(81)笠森稲荷 (台東区谷中7)★
「向こう横町のお稲荷さんへ、一銭あげて、ざっとおがんで、お仙の茶屋へ、腰をかけたら渋茶を出して、渋茶よこよこ横目で見たらば、お土の団子か、お米の団子か、おだんご、だぁーんご、まずまず一貫貸しまぁした。」
千代紙の店を横目に三崎坂を上がり、秋にはお仙の菊人形が飾られたりする大円寺に寄ってみる。笠森稲荷は昔ここにあったと言うが、今はお仙の碑が立っているだけだ。この稲荷の本尊のダキニ天は養寿院に移されているらしいが、今回は省略して、三崎坂を登り左へ折れて功徳林寺に向う。お仙の茶屋は、この境内にあったらしく、それに因んで稲荷が祭られている。ざっとおがんで寺を出ると、日暮里駅方面へと歩きだす。喉も乾いたのでお茶でも飲もうかと、あまりぱっとしない店に入った。すると、いきなり、日本酒か洋酒かと聞いてきた。酒類はノーサンキュウーなので、お冷を頼んで一気に飲干すと、そこそこの金を払って店を出ようとした。が、そうはいかなかった。結局、飲みもしないビールを頼み、ママさんの話を聞く羽目になった。ここのママさんも、昔は美人の範疇に入っていたのだろう。ただ、どこか冷たいところがある。ひょっとして、美しき女神であるダキニ天に似ているのかも知れない。しばらくして、話が途切れたのを幸い、店を出ることにした。帰りがけに、開店記念品の残りとかいう土製の団子を貰った。
(82)乙女稲荷 (文京区根津1)★
つつじ祭の頃は、根津権現の周辺には屋台がでて見物客で大混雑する。乙女稲荷は、この根津権現のつつじの群落中に在り、一見華やかながら、稲荷本体は案外開店休業中で賽銭は受けてもご利益無しかも知れない。それに、つつじ見物も最近は有料である。乙女稲荷を参拝するのなら、つつじの季節は避けた方が賢明だろう。というわけで、参詣客の少ない季節を選んで出かけることにした。この日は、あたりに人影無し。静かに参拝できて良かったと思いつつ、ひょっとして、今日は稲荷も休業じゃあないかと心配になった。
(79)品川神社の阿那稲荷 (品川区北品川3)★
品川神社は源頼朝が安房の州崎明神を勧請したことに始まるという。のち、三代将軍家光の時に東海寺の鎮守となり稲荷社と改称したが、明治になって、もとの品川神社に戻っている。つまり、今は稲荷とは言えないわけだが、一時期は稲荷であったわけだし、今でも境内に稲荷社があるので、行ってみることにした。品川神社は初めてではなく、祭礼の日に神輿が石段を下る様子を撮りにいったことがあるが、その時は稲荷の方はパスしていた記憶がある。まずは品川神社を神社として参拝。そのあと、社殿の右手にある稲荷に詣でる。稲荷社は二社からなり、上の社は天の恵みの霊、下の社は地の恵みの霊を祀るという。片方だけ代表して拝礼というわけにいかないので、両方とも同じように参拝することにした。
ひととおり参拝を終えてから、富士山の築山に登ってみた。築山の上には何人かが居たが、その中に孫らしい女の子を連れた老人が居た。どういう訳か、その老人に声をかけてみた。すると、話はたちまち稲荷のことになった。その老人の話では、ここの稲荷は天恵と地恵を祀ると称しているが、本当は、上の社は山の神、赤い狐を祀り、下の社は稲の神、黄色の狐を祀るのだという。眉唾ものと思ったが、黙って聞いていると、話はさらに進展し始めた。老人の話は、こうである。「山の神に言わせれば、昔は人も獣も森も調和していたのに、稲作のおかげで、いびつな世の中が始まったという事になるのだろうが、全ては時の流れというものだ。現に黄色の狐の時代は終わり、今は金儲けの時代だが、それも、もうじき行き詰まりだろう。そろそろ黒狐の出番ではないか。つまり、ここの稲荷はもう役に立たないという事だ」・・世の中には妙な考えの人もいるので、あまり付き合わない方がいい。話が一瞬途切れたところで、するりとその場を逃げ出した。
