東村山駅西口の交差点を渡って、斜め前方に入る道を下ると、柳瀬川支流の前川に架かる朱色の弁天橋に出る。橋を渡って西に行き、弁天池から正福寺地蔵堂を経て北山公園に出るルートもあるが、ここでは、弁天橋を渡って右折し八国山通りを北に進む。途中、左側に“近道”の表示があるが、ここを入って農家と畑の間の私道のような道を進み、突き当りを右に行けば北山公園に出る。八国山通りをそのまま進んで少し先を左に行っても、多少遠回りにはなるが北山公園に行く事は出来る。菖蒲まつり期間中は幟が各所に立ち道標もあるので、北山公園まで迷う事はないだろう。なお、北山公園からの帰りに、“近道”を逆に進み八国山通りを横切って先に進んで前川を渡って左へ川沿いに進み、少し先を右に行くと諏訪神社の横に出る。ここを右に行けば東村山駅、左に行けば、ふるさと歴史館に出る。
柳瀬川支流の北川を善行橋で渡れば北山公園となる。菖蒲まつり期間中の公園内は賑わってはいるが、混雑しているという程ではなく、花菖蒲をゆっくり見て回ることが出来る。
公園内の菖蒲を見て回る。菖蒲は300種8000株あると言う。中には珍しい品種があるらしいのだが、それと気付かずに通り過ぎていたに違いない。
公園の北側では紫陽花が見ごろになっている。その中を、西武園線の電車が通り過ぎて行く。トトロのふるさとでもある八国山の麓を、レトロな電車がゆっくりと走っていたとすれば、昔懐かしい風景の中にぴったりと収まっていたかも知れないのだが。
展望台が造られていたので上がって見る。公園内には見渡す限り菖蒲田が広がっている。確かに菖蒲あっての北山公園であり、菖蒲が終われば公園への来訪者は激減するかも知れないが、見るべきものが無くなるわけではない。花はほかにもあり、水田もある。そして、この公園の本来の見所は、多分、八国山を借景とした四季折々の里山風景にあるのだろう。
公園の西側にある関場橋から外に出て西に行くと、八国山たいけんの里に出る。以前、ここには北山公園の管理事務所があり、秋津から移設した農家もあって、かやぶき民家園と称していた。農家は里山風景の要となるものだが、惜しい事に放火されて焼失してしまっている。
北山公園のある場所はもともと水田だったが、昭和48年(1973)に不動産業者による買収が進められるという事があった。そこで、東村山市は自然環境保存のため買戻しと用地買収を行い、昭和51年(1976)から都市計画公園・北山公園としての造成を開始した。一方、東京都は昭和52年(1977)に、北山公園に隣接する八国山緑地を都市緑地に指定している。昭和57年(1982)、東京都は都民の日制定30周年記念として新東京百景を定めることになり、各区市町村から推薦された景勝地について、人気投票の結果も尊重して選考委員が百カ所を選定したが、その中に北山公園も含まれている。平成元年(1989)、公園の造成開始以来増やしてきた花菖蒲が150種となり、第1回北山公園菖蒲まつりが開催される。平成2年(1990)には、北側の八国山緑地が公園として開園している。
<参考資料>「狭山丘陵見て歩き」「北山公園と八国山の成り立ち」「新東京百景」