【秋津駅から西武園駅・7番札所~8番札所】
<コース>
秋津駅―梅岩寺―7番徳蔵寺―北山公園―正福寺―狭山公園―8番円乗院―多摩湖―西武園駅:11km。
(1)第7番 徳蔵寺(東京都東村山市諏訪町1-26)
秋津駅を南口に出て武蔵野線の上を渡り左へ。それから、秋津神社の前を右に秋津公園の上を通るようにして柳瀬川に出る。川沿いに戻るように歩き、右へ住宅地の中を行くと、よもぎ橋の上流で柳瀬川に流入している沢ノ堀に出る。その水路の上には蓋がされていて歩けるようになっている。この道を進んで旧所沢街道を渡り、その先で所沢街道に出て左へ、交差点を右に府中街道を進む。右側には梅岩寺が見えてくる。
久米川辻の交差点に出て、ここを右に行き西武新宿線を渡ると、その先に第7番札所の徳蔵寺がある。寺の本尊は白衣観音で、札所の本尊でもある。徳蔵寺には、新田義貞が鎌倉攻めをした時に戦死した3人の名が記された板碑、元弘の碑が保存されており、重要文化財に指定されている。「武蔵野話」の久米村八国山将軍塚の図によると、この板碑はもともと将軍塚近くの八国山の中腹に置かれていたようである。
上野国と下野国から武蔵国国府(府中)に出る官道、東山道武蔵路は、将軍塚近くを経て、徳蔵寺の西側を通っていた。中世になると東山道武蔵路は衰退し、それに代わった鎌倉街道(上道)が、徳蔵寺の北方を東に、そのあと西武新宿線に近いルートで南に向かっていた。徳蔵寺の東側、鎌倉街道沿いには、中世になって久米川宿が設けられた。
徳蔵寺の住職が昭和6年に書いた徳蔵寺周辺の地図には、悲田所位置が記されている。悲田処(悲田所)とは旅人の救護施設のことで、続日本後紀の天長10年(833)の記事に、武蔵国では旅行者が飢えや病に苦しまぬように多摩と入間の郡界に悲田処を置いたとある。悲田処は武蔵国の施設であり、後に朝廷が費用を負担してもいるようなので、悲田処は、官道である東山道武蔵路に対して置かれたと考えられる。悲田処跡地については諸説あるようだが、何れも確かな証拠は無いようである。
(2)第8番 円乗院(東京都東大和市狭山3-1354)
徳蔵寺を出て右へ、前川を渡って先に行き北川に出る。北川は柳瀬川の支流であり前川は北川の支流である。北川に沿って左に行き、八国山通りに出て左へ、踏切を渡って正福寺通りを右に行き、道標によって北山公園に行く。この公園は菖蒲の名所で、新東京百景の一つになっており、当ブログでも公園・庭園めぐりの一つとして取り上げたことがある。
一休みした後、正福寺通りに戻って右へ。その先を左に、さらに右に入って国宝の正福寺地蔵堂に立ち寄る。そのあと、正福寺の南側の通り(正福寺通り)を西に向かうと、途中から宅部通りになり、多摩湖線の下を潜れば狭山公園に出る。なお、平成9年に歩いた時は、途中で左に行き雑木林(緑地保護区域)沿いに歩いて宅部通りに出ている。
狭山公園に入って、北川の上流部と、溜池であった宅部池(たっちゃん池)を眺めながら公園内を散策し、南門から外に出る。多摩湖道路を横断して、その先のバス通りを右に行く。狭山公民館入口の交差点を過ぎ、その先の横断歩道を渡って円乗院に向かう。この寺が現在地に建てられたのは慶長の頃で、きりもみ不動を本尊としたという。現在の札所本尊は如意輪観音である。
円乗院を出て狭山神社を左に見て上がり、右に下って前川を渡り、広い道を上がれば多摩湖に出る。展望を楽しみながら堰堤を歩き、西武遊園地に沿って東に行くと西武園駅に出る。この駅が今回のコースの着地であり、次回の発地となる。