滝野川一丁目の停留所の開業は昭和33年頃。谷田川通りがここまで延長された時期にあたる。踏切を渡って坂を上がると、昔は堀割が通っていた道に出る。ここを右に行くと下り坂となる。下りきって直進する細い道が、堀割の通っていたルートで、堀割はその先を折れて、現・明治通りの北側にあった反射炉の敷地内に用水を供給していた。反射炉は結局のところ使用されなかったが、千川上水からの用水は、明治になって、紡績や製紙などに使用されるようになる。その後、工業用水としての需要も減少し、現在は用水も停止され、堀割の跡も道路に変わっている。
明治通りを歩道橋で渡って、反射炉のあった場所に行ってみる。今は、反射炉はおろか紡績工場などの跡らしいものも見当たらないが、明治37年に設置された醸造試験所(現在は酒類総合研究所)の赤レンガの建物が残っている。その隣にある醸造試験所跡地公園を通り抜け、別の道を通って明治通りに出る。道路を渡った先、明治通りから斜めに入る道は競争横丁と呼ばれていた道で、昔は、多くの店が並んで競争していたそうだが、今は横丁の跡地といった雰囲気の道である。この道を歩いて行くと、飛鳥山の停留所に出る。石神井川に落ちる逆川は、その手前を流れていたらしい。
飛鳥山の停留所は、王子電気軌道株式会社の最初の路線である大塚線の終点として、明治44年に開業している。行楽客を当て込んでのことだったのだろう。