(80)高山神社 (港区高輪4)★
品川駅のすぐ近くにあり、神社を名乗る。狛犬が置かれ、キリシタン灯篭まであるが、もともとは稲荷である。以前は眺望の良い山の上にあったので、この名が付いたらしいが、今は道路際に鎮座して、車と人間を睨んでいる。
(76)穴守稲荷 (大田区羽田5)★★
比較的新しい稲荷で、波浪により堤防に穴があいたため、稲荷の祠を祭ったところ、その後は被害が出なかったというのが始まりだという。穴守の名もそこから来ているらしい。この稲荷、明治になって神社に昇格してから、急に流行し始め、近くに鉱泉が湧き出したこともあって、周辺は歓楽地のようになったそうである。戦後、進駐軍の命により現在地に移転。空港の敷地内には大鳥居だけが取り残されていたが、それも何事もなく移転できたようで、まぁ結構なことである。稲荷は今でも結構繁盛している様子で、空港とは共存共栄という事なのだろう。ご利益があるかどうかはよく分らぬが、空の旅の安全を願って拝礼。
(77)白魚稲荷 (大田区羽田5)
創建時期不詳の古い社を再建したものという。名前の由来は分からないが、この辺でも白魚がとれたに違いない 。付近の民家の中に溶け込むように鎮座しているところを見ると、あくまで地元の稲荷なのだろう。近隣の子供たちが稲荷社を占有していようと文句は言えない。離れた場所で頭を下げ、怪しまれぬうちに退散。
(78)鴎稲荷 (大田区羽田6)
昔は羽田道だったという道を歩いていたら稲荷社があった。豊漁の兆しとしての鴎を祭った稲荷という。近くの浴場で身体を清めてから参拝するのが本当かなと思ったが、それも面倒なので省略。ついでに空を見上げてみたが、鴎の姿は無い。まだ、その時期では無いのだろう。今回は、賽銭の方も省略し、一礼しただけで通り過ぎる。
(74)武芳稲荷 (豊島区雑司ケ谷3)
鬼子母神の境内の、名物のみみずくを売る売店の隣に、稲荷の鳥居が列を為しているのが見えた。この稲荷、古くからこの地にあったらしい。それにしても武芳という稲荷の名が気になるのは、今が武ばった時代に入りかけているからだろうか。鳥居の行列を抜け、突当たりの稲荷を拝んで、ひとまず安心。賽銭の方は鬼子母神の方へまとめて払い込み。
(75)威光稲荷 (豊島区南池袋3)
法明寺の裏手の曲がりくねった参道を入ると、隠れるように稲荷が祭られていた。伝承では、稲荷神の威光を見た円仁が堂宇を建てた事に始まるという。その真偽は別にして威光を放つ稲荷が最初にあって、狐の威を借りた寺、つまり稲荷山威光寺が建てられ、現在の法明寺に受け継がれたということなのだろう。お上の威光も無きに等しく、稲荷の威光もとうに無いので、形ばかり参拝して済ます。ついでに稲荷社の奥にある塚らしきものを見に行こうとしたら、背後から制止された。塚の主を怒らせてはならぬというのである。
(72)武蔵野稲荷 (練馬区栄町)★
西武線江古田駅の近くに稲荷がある。参道は線路近くにあるが、堂々たる鳥居が迎えてくれる武蔵大学側の参道が正面なのだろう。稲荷社の場所は、もともと豊島氏の塚という瓢箪塚があった場所で、社殿も稲荷社には不相応なほど立派なものである。難は、西武線の電車が轟音をあげて横を走っていく事。そういえば、さっき白い子猫が線路に入り込んだような気がしたけれど、大丈夫だったのだろうか。
(73)五郎久保稲荷 (豊島区南長崎5)
コンコン通りというお稲荷さんがありそうな通りに、期待に違わず稲荷社が祭られていた。五郎久保の名は最近付けられたもののようで、元の名前も由緒も分からぬ稲荷ながらも、境内もそこそこの広さで、祭礼の時には神輿もでるという。その待遇からして、相応のご利益もありそうに思えた。目付の作法に従って角を直角に曲がり、神社の決まりに従って拝礼。外に出てから賽銭を忘れていたことに気付いたが、また今度という事で。
