西武池袋線の練馬高野台で下車し長命寺に行く。南大門を入って正面の本堂に向かって進むと、左に入る道がある。この道を行き右に折れて石橋を渡った先が長命寺の奥の院で、正面には御影堂がある。御影堂の裏手は、閻魔などの石像が並び、やや異様な雰囲気である。奥の院は高野山を模して造られたとされる事から、長命寺は東高野山と呼ばれ、また、女人禁制にしなかったこともあって、江戸から参詣に訪れる人が少なからずいたらしい。長い距離を歩くことに慣れていた江戸の人々にとっては、長命寺は日帰り圏内であったのかも知れない。江戸名所図会や村尾嘉稜の長命寺境内図を見ると、石橋から大師堂(現在の御影堂)に至る道は、今も江戸時代の面影を残しているように思える。長命寺の奥の院は都の史跡に指定されており、通年公開の文化財にもなっている。なお、長命寺は武蔵野三十三観音の第一番札所でもある。武蔵野三十三観音は西武池袋線の沿線に点在し、結願の寺は飯能の竹寺である。
長命寺を出て笹目通りを南に行き、長光寺橋の手前で右に入り、石神井川沿いの遊歩道を歩く。山下橋を過ぎて川沿いに進み、次の橋で右に折れると石神井公園の前に出る。ここから石神井池に沿って歩いても良いのだが、今回は、石神井公園南側の記念庭園に行く。最近、歩道を整備したり、池を浚ったりしたらしく、以前のような荒れた感じではなくなったが、自然はそのまま残っている。この庭園の北側の道を西に進むと運動公園のような場所に出る。ここは、芝生の原っぱもあって気分の良い場所である。桜も植わっているので、ちょっとした花見にも良いかも知れない。さらに道なりに行くと、池淵史跡公園に出る。先石器時代から縄文や弥生の遺跡地の公園で、ここに旧内田家住宅という、江戸時代の民家の古材を利用して明治20年代に建てられた茅葺の住宅が移築されている。この住宅は、文化財ウイークの参加事業として昨年から始まった古民家めぐりの対象にもなっている。
池淵史跡公園に隣接して、石神井公園ふるさと文化館がある。ここは、旧石神井図書館の地下にあった練馬区郷土資料室が母体となって昨年オープンした施設で、常設展示のほか、企画展や特別展が行われている。文化財ウイーク関連では、石神井城跡の発掘調査結果がギャラリーで写真展示されていた。
三宝寺池の中の浮島には貴重な植物群落があるとして、昭和10年に国の天然記念物に指定されている。しかし、昭和30年代以降の環境変化により貴重な植物が減少し、希少種の中には消滅したものもあるという。また、豊富だった湧水も激減したため、ポンプで地下水を汲み上げて補給する状況になっている。その後、環境を回復するための努力が続けられた結果、貴重な植物も次第に増えているようで、今では、コウホネの黄色い花をよく見かけるようになった。三宝寺池の周囲には木道が設けられている。その木道を歩きながら、秋から冬にかけて飛来する水鳥を探すが、今年は気のせいか少ないような気もする。木道からは公園外の建物がほとんど見えないため、三宝寺池は自然のままの池のような雰囲気を持っている。
三宝寺池の南側は、豊島氏の持城だった石神井城の跡で、都の史跡に指定されている。城の中心にあたる主郭の跡地はフェンスで囲まれているので、通常は外から眺めるしかないが、文化財ウイーク中に限り特別公開されている。今年は主郭内で発掘調査の写真が展示されていた。以前、城跡をめぐるミニツアーに参加したことがあったが、フェンスに沿って主郭の西側と南側に空堀と土塁が築かれているほか、三宝寺池西端から石神井川に面する斜面に至る南北に、空堀が築かれているという事であった。
