフリカ人労働者は両法の枠外に置かれたのであった。
以上のような人種差別法に代表される諸法の意図は次の二点に要約される。すなわち第一点は、「原住民土地法」によって生産性の高い土地を白人農園主のために確保する一方、アフリカ人には生産性の低い荒れ地を割り当てることによって出稼ぎの労働を余儀なくさせる。他方「鉱山・労働法」、「産業調停法」および「賃金法」などによってアフリカ人を低賃金労働力として固定する。そしてさらにアフリカ人に対する参政権を否定することによって、彼らの不満を合法的に政府の政策に反映させる道を閉ざす、ということである。第二点は、白人労働者とりわけ白人貧困層(いわゆるプアー・ホワイト)の保護である。周知のように、南アの物質的な繁栄は金鉱に依存していた。しかし急激な発展を遂げつつあった南アにおいても、この物質的な繁栄によって生み出された富は不平等に分配されたためアフリカ人は言うに及ばず、白人全体としての急激な生活水準の向上も実現されなかった。
したがって初期の人種差別法は、こうした物質的繁栄の恩恵を受けなかった白人貧困層救済のための手段でもあったのである。このことは1924年の総選挙において、連合協定を結んだアフリカーナー─国民党と労働党が圧勝したことに端的に示されている。というのも両党は、白人労働者の保護を全面に押し出して白人労働者と白人農民の票を獲得したからである。そしてアフリカーナー国民党の党首が、アパルトヘイトの創始者の一人と言われるヘルツォークであった。
資料2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アメリカ合衆国大統領ビル・クリントン氏宛
アメリカ合衆国議会宛
北アメリカ合衆国人民宛
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われわれが本状を認(シタタ)めるのは、メヒコ(メキシコ)連邦政府が北アメリカ合衆国人民および政府から受け取った経済的・軍事的な援助を、チアパス州の先住民を虐殺するために使っていることを告発するためです。
北アメリカ合衆国議会ならびに人民は、この軍事的・経済的援助を、麻薬商人と戦うために提供したのか、それともメヒコ南東部で先住民を虐殺するために提供したのか、われわれは問うものです。軍隊、航空機、ヘリコプター、レーダー、通信機器、武器、その他の軍事物資は、現在、麻薬商人や麻薬マフィアを追跡するためにではなく、わが国の南東部で、メヒコ人民とチアパス先住民の正義の戦いを弾圧するために、また、罪も無い男、女、子どもたちを殺害するために使われているのです。
われわれは、外国の政府、個人、組織などからはいっさいの援助を受けていません。麻薬商人との関係もないし、内外のテロリズムともなんの関係もありません。われわれが組織できているのは、われわれが無一物であり、多くの問題を抱えているからです。長年に及ぶペテンと死はもうたくさんなのです。尊厳ある生のために戦うことは、われわれの権利です。われわれは常に民間人を尊重し、戦争に関する国際法に基づいて行動しています。
北アメリカ人民および政府は、メヒコ連邦政府に対して援助を供与することによって、自らの手を先住民の血で汚しているのです。われわれが求めているのは、世界中の全ての人民が求めているものと同じく、真の自由と民主主義です。この希望のためなら、われわれは自らの生命を賭する用意さえできています。あなたがたがメヒコ政府の共犯者となって、その手をわれわれの血で汚すことのないよう希望するものです。
メヒコ南東部の山中より
先住民革命地下委員会=サパティスタ民族解放軍総司令部 メヒコ、1994年1月