東京都の歴史と文化の散歩道のうち「旧中山道コース」は、「染井吉野ゆかりの地散歩(駒込駅~庚申塚)」と「板橋宿場散歩(庚申塚~板橋本町駅)」の2区間のサブコース(ガイド区分)から成り、総延長は6.6kmになる。
(1)染井吉野ゆかりの地散歩
桜と言えばソメイヨシノ。その発祥の地は駒込の染井の里と言われ、駒込駅北側の染井吉野桜記念公園には染井吉野発祥之里の記念碑も置かれている。そこで、桜が散ってしまう前に、染井の里をめぐって駒込駅から巣鴨駅まで歩いておくことにした。歴史と文化の散歩道の案内板は、駒込駅近くの本郷通り沿いにあり、ルート図と染井吉野の説明、広重の「江戸名勝図会・染井」の部分図を載せている。本郷通りを渡り、大国神社の横を線路沿いに進むと、染井橋という跨線橋を渡ってきた道に出る。この道を染井通りといい、ここを右に行く。江戸時代、この道の左側は藤堂家の下屋敷、右側には植木屋が並んでいた。
染井通りの途中に「私の庭みんなの庭」という庭がある。その先の角を右に曲がった先に、「門と蔵のある広場」がある。植木屋であった丹羽家の跡地を広場としたもので、藤堂家の裏門を移築したとも伝えられる江戸後期の門と、戦前の蔵が残されている。この門の前を北に行き、染井坂の上で標識Cにより左に曲がると、西福寺に出る。
西福寺は、染井の植木屋の中心的な存在であり、将軍家もお忍びで訪れたという伊藤伊兵衛家の菩提寺である。伊藤家は、さつき、かきつばた、すいれん等を植えた庭園を公開していたが、その中には拝領した朝鮮人参も植えられていた。西福寺から先に進むと、染井よしの桜の里公園がある。その角を左に曲がった先に、場所を移動したらしい標識Cがある。その先に進むと、また、染井通りに出るので、ここを右に行き染井霊園に出る。入口には、十二地蔵が置かれている。ここから左に行き、その先の園路を右に入るのがルートである。桜の時期は、普段と違って、霊園内を歩く人が多いようである。園内を通り抜けてから、霊園沿いの道を左へ行き、その先の角を左に曲がって、霊園の境界沿いに進むとT字路となる。左に曲がり直ぐ右に折れて先に進むのがルートで、黄色のカタツムリ・マークのガードレールが目印となる。この道を進むと、道の角に標識Bがあり、ここを右に行くと真性寺に出られるが、今回は直進して巣鴨駅まで行く。
巣鴨駅から真性寺に向かう。この寺には、江戸六地蔵のうち現存する五地蔵の一があり、修復を終えた地蔵が中山道を見守るように置かれている。真性寺を出て、旧中山道に相当する、巣鴨地蔵通り商店街を歩く。とげぬき地蔵・高岩寺を過ぎると、人通りも幾分少なくなってくるが、ウオーキングの積りで歩くのは場違いな感を免れないので、ペースを落として歩く。やがて折戸通りとの交差点に出る。
折戸通りは、大塚方面から王子に向かう、江戸時代からの道である。その交差点の右手の角には猿田彦大神の祠があるが、ここには庚申塚も祭られている。江戸時代、庚申塚の前は休憩地として賑わっていた場所で、江戸名所図会にも取り上げられている。交差点を渡って先に進むと都電の庚申塚駅に出る。サブコースはここで終わりとなる。
(2)板橋宿場散歩
都電の踏切を渡って旧中山道を進む。やがて、右側に大正大学の“さざえ堂”が見えてくると、まもなく明治通りに出る。左手すぐの千川上水公園は、玉川上水から分水して流れてきた千川上水の沈殿池があった場所で、ここから上水を江戸の各所に配っていた。千川上水は板橋宿の近くから、旧中山道の南側を流れていたのだが、今はその姿を見ることができなくなっている。明治通りを渡って旧中山道を進み、埼京線の踏切を渡って板橋駅の駅前に出ると、歴史と文化の散歩道の案内板が旧中山道沿いに置かれている。その内容は、ルート図、中山道と板橋宿についての説明、それと、英泉が描いた「木曾街道板橋之駅」の図である。
