☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

川上いささんの命日でした

2020-04-29 17:27:04 | 名越左源太と家族

なかなか進まない『都見物日記』ですが、

そうこうしているうちに、イサさんの命日であるこの日のアップをしそびれてしまいました。。

(実はこれ、後日5月7日の投稿

 

左源太時敏父さんの日記によると、

イサさんの子供の頃の名前は「お藤」なのかもしれません(詳しいことは確認出来ていません。。)。

 

2011年1月20日の記事『名越左源太泰藏の子供たち』にも書きましたが、

イサ(いさ)さんは左源太時敏の長女で、天保11(1840)年1月7日生まれ

代々島津家に仕える家柄の川上勘解由(かげゆ)久逹(ひさゆき)の妻となります。

(※川上久逹は明治18年没)

そして、大正9年(1920年)4月29日に亡くなったそうです。享年81。

 

明治23年4月から5月にかけて、一緒に東京見物を楽しんだ弟・轟の曽孫として、ここに記しておきます。

 

今年はちょうど没後100年になるんですね。

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「4月29日 御伊勢様参り〜伊勢音頭見物」

2020-04-29 09:15:46 | 『都見物日記』

 前日泊まった櫛田の宿屋・紅葉屋を発ち、今日は伊勢参詣。宿屋も伊勢・山田の北村屋へ移ります。

 

『都見物日記』(三)‥‥ ⑤

 

 四・二九  六時起き 今日は七時伊勢参詣。紅葉屋より立ち 飯早目にしまい候。程無く出たち、九時前には伊勢の山田、北村屋着、いろいろしまい、十一時過に昼飯たべ、案内人頼み御いせ様御参詣致候、入口の橋の下に網にて銭をなぐれば見事にとり、其うける事うまく実に実にあきれたもの也。御伊勢様は御新宅にて 外にもいろいろ御神様入らせられ、是にも御参詣いたし候。途中にお玉おすきという三味線にて銭をうける芸を一寸み申候。これは客が三味ひきに銭をなぐれば撥(バチ)にてひく片手に其銭をうける也。夫から帰路外宮様御参詣いたし、夫にて帰り候。

 夕飯などたべ 今晩は伊勢の山田古市伊勢音頭見に参り、寄合人数にて私共も一緒に見に行き、三人にて一円払い おもしろき事に候。 すぐと宿屋に帰り候処、この北村屋は誠ににぎにぎ敷宿屋にて 随分客も多し、十時過にいね申し候。

(↑指で指してるところは関係ありません。。。(^^;) )

 御伊勢様の入り口などで、投げ銭を受けて見せる芸や三味線弾きの芸にも呆れたり感心したり楽しんだ様子です。

 翌日は伊勢から航路、豊橋へ向かいます

 

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