夢七雑録

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ロンドン(7)

2010-06-30 20:46:56 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、セント・ポール大聖堂とセント・ポール・クロスの場所を描いた、クイントンによる水彩画です。セント・ポール大聖堂は、サン・ピエトロ大聖堂に次ぐ規模とされる大聖堂で、1710年の創建です。なお、セント・ポール・クロスは昔の大聖堂にあった屋外の説教壇のことをさしています。

 次の絵葉書は、テムズ川南岸のバンクサイドから、上流方向を眺めた夕景の絵ですが、画家の名前は不明です。見えている橋は、ブラックフライアーズ橋のすぐ下流に架けられていた鉄道橋ですが、よく見ると、橋の上に煙のようなものが連なっています。汽車の煙かも知れません。この絵では、潮の干満のせいか、テムズ川の水が岸辺を洗っているように見えます。

 次の絵葉書は、上流からセント・ポール大聖堂の方向を眺めた夜景の絵ですが、画家の名前は分かりません。右側の奥に微かに見えている橋は、1869年に完成したブラックフライアーズ橋という鉄橋で、この橋の向こう側に鉄道橋が架けられていました。なお、ブラックフライアーズとはベネディクト派修道会のことで、この辺りが、同じ名の古い修道院の跡地であった事から、橋の名になったといいます。

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ロンドン(6)

2010-06-27 11:41:11 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、1882年に建てられたネオゴシック様式の王立裁判所を描いた、クイントンの水彩画で、馬車とガソリン・エンジンのバスが見えています。

 次の絵葉書は、オルドウイッチを描いたクイントンの水彩画です。オルドウイッチの街路は弧状をなしていますが、その西側の入り口を描いたもので、正面奥に見えるのは、ウォルドルフ・ホテルのようです。左手に見える建物には、ザ・モーニング・ポストという文字が見えますが、新聞社の社屋でしょうか。

 次の絵葉書は、ホルボーンに現存するステイプル・インを描いたクイントンの水彩画です。ステイプル・インは法学院入学希望者の予備教育のための学寮でしたが、この絵が描かれた当時は既に無関係になっていました。クイントンも、木材を骨組みとする古い建物としてステイプル・インを描いたのでしょう。

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ロンドン(5)

2010-06-24 19:11:36 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、バッキンガム宮殿から、ザ・マルを通ってトラファルガー広場に出るところにあるアドミラルティ・アーチを描いたクイントンの水彩画です。ザ・マルを、馬車もオープンカーも普通に通っていた時代の風景です。

 次の絵葉書は、1870年にウエストミンスター橋とブラックフライアーズ橋の間のテムズ川沿いに建設されたエンバンクメント(ビクトリア遊歩道)を、クイントンが水彩画に描いたものです。絵の左側に見えるのは、絢爛豪華さにおいてヨーロッパ随一と称されたホテル、セシルですが、後に取り壊されてしまいました。川岸に見える石塔は現存していて、クレオパトラの針と呼ばれているトトメス三世のオベリスクです。向こうに見えている橋は、世界で最も壮麗な石橋と称されたウオータールー橋ですが、この橋は1942年に架け替えられています。橋の先に見えているのは、現存するサマセット・ハウスのようです。

 次のポストカードは、ハンガーフォード橋から眺めた夕景を描いたものですが、画家の名は不明です。向こうに見えている橋は、1862年に架けられたウエストミンスター橋です。右側の高い塔は、多分、ビック・ベンで知られるクロック・タワーで、国会議事堂の建物全体がシルエットを構成しているのでしょう。

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ロンドン(4)

2010-06-21 19:31:25 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、バッキンガム宮殿の門として建てられ、後にハイドパーク北西の隅に移されたマーブル・アーチを描いたクイントンの水彩画です。絵の中には騎馬の姿も見えますが、ハイドパークでのパレードの参加者でしょうか。

