なかなか進まない『都見物日記』ですが、
そうこうしているうちに、イサさんの命日であるこの日のアップをしそびれてしまいました。。
(実はこれ、後日5月7日の投稿)
左源太時敏父さんの日記によると、
イサさんの子供の頃の名前は「お藤」なのかもしれません(詳しいことは確認出来ていません。。)。
2011年1月20日の記事『名越左源太泰藏の子供たち』にも書きましたが、
イサ(いさ)さんは左源太時敏の長女で、天保11(1840)年1月7日生まれ
代々島津家に仕える家柄の川上勘解由(かげゆ)久逹(ひさゆき)の妻となります。
(※川上久逹は明治18年没)
そして、大正9年(1920年)4月29日に亡くなったそうです。享年81。
明治23年4月から5月にかけて、一緒に東京見物を楽しんだ弟・轟の曽孫として、ここに記しておきます。
今年はちょうど没後100年になるんですね。