(70)杓子稲荷(世田谷区梅丘1)
前から猫のことが気になっていたので、招き猫の寺という豪徳寺に行ってみることにした。ところが、どこでどう道を間違えたか、杓子稲荷に行きついた。この稲荷、世田谷城を築いた吉良氏が、城の鬼門の鎮護のため伏見稲荷を勧請したことに始まり、後に再興したものという。今の社は質素ながら、由緒ある稲荷ということらしい。杓子は飯を掬うことから、転じて難を救うというのが稲荷の名の由来だそうだが、それなら、落雷の難を避けることも出来るだろう。それにしても、この稲荷に行き当たったのは、何がしかのご縁があるという事なのだろうか。
(71)福寿稲荷(世田谷区若林2)
杓子稲荷を出て、何とか豪徳寺にたどり着く。この寺は井伊家の菩提寺だが、その前は吉良家ゆかりの寺であったらしい。ひとまず広い境内を見て回る。招き猫の姿はともかく生きている猫の姿は見かけない。参詣を終えて、今度は烏山川緑道を散歩。少々歩いて環七を越えたところに稲荷社を見つけた。由緒は分からないが、稲荷というより普通の神社である。境内は閑散として猫の子一匹居ない。来るまでもなかったのだろうか。
(67)於岩稲荷(新宿区左門町)★
この地にあった於岩稲荷が、明治になって田宮稲荷と改称して移転した後、その跡地に建ったのが、現在の於岩稲荷である。この稲荷、余程儲かるとみえて、向かいには寺が運営する同名の稲荷も建っている。芝居の話と実際の人物像とはかなり違うようだが、そんな事は稲荷にとってはどうでも良い事らしい。要は、参詣客が心安らかになり、稲荷が繁盛すれば、それで良いのである。この種の稲荷には願を掛ける人の思いが渦巻いているかも知れず、そんなものに取りつかれても困るので、横目で拝んで、さらりと通り過ぎる。
(68)甲賀稲荷(渋谷区千駄ヶ谷1)
鳩森神社に上まで登れる富士塚があるということなので行ってみた。すると富士塚の脇に稲荷があることに気がついた。甲賀稲荷といい、この近辺にあった甲賀鉄砲組の社であったという。ひょっとすると、鉄砲組と稲荷とは何かの縁があるのかも知れない。とりあえず、稲荷の鳥居の前で一礼して立ち去る。
(69)榎稲荷(渋谷区千駄ヶ谷2)
鳩森神社の近く、寺の裏参道と思しき場所に稲荷の鳥居があった。石段を上ると、途中の洞に稲荷の小さな祠が祭られていた。この稲荷、テレビで取り上げられた事があったような気もする。稲荷の名の起こりとなった榎は既に無くなっているらしく、今ある稲荷の祠もメモリアルに近いものかも知れない。立ち去る前に洞の中を覗いてみると、猫が一匹、こちらを睨んでいた。
(63)下谷神社 (台東区東上野3)★★
地下鉄の駅名になっている稲荷町は、この下谷稲荷から来ている。今は稲荷も下谷神社に昇格し、境内の片隅にある稲荷の祠だけが稲荷の雰囲気を伝えているが、江戸稲荷番付では勧進元の王子稲荷の差添え(付き添い)をつとめる格式ある稲荷である。とりあえず神社として参拝し、稲荷社の方にも頭を下げてから外に出る。それから写真を撮ろうとカメラを構えていると、婦人が一人すっと画面の中に入ってきて参拝を始めた。終わるまで待とうとしたが、そのうち姿がぼやけてきた。どうやら当方の目がぼけてきたらしい。
(64)熊谷稲荷 (台東区寿2)★
下谷神社に行ったついでに、神仏具卸問屋街を歩いてみた。中に稲荷の社殿を扱う店があった。土地があれば稲荷の祠を据え付けるのも悪くない。ご利益は、いじめ封じ、ボケ封じ、何でもいい。インターネットなら宣伝費もタダ同然だ。うまく宣伝すれば参詣する連中も出てくるし、賽銭も集まるだろう。街頭募金とは違って、人件費ゼロの無人店舗営業が可能である。違法行為に当たるかどうかは、調べてみればいい。いったい稲荷の社殿はいくら位するのだろう。などと妄想が膨らんだが、残念ながら土地を持っていない。どうしよう、やっぱり駄目か・・と、そんな馬鹿な事を考えて歩いていくうちに、熊谷稲荷のある本法寺に行きついた。
