夢七雑録

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カラオケで歌いたい懐かしの洋楽(ポピュラー)

2017-09-21 19:43:25 | 音楽、映画など

1980年代に入るとLDやVHDによる絵の出るカラオケやCDカラオケが登場し、邦楽のほか洋楽もカラオケで歌われるようになる。ここでは、1980年代後半のLDカラオケとCDカラオケの曲目のうち、昭和の時代に生まれた洋楽(ポピュラー)から、気ままに10曲を選んでみた。

 (1)テネシ-ワルツ(Tennessee Waltz)

キング作曲、スチュアート作詞、パティ・ページ歌の1948年の曲。この歌には和田寿三の訳詞があり、英語の歌詞と合わせて江利チエミが歌い大ヒットとなる。当時、ラジオから流れてきた江利チエミの歌は、日本の歌声でもあり、アメリカの歌声でもあった。

 (2)恋人よ我に帰れ(Lover Come Back To Me)

ロンバーグ作曲、ハマースタイン作詞のミュージカル「ニュームーン」の曲。1928年。今はむかし、新人研修のために集まった宿舎で、この曲を何人かで歌っていた微かな記憶がある。今はなつかしい曲である。

 (3)嘘は罪(It‘s A Sin To Tell A Lie)

メイヒューが作詞作曲した三拍子の曲。1936年。歌いやすい割には、それなりに格好がつけやすく、年配の人が好む曲であるらしい。

 (4)ドリーム(DREAM)

J.マーサーの作詞作曲による1944年の曲で、ヴォーカル・グループのパイド・パイパ-ズが歌っている。落ち込んでいる人を励ます歌で、マーサ三宅・ヴォーカルハウスでは校歌のように使われていたという。また、NHKのサラメシという番組のエンディングにも使われている。

 (5)時の過ぎ行くままに(As times goes by)

フップヘルド作詞作曲の1931年の曲。ハンフリー・ボガードとイングリッド・バークマン主演の1942年の映画「カサブランカ」の中で、思い出の曲として使われる。この映画はテレビで見ているが、第二次大戦下のカサブランカを舞台に、昨日は遠い過去になり、明日はどうなるか分からぬ時の流れの中での人間模様が描かれている。

(6)追憶(The Way We Were)

ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンドが共演した1973年の映画「追憶」の主題歌で、作曲はハムリッシュ、作詞はバーグマン夫妻、歌はバーブラ・ストライサンドである。

(7)思い出のサンフランシスコ(I Left My Heart in San Francisco)

クロス作詞、コウリー作曲による1954年の曲で、1962年にトニー・ベネットが歌って大ヒットとなる。この曲には、“The loveliness of Paris”から“by the bay”までのヴァースと呼ばれる導入部があり、歌の背景の語りになっている。ヴァースは、オペラで言えばレチタティーボ(叙唱)に相当するだろうか。ヴァースを省略して歌うポピュラーソングは多いようだが、この曲は省略せずに歌う方が良さそうな気もする。

(8)いそしぎ(The Shadow Of Your Smile)

無名の女流画家役のエリザベス・テーラーと校長役のリチャード・バートンが共演した1965年の映画「いそしぎ」(The Sandpiper)の主題歌で、作曲はマンデル、作詞はウエブスターである。この映画は見ていないが、公開時の評判は良くなかったらしい。ただ、この主題歌だけは評価され、歌曲賞を受賞している。

 (9)スワンダフル(‘S Wonderful)

アイラ・ガーシュイン作詞、ジョージ・ガーシュイン作曲による、1927年のミュージカルの曲である。It’sのItを省略する言い回しが、この歌詞の特徴になっている。

(10)スターダスト(Stardust)

1927年にカーマイケルが作曲し、1929年にパリッシュが作詞した曲。戦後復興から経済成長の時代へと移っていく時期に、シャボン玉ホリデーというテレビ番組があった。ザ・ピーナッツやクレージーキャッツが出演する音楽バラエティで、番組のエンディングにピーナッツが歌っていたのが、この曲だった。

 以上、カラオケで歌いたいポピュラーソングを10曲取り上げたが、いざ歌おうとすると、そんなに簡単ではないので、今のところは、カラオケで歌えたらいいなという意味の10曲になっている。

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カラオケで歌いたい昭和後期の流行歌

2017-09-07 19:24:25 | 音楽、映画など

昭和時代を前期、中期、後期に分けることがある。昭和の前期は、昭和元年から昭和20年(1945)の敗戦の年まで。流行歌を歌謡曲と呼ぶようになったのはこの時代で、その中には多くの軍歌も含まれていた。昭和の中期は、昭和21年から昭和40年(1946~1965)までの戦後の復興期を言い、ラジオやテレビから流れてくる歌は、誰もが知っている歌が多かった。昭和の後期は、昭和41年以降(1966~1989.1.7)の高度経済成長の時代で、いざなぎ景気に始まり第一次第二次のオイルショックを乗り越え、バブルの狂乱のうちに昭和をしめくくった時代である。

流行歌という観点から昭和の後期を特徴づけるのは、ニューミュージックとカラオケだろうか。昭和の中期においても、歌謡曲を好まない若者は少なからず存在していたし、海外の音楽に関心を持つ人たちも居たが、流行歌に影響を及ぼすようになったのは昭和の後期になってからかも知れない。フォークソングを皮切りに、グループサウンズや、シンガーソングライターが登場し、ニューミュージックの流れが作られる。この時代、演歌に加えて様々なジャンルの流行歌が登場したが、広い世代に共有されるような歌謡曲は衰退していき、一流の作詞家、一流の作曲家、一流の歌手を必ずしも必要としない時代へと変わっていったようである。

