千住大橋から先は、隅田川沿いに歩くことには拘らずに橋をめぐる。千住大橋駅を北側に出て線路に沿って西に向かい、千住スポーツ公園を通って北に真っすぐ進むと千住桜木町公園に出る。隅田川は公園のそばにあり、この辺りから尾竹橋までは隅田川テラスを歩けるようになっている。上流に見える尾竹橋は、震災復興として架けられたのが始まりで、その後、老朽化により架けかえられたのが現在の橋である。橋の名は下流にあった御竹の渡しに由来しているのだろう。テラスから上がり、火力発電所のお化け煙突のモニュメントを見たあと、尾竹橋に向かう。
【尾竹橋(おたけばし)諸元】
橋長130.3m。幅員15.0m。3径間連続鋼ローゼ桁橋。1933(昭和8年)創架。1994(平成6年)現橋建造。東京都管理。
尾竹橋を渡ると公園がある。ここを右に行き、隅田川から離れた道を西に向かう。道がやや上りになると尾久の原公園に出る。この先しばらくは、隅田川の堤防上の道を歩く。前方には日暮里舎人ライナーの橋が見えて来るが、その下に見えるのが尾久橋になる。
【尾久橋(おぐばし)諸元】
橋長306.0m。幅員24.0m。3径間連続鋼床版箱桁橋。上流側1968(昭和43年)創架、下流側1979(昭和54年)創架。東京都管理。
日暮里舎人ライナーと尾久橋の下をくぐり、隅田川から離れて、道を西に向かう。宝蔵院を過ぎるとすぐ右手に小台橋がある。通りを渡り上流側から橋を眺める。隅田川テラスには下りられるが、歩けるのは途中までのようだ。
【小台橋(おだいばし)諸元】
橋長118.2m。幅員13.8m。鋼ニールセンローゼ桁橋。1930(昭和5年)創架。1995(平成7年)現橋建造。東京都管理。
小台橋から休園中のあらかわ遊園に出てその前を通り過ぎ、先へ先へと歩いて堀船中学校入口の交差点を右に行く。高速道路の下をくぐり、石神井川を豊石橋で渡ってその先を右に入り、道なりに進めば豊島五丁目団地の前に出る。団地側の東豊島公園を通り、隅田川の上流側から豊島橋を眺める。ところで、北区と足立区の境界線は豊島五丁目団地の辺りで東側の荒川まで伸びているが、荒川放水路が開削される以前は、この境界線が隅田川の流路になっていて、現在の荒川の位置には豊島の渡しがあった。荒川放水路開削後、隅田川は今の流路に変更され、現在の豊島橋より上流に、最初の豊島橋が木橋として架けられる。昭和35年になって現在位置に豊島橋が鋼橋として架けられるが、その後、架け替えられたのが現在の豊島橋ということになる。
【豊島橋(としまばし)諸元】
橋長106.7m。幅員15.0m。鋼ローゼ桁橋。1925(大正14年)創架。2002(平成14年)現橋築造。東京都管理。
豊島五丁目団地の前を西に行き、新豊橋南の交差点を右に行くと新豊橋に出る。橋を渡ると左側に新田さくら公園がある。公園の前の堤防上から新豊橋を眺める。この橋は新田地区と豊島地区を結ぶ橋であり、橋の名もそこからきているらしい。
【新豊橋(しんとよばし)諸元】
橋長105.0m。幅員22.0m。鋼単純箱桁とアーチとの複合構造。2007(平成19年)創架。足立区管理。
堤防上の道を上流に向かうと新田橋が見えて来る。隅田川に沿って進み、新田橋に出て橋を渡る。木橋だった頃を模した橋桁や高欄など見どころもある橋なのだが、難点もあるようで架け替えも検討されているらしい。
【新田橋(しんでんばし)の諸元】
橋長114.0m。幅員9.0m。単純鋼鈑桁橋(5連)。1931(昭和6年)創架。1961(昭和36年)現橋建造。北区管理。
新田橋を渡って次の信号を右に行く。隅田川とは暫く離れて歩くことになるが、神谷堀公園まで来れば、右に入って隅田川の堤防に出られる。ここからは、環七が通る新神谷橋を望む事が出来るが、残念ながら今は、上流と下流の何れも隅田川テラスを通る事が出来ない。荒川から隅田川が分れる岩淵水門と新神谷橋との間には橋が無いので、新神谷橋が隅田川最上流の橋という事になる。そこで今回は、これにて橋めぐりを終えることにし、最寄り駅の南北線王子神谷駅まで歩く。隅田川テラスを伝って岩淵水門から河口まで歩けるようになったら、また歩いてみたいと思いながら。
【新神谷橋(しんかみやばし)の諸元】
橋長202.8m。幅員20.5m。鋼ゲルバー鈑桁橋。1967(昭和42年)創架。東京都管理。
(注)橋の諸元は、「隅田川にかかる26の橋(平成29年3月)」による。