☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

曽祖父の養母・スガの命日でした

2020-04-18 23:57:47 | 曾祖父・轟のこと

2年前、スガさんの誕生日に書いた『島津對馬の長女・スガ』でも少し触れましたが、

今日、4月18日は曽祖父の養母・スガさんの命日でした。

曽祖父の戸籍謄本に記載されていることによると、1837年(天保8)生まれで、

1902年(明治35)4月18日に鹿児島郡吉田村で亡くなったようです。(享年数え年で66)

なぜ吉田村なのか?はわかりません。。届出人の記載はありませんでした。

昨日スガさんのことを話題にしていながら、命日の今日アップするのが遅くなりました

 

そして、偶然ながら、父の従弟の命日でもありました。

別ブログの記事に書きましたので、リンク貼っておきます。

アメブロ『父の従弟』(記事は2010年 5月19日に書いたものです)

 

画像は、名越左源太時敏の写真です。

『南島雑話の世界 名越左源太の見た幕末の奄美』(名越 護/南日本新聞社)に掲載されているものをご紹介。
(※複製利用は何卒ご遠慮下さい)

小柄なのかな?この写真からはよくわかりませんが、雰囲気が父の従弟(故人)と重なります。

父の従弟は父方祖父の末弟の次男で、比較的小柄な人だったので、左源太のこの写真を見ると重ね合わせてしまいます。

以前、↓アメブロに書いたことがあったので、いつ亡くなったっけ?と読み返すと‥‥‥!!

2010/5/19 雑記『父の従弟

ちょうど10年前の明日、4月18日未明のことでした!
このタイミングってもしかして、何かが知らせたのでしょうか?

 

この写真、内村氏のまとめたものによると、明治11年1月に長崎で撮ったもののようです。

左源太60才、だそう。

最初見たときに「左源太爺さん、長崎に行ってたんだ〜!?」って思いました(笑)。何の用事で行ったのか知らん??写真撮るためだけでは無いでしょうけど(^^)

左源太爺さんの顔、ちょっといかつい感じもするかな?

左源太の次男、曽祖父・轟爺さんのイメージも少し重なったりします。

なお、写真のお墓はもうありません。福昌寺墓地から昭和24年かな?

坂元墓地に改葬になる際に、どこかの墓石屋さんが立派な墓石だと喜んで持って行ったとか。以前、南洲墓地でスケッチされていたという湯場崎さんのHPで読みました。

※湯場崎さんについては以前ブログに紹介しています。2010年10月に書きました。

『墓標を縫って 南洲墓地にて』の作者、湯場崎末次郎様へ。

 

そう言えば、スガさんのお墓って、どこにあるんだろう??

父の話に、終戦後台湾から引き揚げて来た祖母・ふくと一緒に「冷水(ヒヤミズ)にあるおかあさんのお墓」を訪ねたという話があります。祖母のおかあさん、とは義母・スガさんのことだったのか、実家・寺山の墓だったのか??

 

 訂正:2021年11月29日に『祖母が戦後お参りしようとしていたお墓』で訂正していますが、「スガさん」は曾祖父の養母なので「祖母のおかあさん」には当たりませんでしたゴメンナサイ

 

その時は大雨のあとだったかで土砂崩れで道が塞がれていて、お墓に行く事は叶わずお参り出来ずに帰ったという事でしたが、おそらく「興国寺墓地」ではなかったかと思われます。

興国寺墓地は島津家のお墓をはじめ、古い家のお墓があるところです。私も以前二度ほど行ったことがあります。

長澤鼎のお墓を見にも行きましたが、結構急な傾斜があるし、ただ行くだけでは見当もつきません。

墓めぐりには時間と体力が必要です。第一、また行けるかどうか。。。

 

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「4月18日 船は安芸の御手洗と申す所に」

2020-04-18 23:51:49 | 『都見物日記』

『都見物日記』(一)‥‥ ②  

さて、鹿児島を出帆して2日目、未だ船上の人で昨日の船酔いの余韻か、食欲は無く、気晴らしに甲板に出て景色を眺めてはみるものの、船旅は時間が掛かるので難儀をしている様子がうかがえます。

 