三宝寺池から西に上がると野鳥の誘致林がある。珍しい鳥に出会えるかどうかは分からないが紅葉は美しい。ここから北に行き富士街道を渡って進む。東京学芸大附属校の敷地を回るようにして西に行き、上石神井通りを渡って牧野記念庭園に行く。植物学者で文化勲章受章者の牧野富太郎博士が晩年を過ごした居宅の跡を、区立庭園としたものだが、国登録の記念物にもなっている。この庭園の建物が老朽化したため、リニューアルが行われて、昨年オープン。文化財ウイークにも昨年から参加している。園内には講習室、博士の書斎を保護している鞘堂、常設展示や企画展示を行う記念館が設けられ、庭園内の植物は300種を越えている。ただ、以前あった、あずま屋や、温床は、リニューアルにより無くなったようである。文化財ウイーク期間には「花に焦がれて」という企画展が行われていたが、その後は、「牧野記念庭園ゆかりの植物」という企画展が開催される。なお、最寄り駅は、西武池袋線大泉学園駅である
王子で下車して音無親水公園を歩き、それから王子神社への石段を上がる。上がりきったところにイチョウの巨樹がある。都の天然記念物で、通年公開の文化財でもある。幹周は5m。高さは24mあり、高台にあるので遠くからも見ることができる。東京都指定の天然記念物は60件ぐらいあるそうだが、そのうち、通年公開の文化財の対象は39件ある。ほかに、国指定の天然記念物や、特別天然記念物の中から選ばれているものもあり、動物園で飼われている動物の中にも、通年公開の文化財に該当するものがあるようだ。
王子神社から飛鳥山公園に行く。公園内にある飛鳥山碑は、都の有形文化財で通年公開の文化財にもなっている。この石碑は八代将軍吉宗が飛鳥山を整備し庶民に開放したことを記念して、王子権現社別当の金輪寺住職が1737年に建てたものだが、文化財としては古文書の扱いになっている。碑文の内容は、飛鳥山の由来と八代将軍吉宗の事績を記したものだが、江戸時代から難解なことで知られていた。
飛鳥山公園には、飛鳥山博物館、紙の博物館、渋沢史料館の三つの博物館があるが、そのうち、飛鳥山博物館では、都指定の有形文化財で、田端不動坂遺跡から出土した古墳時代の遺物を常設展示している。この遺物は、通年公開の文化財でもある。遺物は4世紀末頃のものと見られ、集落を台地上から台地下に移すにあたって、集落を廃止する際の祭祀具として用いられたと考えられている。
渋沢家飛鳥山邸は、渋沢栄一が明治12年に別荘として、明治34年からは本邸として使用していた邸宅で、曖依村荘と呼ばれていた。空襲により本館の日本館と西洋館をはじめ多くの建物が焼失したが、晩香廬と青淵文庫は消失を免れ、現在は重要文化財に指定されている。晩香廬は大正6年の竣工で暖炉を据えた談話室のある小亭、青淵文庫は大正14年の竣工で1階の閲覧室と2階の書庫からなる小図書館である。渋沢史料館がオープンする以前、ここに来たことがあるが、確か、青淵文庫が展示室として利用されていたと記憶している。渋沢家飛鳥山邸の庭園は無料で通年公開され、晩香廬と青淵文庫の内部は土曜日のみ有料で公開されている。ただし、文化財ウイーク中の特定日は無料になっている。
渋沢家飛鳥山邸を出て本郷通りを歩いて行くと西ヶ原一里塚が見えてくる。日光御成街道(岩槻街道)では本郷追分の次の一里塚で、左右両方の一里塚が残っているのは、都内では、西ケ原と板橋区の志村だけだという。一里塚から先に行くと、左手に滝野川公園がある。武蔵国豊島郡の古代の役所、郡衙があった場所という。その先で横断歩道を渡って旧古河氏庭園に行く。
旧古河氏庭園は国指定の名勝で、通年公開の文化財でもある。台地の上はコンドルが設計した洋館と西洋庭園、台地の下は小川治兵衛の作庭による日本庭園になっている。文化財ウイーク中には洋館の見学会があるが、他の日でも予約すれば見学が可能だという。西洋庭園のバラを眺めながら少し休憩し、庭園を後にする。最寄駅は南北線西ヶ原だが、少しだけ余裕があるので、今回は駒込駅を目指して歩く。
東京の文化財のうち期間内に特別公開されるものは、来年まで待たなくてはならないが、通年公開の文化財については随時見て回ることが出来る。そこで、通年公開されている東京の文化財をめぐる散歩コースを、幾つか取り上げてみることにした。
