前日は神戸の宿屋「薩摩屋」へ一泊。やっと人心地ついて、これまでの旅の疲れも取れたことでしょう
ここからは1日ごとの出来事も増え、盛り沢山な内容になりますが、果たして上手く伝わりますでしょうか??
自信はありませんが、とにかく書き写してみようと思います。
『都見物日記』(二)‥‥ ②
四・二二 今日は天気よし。七時過に目覚め茶のみ 其より飯すぐとしまり 神戸乃停車場へ行き 少し遅くなりしより二時間程待(マチ)、九時過 十時前汽車に乗り 十一時過には大阪の増元という宿屋へ付(ツキ)、直(スグ)に昼飯さし出し候。 これより御母上様、轟様は 三原御母様おたか様方へ御越(オコシ)になり 私お留守致し候。 此宿は 石燈籠(イヅロ)和田屋 母おすみ殿の知人にて此宿をおしえてくれられ候故 ここへ参り候也。 おすみ殿連れの人数は 上町柳町の相良(サガラ)の母殿、外に下町のばばどの三人 次の間におられ 率いの事に候(中略) おるすに おすみ殿 私方に参り 二人にて茶など飲みおりし所、外のばばどのたちもここへ参り 茶などのみ、色々話などいたし居り候処に 御母様、轟殿帰り来られ候
昼過より大坂市中見物に行き掛(カケ)、私の蝙蝠傘一本買入 一円にて取入(トリイル)。雨ちんと降り出し 急ぎ買(ガイ)に余り宜敷もなく候得共 詮方(センカタ)なく買入候。 夕方になり候得ば 何かたべに行き度(タキ)ゆえ、一寸一膳飯屋のような処へ行き、カシワなどたべ酒飲み、これも何か話の種にならんとて行き候処 此内も電気燈を明し(設備の意か)暮々(クラグラ)と成りて折角折角とたべる処に はたはたと明りが付(ツキ)、にわかに明るくなりたるとき 御母上様 アラョーと仰せにて、夫(ソレ)から轟殿が笑い出し それそれでましたと申され、脇辺(ワキヘン)にあまり人がなく幸いにて 只々三人にて大笑いの事。
夜入とすぐ内へ帰り候得ば、三原氏母様と西村時彦(天囚)と 此方へお出(イデ)にて、今夜はぜひぜひ大坂道頓堀の芝居へ御出あれとの事にて、又直(スグ)と芝居へかけ出し 車にて急ぎ行き候得ば、御両人ともにお待ち いろいろよき馳走有之(コレアリ)候。芝居は三桝太夫と申物にて あわれなる外題に候、何(イヅレ)も何も面白き事也、帰りは十二時過し事。
私たちの年代だと鹿児島で「和田屋」と聞くと、天文館(鹿児島市繁華街)のラーメン屋さんを思い浮かべると思いますが、「いづろ(石燈籠)の和田屋」とは何の屋号なのでしょうね??
「上町柳町の相良の母殿」は酒屋さんのようです → 『【第3話】和田屋のすみばばと相良酒屋のばば』
そして大阪市中見物。 川上のお姑さんが口に出した「あらよ〜」とは、その昔、鹿児島で年配の方が驚いたり感心したりした時によく発した鹿児島弁です 今も地域によっては聞けるかな?
周りに人がいなくて幸いだったと三人で大笑いするところが最高です
道頓堀で見た芝居、「三桝太夫」って何だろう??と電子辞書で「三枡」を引くと、歌舞伎の演目「暫」の衣装にある三重の枡の紋から、「市川團十郎などの紋所」とありました。
偶然にも、つい前日「日本人のおなまえっ!」の「歌舞伎のおなまえ」の回で出ていました。