朝倉の武将、熊谷安左衛門が狩猟の折に狐の命を救ったところ、その後幸運に恵まれたことから、稲荷を勧請したのが熊谷稲荷の始まりといい、今でも狐一族を招いて感謝する日を設けているらしい。訪れた日がそんな日だったかどうか分からないが、門内には読経の声が響き、カメラを向けるのも憚られた。仕方なくカメラを下げたまま外へ出た途端、何者かがぶつかってきた。危うく倒れそうになりながらも夢中でシャッターを切った。後で写真を見ると、1枚には空と幟が写っており、もう一枚には黒い影が写っていた。
(65)被官稲荷 (台東区浅草2)★
新門辰五郎が建てた被官稲荷が、浅草神社の裏手にあった。開放的な覆屋の中に小さな祠があるだけだが、何となく風格があり、地の利もあってか、参詣者が少なくない。たとえ、仕官を願う身でなくとも、幾らかの賽銭を投じて、心静かに頭を垂れるのが定法だ。
(66)嬉しの森稲荷 (台東区花川戸1)
浅草寺に近い花川戸公園の傍らに稲荷社があった。むかし花川戸にあった達磨池の辺に
嬉しの森という森があり、そこに祀られていた稲荷という。火防に霊験ありという事で、本当は中に入って参拝すべきだったが、先を急いでいたので、頭を下げて通り過ぎる。
(58)大島稲荷 (江東区大島5)★
小名木川沿いの稲荷で、この川に芭蕉が舟を浮かべて遊んだときの句碑がある。今では丸八橋の影になってしまい、川面も眺められない。しかし、稲荷としてはいい雰囲気の社である。一応、交通安全を願って参拝。いつか船に乗る機会もあるだろう。
(59)治兵衛稲荷 (江東区北砂3)★
この稲荷は、新田を開拓した治兵衛に因んで名付けられという。村の鎮守といった雰囲気を残す社である。境内で小休止してから次の稲荷へ。
(60)亀高神社 (江東区北砂4)
買い物客で賑う砂町銀座の商店街の裏手にあり、亀高村の鎮守であったと言う。亀高稲荷と称していたが、今は稲荷の雰囲気はない。ひと回り見渡してから、次の稲荷へ。
(61)志演神社 (江東区北砂2)★
元は深川稲荷と称したが、将軍綱吉が鷹狩でこの地を訪れた際に、民の志を演ること殊勝なりと言ったことから、志演(しのぶ)と名付けられたと言う。後に、尊空稲荷も合祀して現在に至る。社は稲荷としては立派な方だろう。ひとまず参拝して、次の稲荷へ。
(62)砂村仙気稲荷 (江東区南砂3)
疝気が治る事で知られた稲荷。元の稲荷は移転してしまい、現在のものは町内会によって再建されたものである。この位の大きさの祠の方がお稲荷さんらしくて良い。
(54)黒船稲荷 (江東区牡丹1)★
門前仲町で下車して大横川を渡る。例によって少々探し回ってから、やっと稲荷に行き当たった。鶴屋南北が住んでいた頃は、この辺りは雀の森と呼ばれていて屋敷森が多かったと言う。今は住宅が建てこんで昔の面影なんぞはないのだろうが、稲荷の境内は何故か過去をそのまま引き摺っているようで、何と無く暗い感じが漂っている。祠には狐が今でも棲み付いていそうな気もして、写真を撮ってからさっさと退散。
(55)開運出世稲荷 (江東区富岡1)
深川不動の境内に、ダキニ天を祭る開運出世稲荷があるのを見つけた。とってつけたような名前の稲荷だが、相応のご利益はあるのだろう。賽銭無しで参拝するのは憚られるので、横目に見ながらそっと通り過ぎる。
(56)繁栄稲荷 (江東区木場2)
大丸デパートの業祖が江戸へ進出した折、この地に別邸を置き稲荷を祀ったのが、この稲荷の始りである。大丸の繁栄は当方と関係がないが、ひとまず参拝だけしておく。
(57)於六稲荷 (江東区木場6)
黒船稲荷の近くにある州崎神社の境内に於六という女狐を勧請した稲荷が、豊川稲荷と並んでいた。神社の方に参拝し稲荷の方は一寸だけ頭を下げて済ます。