国分寺駅から西国分寺駅まで、ひと駅散歩を兼ねて、通年公開の文化財めぐりをしてみた。最初に訪ねた文化財は、国分寺駅から近い「都立殿ケ谷戸庭園」である。殿ケ谷戸庭園はこれまで都指定の名勝であったが、今年から国指定の名勝になっている。この庭園には何度か来ているが、広さの割には変化があって、花も多く四季それぞれに楽しめる庭園である。入園料を払って中に入ると、さっそく紅葉亭に行ってみる。今の時期、紅葉亭付近から眺める紅葉がお勧めというわけである。庭園は国分寺崖線南縁の段丘崖の地形を生かした回遊式林泉庭園で、武蔵野台地の自然植生がよく保存されている。豊富な湧水が流れ込む園内の次郎弁天池は、野川の水源の一つになっているという。所在地は国分寺市南町2-16。年末年始は休園となる。
殿ケ谷戸庭園の西側の坂を下り不動橋に出る。下を流れるのは、日立中央研究所内の大池から流れ出る野川である。橋を渡って右に行き、お鷹の道に出る。お鷹の道も何度か来ているが、いつ来ても清々しい気分になれるのがいい。細い流れに沿ってしばらく進むと、真姿池への分岐に出る。ここを右に折れて水路に沿って進むと、農産物を売る農家があり、その先、左手に真姿の池がある。祭られているのは弁財天である。付近は名水百選にも選ばれた湧水地域で、都指定名勝の「真姿の池湧水群」として通年公開の文化財になっている。水路に沿って先に進み、坂を上がると武蔵国分寺公園に出られる。公園は南側と北側とからなる広い公園だが、以前にも行ったことがあるので今回はパスし、分岐点まで戻る。
分岐点からお鷹の道を先に進んで、おたかの道湧水園に行く。史跡の駅と称する、おたカフェでチケットを買って中に入る。入口の門は「旧本多家住宅長屋門」をそのまま利用したものである。また、門を入って左に見える倉は「旧本多家住宅倉」で、長屋門とともに国登録の有形文化財になっており、何れも通年公開の文化財である。
長屋門を入って右側には武蔵国分寺跡資料館があり、都指定有形文化財の「緑釉花文皿」「銅蓋」「観世音菩薩立像」を展示している。これらも通年公開の文化財になっている。資料館では来年1月29日までの予定で「武蔵国分寺跡と江戸文化人の出会い」という企画展を開催している。この園内にも湧水地があるというので近くまで行き、少しのあいだ眺めてから外に出る。
おたかの道湧水園から先に進むと、江戸時代に再興された、現在の国分寺の前に出る。その楼門を通って南に行くと武蔵国分僧寺跡に出る。「武蔵国分寺跡」は国指定史跡で、通年公開の文化財でもある。ここでは、現在も発掘調査が続けられており、武蔵国分僧寺の中枢部のうち、金堂、講堂、中門、東僧坊の遺構が確認されている。
今年は鐘楼跡の発掘がされていたという事で、その状況が公開されていたが、建物の範囲全体を掘り込んで地固めをし、低い基壇を設けている事が分かったのが収穫という。また、今回の調査で金堂と講堂の間が瓦と玉石敷きの通路であったことも分かったが、経蔵についてはまだ確認が出来ていないという事である。
金堂跡から南東の位置に七重塔跡がある。この塔の西側にも塔の跡が見つかっているが、七重塔は雷で焼失したあと再建されたと考えられているので、二つの塔の跡は、最初の塔の跡と再建後の塔の跡という事になるらしい。
今回は行かなかったが、金堂跡から西南に行ったところに国分尼寺跡がある。ここは、金堂、尼坊、中門などの跡が確認されており、市立歴史公園として整備されている。尼寺跡の北側の丘は中世の寺の跡という。また、その横を北に抜ける道は、鎌倉街道と伝えられ、そう言われればそうかなという雰囲気の道である。
現在の国分寺まで戻って、少し西に行くと国分寺薬師堂への参道がある。薬師堂は新田義貞の寄進により建てられたとされ、本尊の薬師如来像は重要文化財に指定されている。薬師堂の手前には、古代の建物とみられる跡が確認されているという。武蔵国分僧寺の伽藍の区画は、北は薬師堂付近や真姿池の上の台地から、南は七重塔跡や南門跡に至る、広い範囲であったらしい。