旧中山道は、この先、現中山道によって分断されている。現中山道を渡って、旧中山道板橋宿のうち平尾宿を歩く。板橋七福神の観明寺の先を右に入ったところが脇本陣の跡である。縁宿広場を過ぎると、平尾宿と仲宿の境となる交差点に出る。右へ行く道は明治になって開かれた王子新道である。仲宿に入ると道は次第に下り坂となる。ライフの角を右に入る道は御成道と呼ばれる道で、この道を入ったところに板橋七福神の文殊院がある。また、この道を入ったところに、板橋宿の本陣があったという。旧中山道を進むと石神井川に出る。板橋の地名の起こりは、ここに架かっていた橋に由来すると言われている。
石神井川を渡ると板橋宿のうちの上宿となる。板橋宿の脇本陣は、ここにあったという。この先、旧中山道は上り坂となり縁切榎の横を通っていく。さらに進むと環七に出る。旧中山道は直進しているが、このコースのルートは、ここを左に折れて現在の中山道に出る。左側すぐのところに板橋本町駅の入口があり、ここがコースの終点となる。歴史と文化の散歩道の案内板は中山道沿いに置かれており、ルート図、板橋の地名由来と縁切榎の説明、江戸名所図会による板橋の図が載っている。
(注)当ブログの、「都電荒川線に沿って」の巣鴨新田から庚申塚、「寺社巡拝」の板橋七福神、「千川上水」の千川上水花めぐりに関連記事がある。
【お詫びして訂正】
4月24日投稿の記事の中で、英泉の図について白黒が反転していると書きましたが、光の当たり具合で白黒が反転して見える事が分かりましたので、該当する文章を削除しました。 5月7日、夢七。
(1)染井吉野ゆかりの地散歩
桜と言えばソメイヨシノ。その発祥の地は駒込の染井の里と言われ、駒込駅北側の染井吉野桜記念公園には染井吉野発祥之里の記念碑も置かれている。そこで、桜が散ってしまう前に、染井の里をめぐって駒込駅から巣鴨駅まで歩いておくことにした。歴史と文化の散歩道の案内板は、駒込駅近くの本郷通り沿いにあり、ルート図と染井吉野の説明、広重の「江戸名勝図会・染井」の部分図を載せている。本郷通りを渡り、大国神社の横を線路沿いに進むと、染井橋という跨線橋を渡ってきた道に出る。この道を染井通りといい、ここを右に行く。江戸時代、この道の左側は藤堂家の下屋敷、右側には植木屋が並んでいた。
染井通りの途中に「私の庭みんなの庭」という庭がある。その先の角を右に曲がった先に、「門と蔵のある広場」がある。植木屋であった丹羽家の跡地を広場としたもので、藤堂家の裏門を移築したとも伝えられる江戸後期の門と、戦前の蔵が残されている。この門の前を北に行き、染井坂の上で標識Cにより左に曲がると、西福寺に出る。
西福寺は、染井の植木屋の中心的な存在であり、将軍家もお忍びで訪れたという伊藤伊兵衛家の菩提寺である。伊藤家は、さつき、かきつばた、すいれん等を植えた庭園を公開していたが、その中には拝領した朝鮮人参も植えられていた。西福寺から先に進むと、染井よしの桜の里公園がある。その角を左に曲がった先に、場所を移動したらしい標識Cがある。その先に進むと、また、染井通りに出るので、ここを右に行き染井霊園に出る。入口には、十二地蔵が置かれている。ここから左に行き、その先の園路を右に入るのがルートである。桜の時期は、普段と違って、霊園内を歩く人が多いようである。園内を通り抜けてから、霊園沿いの道を左へ行き、その先の角を左に曲がって、霊園の境界沿いに進むとT字路となる。左に曲がり直ぐ右に折れて先に進むのがルートで、黄色のカタツムリ・マークのガードレールが目印となる。この道を進むと、道の角に標識Bがあり、ここを右に行くと真性寺に出られるが、今回は直進して巣鴨駅まで行く。