 上の絵葉書は、マーブル・アーチの付近の写真ですが、クイントンの絵のような、のどかな雰囲気は見られません。

 上の絵葉書は、ハイドパークのロトン・ロウを描いたクイントンの水彩画です。ロトン・ロウは王の道route du roeに由来するという説がある乗馬専用道ですが、大正時代の旅行者も、この絵のような光景に遭遇していたかも知れません。

 上の絵葉書は、ハイドパークに隣接する、ケンジントン・ガーデンの写真です。1896年頃に撮影されたバーチの写真には、ボートを除けば、同じような風景が写されています。

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ロンドン(3)

2010-06-18 19:57:04 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、トラファルガー海戦で勝利したものの自らは戦死したネルソンの記念碑の写真です。ネルソンの円柱は高いので、トラファルガー広場と円柱の両方を一枚の写真におさめるのは難しかったかも知れません。

 次の絵葉書は、トラファルガー広場に面している、ナショナル・ギャラリを描いたクイントンの水彩画です。画面左側がナショナル・ギャラリで、右側には、コリント様式の柱廊をもつセントー・マーティンズ・イン・ザ・フィールドの小教区教会が見えています。この絵葉書の構図はバーチが1896年頃に撮った写真と殆ど同じですが、バーチの写真が馬車だけだったのに対して、クイントンの絵には、ガソリン・エンジンのバスやオープンカーが登場しています。

 次の絵葉書は、ピカデリー通りの広場、ピカデリー・サーカスを描いたクイントンの水彩画で、左側にロンドン・パビリオン(現在はトロカデロ)、右側にレストランのクライテリオン、そして、当時は広場の中央にあったエロス像のある噴水が描かれています。19世紀末のバーチの写真では、道路を馬車が埋め尽くしていますが、クイントンの絵には馬車から自動車へ移行しつつある様子が見られます。この絵にはGENERALと書かれた赤いバスとNATIONALと書かれた白いバスが見えますが、ガソリン・エンジンのバス会社間で競争が始まっていたようです。

 次の絵葉書は、ピカデリー・サーカスの写真です。左側のビルに清涼飲料のネオンサインがあるので、ネオンサイン設置が認められた1910年代以降、1924年以前に撮影したものでしょう。その右側のビルはロンドン・パビリオンですが、すでに広告の看板が掛けられています。この頃になると、ピカデリー・サーカスは自動車で混雑する交差点の様相を呈するようになっていました。

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ロンドン(2)

2010-06-15 19:25:10 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、ウエストミンスター寺院を描いたクイントンによる水彩画です。この絵には、馬車のほかに、ガソリン・エンジンを使用した屋根なし二階建てのバスも描かれています。

 次の絵葉書は、ウエストミンスター宮殿でもある国会議事堂を描いたクイントンのオリジナル水彩画です。国会議事堂そのものの姿は今も変わりはないでしょうが、テムズ川に浮かぶ船の姿から、昔の風景と確認できるでしょう。

 次の絵葉書は、セノタフ(戦死者記念碑)の写真です。セノタフとは、空っぽの墓という意味だそうですが、1918年に終結した第一次世界大戦のイギリス領の戦死者の記念碑で、1920年に建てられました。現在は第一次大戦以降の戦死者も記念碑の対象にしているようです。この絵葉書は写真印画紙を用いており、撮影されたのは1920年から1924年までの間ということになります。
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ロンドン(1)

2010-06-12 10:55:44 | 大正時代の絵葉書による海外の旅
 ロンドンでの日程は分かりませんが、出張の主要目的地の一つと思われるので、ある程度の日数はとっていたのでしょう。仕事の合間に、市内を見て回るのに十分な時間があったようで、絵葉書も比較的多く集められています。イギリスでは、特にクイントンの水彩画の絵葉書を多く手に入れていますが、どこか気に入ったところがあったのかも知れません。クイントンは英国の水彩画家で、村の風景などを得意としていましたが、ロンドン市内なども題材に取り上げていました。クイントンは数多くの水彩画を描きましたが、ポストカードとして出版されることが多かったようです。なお、入手したポストカードのクイントンの水彩画は、1904年から1924年までの間に出版されたものですが、各々の絵の制作年は分かりません。