薬師堂の参道から先、道は上り坂となって右に曲がっていく。上がりきって、左側の福祉施設の横を入ると、東山道武蔵路跡に作られた市立歴史公園に出る。東山道は京都から中部、関東を経て東北に向かう古代の幹線道路で、武蔵路は上野国で東山道から分かれ、武蔵国の国府(現在の府中市)に至り、下野国に戻る古代の支道であったという。市立歴史公園のある場所は、武蔵国分寺跡のつけたりとして国の史跡に指定された「東山道武蔵路跡」の一つで、発掘調査のあと埋め戻されて公園として整備された場所である。ここも、通年公開の文化財になっている。公園の中央は草地になっているが、この部分が古代の道路面に相当する。この公園の南側に、この場所からの眺めを描いた想像図が展示されている。左に武蔵国分僧寺、右に尼寺を見下ろし、その間を南に向かって一直線に続く古代の武蔵路、そして、その先、遠くに武蔵国府の街並。この場所で古代人が眺めていたのは、このような風景であったのだろう。
交差点を渡り、西側の広い歩道を歩く。この場所も国指定の「東山道武蔵路跡」であり、その上に作られた広い歩道の途中に説明板が置かれている。東山道武蔵路が完成したのは7世紀後半と考えられている。その道幅は12m。側溝付き。しかも直線道路である。これほどの道路が古代に存在していたことには驚かされる。この道路は恋ヶ窪に向かって下りながら切通し状になっていくが、その様子を示す遺構の再生展示が右側の歩道の上にある。東山道武蔵路はこの先を下り、中央線北側の姿見の池付近を通過するが、池付近の遺構も国指定史跡の「東山道武蔵路跡」の一つになっている。再生展示のある場所の先を左へ折れ、府中街道を渡って、武蔵野線のガードをくぐると、西国分寺駅の南口に出る。
国分寺駅から西国分寺駅まで、ひと駅散歩を兼ねて、通年公開の文化財めぐりをしてみた。最初に訪ねた文化財は、国分寺駅から近い「都立殿ケ谷戸庭園」である。殿ケ谷戸庭園はこれまで都指定の名勝であったが、今年から国指定の名勝になっている。この庭園には何度か来ているが、広さの割には変化があって、花も多く四季それぞれに楽しめる庭園である。入園料を払って中に入ると、さっそく紅葉亭に行ってみる。今の時期、紅葉亭付近から眺める紅葉がお勧めというわけである。庭園は国分寺崖線南縁の段丘崖の地形を生かした回遊式林泉庭園で、武蔵野台地の自然植生がよく保存されている。豊富な湧水が流れ込む園内の次郎弁天池は、野川の水源の一つになっているという。所在地は国分寺市南町2-16。年末年始は休園となる。
殿ケ谷戸庭園の西側の坂を下り不動橋に出る。下を流れるのは、日立中央研究所内の大池から流れ出る野川である。橋を渡って右に行き、お鷹の道に出る。お鷹の道も何度か来ているが、いつ来ても清々しい気分になれるのがいい。細い流れに沿ってしばらく進むと、真姿池への分岐に出る。ここを右に折れて水路に沿って進むと、農産物を売る農家があり、その先、左手に真姿の池がある。祭られているのは弁財天である。付近は名水百選にも選ばれた湧水地域で、都指定名勝の「真姿の池湧水群」として通年公開の文化財になっている。水路に沿って先に進み、坂を上がると武蔵国分寺公園に出られる。公園は南側と北側とからなる広い公園だが、以前にも行ったことがあるので今回はパスし、分岐点まで戻る。
分岐点からお鷹の道を先に進んで、おたかの道湧水園に行く。史跡の駅と称する、おたカフェでチケットを買って中に入る。入口の門は「旧本多家住宅長屋門」をそのまま利用したものである。また、門を入って左に見える倉は「旧本多家住宅倉」で、長屋門とともに国登録の有形文化財になっており、何れも通年公開の文化財である。
長屋門を入って右側には武蔵国分寺跡資料館があり、都指定有形文化財の「緑釉花文皿」「銅蓋」「観世音菩薩立像」を展示している。これらも通年公開の文化財になっている。資料館では来年1月29日までの予定で「武蔵国分寺跡と江戸文化人の出会い」という企画展を開催している。この園内にも湧水地があるというので近くまで行き、少しのあいだ眺めてから外に出る。
