(1)50歳は曲がり角
老後の事を考えるようになったのは、50歳になってからだったと思う。当時は60歳が定年であったので、このまま仕事を続けて60歳になったら、のんびり暮らすという選択肢もあるにはあったが、そんなことは考えたくなかった。その後、60歳から先も働き続けられる職場がある事を知り、定年まで待たずに退職して転職することにした。給与は減る事にはなったが、それでも、長く働き続ける方を選んだのである。
(2)70歳の壁を越える
転職先の定年は65歳であったが、その後も非常勤の嘱託として67歳まで働いた。嘱託を辞めてからは年金暮らしになったが、老後の備えとして預貯金については早くから準備していたので、贅沢をしなければ日々の暮らしを続ける事が出来た。退職後、勤め先の行事にOBとして参加する機会はあった。また、勤め先の同好会はOBも参加が可能だったので、ウオーキングの同好会にOB会員として加入する事にした。実は、歩いた距離の累計が所定の距離に達すると表彰されるという事があり、それが目的の一つでもあった。
69歳の時、江戸時代の歴史について興味を持つようになり、江戸東京博物館の友の会に入会した。また、このブログ「夢七雑禄」を始めたのも、この年である。その翌年、平成20年(2008)、70歳の壁を、壁と思わずに乗り越えていた。
(3)80歳の壁を越える
このブログ「夢七雑禄」を始めた頃は、ブログの訪問者はまだ居なかったと思う。何年か経ち携帯からもアクセス可能にした頃から訪問者は少しずつ増えるようになり、そして現在は一日当り3桁の訪問者が居る。内容的にはアクセス数の多いブログとは言えないのだろうが、現在の訪問者数は作成者として有り難い数である。仕事が無くなった今は、ブログが仕事の代わりになっているのかも知れない。そしてウオーキングがそれを支えているのだろう。
平成25年(2013)、今までの保険証に代わる後期高齢者保険者証が送られてきた。この年、この保険証を使う必要が生じ一週間ほど入院したが、退院して暫くしてからは、旅行はともかく、散歩するぐらいの事は出来るようになっていた。
それから5年。ブログの記事を書くため都内の各所を歩き回り、時にはウオーキングの会に参加し、時には博物館や美術館、公園や寺社を訪れることもあった。そして、気がついたら、80歳の壁を、壁と思わずに乗り越えていた。
それから5年が経ったが、85歳の壁を乗り越えられたかどうか、今はまだ分からない。