 上の絵葉書は、バッキンガム宮殿とビクトリア女王記念碑の写真ですが、網版印刷したカラー写真で、リバプールのものよりは上質です。この写真には大勢の人が集まっている様子が写されていますが、観光客ではなさそうで、中には報道カメラマンらしき姿も見受けられます。何かあったのでしょうか。

 次の絵葉書は、セント・ジェームズ・パークの湖の絵ですが、A.R.クイントンのオリジナルの水彩画をもとにカラー網版印刷したものです。この公園は沼地を干拓して公園としたもので、1829年に現在の形になりました。この絵の右側には、湖畔に面して建つ外務省の建物が見えています。

 次の絵葉書は、ホワイトホールにある、ホース・ガード(近衛騎兵隊本部)の絵で、クイントンによるオリジナル水彩画です。クイントンの絵は、写真のように正確で、写真に比べ細部まで鮮明に描かれています。
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リバプール(3)

2010-06-09 19:15:23 | 大正時代の絵葉書による海外の旅
 リバプールに宿泊した折に、次の絵葉書の場所も見て回ったのでしょう。一番上の絵葉書はセント・ジョーンズ・ガーデンの写真。その次の絵葉書は、現在も市長官邸として利用されているという歴史的建造物、タウン・ホールの写真。そして、一番下の絵葉書は、現在、スリーグレイスと称される歴史的建造物群の写真で、手前からロイヤル・ライヴァー・ビル、キュナード・ビル、ポート・オブ・リバプール・ビルです。



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リバプール(2)

2010-06-05 10:02:39 | 大正時代の絵葉書による海外の旅

 上の絵葉書は、ノース・ウエスタン・ホテル(旧)の絵を網版印刷したもので、右側にはライム・ストリート駅も見えています。ホテルを経営していたのは、ロンドン&ノース・ウエスタン鉄道ですが、このポストカードも同社が発行しています。同じポストカードが複数枚あるので、多分、このホテルに宿泊したのでしょう。なお、このホテルはアメリカからの渡航者がよく利用するホテルでした。

 次の絵葉書は、ライム・ストリートの写真です。左側の建物はセント・ジョージ・ホール、右側はノース・ウエスタン・ホテル(旧)です。ライム・ストリートの奥に円柱のようなものが見えますが、ウェリントンの記念碑でしょう。

 次の絵葉書は、セント・ジョ-ジ・スクエアの写真です。円柱は上が切られていますが、ウェリントンの記念碑のようです。観光絵葉書にとって、高い円柱は扱いにくいものだったのでしょう。

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リバプール(1)

2010-06-02 22:07:24 | 大正時代の絵葉書による海外の旅
 ニューヨークから大西洋航路でリバプールに到着したあと、すぐロンドンに向かわず、リバプールに宿泊したようです。今では、ビートルズの生まれ故郷としてリバプールを訪れる観光客も多いようですが、大正時代のことゆえ、観光目的で宿泊したとは思えません。それでも、市内を見て回るぐらいの事はあったでしょう。

 上の絵葉書は、定期航路の客船が発着するリバプールの浮桟橋の写真です。リバプールで入手した、カラー写真版の絵葉書は、イギリスで印刷されたものですが、モノクロ網版の写真に色を重ねた平版印刷のようで、品質もあまり良くありません。

 次の絵葉書は、ロード・ストリートの写真です。この日は、港からホテルまで車を利用したと思いますが、途中、ロード・ストリートを通っていたかも知れません。

 次の絵葉書は、チャーチ・ストリートの写真です。この通りにも路面電車が走っていますが、見たところ二階式のようです。車も少なかった当時、路面電車は便利な交通機関だったのでしょう。

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