おたかの道湧水園から先に進むと、江戸時代に再興された、現在の国分寺の前に出る。その楼門を通って南に行くと武蔵国分僧寺跡に出る。「武蔵国分寺跡」は国指定史跡で、通年公開の文化財でもある。ここでは、現在も発掘調査が続けられており、武蔵国分僧寺の中枢部のうち、金堂、講堂、中門、東僧坊の遺構が確認されている。
今年は鐘楼跡の発掘がされていたという事で、その状況が公開されていたが、建物の範囲全体を掘り込んで地固めをし、低い基壇を設けている事が分かったのが収穫という。また、今回の調査で金堂と講堂の間が瓦と玉石敷きの通路であったことも分かったが、経蔵についてはまだ確認が出来ていないという事である。
金堂跡から南東の位置に七重塔跡がある。この塔の西側にも塔の跡が見つかっているが、七重塔は雷で焼失したあと再建されたと考えられているので、二つの塔の跡は、最初の塔の跡と再建後の塔の跡という事になるらしい。
今回は行かなかったが、金堂跡から西南に行ったところに国分尼寺跡がある。ここは、金堂、尼坊、中門などの跡が確認されており、市立歴史公園として整備されている。尼寺跡の北側の丘は中世の寺の跡という。また、その横を北に抜ける道は、鎌倉街道と伝えられ、そう言われればそうかなという雰囲気の道である。
現在の国分寺まで戻って、少し西に行くと国分寺薬師堂への参道がある。薬師堂は新田義貞の寄進により建てられたとされ、本尊の薬師如来像は重要文化財に指定されている。薬師堂の手前には、古代の建物とみられる跡が確認されているという。武蔵国分僧寺の伽藍の区画は、北は薬師堂付近や真姿池の上の台地から、南は七重塔跡や南門跡に至る、広い範囲であったらしい。
薬師堂の参道から先、道は上り坂となって右に曲がっていく。上がりきって、左側の福祉施設の横を入ると、東山道武蔵路跡に作られた市立歴史公園に出る。東山道は京都から中部、関東を経て東北に向かう古代の幹線道路で、武蔵路は上野国で東山道から分かれ、武蔵国の国府(現在の府中市)に至り、下野国に戻る古代の支道であったという。市立歴史公園のある場所は、武蔵国分寺跡のつけたりとして国の史跡に指定された「東山道武蔵路跡」の一つで、発掘調査のあと埋め戻されて公園として整備された場所である。ここも、通年公開の文化財になっている。公園の中央は草地になっているが、この部分が古代の道路面に相当する。この公園の南側に、この場所からの眺めを描いた想像図が展示されている。左に武蔵国分僧寺、右に尼寺を見下ろし、その間を南に向かって一直線に続く古代の武蔵路、そして、その先、遠くに武蔵国府の街並。この場所で古代人が眺めていたのは、このような風景であったのだろう。
交差点を渡り、西側の広い歩道を歩く。この場所も国指定の「東山道武蔵路跡」であり、その上に作られた広い歩道の途中に説明板が置かれている。東山道武蔵路が完成したのは7世紀後半と考えられている。その道幅は12m。側溝付き。しかも直線道路である。これほどの道路が古代に存在していたことには驚かされる。この道路は恋ヶ窪に向かって下りながら切通し状になっていくが、その様子を示す遺構の再生展示が右側の歩道の上にある。東山道武蔵路はこの先を下り、中央線北側の姿見の池付近を通過するが、池付近の遺構も国指定史跡の「東山道武蔵路跡」の一つになっている。再生展示のある場所の先を左へ折れ、府中街道を渡って、武蔵野線のガードをくぐると、西国分寺駅の南口に出る。
(17)哲学堂公園
東洋大学の創始者である井上円了が、哲学の普及のために開設した哲学堂が、この公園の始まりである。園内は通年公開されているが、建物内部は春と秋の特定日のほか、文化財ウイーク中にも公開されている。所在地は中野区松が丘1-34-28。最寄駅は西武新宿線新井薬師前駅。
(18)中野区立歴史民俗資料館