 カラオケの原型は1960年代から存在していたらしいが、カラオケとしてほぼ完成されたのは1970年代になってからで、開発者はイグノーベル賞(平和賞)を受賞している。1970年代の後半になると宴会場のほかスナックなどにカラオケが普及するが、当時は曲目からして年配の人向けのものであった。1980年代になると家庭用のカラオケが普及し始め、さらに1980年代の終わりになるとカラオケボックスが登場する。カラオケの利用者が、年配の人から若い層へとシフトしていくようになったのは、その後のことである。

   

当時のカラオケのカセットテープは今も手元に残っている。カラオケで歌うことはもうないだろうが、もしも、1980年代に戻れるとしたら、どんな曲をカラオケで歌うか。気ままに選んでみた。

(1)「異邦人」

作詞・作曲及び歌は久保田早紀。1979年のリリースである。この曲には、“シルクロードのテーマ”というサブタイトルが付いているので、ドラマの主題歌だと思っていたが、実はCMソングであったらしい。この曲の元のタイトルは「白い朝」だったそうだが、これを「異邦人」に変え、歌詞を少し変え、中東風の編曲にし、サブタイトルを付けたことで、シルクロードの旅人の物語を想像させる歌に仕上がる。結果として、無名のシンガーソングライターの曲を、予想外の大ヒットへと押し上げることになった。当時は、イラン革命が発生し、中東への関心が高まっていた時期でもあった。

 (2)「しなやかに歌って」

阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲で、山口百恵が歌った1979年の曲である。山口百恵のファンというわけではないのだが、何故かこの曲が気になって歌った記憶がある。歌詞に出てくる33とはLPレコードの回転数のことだが、1979年にはコンパクトディスク(CD)の開発への動きもあり、アナログからディジタルへの時代の変化について、話題になることもあったかも知れない。この曲には“80年代に向かって”というサブタイトルが付いているが、時代が変わっても、しなやかに応じて行こうとする意図が込められているような気もする。そして、この曲が公開された翌年、山口百恵は引退している。

 (3)「舟唄」

阿久悠作詞、浜圭介作曲の1979年の曲で、八代亜紀が歌っている。この曲の英訳を手に入れたことがあり、“しみじみと”をShimijimilyと訳したのが面白く、カラオケで歌う積りだった。しかし、英訳の写しを紛失してしまい、結局歌えずじまいになった曲である。舟唄というのは「ダンチョネ節」のことで、もとは民謡とも俗謡とも言うが、戦時中は軍歌にもなっている。作者不詳の歌詞の一つに、“沖の鴎と飛行機乗りは、どこで散るやら果てるやらダンチョネ。”というのがあるが、歌詞は他にもあるらしい。戦争が終わってから長い年月が経っても、この地から出航した帰らぬ人への思いが、この曲には重なっている気もする。 “ルルル ルルルールル・・・・・”。

 (4)「ラブイズオーヴァー」

伊藤薫の作詞作曲で、台湾出身の欧陽菲菲が歌った1979年の曲である。この曲を歌ったことがあったかどうかは定かでないが、歌ったとすれば、“別れの曲”を明るく歌っていたと思う。

(5)「恋人よ」

五輪真弓の作詞作曲による1980年の曲である。五輪真弓は女性シンガーソングライターの草分けのような存在であった。「恋人よ」は歌うより聴きたい曲で、歌った事は無かったと思うが、チャレンジしたい曲でもある。

 (6)「もしもピアノが弾けたなら」

阿久悠作詞、坂田晃一作曲による1981年の曲で、西田敏行が歌っていたが、ドラマの挿入歌であったらしい。上手に歌わなくても許されそうな歌なので、気張らずに歌いたい。

(7)「聖母たちのララバイ」

山川啓介作詞、木森敏之作曲で歌は岩崎宏美。テレビドラマの主題歌であったが、評判が高かったため翌1982年に発売されたという。当時は高度経済成長の時代で、家庭をかえりみずに会社の為にがむしゃらに働く社員たちが多数存在し、モーレツ社員、企業戦士と呼ばれていた。長時間労働が当たり前だった頃の歌である。

(8)「夢芝居」

小椋佳が作詞作曲した1982年の曲で、梅沢冨美男が歌っている。エリートサラリーマンからシンガーソングライターになった小椋佳と大衆演劇の女形として下町の玉三郎と呼ばれた梅沢冨美男の組み合わせが面白く、曲も歌いやすいので、何度かカラオケで歌った曲である。

 (9)「越冬つばめ」

石原信一作詞、篠原義彦(円広志)作曲の1983年の曲で、森昌子が歌っている。この曲の前半は淡々と歌い、ヒュルリから一気に盛り上げることになるが、盛り上げ過ぎるとコントロールがきかなくなる。案外難しい曲なので、今まで人前で歌ったことはない。

 (10)「瞳はダイアモンド」

松本隆作詞、呉田軽穂(松任谷由美)作曲の1983年の曲。歌詞が素晴らしいので、カラオケで歌いたい曲に取り上げた。松田聖子のファンではないが、歌っている曲には何故か良い曲が多いようで、ペンンギンが登場するCMソング、「SWEET MEMORIES」もカラオケで歌いたい曲の一つである。

  

(注)“気ままに選曲”というカテゴリーの新設について

以前、当ブログで、“クラシック百人一曲”というカテゴリーを設け、クラシックの作曲家一人につき一曲を選ぶという記事を投稿していたが、連載記事としては一応完結しているので、クラシックやポピュラーなどのジャンルにこだわらない、“気ままに選曲”というカテゴリーを新設して、記事を投稿することにした。

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