巣鴨駅から真性寺に向かう。この寺には、江戸六地蔵のうち現存する五地蔵の一があり、修復を終えた地蔵が中山道を見守るように置かれている。真性寺を出て、旧中山道に相当する、巣鴨地蔵通り商店街を歩く。とげぬき地蔵・高岩寺を過ぎると、人通りも幾分少なくなってくるが、ウオーキングの積りで歩くのは場違いな感を免れないので、ペースを落として歩く。やがて折戸通りとの交差点に出る。
折戸通りは、大塚方面から王子に向かう、江戸時代からの道である。その交差点の右手の角には猿田彦大神の祠があるが、ここには庚申塚も祭られている。江戸時代、庚申塚の前は休憩地として賑わっていた場所で、江戸名所図会にも取り上げられている。交差点を渡って先に進むと都電の庚申塚駅に出る。サブコースはここで終わりとなる。
(2)板橋宿場散歩
都電の踏切を渡って旧中山道を進む。やがて、右側に大正大学の“さざえ堂”が見えてくると、まもなく明治通りに出る。左手すぐの千川上水公園は、玉川上水から分水して流れてきた千川上水の沈殿池があった場所で、ここから上水を江戸の各所に配っていた。千川上水は板橋宿の近くから、旧中山道の南側を流れていたのだが、今はその姿を見ることができなくなっている。明治通りを渡って旧中山道を進み、埼京線の踏切を渡って板橋駅の駅前に出ると、歴史と文化の散歩道の案内板が旧中山道沿いに置かれている。その内容は、ルート図、中山道と板橋宿についての説明、それと、英泉が描いた「木曾街道板橋之駅」の図である。
旧中山道は、この先、現中山道によって分断されている。現中山道を渡って、旧中山道板橋宿のうち平尾宿を歩く。板橋七福神の観明寺の先を右に入ったところが脇本陣の跡である。縁宿広場を過ぎると、平尾宿と仲宿の境となる交差点に出る。右へ行く道は明治になって開かれた王子新道である。仲宿に入ると道は次第に下り坂となる。ライフの角を右に入る道は御成道と呼ばれる道で、この道を入ったところに板橋七福神の文殊院がある。また、この道を入ったところに、板橋宿の本陣があったという。旧中山道を進むと石神井川に出る。板橋の地名の起こりは、ここに架かっていた橋に由来すると言われている。
石神井川を渡ると板橋宿のうちの上宿となる。板橋宿の脇本陣は、ここにあったという。この先、旧中山道は上り坂となり縁切榎の横を通っていく。さらに進むと環七に出る。旧中山道は直進しているが、このコースのルートは、ここを左に折れて現在の中山道に出る。左側すぐのところに板橋本町駅の入口があり、ここがコースの終点となる。歴史と文化の散歩道の案内板は中山道沿いに置かれており、ルート図、板橋の地名由来と縁切榎の説明、江戸名所図会による板橋の図が載っている。
(注)当ブログの、「都電荒川線に沿って」の巣鴨新田から庚申塚、「寺社巡拝」の板橋七福神、「千川上水」の千川上水花めぐりに関連記事がある。
【お詫びして訂正】
4月24日投稿の記事の中で、英泉の図について白黒が反転していると書きましたが、光の当たり具合で白黒が反転して見える事が分かりましたので、該当する文章を削除しました。 5月7日、夢七。