中野区立歴史民俗資料館に併設されている旧山崎家住宅が、古建築公開・旧名主茶室書院公開として、文化財ウイーク前後の2ケ月の間、荒天時と休館時を除いて公開されている。中野区立歴史民俗資料館では常設展示のほか企画展、特別展も行っている。今期は、「哲学堂と配水塔」、「ミニチュア玩具の世界」を開催。所在地は中野区江古田4-3-4。最寄駅は西武新宿線沼袋駅。山崎家は当ブログのカテゴリー「江戸近郊小さな旅」の「石神井の道くさ」に記載あり。
(19)旧粕谷家住宅
昨年から文化財ウイークの参加企画として、古民家めぐりが行われるようになったが、旧粕谷家住宅も古民家の一つとして参加している。旧粕谷家住宅は徳丸脇村の名主粕谷家の隠居所として建てられて、180年ほど経っているという。この住宅は近年まで居住していたようで、台所など一部が改造されている。しかし、全体としては建設当初の部材が多く残り、江戸時代の農家の形式を良く残している。この住宅にも、火の神として台所に祭られる荒神様の棚があるが、この時期には特別の飾り付けをするようで、荒神松のほかに榊と南天が供えられていた。旧粕谷家住宅は、通常、非公開だが、文化財ウイーク近くに期間を定めて公開されている。所在地は板橋区徳丸7-11-1。最寄駅は都営三田線高島平駅。
(20)正福寺地蔵堂
正福寺地蔵堂は、鎌倉の円覚寺舎利殿と同じ禅宗様建築で、建造物としては都内唯一の国宝に指定されている。この地蔵堂は、1934年の復元解体工事の際に発見された墨書銘から1407年の建立と考えられている。内部の公開は11月3日のみ。以前、公開日に訪れたことがあるが、堂内は土間で、本尊の地蔵菩薩のほか、木彫りの地蔵菩薩の小像が、所狭しと並べられていた。祈願する事がある時は、この小像を持ち帰り、願いが叶った時はもう一体をつけて戻すという習慣があったからのようで、地蔵の数が多い事から千体地蔵堂とも呼ばれている。所在地は東村山市野口町4-6-1。西武新宿線東村山駅が最寄駅である。
(21)八国山たいけんの里
天気が良ければ、正福寺地蔵堂から北山公園を経て、八国山たいけんの里まで足を伸ばすのも悪くない。八国山を眺めながら、のんびり歩ける。ここには都有形文化財の下宅部(しもやけべ)遺跡の出土品が展示されており、通年公開の文化財の扱いになっている。所在地は東村山市野口町3-48-1。最寄駅は西武園線西武園駅。
(23)金剛寺不動堂(高幡不動)
重要文化財の金剛寺不動堂、仁王門、木造不動明王及び二童子像と、都有形文化財の旧五部権現社殿、絹本着色弁財天十五童子像、高幡山金剛寺文書が対象で、何れも通年公開の文化財になっている。文化財ウイークの期間は、菊まつりが開催されている。境内は紅葉の時期も良いが、紫陽花の咲くころもお勧めである。所在地は日野市高幡733。最寄駅は高幡不動駅。
(24)八王子城跡
少し前のことになるが、文化財ウイーク期間中、八王子城跡に出かけたことがある。高尾駅から途中まではバスもあるが、天気が良いので歩いた。ただ、近い距離ではなかった。山の麓でポストカードと小冊子を入手し、標高460mほどの山頂に向かってひたすら登る。本丸のあった頂上は、神社の場所から、もうひと登りである。帰りはやや荒れた感じの別の道をとって一気に下る。麓で暫く休んだ後、もと来た道を歩いて高尾駅まで戻る。文化財の見て歩きというより、ハイキングである。八王子城跡は国指定の史跡で、通年公開の文化財である。八王子城が築かれたのは戦国時代の終わり。城主の北条氏照が小田原城に詰めていた時に、前田利家・上杉景勝の軍勢により攻められて、あっけなく落城したと伝えられている。八王子城は山頂部の要害地区、麓の居館地区、城下に相当する根古屋地区に分かれるが、居館地区の御主殿跡には石垣や橋などが復元されている。所在地は八王子市元八王子町3と下恩方町、西寺方町にかけて。最寄駅は高尾駅。居館地区は、霊園前バス停から片道20分ほどである。
東洋大学の創始者である井上円了が、哲学の普及のために開設した哲学堂が、この公園の始まりである。園内は通年公開されているが、建物内部は春と秋の特定日のほか、文化財ウイーク中にも公開されている。所在地は中野区松が丘1-34-28。最寄駅は西武新宿線新井薬師前駅。
