夢七雑録

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武蔵野三十三観音めぐり・その10

2021-06-19 12:38:58 | 寺社巡拝

【高麗川駅から高麗駅へ・番外及び26番~27番札所】

<コース>

高麗川駅―番外霊巌寺―高麗神社―26番聖天院―27番勝音寺―巾着田―高麗駅:8km。

 

(1)番外 霊巌寺(埼玉県日高市4新堀740)

前回のコースの到着地である飯能駅を起点にする場合は、駅前通りを北に向かい、中山の交差点に出てバス通りを右に、中居の交差点を通って飯能寄居線に合流し、高麗川駅前に出る事になるが、平成9年に歩いた時は、この区間を割愛し高麗川駅を起点にした。

高麗川駅の交差点から県道を北に向かい、名前が気になっていた板仏の交差点に行く。ここを左に行き、板仏(板碑)がある交差点に出て、右斜め前方の道で西に向かう。当時は飯能寄居バイパスは無く、そのまま進んで、もくせい通りを渡る。ここから先は道標を頼りに、次の十字路を左に、入定塚の横を通って突き当りを左に、三十三カ所の札所の番外である霊巌寺に行く。

霊巌寺の本尊は地蔵菩薩で観音めぐりの本尊は聖観音になっている。新編武蔵風土記稿では、高麗郡新堀村に霊岸寺として取り上げ、慶安4年(1651)に地蔵堂領として4石のご朱印ありとする。開山は宥仙(応永元年(1394)寂)。本尊は不動と記す。

 

(2)第26番 聖天院(埼玉県日高市新堀990)

霊巌寺から戻って、もくせい通りを南に進み、案内板に従って右に入り、道なりに進んで高麗川を出世橋で渡ると、カワセミ街道に出る。ここを左に、高麗神社の参道を過ぎて、カワセミ街道を先に進めば、高麗山聖天院勝楽寺に出る。

聖天院は高麗王若光の菩提寺で、天平勝宝3年の創建と伝えられ、本尊は歓喜天(聖天)であったが、後に不動明王が本尊となる。なお、観音めぐりの札所本尊は聖観音になっている。聖天院には数々の文化財があり、そのうち梵鐘は国の重要文化財に指定されている。新編武蔵風土記稿では高麗郡新堀村に、高麗山勝楽寺としてこの寺を取り上げ、天正19年(1591)に寺領15石のご朱印を賜るとする。また、古くは大寺であったが、寛永年間に什宝古籍が焼失したため草創年代など知るべきものは無いとする。

 

(3)第27番 勝音寺(埼玉県日高市栗坪184)

聖天院からカワセミ街道に戻って西に行き、左斜め前方の狭い道に入り、三叉路を左に行くと高岡橋に出る。高麗川を渡り、その先を左に入り勝音寺に行く。

勝音寺の本尊は千手観音で、観音めぐりの札所本尊も同じになっている。開山は上杉憲将の子息で、建長寺73世の佛印大光禅師(久庵僧可:応永24年(1417)寂)である。新編武蔵風土記稿では、高麗郡栗坪村に勝音寺を取り上げ、慶安年中(1648~1652)に観音堂領として5石のご朱印と記す。また本尊は現在と異なり阿弥陀としている。観音については延文5年(1360)に再興したとあり、享保年間(1716-1736)に補修をしている。

勝音寺を出て左に行き、県道の栗坪交差点を右に行く。郵便局の先、左前方の道に入って先に行き、民俗資料館のところを左に行き、あいあい橋で高麗川を渡る。高麗川沿いに巾着田を歩いて鹿台橋を渡り、国道を過ぎて踏切を渡って高麗駅の改札口に行く。

 

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武蔵野三十三観音めぐり・その9

2021-06-12 09:29:22 | 寺社巡拝

【元加治から飯能駅へ・23番~25番札所】

<コース>

元加治駅―阿岩橋―浄心寺―矢久橋―観音寺―円泉寺―飯能駅:8km。

(1)第23番 浄心寺(埼玉県飯能市大字矢颪222)

