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6年前に書いた記事『曾祖父・轟の名を台湾のサイトに見つける』
(2016-09-12) カテゴリー| 曾祖父・轟のこと
この記事に貼っていた「国立台湾師範大学」のサイトのリンク先が見られなくなっていたので、先ほど「栗川轟(陳春暉 譯)(1939)」で探してみたところ、
というサイトで見ることが出来ました
「篇名」というのは何でしょうか『澎湖白沙地區的社會與經濟變遷』となっていました。
作者:王右邦 出版年月:2007年
「出版品名称」が『臺灣師範大學歷史學系在職進修碩士班學位論文』で、指導教授の名前も表示されています。
この論文の「参考文献」一覧に曽祖父・轟の書いたものが上がっています。
上のリンクから画面をスクロールすると結構下の方にあります
↓↓↓
「栗川轟(陳春暉 譯)(1939)
1999〈一百零二年前澎湖之水產業概況(原名:〈四十二年前の澎湖の水產業〉),《?咕石:澎湖縣立文化中心季刊》16:2-12。
元記事に追記したように、この西暦表示がややこしいのですが、「一百零二年前澎湖之水產業概況」というのは、1999年から102年前=1897年(明治30年)ということですね。
元となる書物が「原名:〈四十二年前の澎湖の水產業〉」として1939年(昭和14年)に出版されたと。
その本の出版時(1939年)から42年前=1897年(明治30年)ということで、それが曽祖父がレポートしたものですね。
それが1999年に「一百零二年前澎湖之水產業概況」が《澎湖県立文化中心季刊》で掲載されたもののようです。
「原名」が「四十二年前の澎湖の水産業」と日本語ですが、昭和14年に「陳春暉」という方が日本語で書いて台湾語に訳したのか?それとも、1999年出版の際に台湾語に訳したのが「陳春暉」という方なのか、ちょっとはっきりしません‥‥。
曽祖父・轟は大正11年に亡くなっています。
肝心の明治30年の水産業レポートは国立中央図書館台湾分館に存在するようで、ツイッターで繋がった片倉佳史氏が冒頭にあるブログ記事を読んでくださって、のちにFBで繋がった際に8頁に渡るものをご教示頂きました。
また、「「台湾総督府職員録系統」の明治29年の616ページ 」は2022年8月11日現在も見ることが出来ます。
画面のスクリーンショットを撮ってみたので載せておきます
リンク先のページからのスクショ、三段組みの下段に確認出来ます
それでは〜