 四・一八 今日も何事もなく目覚め候得(ソウラエ)共 飯食べる事はいかず、矢張矢張ごろごろ休み、九時過ぎ初めて用足しに出で、其から上に顔洗いに行き 茶ども飲み 少しは気分宜敷(ヨロシク)、デッキより眺め 片脇は少々島が見え、かたわきは何もなく 地知れずして呆れて眺めおり候 

 

又今日は矢張りごろごろ枕様と日暮し 一時頃にひるめし、粥をたべ申事。 其より又休み居候、御尊母様は少し 昨夜御吐き遊(ば)され御気分あしく、今日はよろしく 私と同敷(オナジク) 昼飯より御めし上がりなされ、カンバン辺には 私よりも おのり遊ばされ候事、私乃事は只々あきるる計り也。

四時頃に又夜食、それと酒瓶一ツ舟より差出し、三人にて飲み、腹ならしに又かんばんへ 母上様とけんぶん(見聞)いたし、五時過には舟とめられて 安芸乃御手洗(ミタラシ)と申所に於て 夜を明かし候事也

 

 時間つぶしにごろごろして「枕様と日暮し」というのが茶目っ気ありますね、イサさん 

ところで、「安芸乃御手洗」って広島?どの辺りでしょうね?

「御手洗港」、後日、地図で確認できました。画像を貼っておきます(追記:'20. 5.7)

(画面中央「大崎下島」にあります)

明日は讃岐・多度津へ参ります

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「ゆきのおと」は、飽く迄も個人的なブログです

2020-04-18 17:47:07 | 初めて読む方へ

 いつもお読み下さり、ありがとうございます。

 

さて、当ブログですが、タイトル通り、あくまでも個人的なブログです。

 

母が亡くなって数年後、以前から聞かされていた祖先のことを知りたくて、母が残してくれたメモ書きや書籍、戸籍や除籍謄本など家族の情報を頼りに、現在から祖父、曽祖父と辿って、知り得たことを記録に止めることで、県外に暮らす兄弟にも共有してもらえることを期待して書き始めたものです。

我が家は台湾から引き揚げて来た家族であり、

あちらではもしかすると祖父が持っていたかも知れませんが、家系図も残っておりませんし、

歴史に詳しいわけでも、ましてや専門的知識があるわけでもありません。

ご質問を頂いても分りかねることが多々あります。

コメント返しがない場合は、当方では分らないことであると、どうぞご承知おきください。

 

 2年前(2018年)にも『数年越しでのコメント返信』で書きましたが、再度、以下の通りお伝えいたします

 ご一読頂けると有難く存じます。

 

《 以下、再掲示 》

   ☆☆☆

これまでコメントを頂きながらも自分でも分からない事・捉えきれていない事については
コメント返しもせずに失礼とは思いつつもそのままにしておりました。

 

公開にしているコメントの他にも数通のコメントを頂いていましたが、何しろ当方の知識も乏しく、またお寄せいただいた内容についての確認も出来ない状態でしたので公表は控えさせて頂きました。

 

当方としては、私自身の祖父、曾祖父から遡ったことしか分からない上に、除籍謄本などは役所では曾祖父以降(昭和24年以降だったか?)の書類しか残っていないので、それ以前は辿れないそうでお手上げ状態のまま、それ以上はわかりません。
曾祖父の兄・名越時成さんについても、そのご子孫であり最初に我が家に曾祖父・轟について訪ねてこられた内村八紘氏から頂いたレポートからしか分かりませんので、今後ご質問頂いてもお答え出来ることは特にございませんので、ご了承ください。

 

カテゴリーの「初めて読む方へ」 もご覧下さると、お分り頂けるかと思います。

 2010年10月の『『墓標を縫って 南洲墓地にて』の作者、湯場崎末次郎様へ。』なども、先祖を辿る当時の活動が記録されています。自分で読み返しても懐かしいです。(※ 2020. 4.19 追記)

 2009年2月の『ブログに込めた想い-5(一部追記あり)』を読み返していたら、自分でも忘れていたこのブログを書く動機が記されていました。(※ 同上 同日追記)

 

以上、何卒ご了承いただきたく、今後とも当ブログを宜しくお願いいたします。

コメント (2)
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