元加治駅北口の改札口を出て左へ、西武線の踏切を渡って南西に進み阿岩橋を目指す。歩いたのは平成9年のことで、阿岩橋が架け替えられる以前のことである。入間川を渡って右に行き、八高線の高い鉄橋の下を潜って右に入り、入間川沿いの飯能ライオンズ桜並木の道を歩く。高校前の交差点を過ぎ、成木川を新大橋で渡って、浄化センター沿いに右へ、入間川沿いの道を進む。矢川橋が右に見えたところで左へ、矢颪の交差点を過ぎて道なりに進み美杉台通りを渡る。その先、左側に浄心寺の入口がある。ここを入って上がれば23番札所の浄心寺に着く。

浄心寺の本尊は阿弥陀で、観音めぐりの本尊は十一面観音になる。また、浄心寺は武蔵野七福神の毘沙門天の寺でもある。新編武蔵風土記稿では高麗郡矢颪村に浄心寺を取り上げ、開山は能仁寺五世の吉修伊豚(元和2年(1616)寂)と記している。

 

(2)第24番 観音寺(埼玉県飯能市山手町5-17)

以前歩いた時は、美杉台通りに戻って矢久橋を渡り坂を上がって県道に出たが、飯能大橋で入間川を渡り飯能駅前の交差点に出て県道を左に行く方が分かりやすい。この県道を道なりに進むと市立図書館(現在は飯能河原)の交差点に出る。鉤の手のような交差点で、24番札所の観音寺は交差点北側の左手にある。

観音寺の本尊は不動で、観音めぐりの札所本尊は如意輪観音になっている。また、この寺は武蔵野七福神の寿老人の寺でもある。新編武蔵風土記稿では高麗郡飯能村に観音寺を取り上げ、観音堂領として3石5斗のご朱印ありとし、中興の開山は長誉(享保20年(1735)寂)と記している。

 

(3)第25番 円泉寺(埼玉県飯能市平松376)

観音堂を出て交差点の南側から東へ、大通りから中央通りを通って東飯能駅前に出る。ここを北に行き、西武池袋線と八高線の踏切を渡り、市役所の前を東に向かう。突き当りを左へ直ぐに右へと曲がり秀常寺を右手に見て進むと、次の交差点の少し先に寄居方面に通じる新しい県道(飯能寄居線)が出来ていた。この県道を北に進みバス通りに出て右に行く。久邇カントリー入口を過ぎると、その先、左側に25番札所の円泉寺がある。

円泉寺の本尊は不動明王で、観音めぐり札所の本尊は十一面観音。そして、武蔵野七福神の福禄寿の寺でもある。新編武蔵風土記稿は高麗郡平松村に円泉寺を取り上げているが、開山開基についての記載は無い。

円照寺から元の道を戻り、久邇カントリー入口の先で南西方向に分岐する道に入る。直線的な道を先に進むと、飯能狭山バイパスに出る。ここを右に行くと飯能警察署入口に出るが、平成9年当時はここから西側のバイパス道路は未だ無かった。ここを南に行き、国道に出て西へ、このコースの到着地である飯能駅に向かう。

 

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武蔵の三十三観音めぐり・その8

2021-06-05 11:20:01 | 寺社巡拝

【入間市駅から元加治駅・19番~22番札所】

<コース>

入間市駅―高倉寺―19番東光寺―20番龍円寺―21番高正寺―22番円照寺―元加治駅:7km。

 

(1)第19番 東光寺(埼玉県入間市小谷田1437)

入間市駅の南口から高倉寺経由で19番札所の東光寺に向かう。平成9年に歩いた時は、線路沿いの道を西に進み、ふるさと歩道の道標を見て国道を渡り、その先の細い道を通って霞川に架かる人道橋を渡り、天候次第では水没しそうな道で国道の下を通り抜け、右手にある線路沿いの階段を上がり、登り切ってから道なりに歩き、道標をたよりに高倉寺に出たが、少々分かりにくく、現在も歩けるかどうか分からないので、いま歩くとすれば、別の経路(例えば新霞橋を通るルート)をたどることになるだろう。

高倉寺は眺めの良い寺であり、国指定重要文化財の観音堂もある。この観音堂は室町時代初期の建立と推定され、延享元年(1744)に第29番札所の長念寺から移されたと伝えられている。小休止したあと、寺の西側の道に出て南に向かい、公民館の近くで道標により右に入って道なりに進むと、やがて茶畑の間を歩く道となる。その先で、国道沿いに左へ行き、次の信号を渡って圏央道の上を橋で渡り、中野原稲荷の角を右に入る。その先の交差点で南西方向に進み、右手前方に分かれる道で19番札所の東光寺に行く。