(18)中野区立歴史民俗資料館
中野区立歴史民俗資料館に併設されている旧山崎家住宅が、古建築公開・旧名主茶室書院公開として、文化財ウイーク前後の2ケ月の間、荒天時と休館時を除いて公開されている。中野区立歴史民俗資料館では常設展示のほか企画展、特別展も行っている。今期は、「哲学堂と配水塔」、「ミニチュア玩具の世界」を開催。所在地は中野区江古田4-3-4。最寄駅は西武新宿線沼袋駅。山崎家は当ブログのカテゴリー「江戸近郊小さな旅」の「石神井の道くさ」に記載あり。
(19)旧粕谷家住宅
昨年から文化財ウイークの参加企画として、古民家めぐりが行われるようになったが、旧粕谷家住宅も古民家の一つとして参加している。旧粕谷家住宅は徳丸脇村の名主粕谷家の隠居所として建てられて、180年ほど経っているという。この住宅は近年まで居住していたようで、台所など一部が改造されている。しかし、全体としては建設当初の部材が多く残り、江戸時代の農家の形式を良く残している。この住宅にも、火の神として台所に祭られる荒神様の棚があるが、この時期には特別の飾り付けをするようで、荒神松のほかに榊と南天が供えられていた。旧粕谷家住宅は、通常、非公開だが、文化財ウイーク近くに期間を定めて公開されている。所在地は板橋区徳丸7-11-1。最寄駅は都営三田線高島平駅。
(20)正福寺地蔵堂
正福寺地蔵堂は、鎌倉の円覚寺舎利殿と同じ禅宗様建築で、建造物としては都内唯一の国宝に指定されている。この地蔵堂は、1934年の復元解体工事の際に発見された墨書銘から1407年の建立と考えられている。内部の公開は11月3日のみ。以前、公開日に訪れたことがあるが、堂内は土間で、本尊の地蔵菩薩のほか、木彫りの地蔵菩薩の小像が、所狭しと並べられていた。祈願する事がある時は、この小像を持ち帰り、願いが叶った時はもう一体をつけて戻すという習慣があったからのようで、地蔵の数が多い事から千体地蔵堂とも呼ばれている。所在地は東村山市野口町4-6-1。西武新宿線東村山駅が最寄駅である。
(21)八国山たいけんの里
天気が良ければ、正福寺地蔵堂から北山公園を経て、八国山たいけんの里まで足を伸ばすのも悪くない。八国山を眺めながら、のんびり歩ける。ここには都有形文化財の下宅部(しもやけべ)遺跡の出土品が展示されており、通年公開の文化財の扱いになっている。所在地は東村山市野口町3-48-1。最寄駅は西武園線西武園駅。
(23)金剛寺不動堂(高幡不動)
重要文化財の金剛寺不動堂、仁王門、木造不動明王及び二童子像と、都有形文化財の旧五部権現社殿、絹本着色弁財天十五童子像、高幡山金剛寺文書が対象で、何れも通年公開の文化財になっている。文化財ウイークの期間は、菊まつりが開催されている。境内は紅葉の時期も良いが、紫陽花の咲くころもお勧めである。所在地は日野市高幡733。最寄駅は高幡不動駅。
(24)八王子城跡
少し前のことになるが、文化財ウイーク期間中、八王子城跡に出かけたことがある。高尾駅から途中まではバスもあるが、天気が良いので歩いた。ただ、近い距離ではなかった。山の麓でポストカードと小冊子を入手し、標高460mほどの山頂に向かってひたすら登る。本丸のあった頂上は、神社の場所から、もうひと登りである。帰りはやや荒れた感じの別の道をとって一気に下る。麓で暫く休んだ後、もと来た道を歩いて高尾駅まで戻る。文化財の見て歩きというより、ハイキングである。八王子城跡は国指定の史跡で、通年公開の文化財である。八王子城が築かれたのは戦国時代の終わり。城主の北条氏照が小田原城に詰めていた時に、前田利家・上杉景勝の軍勢により攻められて、あっけなく落城したと伝えられている。八王子城は山頂部の要害地区、麓の居館地区、城下に相当する根古屋地区に分かれるが、居館地区の御主殿跡には石垣や橋などが復元されている。所在地は八王子市元八王子町3と下恩方町、西寺方町にかけて。最寄駅は高尾駅。居館地区は、霊園前バス停から片道20分ほどである。