東光寺の本尊は不動尊で、札所の本尊は聖観世音になっている。東光寺の創建は明らかではないが、中興の開山は印融(永正16年(1519)寂)で、開基には地元の4人が名を連ねている。東光寺が現在地に建てられたのは元禄15年(1702)のことで、それ以前は南側の西ノ台にあったという。

新編武蔵風土記稿では、入間郡小谷田村の項で東光寺を取り上げているが、その中に旗本五味豊旨の家臣が先代の五味豊直の遺徳を偲んで寄贈した梵鐘の銘についての記事がある。この梵鐘は現在も東光寺にあり、入間市の文化財になっている。五味豊直は京都郡代であり入間郡小谷田村を所領とし東光寺が菩提寺であった。五味氏の屋敷は小谷田村内の西側にあったという。

 

(2)第20番 龍円寺(埼玉県入間市新久717)

東光寺からもとの道に戻って右に行き、いちょう通りに出る。交差点を左に折れその先を右に入ると龍円寺に出る。寺の本尊は虚空蔵菩薩で札所の本尊は千手観音になっている。新編武蔵風土記稿では入間郡新久村の項に龍円寺を取り上げており、開山開基は不詳ながら中興の開山は俊誉(宝永6年(1709)寂)で、寺領は15石が観音堂領として与えられているとする。観音は金の小像で此の地を所領としていた市川氏の屋敷地内にあった古井戸から出たという。

 

(3)第21番 高正寺(埼玉県入間市仏子1511)

龍円寺を出て次の札所に向かう。北に向かって坂を上がったあと、金子坂を下るのが分かりやすいルートだが、平成9年に歩いた時は、八津池から山道を歩いて国民宿舎・入間グリーンロッジに出て、車道を下って金子坂に合流する道を歩いた。この国民宿舎は西洋の城に似た外観を持ち、眺めの良い場所にあったが、後に閉館となり、今は廃墟のようになっているらしい。金子坂から前堀川を過ぎ県道に出て左に行くと、左側に高正寺の入口があるので、ここを入り大沢川を渡って高正寺に行く。本尊は虚空蔵菩薩で、札所本尊は聖観音である。

新編武蔵風土記稿では高麗郡仏子村のうちに高正寺を取り上げ、開基は金子親範とする。当初の高正寺は別の場所にあったらしく、高正寺が現在地に移った時の開山、菊陰瑞潭(大永4年(1524)寂)が中興の開山に相当する。また、高正寺は寺領4石のご朱印ありと記す。寺には承久2年(1220)の金子親範の位牌のほかか金子氏の位牌が多く残されている。金子氏は武蔵の武士団のうち村山党に属しており、仏子村はその所領に当たる。高正寺には寛文4年(1246)など5基の板碑があり、入間市の文化財に指定されている。

 

(4)第22番 円照寺(埼玉県入間市大字野田158)

高正寺から県道に戻って西に向かい、次の信号の先を右に入って道なりに進み、突き当りを左に行くと、右手に入間川に架かる上橋が見えてくる。この橋を渡って先に進むと左側に円照寺がある。本尊は阿弥陀如来。三十三観音の札所本尊は如意輪観音。そして、武蔵野七福神の弁才天の寺でもある。

新編武蔵風土記稿では、高麗郡野田村に円照寺を取り上げ、寺領15石の御朱印を賜うと記すが、古刹で古文書もあったが燃やしてしまったとし、開基開山は詳らかではないとする。また、本堂の後に加治氏の墳墓と伝えられる青石の古碑が8基あり、その銘文を載せている。加治氏は武蔵の武士団のうち丹党に属し丹治と名乗っており、円照寺はその菩提寺であったのだろう。古碑(板碑)のうち、康元元年と長享3年のものを除く6基は現存し、そのうち元弘3年のものは鎌倉幕府滅亡の日付になっており、国の重要文化財に指定され、残りの建長6年、文永7年、嘉元3年、文和3年、応安元年の板碑は附指定になっている。円照寺を出て西武池袋線を渡り、元加治駅の北口に出る。

 

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